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 直後、榛原未来が後ろに下がる。追いかけるように前に踏み出す茜。


 至近距離での打ち合いを得意とする茜に対して、中距離で迎え撃とうとする榛原。二人の闘いは結局、ベルヒットにおける永遠の命題とも言える状況に帰着する。


(追う側と逃げる側……。逃げる側がリードしているだけに、わかりやすい構図だ)


 第七格闘部陣営にて、早川は試合の展開をそう評価した。


 しかし驚くべきはその試合の質。

 すでに第三ラウンド、ここまでかなりのハイペースで動いてきたことを考えれば、そろそろ疲労が出てきたとしてもおかしくない。


 が、実際には茜にも榛原にも、そのような様子は決して見られない。むしろ最初よりも良い動きをしているように見える。


(極限の集中力が二人の動きを高めているのか……。それとも、これが彼女たち本来の動きなのか)


 いずれにせよ、彼女達の実力は疑うべくもない。


 直後、素早い攻防に、観客が一斉に沸く。

 今にも勝負が大きく動きそうな、ギリギリのやり取り。

 それを繰り返しながらも榛原は、ただの一点たりとも茜に許しはしない。


(それにしても榛原は異常だ。あれだけハードヒットを受けながら、1ラウンドの休憩でしっかり調子を戻している……! フットワークだけで、茜の攻撃を避け続けるつもりか……)


 試合は激しさを増すが、一方で両者のポイントは一切動かない。

 激動しながらも膠着。そんな矛盾した状況が続いていた。






 茜の思考は目まぐるしく回っている。


(これじゃ間に合わない! 早い段階で勝負をかけないと……!)


 もはや第三ラウンド。このラウンドで今ある10の点差を覆せなければ負けが決定するのだ。そして、今のままでは確実に間に合わなくなる。


(多少無理をしてでも、もっとギアをあげよう……!)


 力をセーブしている場合ではない。彼女の両脚に一際強い力が込められる。

 瞬間、彼女は地を蹴り、凄まじい勢いで前へと飛び込んだ。


 榛原の顔に驚きの表情が浮かぶ。茜の追っ手から逃れるべく、彼女もまた全神経を集中し、渾身のステップを刻む。だが全力を注ぎ込んだ茜のダッシュは想像以上に速く、すぐさま次のピンチが訪れる。


 榛原を逃すまいと、猛進する茜が迫った。






(流石に、フットワークだけで逃げ切れるほど甘くはないようですね……。だったら、こっちは次のカードを切るだけ……!)


 逃げ切れないことを瞬時に判断し、榛原は方向転換する。

 襲い掛かる茜から逃れるのではなく、むしろ立ち向かうように。

 拳を高く掲げ、前へと踏み込んだ。


(コンヴェルシ・ブローで迎え撃つ!)


 今の集中状態ならば、たとえウィービングをしていても当てられる。それだけの自信があった。防御を捨てて突っ込んでくる相手に、当てられないわけはない。


 全く予定通りに、振り出される右拳の一閃。疾風のように音を立て、茜の眼前に迫る。

 視界に映ったが最後、わかっていても相手の動きは止まる。


 が、その瞬間

 榛原の目が大きく開かれる。驚愕。その手があったか、と。


(こいつ、目を、つぶってる……?)


 榛原に対し猛然とブローを構えている茜が、その場で両目をつぶっていたのだ。


 ベルヒットは瞬間の判断力がものを言う競技である。

 その競技で目を一瞬でもつぶるということが、どれほど愚かで理に叶わない行動かは説明するまでもない。


 しかし、今この瞬間においては、榛原のコンヴェルシ・ブローを克服する為の、これ以上ない奇策となった。

 どんなに鋭いブローも、見えなければ恐怖心はないのだから。


 榛原は覚悟する。このブローでは広橋茜の動きは止められない。かといって今から相手のブローを回避するのは不可能だ。


 受け止めるしかない。どれほど重いブローだとしても。

 歯を食いしばる榛原のボディに、コンヴェルシ・ブローと交差しながら、茜の打撃がぶち当たる。


 その瞬間、榛原の視界が、滲んだ。


 これは、今までに浴びたブローのどれよりも、格段に重い。

 想像を絶する衝撃。全身がシェイクされるような、めまい。平衡感覚すら消えてしまう。


(ま、ずい……)


 持ちこたえられない。

 そんな思考が過ぎった瞬間、それをかき消すように、どす黒い炎が彼女の胸に灯る。


(負ける、わけには……!)


 勝たなければならないのだ。

 一人でも多くの人間を打ち倒し、その上に立つ事で強さは証明される。

 負ければ、どんなに良い試合をしたところで、何もしなかったのと同じ事。


(私が勝つんだ……!)


 榛原は鬼のような形相で茜を睨みつける。

 バランスを崩さず、茜のブローを今一度受け止めたのである。

 ブローの直撃を受けた後とは思えないフットワークで、榛原は再び茜から距離を取る。






(これでも足りないのっ……?)


 さしもの茜も驚きに目を見開いた。


 ここまで打ち込んで、相手の脚を止められなかったことは初めてだった。

 自分の技がまるで通用しないかのような感覚に襲われる。残りの点差は7。時間はどれだけ残っているのか。徒労感にも似た絶望が、彼女の胸を塞ごうとする。


 だがその思考を身体から捨てるように、彼女は大きく息を吐いた。


(諦めるな……! 打っても止まらないなら、止まるまで打つだけ!)


 茜は勢いよく前へ突っ込む。

 獲物を狙うような目つきで、榛原の動きを追う。


 榛原も必死の形相で茜の射程圏内から逃れようとする。恐るべきはそのフットワーク。茜が何度も舌を巻いた榛原の動きは、この土壇場でも決して鈍ってはいない。


(限界までスピードを上げて……、近づいたらさっきと同じ……。もっともっと重いブローを……!)


 茜は迷わずフルスロットルに。残りの時間をずっと最大出力で走り回るなんて現実的ではない。だが、もう勝負をかけなければ間に合わないのだ。よしんば途中で自分の体力が尽きたとすれば、その時は実力不足だったと認めるしかない。


 必死に追う茜。逃げる榛原。何度も繰り返した構図。だが、少しずつ少しずつ、その距離は縮まっていく。


 茜は頃合いを見計らって、一層強く地を蹴った。

 反撃を受けることは織り込み済みで、ただ打ち合いの土俵に榛原を引きずりこむための、強引な前ステップ。スピードは生半可ではない。榛原のフットワークを持ってしても、そこから逃れきることは不可能だった。


 強く榛原の懐に潜り込み、茜は目をつぶった。

 自ら視覚をシャットアウトすることで恐怖心を払拭する、コンヴェルシ・ブロー封じの奇策である。


 榛原のいる位置を、閉じた目の奥で思い出しながら、茜は腕を引く。


(もっともっと、重たいブローを……)


 渾身の力をその腕にたわめ、炸裂させようとする。

 その瞬間だった。


 茜の喉元に、弾けるような痛みが走ったのだ。

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