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強烈な右のミドルキックが、容赦なく由紀の脇腹にぶち当たる。
「うぅっ?」
見てからではブロックが間に合わないほど、そのキックは速かった。
さらにそれを素早い前ステップの直後に繰り出してくるのだ。一瞬前まで安全だった場所が、気付けば相手の攻撃だけが当たる超危険地帯へと変貌する。由紀が手を伸ばしても反撃は出来ない。甘和は蹴りが届くぎりぎりの位置を測っているからだ。
ぐらつきそうな重心を辛うじて立て直し、速やかに後退する由紀。しかしそれは悪手だったかもしれない。
「読めてんだよ!」
甘和は威嚇するように小さく吐き捨てて、もう一度前へ。由紀が必死に飛び退いた着地の隙に目掛けて、さらに強力なミドルキックを叩き込む。
(や、ばいっ)
由紀は咄嗟に左脇腹のガードを固めた。
直後、彼女を襲ったのは、ガードした左腕への衝撃ではなく
無防備にさらけ出した身体の正面、ボディのど真ん中への弾けるような一撃だった。
「ぅぐぅっ……!?」
何が起こったのかも分からない一瞬。
由紀は後ろへとバランスを崩しながら、どうにか片足で踏み留まろうとする。
その時、不意に見えたのは相手選手の姿だった。すでに次の攻撃の準備を整えている。まずい。このまま終わってしまう。
(ダメっ)
その時、自分でも何を考えているのか判別つかないような思考の中で、由紀は無意識に記憶の中から最も適切な選択肢を選んだ。
彼女は重力に逆らわず、棒が倒れるようにあっさりと後ろへ転倒したのだ。即座に審判の笛が鳴る。これは打撃によるダウンの判定。
つまり今しがた受けた二発のミドルキックに5点が追加され、一気に11点の大量得点を奪われた計算になる。それでも由紀の選択は正しかった。
(ちっ、今ので決めようと思ったのに……)
甘和は心の中で毒づいていた。
その時、第七格闘部では
「うわあ……。由紀大丈夫かな……?」
心配そうに声を漏らす麻衣。試合の結果だけではなく、由紀の安全も気になるのだった。
「転倒したのは逆にラッキーだったな……。しかし、相手も相手だ。強引にも程があるぞ」
「今のはかなり際どいキックだったね」
早川の言葉に茜が同意するように付け足す。しかし麻衣には彼らの言っている意味が分からなかった。
「際どいって、どういうこと?」
「ああ、まだお前には伝えてなかったか。ベルヒットのキックにはな。反則技があるんだ」
「膝や足の裏を使った蹴りは危険だから禁止されてるんだよ。ブローで肘や肩を使っちゃいけないのと一緒でね」
二人の説明に麻衣は先程の展開を思い出す。確か最後のキックは、由紀の後退を読んでの前蹴りだったはず。身体の正面に向けたあの蹴り方だと、どうしても足の裏を使ったキックになりそうなものだ。
「そっか。さっきの蹴り方は、つま先だけで当てないと反則になっちゃうんだ」
「そ。だから難しい。今のは反則にはならなかったけど、繰り返すのはリスキーだ。だから必要以上にあれを警戒する必要はない。ないんだが、厄介なのは序盤にあれを見せられたことだな……。恐れが残るとこの先相手に近づきたくても近づけなくなる……」
例えば勢いよく距離を詰めた先にあの前蹴りが放たれていたら……。相手の蹴りに自分が動いた分の力が上乗せされるのだ。想像しただけでゾッとする状況だった。
「きっと大丈夫だよ。由紀ちゃんなら」
しかし茜が突拍子もなくそんな事を言う。その言葉の根拠はどこにあるのか。単に練習を共にしてきたというだけでは語れない何かが、言葉の裏にあるようだった。
(……俺も由紀を信じよう。あいつの変なとこで気が強いのは、昔からだしな)
早川は心の中で呟いて、試合に視線を戻す。
このラウンドが終わるまで、彼らに出来るのは見守ることだけなのだ。
(驚いて転んでしまいました……。点差も離されてしまったし、どうにかしないと……)
起き上がり、両脚の調子を確かめてから相手へと向き直る由紀。自分でも意外なほど冷静に状況を把握できる。集中できている事を実感する。
(とにかく一番危ないのはあのミドルキック……。それもリーチが長いから、後ろに逃げてかわすのは難しいです……。だったら、私に出来ることは一つ……)
審判が由紀と甘和の間に立ち、短く笛で合図をする。
試合再開。その直後、由紀は勢いよく前へと踏み込んだ。
(っ? こいつ、あの蹴りをくらってまだ突っ込んでくるか!)
