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(よし、とりあえずは持ちこたえた……)


 麻衣はほっと胸を撫で下ろしながら、自陣で待っている顧問と仲間のもとへ向かう。


「麻衣、脚は大丈夫か?」


 心配そうに尋ねるのは早川。先程の不自然な動きに不調を懸念しているのだ。


 麻衣自身の感覚で言うならば、両脚には痛みもなく疲労もまだまだ溜まっていない。それだけにあの場面で生じた妙な違和感の正体だけがどうにも解せなかった。


「うん。平気だと思う……」

「無理は絶対にするなよ。痛みがあるならすぐに……」

「大丈夫だよ」


 麻衣は少し口調を強めて言った。早川が心配する気持ちもわかる。彼の厚意をないがしろにするわけではないが、本当に脚はなんともないのだ。出来ることなら、この試合最後まで邪魔されたくはない。


「そうか……」


 早川は呟くように答える。

 

 茜と由紀が前もって準備していたタオルと飲み物を麻衣に手渡すと、彼女は小さく礼を告げてそれらを受け取った。


 早川の隣に腰かけ水分補給しながら汗を拭く麻衣に、早川は意を決して声をかける。


「麻衣、ここから先はこっちが攻めていかなきゃならない。練習ではあまりやってこなかった展開だが、まるっきり無策ってわけでもないんだ。今からする話をよく聞いてくれ」


 神妙な面持ちの早川に、しかし麻衣はいくらかの安堵を覚えた。彼女一人ではどうすべきかわからなかった現状。打開策はやはり信頼できる顧問が持っていた。


「いいか。相手との距離を常に一定に保つんだ。その距離はちょうど……お前の伸ばした腕が相手に触れるか触れないかの距離だ」


 身振りを交えて説明する早川。今まではあくまでも相手からの距離を離す技術に絞って練習してきた。ここに来て方針を変更するのは決して容易いことではないが、やらなければずるずると負けるのみである。麻衣には拒否する理由はなかった。


「でも、それだけでいいの? 5点離れた点差を取り返さなきゃいけないのに……」


 ただ一つ気になるのは、早川の言った策が形勢を逆転する術になるのかどうか。相手は一転して守りを固めて来ている。その相手から得点を奪うためには、半端な姿勢では無理ではないかと思ったのだ。


「ああ、大事なことだから伝えておく。絶対にこっちから手を出すな。あくまで相手との距離を保つだけだ。点を奪い返すのは……相手が痺れを切らして手を出した時だけにしろ」


 早川は強い口調でそう告げる。麻衣だけでなく、傍にいた茜や由紀ですら驚きに目を見開いた。こちらが負けている現状でありながら、自分から手を出してはいけない。早川の真意が掴みかねて聞き返す由紀。


「そんな……もう残り1ラウンドですよ。そんな弱気じゃ……。もしも、相手が一切手を出してこなかったらどうするんですか?」


 早川の言う作戦では、相手が攻めてくる隙に反撃を加えることしかできない。リードを持っていた先程までならともかく、現状でそのような戦い方をしていては、いつまでたっても点差をひっくり返すことはできないのではないか。


「相手が手を出してこなかったら……その時はそれまでだ」


 対して臆面もなく言い放つ早川。


「忘れるな。まともに戦って勝とうだなんて考えがおこがましいってことを。相手はこっちの何倍もの時間をベルヒットに費やしてるんだ。こっちの作戦が上手く通じなければ……その時は大人しく負けを認めるしかない」


 早川が語るのは、あらゆる勝負事の鉄則。強者が弱者に勝つという、ただそれだけの事実だった。


「こっちから手を出せば向こうに守りを固める理由を与える事になる。あくまでプレッシャーだけをかけ続けて、堪えかねた相手に攻めを選択させること。こっちが今の点差をひっくり返すには、それぐらいしかもう方法はないんだ」


 それは言うなれば、苦肉の策とでも呼ぶべきものだった。自力で勝ちに行く事は不可能と認め、相手のミスによる失点を狙う。すっきりとしない戦い方ではあるものの、当の麻衣は嫌そうな素振りを見せなかった。


