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(……速い……?)


 近藤美貴は動揺していた。全くの初心者と聞いていたこの相手。蓋を開けてみればとても初心者とは思えないフットワークである。

 

 低い姿勢で突っ込み、打ち合いに持ち込んで手数の差で押し切ろうと考えていた近藤は、そういった力押しが通用しないことを理解して立ち止まる。


 呼応するように麻衣は動きを止め、次の展開へと両者の思惑が交差する。


 近藤は低めの姿勢から一転し、今度は重心を高めに置いたフットワーク重視のスタイルに移行した。この姿勢ならば条件は同じ。多少動きは素早くとも初心者は初心者だ。正攻法で打ち崩すのみ。近藤はそう考え、素早く麻衣へと駆け寄る。


(化けの皮剥がしてやる……!)

 



 対する麻衣は冷静だった。


(なんだ、あのままなら厄介だったのに……)


 彼女は、近藤の変化に拍子抜けのような気すらしていたのだ。


 重心を高くして突進してくるということは、相手の動きが素早くなる、という意味だけではない。同時に相手は、ボディのガードが薄くなるというリスクを負うことになる。


(練習を思い出して……)


 麻衣に力みはない。ただいつものように相手の前進をかわすだけ。


 近藤の素早い突進。それを軽やかに避けながら、麻衣は接近する相手のわずかな隙をも見逃さない。反撃のチャンスはすぐに見つかった。


(今っ……!)


 麻衣は両足を揃えて、強く地を蹴る。後ろに逃げ続けるように見せながら、突然斜め前へと飛び込み相手の攻勢を崩す技。ラビットターンである。


 突っ込んでくる相手の横を掠めるように前に飛び出す。麻衣の急激な方向転換に近藤は驚きを隠せない。


 そして、わずかに空いたガードの隙間に、麻衣のクイックブローが直撃する。3ポイントの有効打撃である。


「くっ!」


 近藤は慌てて腕を振り麻衣へと反撃を試みるが、すでに彼女は手の届く範囲にはいない。


 このラビットターンは天見千佳との試合のために練習した技。麻衣はすでに実戦の中でそれを使いこなせるほど習熟していたのだった。


 再び麻衣へと接近しようとする近藤だったが、今度はそう簡単には近づけない。麻衣のフットワークが先程よりもさらに素早くなったのだ。理由は簡単だった。


 麻衣は今しがたの攻撃で3ポイントのリードを得た。回避型の選手にとって、序盤のリードを最後まで守りきるのが最も理想的な試合展開である。


 逆を言えば、すでにリードを得た麻衣にはこれ以上危険を冒して相手選手と接近する理由がない。よって、彼女は遠慮なく自分の持てる全力の動きで、近藤から逃げることができる。


 近藤が追い、麻衣が逃げる。有限のフィールドで闘っている以上、いつかは追う側が逃げる側に追いつく瞬間がやってくる。しかし、麻衣は左右への素早い動きで近藤の狙いを分散させ、いとも容易くその追っ手を退ける。


 そんな事を繰り返すうちに着々と時間が過ぎ、余裕だったはずの近藤の頭はいつしか焦燥によって埋め尽くされていた。


(くそっ、なぜ追いつけないっ? 素人のはずだろ! こんなやつに……!)


 憎らしげに歯を噛み締める近藤の視線の先には、表情を変えずに待ち構える麻衣の姿があった。堂に入っている、とでも表現すべきその立ち振る舞い。近藤が動揺するのも自然だった。




 その時、第六格闘部陣営では、黒髪のツインテールを弄りながら呟く榛原未来の姿があった。


「ただの初心者に、随分苦戦してますね」


 その隣で狼狽するのは、かつて麻衣に理不尽な暴行を加えた、今回の試合の引き金とも言える人物、甘和だった。


「お、おかしいよ。あいつは初心者のはずなのに。うちに入部希望で来たときだって、経験者じゃないって言ってたんだから……」


 事実を知っているだけに甘和には飲み込めなかった。たった一ヶ月足らずの間に、ずぶの素人がここまで試合を掌握できるようになるものか。


「もともと運動神経がいい人なら、あれぐらいの動きはあり得ますよ。それにしたって、中学からの経験者が圧倒されるなんてちょっと引きますけれど。近藤さん、いくらなんでも才能なさすぎじゃありません?」


 部活の同期を容赦なくこき下ろす榛原。


 彼女はフィールド脇の電光掲示板に表示されている残り時間を確認する。もう一分ほどしか残ってはいない。試合は先程から膠着状態、恐らくこのままこのラウンドは終了するだろう。3点差を離されたまま。