対する甘和は想定外の様子で困惑する。その隙に由紀はさらに距離を詰める。咄嗟の右足が出ない甘和。気付けば由紀は甘和の目前まで迫り、両腕を構えて襲い掛かる。
「なめんな!」
甘和は吐き捨てて右拳のストレートを放つ。が、
由紀はその拳を間一髪でかわし、お返しと言わんばかりに右のクイック。咄嗟に甘和のガードが間に合ってボディへの直撃は免れる。
(やっぱりこの人のブロー、大振りで簡単に見切れます!)
由紀はこの有利な状況を逃がすまいとさらに前へと詰め寄る。
(しつこいんだよ! っ!?)
甘和が後ろに飛び退きながら振るった左フックが、虚しく空を切る。由紀は潜るような低姿勢で甘和のパンチを避け、そのまま浮き上がる反動でブローを放つ。アッパー気味の軌道で繰り出されるブローは、甘和のガードの下を潜ってボディへと直撃。
すぐさま後ろに引いて反撃を避けようとした由紀だったが、
「っ!」
後ろステップの遅れにタイミングよく甘和の左ミドルキックが当たり、無傷のヒットアンドアウェイとはならない。
甘和は蹴り足を引き戻し、鬼のような形相で由紀を睨みつける。
(反射神経はいいみたいだな……。でも、所詮バカの一つ覚え……)
甘和は重心を高く取り、いつでも踏み込んだ蹴りを行なえる姿勢に移行する。差し合いの制空権は完全にこちらにある。リーチの面でも、スピードの面でも。相手は近づかなければ何も出来ないのだ。ならばみすみす近づかせてやる必要もない。
「来いよ」
甘和は左手を小さく手前に引き、挑発するような仕草をする。
それに対し由紀は動かない。動けなかった、という方が正しいかもしれない。明らかに姿勢の変わった相手。恐らくは飛び込みへの迎撃を狙っている。安易に踏み込めば、手痛い反撃が待っていることだろう。
(でも、行かなきゃ……)
警戒と焦燥の狭間で由紀がまごついていると、意外なほどすぐに別の動きが起こった。
「シッ!」
威圧するような声。その音に合わせて甘和が前へと大きく踏み出したのだ。
(こねえならこっちから行くぞ!)
狙いは由紀のボディだった。見てからではガードの間に合わない低い位置に目掛けて、鋭く繰り出されるミドルキック。
由紀が辛うじて左腕でブロックした直後には、すぐに振り戻した甘和の右足が、再び由紀のボディへ狙いを定めていた。
(来るっ!)
由紀は咄嗟に反応し、次の行動を選択する。
定石で言えば、ここは一旦後ろに引いて追撃を逃れるべきか。
しかし、脳裏に浮かぶのは先程受けた攻撃の記憶。バックステップを狙った追い討ちの前蹴り。あれを今喰らったら、15点差で試合が終了してしまうかもしれない。
とはいえ、避ける術も由紀にはないのだ。早川に教わった事といえば、とにかく前に詰めることだけ。果たして今、それがこの相手に通用するのだろうか。
(もう、考えたって仕方ありません! やるだけやってやる!)
由紀は半分自棄になりながら、予想されるミドルキックの軌道に飛び込むように、前へと大きく踏み込んだ。
それが功を奏したのは、直後の事だった。
事後報告ですが作品タイトルを変更しました。(前のものだといまいち作品のコンセプトを伝えきれていないと思ったため)
また以前から少しずつ冒頭部分の修正を行なっています。わざわざ読み返すほどの修正ではないのですが、一応ご報告ということで。
以下、今後の更新頻度に関する連絡です。
今までは週一回のペースで一話ずつ更新していましたが、更新頻度を少し上げたいと思い、今後は一話分書き進めたらその都度投稿していこうかと考えています。
といっても週一回更新だったものが、4~5日に一回更新に変わるぐらいだと思います。もちろん今までよりペースが遅くなることはありません。
すでに第二部は最後まで書き終えており第三部に取り掛かっている最中です。なるべく早く、出来る限り質の高い作品を投稿していこうと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。