「……わかった。やれるだけやってみるよ。状況は厳しいけど、まだまだこれからだもんね」


 意外にも、麻衣の顔にはうっすらと笑みが浮かんでいた。自分の思い通りにならないもどかしさの中に、彼女は自分の力を総動員して戦う楽しさを見出していたのだ。


 審判がフィールドの中央で合図をする。インターバルの終了。いよいよ勝負の第三ラウンドへ。


「麻衣ちゃん、頑張って!」

「頑張ってください!」


 たった一言の激励。それだけしか茜と由紀には言えなかった。しかし、麻衣にはそれで十分だった。


「行ってくる!」


 凛々しく言い残し、麻衣は颯爽とフィールドへ向かう。迷いはない。





 フィールドの中央、再び両選手は相見える。

 顧問からの指示を反芻するのは麻衣。


(こっちからは仕掛けず、あくまでも相手に手を出させる……。その為には、常に着かず離れずの位置をキープする事……!)




 対して近藤は警戒状態。相手はここまで初心者にしては驚異的な動きを見せている。恐らく一筋縄ではいかないだろう。だが、逆を言えばこの後、相手が仕掛けてくる策をかわしきる事ができれば、勝利はほぼ目前にあると言ってもよい。


(来るなら来い。実力の差をわからせてやる)




 両者の思惑が交差し、いよいよ試合は最終局面へ。


 審判の笛の音に応じて、会場のざわめきが一際大きくなる。それが、第三ラウンド開始の合図だった。


「しッ」


 鋭く息を吐いて駆け出したのは麻衣だった。今まで退避に向けていた力のベクトルを前へ。速いステップで一息に相手との距離を詰め、お互いの手が届くか届かないかのギリギリの位置まで身を寄せる。


 眉を寄せて麻衣との間合いを計る近藤。


(いきなり攻めてきたか。浮き足立っているのなら、隙を突いて一気に畳み掛ける……!)


 近藤は獲物を狙う豹のような目つきで麻衣の動きを観察する。


 だが、容易には動けない。点差は5あるとはいえ、下手を打てば一発で逆転される程度の点差でしかない。残り時間の短さを考えても、守りに入るのは当然だった。


 ゆっくりと後ろに歩き間合いを調節する近藤、追うようにじりじりと近づく麻衣。両者の距離は先程から変わらず、手を伸ばせばぎりぎり届くかどうかというところ。


(なんだ……? この距離を保って、何を狙っている?)


 近藤の頭に過ぎるのは疑念。相手は諦めているような様子ではない。にもかかわらず必死に点を奪いに来る様子もない。相手の攻め気があるのならカウンターを狙う立ち回りも出来たのだが、いかんせん分かりやすい隙を見せてはくれないのだった。


(嫌な感じだ……。まさか、まだ何か隠し持っているのか……?)


 浮かび上がってくる微かな恐怖。焦りを抑えるように、近藤は唾を飲み下した。




 第六格闘部陣営、苛立った様子で唇を軽く噛む榛原未来の姿があった。


「どうやら、とことん諦めの悪い人達みたいですね」


 剣呑そうに言葉を選びつつ甘和が返事をした。


「まさかここからひっくり返されることはないと思うけど……」


 未来の策が上手く機能したおかげで、第三ラウンド開始時点にて点差は5。ボディに二発打撃を受ければ逆転される程度の差でしかないが、現実問題その2発を当てるのが至難の業なのだ。


 特に、まだベルヒットを初めて間もない初心者にとっては。


「近藤さんの様子が少し気になりますね。優位の状況なのに、相手の勢いに押されて縮こまっている……。つくづく、どうしようもない人」


 辛らつな口振りも未来にとっては平常運転だった。甘和だって慣れていたから特に表情を変えたりはしなかった。心の奥で、わずかに恐怖を抱いてはいたものの。


「先輩、私の言うとおりに動いてくれますか?」


 そんな中、未来がぽつりと言った。


「ん、いいけど。今さら何を……」


 すでに最終ラウンドが始まっている。先程のようにフィールド上に罠でも仕掛けるつもりなら、タイミング的にはもう手遅れだった。だから甘和には未来が何をしようとしているのかわからなかった。


「これを持ってフィールドの脇に行ってください。……相手の選手だけが気付くように」


 手渡されたあるもの。それは、甘和を驚かせるに十分な代物だった。


「これは……?」


 唖然として聞き返す甘和に、諭すような未来の声。それはとても冷たく、寒気がするほどにおぞましい、暗い深淵を感じさせる声だった。


「念のため、ですよ。植えつけた恐怖心をもう一度つついてあげましょう」


 甘和はごくりと唾を飲む。口答えする度胸はなかった。

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