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(迷っても仕方ない。惑わされる前に、こっちから攻めなきゃ!)


 茜は大量失点の後とはいえ怖じていなかった。経験から、ここで受け手に回るとまずい、ということが直感的にわかったのだ。


 持ち前のスピードで左右に揺さぶりながら距離を詰めていく。相手の逃げる方向をかく乱し、出来る限り真後ろへ追い詰めていくのが狙いだった。


 回避型の選手は、フィールド上に円を描くように逃げるのが普通で、そうしなければ徐々にフィールドの端へ追い詰められてしまう。追い方一つとっても、上手くやれば強烈なプレッシャーとなる。


 しかし対する榛原は平然とした顔で、徐々に逃げ道がなくなっていくことにも焦る様子はない。


(慌ててミスをしてくれるような人じゃないみたい……。ポイントを奪うには、ここから一度『無理』を通さなきゃ……)


 言い換えるならば、『リスクを背負う』ということ。安全な動きだけでは、ぎりぎりまで追い詰めても逃げられてしまう。だからどこかのタイミングで、リスクのある動きを混ぜなければならない。


 かと言って、読まれれば手痛い反撃を確実に受けるだろう。勝負を仕掛けるならば、相手が予想もつかないようなタイミングでなければ。


(まだ……)


 茜がそう思った瞬間だった。

 榛原がおもむろに、前へと踏み出したのだ。


 追いかけていた相手が突然逃げるのをやめる。こんな状況は千載一遇のチャンスとも言えるのだろうが、茜は咄嗟に判断できなかった。


 心当たりがある。二回ほど、同じ状況で攻撃を仕掛け、煮え湯を飲まされた。その記憶があったから、彼女は動けなかったのである。


 それが失敗だと気づいたのは直後。思わず身体を固くする茜をあざ笑うかのごとく、驚くくらい悠長な足取りで、なんの怖れも顔に表さず、榛原は茜の真横を掠めるように通り過ぎた。茜は声を漏らさずにいられなかった。


「あ、しまっ……」


 即座にその後ろを追うが、榛原は二、三のステップですぐに距離を離してしまう。そして隙を見せずに構えている。微笑みながら。やられた、と茜は思った。


(……なんだろう。前ステップで騙されてる? さっきまでは予想より遠くにいたのに、今度は本当に踏み込んできた。こっちの心理も操作されてるみたい……)


 茜はようやく少しだけ見当がつく。相手には、見分けがつかない二種類のステップがあるらしい。とはいえ、それを完全に看破するのは至難の業だった。


 とにかく立ち止まっていても仕方がない。そう考えた茜は、先程と同じように地を蹴る。左右に動きをずらしながら、相手の逃げ道を絞っていく。これだけで大抵の相手であれば窮するところなのだが、今回の相手には通用しない。


 またもや前に踏み込んでくる榛原。途端に茜の動きが鈍くなる。


 これは、どっちだ? 近いようで遠い一歩。そしてまた遠いようで近い一歩。幻惑される。魔法にかけられる。


 茜の目には榛原が触れられる距離にいるように見えた。が、それを確信して手を出せば、腕は虚しく空を切るだけなのだ。


 茜の動揺を尻目に、榛原は気付けば決して手の届かない場所にいた。


 妖しく髪をかきあげる彼女の姿は、魔女か、悪魔のようにも見える。彼女を彼女たらしめている、幻を纏うその両脚を、観客たちはこう呼んだ。


「まるで、『蜃気楼』みたい……」


 ざわつく会場。無理もなかった。傍目からは何も特異なことなどないはずの闘いに、少しずつ異常さが浮かび上がってくる。普通であれば考えられないようなミスの連発。その原因は榛原に他ならない。誰もがわかっていた。


 しかし、何がどうおかしいのかわからないのだ。周りで見ているものたちにとっては。


 ただ榛原の対戦相手だけが、蜃気楼に騙されたかのごとく、届くはずのないブローを放ち、すぐ近くにいるはずの榛原に触れられない。


 これが榛原未来の実力。第三格闘部の特待を蹴るだけの、傲慢な才能。誰もがそう思い、しかしその次の瞬間には考えを改めた。


「そんなに恐い顔して、どうしたんですか? 私はまだ技を出してないのですけれど」


 茜だけに聞こえるように告げた榛原が、直後取った行動は実に単純だった。

 右手を上に、自分の顔よりも高い位置に構え、そしてもう一度微笑む。


「これの対策してきたんでしょ? ねぇ、見せてくださいよ。練習の成果を」


 まだ彼女は本気ではない。

 茜も、客席の生徒達も、その事実をようやく思い出したのだ。

 




