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 観客席の方からわずかに声があがる。

 今しがた出てきた選手の姿を見て、幾人かが口を開いたのだった。


「あれ、城島甘和じょうじま かんなじゃない?」

「本当だ。城島さんまで出てくるなんて……」


 第六格闘部から現れた次なる選手は、彼女を知っている人にとってはこの場に似つかわしくないように思えるのだった。


「全市じゃあまり目立たなかったけど、うちの地区ではかなり勝ってたよ……。相手の子、かわいそう……」


 朝日野女子はベルヒットの強豪校。そのトップは第一格闘部と言われているが、第六格闘部の非レギュラーですら他校に行けば選手の座を勝ち取れるだけの力量を持っている。

 

 由紀の相手として現れた生徒も、そんな隠れた実力者の一人だった。


「よぉ。びっくりしたかい? 怖かったら逃げてもいいんだよ?」


 遅れながらフィールド上にやってきた甘和は、どこまでも人をバカにしたような調子でそう由紀へと語りかける。


 由紀は思い出す。彼女と初めて会った時の事。殴られて隣でうずくまる麻衣を見ながら、頭からジュースを浴びせられ、それでも何も出来ず、ただ恐怖に震える事しかできなかった。


(もう、あの頃とは違います。私には、一騎お兄ちゃんや茜ちゃん、そして麻衣ちゃんと一緒に練習してきたベルヒットがあるんだから)


 もちろん、相手は自分よりもずっと長い時間をベルヒットに費やしてきたのだろう。それは疑うべくもない。ただ、ここ1ヶ月の練習量、そして密度なら負けていないはず。


「もう怖くないですよ。あなたなんて、ちっとも」


 由紀は普段からは想像も出来ない厳しい表情を浮かべ、刺さるような口調で告げたのだ。


「あ?」


 甘和も目つきを変え、低く唸るような声で凄む。


「怖くないって言ってるんです」


 由紀は引かない。さすがの甘和もこれには少し面食らった様子であった。


 そんな中いよいよ審判が両者の間へと躍り出る。2人に拳を突き合わせるよう指示し、第二試合開始の笛を鳴らすべく構えた。


 じりじりとした緊張感の中、ついに二人はフィールド上で拳を突き合わせ、試合開始の合図を待つ。短く長い沈黙。会場の熱気がそのまま全て、自分たちの全身を中心にほとばしっているような感覚。それは錯覚か、はたまた真実か。いずれにせよ、この会場の中心にいたのは、2人の選手なのだ。


 甲高い笛の音が鳴り響き、沸き立つような観客の声。


 直後、思い切り打ち付けるように、付き合わせた拳を振りぬいたのは甘和だった。

 前に出した左拳を弾かれ、突然の事態に目を見開く由紀。何か考える間もなく、甘和が一直線に彼女の懐へ飛び込んでくる。


 速い。それが由紀の感想だった。そして会場の誰もが、同じような思いを抱いた事だろう。その程度には由紀の対戦相手が非凡だったのだ。


 甘和が大きく腕を後ろに引き、低く潜り込むような姿勢から由紀のボディ目掛けて叩き込む。開始早々の攻撃。由紀にとってはとても危険な状況だった。


(速い、けど見える……)


 しかし由紀はそんな急展開の中で、以外にも冷静な思考を展開していた。


(右のストレート……、大振りだから軌道が読めます……!)


 その瞬間、由紀が取った行動は防御でも後退でもない。

 あろう事か、今まさに由紀へと踏み込もうとする甘和に目掛けて、自ら一歩近づいたのだ。


 その動きによって、甘和が振り出そうとしていた拳の軌道から由紀は逃れ、同時にがら空きとなった甘和のボディを眼前へと呼び込んだ。


 驚愕し身を強張らせる甘和に対し、由紀はここぞとばかりに練習の成果を叩き込む。


 左右のコンビネーションから、素早く戻してさらに左で一発。パパン、とリズミカルに3発。さらにもう一発打ち込めるかというタイミングで、由紀は思わず飛び退いた。


「うっ!?」


 由紀の目の前を横振りのブローが薙いでいく。冷や汗が滲むような瞬間だった。体勢をあえて崩しながら、甘和が強引にフック系のブローを振るって反撃を狙ってきたのだ。


 一旦体勢を立て直し、両者は再び睨みあう。

 今の一瞬のやり取りだけで9ポイント差。およそ誰も想像していなかったであろう、由紀が先制する展開である。






 第七格闘部の待機場所にて、早川は嬉しいような何とも言えない表情をしていた。


(今のは出来すぎだな……! 反撃のブローを貰ってたら逆に危なかった……。さて、辛いのはここから……)