 そして、場合によっては試合が終了するまでこの点差は動かないかもしれない。だとしたら、どうするべきか。榛原はすでに考えていた。


「先輩、このラウンドが終わったら、私の言うとおりに動いてください」

「? いきなりどうしたのさ」

「近藤さんには任せられないんですよ。この試合」


 彼女はそう言って目を細めながら、困惑する甘和を尻目にさらに続ける。


「本当は面倒なことをしなくても勝てるのが一番ですが、肝心の選手があまりに使えない……」


 ぶつくさと文句を言う榛原を見ながら、甘和は心の片隅で思った。この子は、誰も信用していないのだ。同じ部活の仲間なんて、これっぽっちも。


「先輩は、私に面倒かけさせないでくださいね?」


 榛原はそう言って、ぎろりと視線を動かし甘和を睨んだ。その目つきの陰険さたるや、すでに榛原の性格にも慣れたと思っていた甘和をして、萎縮させるに十分だった。





「クッ!」


 思いきり地を蹴って飛び掛る近藤。だが決死の突撃虚しく、麻衣の身体に触れるには至らない。近藤の身体能力が著しく劣っていたわけではない。ただ精神面の影響が大きかったのだ。


 経験者である自分が、素人に引けをとるわけにはいかない。なんとしても点を奪い返さなければ。必死だった。その必死さが力みを生み、力みが身体の硬直を生み、硬直が正常な動きを妨げた。


 対する麻衣は間逆。緊張による身体の強張りもすっかり取れ、精神的にも乗りに乗っていた。経験者を手玉に取っている。疲れもまだまだ感じない。何より相手の焦りがわかるのだ。相手が焦れば焦るほど、対照的に自分の心は落ち着いていく。


(なんだ、案外いけるじゃん!)


 快調ながら、調子に乗ったり、集中を切らしたりすることもない。理想的な精神状態のまま、彼女は待ちに待った合図の音を聞く。


 甲高い笛の音。相手選手と距離を保ったまま、麻衣にとっては余裕の状況で1ラウンドが終了する。


 周囲からはざわつき。第七格闘部の初心者が第六格闘部の経験者を相手に互角以上に立ち回っている。


 当初は第六格闘部の圧勝と思われたこの試合が、蓋を開けてみればなかなか先の見えない展開だ。ともすれば第七格闘部の勝ちもある? そんなギャラリーの困惑、動揺が聞こえてくるようで、麻衣は多少得意げだった。





「先生、お願いします」


 自陣に引き返してきた麻衣は、用意されている椅子に座るが早いか開口一番早川に言う。


 試合中の休憩時間には彼からアドバイスを貰うのが、すでに決まりとなっていた。早川もその意図を察しすぐに口を開く。


「いいぞ麻衣。相手は楽な試合だっていう当てが外れて焦ってる。この分だと、こっちが普通にやっていれば、勝手に自滅してくれるかもな。ただし……」


 後に続く言葉が気になり、麻衣は頷いて先を促した。


「ただし、相手も必死だ。経験者だからこそ、初心者に負けられない意地がある。次のラウンドからはなりふり構わない攻めが増えてくるだろう。その勢いに飲み込まれるな」


 どんな勝負であれ、追い詰められた人間ほど恐いものはない。窮鼠猫を噛むとも言うように、圧倒的優位のはずがとんでもないしっぺ返しを喰らうことだって珍しくない。そういう勝負事の恐ろしさを早川はよく知っていた。


「こっちはとにかく平常運転だ。リードを奪い返されても焦らないこと」

「了解」


 麻衣は涼しげな顔で答えて、次のラウンド開始を待つ。変にそわそわした気分を感じながら。彼女なりに緊張や不安があるのは確かだが、今はそれ以上に試合が楽しくて仕方がなかった。磨き上げた自分の全力が通用する。それがこんなに嬉しいことだなんて。


「麻衣ちゃん、2ラウンド目もファイトだよ!」


 麻衣の横で立っていた少女からの応援。彼女はまだプロテクターに身を包んでいない。彼女の試合は三試合目だからまだ余裕があるのだ。麻衣は試合に集中しすぎて意識の外にあったチームメイトたちに注意を向ける。


「ありがと、茜」


 茜にそう返事すると、もう一人のチームメイトである由紀にも自ずと視線が向いた。由紀は次が試合だからすでに防具に身を包んで早川の隣に座っている。


 応援を催促するつもりは更々なかったのだが、こういう時は由紀も必ず応援してくれるものだったから、麻衣は無意識に彼女の方を見つめたのだ。ところが、麻衣の思いとは裏腹に、由紀の視線はフィールド上へと向けられていた。