 直後、榛原が動く。


 先程までとは違う俊敏な動きで、自ら射程圏内に踏み込んでいく。茜は即座に迎え撃つ準備をする。が、主導権を握ったのは榛原だった。


「よく見て。じゃないと危ないですよ?」


 振り上げた右手を強調するように、一言。見てはいけない。茜はそう知ってはいたものの、本能がそれを拒絶する。


 振り降ろされる鋭いブローが茜を襲う。それはまさに茜の顔面へと直撃する軌道だった。コンヴェルシ・ブロー。茜は無意識に身を強張らせた。恐怖心が、彼女の身体を縛り付ける鎖となる。


 瞬間、軌道を変えたブローは茜の顔を掠めもせず、辛うじて構えた茜のガードの上から抉るように炸裂した。弾ける音とともに、茜の顔色が変わる。


 これは、想像以上だと。反撃を加えようにも、榛原は全く隙を見せずもとの構えに戻っている。


(すごい……、わかっててもこれは……)


 思わず感心してしまう茜だったが、呑気に構えていられる状況でもない。すでに点差が8も離れてしまっている。相手に触れることも出来ぬまま。


 続けざま榛原が踏み込んでのブロー。またしても顔面へと向かってくる。茜は咄嗟に後ろへ飛び退いて、相手の技に付き合わない選択をした。本来であればあまり良い対処ではない。とにかく近づいて打ち合いに持ち込むのが茜の狙いだったからだ。


 しかしそんなことにこだわっていられないほど、コンヴェルシ・ブローは脅威だった。


「あら、そうやって避けられると張り合いがないのですけれど」


 挑発するように言ってのける榛原だが、茜は取り合わない。


(相手の好きにされると辛い……。せめてブローのタイミングぐらいは、こっちから制限していかなきゃ……)


 茜は意を決して前へと踏み出す。狙いは榛原にコンヴェルシ・ブローを打たせること。こちらの予想するタイミングで打ってくるならば、対処法は練習してある。


 対して榛原は右手を高く掲げすぐに打ち込める構えに。脚を止めずに自分の有利な間合いをキープしようとする。絶妙な位置取りで、茜にとっては攻めるべきか退くべきか難しい状況だった。すでに大きな点差があることを考えて、茜は少し無理してでも攻勢を維持することにした。


(……的を絞らせないように。膝から上、全身を動かして……!)


 茜の身体が大きくうなる。前へと進みながら、同時に左右へと身体を揺さぶる。その動きは素早く、打ち込もうと狙いを定める榛原の目に驚きの色が浮かぶ。


(『ウィービング』……?)


 茜が練習してきた秘策の名を、榛原も知っていた。彼女はその動きを観察し、すぐには手に負えないことを理解した。


「ふっ」


 鋭く息を吐く榛原。その片足が勢いよく前へと踏み出される。ウィービングしながら近づく茜に向かって、あえての前進。茜の脳裏に一瞬の思考が過ぎる。


(突っ込んできた? なら迎え撃つ……)


 コンパクトに左手を引き戻し、体重を乗せて突き出す。

 渾身のストレート。しかし、それが榛原の身体に触れることはなかった。


(っ!? しまった……)


 茜が状況を把握するのはその直後。また、やられた。どう見ても届くはずだった左ストレートが届かない。お返しとばかりに襲い掛かる榛原のミドルキックに茜が反応できたのは、彼女の非凡な身体能力のおかげだった。


「う、ああっ!」


 半ば転げるように身をよじり、間一髪榛原の蹴りを避ける。そしてすぐさま体勢を立て直し反撃の構えをとった。これ以上の失点は許されない。そんな執念を感じさせる茜の動きが、榛原にさらなる追撃を躊躇わせた。


 茜の額に汗が浮かぶ。それが示すのは身体的な疲労だけでなく、困難な状況に対する焦りか。


 コンヴェルシ・ブローを打ち破るために練習したウィービングだったが、榛原の見せる『蜃気楼』の前では効果を失ってしまう。このままでは、勝てる道筋が見えてこない。


(あの不思議なステップを克服しなきゃ、勝負にならない……)


 不幸中の幸いとでも言うべきか、そこまで考えた茜の耳に、甲高い笛の音が聞こえてくる。ふっ、と反射的に身体の力が抜ける。


 あっという間だったが、このラウンドはこれで終わりらしい。


(次のラウンドで、何か答えを見つけないと……)


 しかし、落ち着いてばかりもいられない。現状彼女にとってはこの笛が、少しずつ敗北へと近づいている印でもあるのだから。


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