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「ふっ!」


 直後、動いたのは茜の方だった。

 素早く前に詰めながら、流れるようなストレート。傍で見る者からは反応できないほどのスピードだったが、榛原はそれを簡単にかわしてしまう。


 茜が続けさまに二発、今度は左右のフック。腕を小さく畳んでいるため、身体ごとぶつかりに行くようにも見える。力強く、それでいて軽やかな動き。ブローは榛原には当たらないが、周りの生徒達はすでに茜の異常さに気付き始めていた。


「ねえ! 榛原の相手の子、すごくない!?」

「あれ絶対初心者じゃないよ!」


 少し見ただけでわかる。そのぐらい驚異的な動き。しかしだからこそ、それを難なくいなしているもう一人の選手も際立っていた。


 一旦立ち止まった茜に呼応するように榛原も動きを止め、二人は向き合った。

 厳しい顔つきの茜に対し、榛原の表情は余裕すら感じさせる。見ていて薄ら寒くなるような微笑みが、茜に向けられていた。






(やっぱりこの程度じゃかすりもしないや……)


 茜はぴたりと立ち止まり、次なる攻撃の糸口を探る。


(もっとギアを上げたいけど、なんだか嫌な感じがする)


 長い経験から来る勝負勘。この相手に対して、速さで押し切ろうとするのが得策なのか。

 一筋縄ではいかない。そんな月並みながら重要な意識が、茜の衝動を抑えつける。


(まずはゆっくり行こう……)


 自分を落ち着かせ、彼女は少しずつ相手との距離を詰めていく。


 対する榛原は後退。じりじりとお互いの距離感を測る両者。接近して打ち合いたい茜にとっては、まだ得意の間合いとは言えない。が、この距離での攻め手もないわけではない。


 この距離ならば一歩踏み込めばミドルキックが届く。仮に試合を決める一打にならずとも、決して無駄な行動ではない。


 差し合いで相手に楽をさせないことが、結果的に近づくための布石になるのだ。相手がこの距離を嫌ってさらに間合いを広く取ろうとするならば、どうしても動きに無理が出始める。それが隙になる。


 とはいえ、あまり強引に狙いに行けば、今度はこちらの隙が生まれる。だから軽々には打てない。茜はキックの速度には自信があるが、身長からしてリーチは相手に分がある。


 そんな事を本能的に、頭の中で考えるでもなく思い浮かべた茜だったが


(……っ! いける!?)


 直後だった。茜は見た。榛原が無防備に前へと踏み出すのを。咄嗟の反応。ほぼ間を置かず、榛原の進む先にピンポイントで届く踏み込みの中段蹴り。


(あ、れ届かな……)


 しかし、その蹴りは茜の予想に反し、何の手応えも返さぬまま虚しく空を斬った。


 それだけではない。予想外の空振りにもバランスを崩さず堪えた茜に、一瞬遅れて衝撃が与えられる。ほぼ背中に近い右脇腹に、パン、と小気味良い打撃音。気付いた頃には、茜は重要な先制点をいとも容易く奪われていた。


 脚を引き戻し、距離を測りなおす茜。榛原はすでに攻撃の届く距離にはいない。いつものように怖ろしい微笑みで、間合いの外に立っているばかりである。


(距離を間違った? そんな、確かに届いたはず)


 茜は混乱し、もう一度距離を確認する。今は射程圏外だが、踏み込めばぎりぎり届くかもしれない。先程と同じ、ということは……。


(さっきはこの距離から、確かに近づいたんだ。それで届くと思って……)


 そんな風に一しきり動揺している茜をあざ笑うかのごとく、今度は榛原が動く。


 再び、無防備な前歩き。何の警戒もしないその行動は、茜の目から見れば異様にすら映った。


 とにかく隙を曝け出しながら、榛原は茜のミドルキックが届く間合いに、危険なはずのその位置に足を踏み入れた。茜の目は確かにそう認識したのだ。


 だが、ここでまた同じ行動を繰り返すほど茜は単純ではなかった。どういう理由かわからないが、この距離ではキックをかわされてしまった。だから次は待つ。

 