 数秒後、麻衣の視線に気付いた由紀は、慌てて言葉を探した。


「あ、麻衣ちゃんお疲れ様です。この調子なら、麻衣ちゃんと私だけで勝っちゃいそうですね!」


 いつものように軽口を叩いてはいるものの、その様子はどこか普段と違う。緊張でもしているのだろうか。


「ふふ、そのつもりだよ」


 麻衣は不思議に思いながら、特に尋ねるでもなく応答したのだった。


 休憩時間中、清掃のためにフィールド上で慌しく動いていた生徒達もすでにフィールド脇へ撤退し、いよいよ第二ラウンドが始まろうとしていた。


「よし!」


 麻衣は気合を入れて椅子から立ち上がる。


「頑張れ麻衣、次もいけるぞ!」


 早川は強くそう告げて、彼女をフィールドへと送り出した。




 

「両選手、位置についてください」


 審判がコールする。すでに相手選手、近藤はフィールドの中央付近で麻衣を待ち構えていた。麻衣もすぐにその近くまでやってきて、3メートルほどの距離についた時点で笛の合図が鳴る。


 2ラウンド目開始。麻衣は今までと変わらず、相手から距離を取る戦術。対する近藤は、1ラウンド目の延長ならばすぐに突っかけてくるに違いない。


 果たして、近藤は麻衣や早川たちの予想に反し、ゆっくりと麻衣との間合いを計るだけだった。


(意外と落ち着いてる……)


 3点とはいえ負けている状態で、攻めを急ぐ様子は感じられない。先程までとは違って冷静な立ち回りに、麻衣はある種不気味な感じを覚えずにいられなかった。


 それだけではない。相手選手、近藤の動きに妙な違和感。


(なんだ……?)


 傍からはわからないほど微妙におかしな動き。何の目的も感じられない移動。小さく小さく。麻衣は不審に思ったまま、相手をよく観察する。しかし近藤の狙いは掴めないままだった。


 そうこうしているうちに、再度近藤が麻衣に接近する。必死、という感じはしない。1ラウンド目と比べれば随分大人しい動きで、上手くフィールド端に麻衣を追い詰めようとする。


 麻衣もされるがままではない。フィールド端で上手く左右の揺さぶりをかけながら、近藤の追跡から逃れようとする。しかし、彼女の脳裏に再び違和感が浮かんだ。


(おかしい……、点を取ろうって感じじゃない)


 相手選手の足取りは、体面上攻めるような気色を見せてはいるけれど、その実ちっとも攻め気のない、消極的なもののように麻衣には思われたのだ。


 自ら勝負に出る意志のない、ただ麻衣との距離を調節するだけの突進。それが何度も続き、麻衣はその度に半ば流れ作業のように後退して距離を取る。


 麻衣は怪訝に思いながら、かといって何も出来ずにいた。回避型のスタイルを選んだ以上、相手の攻撃に合わせて動くのがセオリーだ。リードしている現段階で、あえてそのセオリーを崩すことは得策ではない。




 

 そんな中、第七格闘部陣営で似つかわしくない難しい顔をしている少女が一名。大星由紀である。


「ん、由紀どうした。お腹でも痛いのか?」


 その様子に気付いた早川は何の気なしにそう尋ねたのだ。

 すると直後、噛み付くように由紀から返答が。


「考え事してるんです、一騎お兄ちゃんは黙っててください」


 普段から早川には反抗的であるものの、ここまでつっけんどんな態度は珍しい。これはあまり触れない方が得策かと思い、早川も口をつぐんだ。


(なんだ機嫌悪いな。お腹でも痛いのか?)


 そんな多少馬鹿にしたような感想を抱きながら。


 早川と由紀が短い会話を終えた、ちょうど次の瞬間だった。

 代わり映えのしない試合展開に、誰もが注意をそらしかけていたその時

 フィールド上で少々珍しい現象が起こったのだ。


「あ、麻衣ちゃん……」


 茜が声を漏らす。

 彼女が見つめるフィールド上には、自分でも予想外に目を丸くする麻衣の姿。


 彼女は床に尻餅をついたまま、口を半開きにして相手選手を見上げていた。


 審判の笛が鳴る。得点の変動はない。

 打撃や接触によらない転倒。麻衣は足を滑らせて転んでしまっていた。


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