 そう考える彼の横で、分かりやすく興奮する麻衣の姿があった。


「やった! 先生、一気に9点も取っちゃったよ由紀!」


 純粋に喜ぶ麻衣に対し、早川はそこまで単純に考えられなかった。


「まだ始まったばかりだ。それに、今のは相手のミスとラッキーが噛み合ったのさ。こんなチャンスはもう二度と来ないだろうな」


 つまり、ここから先の展開は悪くなることこそあれど、良くなることは決してないということ。由紀はたった今幸運にも手に入れた得点を最後まで守りきらなければならない。しかし麻衣と違ってフットワークで逃げ切る力はないのだ。ならばどうするか。練習した戦術で最後まで行くしかない。


 攻撃的に距離を詰めながら、カウンターを狙っていく。それが由紀の選んだファイトスタイルだった。それを最後まで実行できるかが、この試合の鍵となる。


「由紀、怖がるなよ……! 最後まで自分を貫け……!」






(やった! いきなり先制しちゃいました!)


 早川の心配をよそに、浮き足立つのはフィールド上の由紀。9点差。仮に由紀が追加で6点を取れば、その時点で試合が終了するほどの大きな得点だった。


 出来ることなら、なるべく早い時点で勝負を決めてしまった方がいい。試合が長引けば長引くほど、実力の差は如実に現れてくるからだ。

 由紀はそう考えて、前へと歩みを進める。


 相手は今しがたの攻防によって若干警戒し守りを固めている。だから由紀は恐れもなく、気軽に相手との距離を詰めて行ったのだ。相手のブローが届かない距離ならば安全なはずである、と。


 その瞬間だった。


 何かが由紀の視界の端に映った、かと思えば直後には由紀の左脇腹に強烈な衝撃がのしかかったのだ。


「うぁっ……!」


 思わず声が漏れ、身体のバランスが崩れそうになる。


 何が起きたのかもわからないまま、今度は目前に相手の姿。由紀の一瞬の動揺を突き、すでに距離を詰めていたのだ。慌てて牽制をしながら後退するが、甘和が繰り出す横殴りのブローがその隙間を縫って由紀のボディーに直撃する。


 辛うじて体勢を保つ由紀はなりふり構わず相手との距離を取る。幸い相手はそこで一旦攻撃を止め、由紀にわずかながら時間的猶予が与えられる。


 由紀は冷静さを取り戻した脳内で素早く状況を整理する。二発、ボディーに打撃を受けてしまった。9あったはずの点差がすでに3まで縮んでしまったのだ。それだけの大きな犠牲を支払い、学んだことは一つだった。


(ブローの間合いだけ見てたらダメです……! この人、キックも使ってくる……!)


 甘和が使ったのは、中距離でのミドルキック。ブローの間合いで近づけると判断した由紀へ、お仕置きのように強烈な右足が突き刺さったのだ。


 前回の練習試合から、由紀の苦手とする蹴り技。どうやらこの試合、それを克服しなければ勝機はないらしい。


(よく見て対処……)


 由紀は神経を目の前の敵へと集中させていく。






(読みどおり蹴り技についてはからっきしか。蹴りを嫌がってるのが見え見えだっての)


 一旦距離を取った甘和は、不遜な表情を浮かべる。


 彼女は小学生の頃からベルヒットを始めた。中学ではその経験が生き、いくつかの大会で入賞したこともある。

 といっても、あまり大きな規模の大会ではないけれども。

 それでも彼女の中には、自分のベルヒットに対する自信があるのだ。


(まだまだ、本当に怖いのはこれからだ……!)


 彼女はいきなり前に踏み出した。


 由紀の意表を突くタイミングと速さ。距離を詰める前方向へのステップは甘和の得意技だった。そして由紀を射程距離県内に捉える。この位置での差し合いならば、万に一つも負けようがない。


「フッ!」


 鋭く息を吐き、右足を斜め前へと打ち出す。

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