 先程の違和感から逆算して、恐らくもう一歩。その距離まで引きつけなければ。


 が、そこまで考えた茜を待っていたのは、全く予想外の衝撃だった。


 厳密に言えば、本来想定すべきだった状況。互いの蹴り足が届く間合いで、ごく当たり前に起こる出来事だった。パシン、と榛原のミドルキックが茜のボディに突き刺さったのである。


(うそ、なんで……)


 自分の感覚も理性も全てが信じられなくなるような一瞬。自分の攻撃が届かないはずの間合いから、相手の攻撃だけが一方的に届く。幻惑されているかのごとき理不尽が、茜の冷静さを奪っていく。


 榛原がもう一歩前へ踏み出した。それだけで十分だった。すぐさま茜は右脚のミドルを繰り出す。当たるに決まっている。相手との距離はさらに縮まったはずなのだから。


 しかし気付けばするり、と気が抜けるように、茜の右脚は虚空を泳いでいた。


 その一瞬後には、正確に先程と同じ脇腹へ、榛原の鋭い蹴りが当たる。


 パン、と弾けるような打撃を辛うじて右腕で受け止める。ガードが間に合ったのは不幸中の幸いだった。なぜならば茜は今になってもまだ、自分が点数を奪われた理由すら皆目見当がつかないでいたからだ。


「くッ!」


 息を思い切り吐き出して後ろへ大きくステップし、距離を取る茜。状況がよくない事はわかる。だが、その理由がわからない。何一つ間違った立ち回りをしたつもりはないのに、点数だけが奪われる。差が開いていく。


(これが、榛原さんのベルヒット……!)


 茜は険しい顔つきで榛原を見る。目前の彼女は、寒気のするような微笑みを絶やさず、茜の視線を受け止めている。






 そんな中、誰よりも動揺していたのが第七格闘部の早川だった。


「どうしたんだ、茜? あんな無理な距離からミドルを蹴ったりして……」


 らしくないというよりも、普段の彼女ならばあり得ないミスなのだ。届くはずのない距離から二度も狙いにいって、結果二度とも手痛い反撃を受けてしまった。早川の目には茜の行動が理解しがたく映っていたのである。


「確か、ビデオでも同じだったよね……。あの子の対戦相手は、皆変なミスをするようになるって」


 由紀を挟んで早川の隣に座っていた麻衣が不安そうに口を開いた。


「そうだな……。しかし予想以上だ。ここまでの試合内容じゃ、相手が何かしたようには見えなかったぞ」


 それが一番の問題だった。相手がどんな技を使っていようが、仕掛けに気付いてしまえば対策は立てられる。しかし榛原の立ち回りは巧妙で、傍から見ても至って普通の動きなのだ。


 そしてそれは、フィールド上の茜にとっても同じようだった。

 歯噛みする早川に、今度は少し困った様子の由紀が告げる。


「一騎お兄ちゃん。私、どこが変なのかわかった気がするんです。でも、何がどうおかしいのかわからなくて……」


 早川は驚きながらも先を促す。


「本当か? わかる限りで教えてくれ。そこに注目すれば見抜けるかもしれん」

「ステップの時の脚の動きです。それも、後ろに進む時だけ。なんだか変な動きをしている気が……」


 早川はすぐに試合の様子へと視線を戻す。ステップ。脚の動き。全体を見ていた時には気付けなかったが、ひょっとすると脚だけに注目すれば何かわかるかもしれない。


 願うのは、早川が対策を立て茜に伝える前に、この試合が終わってしまわないこと。結局このラウンドは、茜一人の力で乗り切るしかないということだ。


「茜、気をつけてくれ……!」


 祈るような早川の声は、茜の耳にはまだ届かない。

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