3
そんなある日の事、由紀、茜、麻衣の三人が一年生のロビーで机を囲み昼食をとっていた。
由紀と麻衣は同じクラスだが、茜は違う。そのため普段は共に昼食を食べることのない三人だったが、この日は事前に早川から集まるよう伝えられており、その集合がてら一緒に昼食、と相成ったわけである。
昼休みと言う事で周りは昼ごはんを談笑しながら食べている学生の姿で一杯である。
まだ早川が指示した時間にはなっていない。三人は家から持って来た弁当箱を広げ、いつも通り和気あいあいと会話に花を咲かせていた。
「茜ちゃん、やっぱりお弁当も豪華ですね……」
「出たー」
家がとてつもないお金持ちだと判明して以来、こういった茶化しは茜に対する日常会話となっていた。
「違うよー。これは一週間のうちで一番豪華なんだよー。Sランクなんだよー」
「弁当にランクがあんのかい」
茜もしばしば変な返しをするので、由紀と麻衣の二人は可笑しそうに笑う。
「ところで茜ちゃんはいつも誰と昼ごはん食べてるんですか?」
聞いたところで別クラスの人の名前などまだほとんどわからないのだが、なんとなく茜が普段どんな人とつるんでいるのか気になったのである。
それに対して、茜はさも当然のように言う。
「一人だけど」
「えっ」
由紀は素で目を丸くして驚いたのだが、茜は由紀の反応に不思議そうな顔をする。
恐る恐る際どい質問をする由紀。
「ぼ、ぼっちなんですか?」
茜は言葉の意味を聞き返しながらそれを否定する。
「ぼっちって……何? 一人ぼっちって意味? と、友達はちゃんといるんだよー。でも、仲良い子は皆部活の友達とごはん食べてるから……」
「……茜ちゃん、明日から一緒にご飯食べましょう」
由紀がそう言うと茜は戸惑いつつも
「え、うん。いいよ」
純粋に嬉しそうな顔をして答えたのだった。
そこへ横合いから呼び声がかかる。
「茜ー。この前言ってたの買って来たよー」
早川のものではない。同学年の女生徒の声だった。
「あ、優希ちゃん。わざわざありがとー」
茜は礼を言って、その女生徒が差し出す濃紺のビニール袋を受け取る。中には何冊かの本が入っており、茜は中身を確認してもう一度礼を言う。
「ありがとうね。はい、これ代金」
茜は制服のポケットに入った財布から千円札を数枚取り出して渡す。
「あいよー。読んだら語ろうぜー」
女生徒は歯を見せて笑い、由紀や麻衣の顔を一瞥してからここにいると邪魔になると判断したのか、そそくさと退散してしまった。
彼女が立ち去った後、麻衣と由紀によるお決まりの茶化しが始まる。
「か、金の力で……」
「友情は金で買えるというわけですね……」
「違うよ! おつかい頼んでただけ!」
茜はすぐに否定する。
「あの子は隣のクラスの子で、体育の授業で仲良くなったの! 漫画を買いたかったんだけど、うちの近くの本屋さんに置いてなかったから、買ってきてもらったの!」
ムキになって訂正する茜だったが、麻衣と由紀は反省する素振りもない。
「どんな本買ったの?」
「見せて欲しいです」
二人がそう言うと茜は特に嫌がるでもなく、本の入った袋を机の上に置いた。
「どれどれ、『ドラゴンバスターズ』? へぇ、茜こういうのが好きなんだ」
「ふむ、厨二病ですね」
「人気沸騰中なんだよーアニメ化もするんだよー。私は普段あんまり漫画読まないんだけど、それは意外と大人向けで面白いんだ」
麻衣は袋から次々に本を取り出していくが、どれも同じシリーズのものらしい。
彼女が本を袋の中に戻そうかと思った時、不意に一番下に置かれた本だけがサイズも雰囲気もまるで違う事に気付く。
俗に言う大判コミックで、麻衣はそれに興味を惹かれた。果たして、彼女がその本を取り出して表紙を見てみると
「なんじゃこれは……」
思わず声が出た。
「へっ?」
茜も口をあんぐりとする。由紀だけが、若干頬を赤くして何とも言えない顔をした。
その表紙には、服がはだけほとんど上半身裸で抱き合う線の細い好男子が二人。
俗に言う、ボーイズラブ。
「ななんああななあな、何持ってきてんの学校にぃっ!」
麻衣は咄嗟に本から手を離し絶叫する。言わずもがな顔は真っ赤。
「ふ、ふじょ、腐女子だったんですか茜ちゃん」
由紀は冷静を装いつつ、ちらちらと机に落ちた漫画の表紙を見ては顔を赤くする。
「ちが、違うよ! こんなの私頼んでないっ!」
実は先ほどの茜の友人が俗に言う『腐女子』であり、茜なら構うまい、と布教のために忍び込ませたのであるが、そんな事に考えが行くほど三人は冷静ではなかった。
「ふふ、な、なかなかハードなのが好みなんですね……」
由紀がふざけているのか本気なのかわからない顔つきで、漫画のページをぺらぺらとめくっていく。時たま隣の麻衣にも無理やり見せようとするのだが、麻衣は断固拒絶する。
「ほれほ~れ。麻衣ちゃん見てくださ~い」
「や、やあぁぁっ。そんなもの見せんなぁっ」
女の子らしく悲鳴をあげて由紀の魔の手から逃れようとする麻衣だったが、その仕草が気に入ったのかむしろ嬉しそうに悪戯を続ける由紀。
「二人ともっ! 落ち着いてっ!」
茜が大声でなだめようとする。すでに周りの学生達から不審そうな眼差しを向けられているのだが、彼女たちの暴走は止まらなかった。
「麻衣ちゃ~ん、ほれ~~」
「きゃああああぁぁっ!?」
「落ち着いてーっ!!」
昼間から騒々しい三人組なのだった。そんな事をしているうちに
「お前ら、何やってんだ?」
脇から男性が声をかける。すでに時計は約束の時刻を回っていた。少々遅れながら、早川が三人の所にやってきたのである。
「な、なんでもないでーっす」
「あははははっ」
麻衣と由紀の二人は奇跡的なチームワークで、一瞬の内に漫画をもとのビニール袋の中に戻し何食わぬ笑顔を浮かべた。茜も脇に放り出していた漫画の残りを回収し、袋に押し込んで手際よく早川の視界から見えない位置に隠したのだった。
「……変なやつらだなぁ」
「な、何が? それより先生、早く本題を」
早川は怪訝そうな目つきで三人を眺めたが、茜に先を促され渋々了承する。
もともと四人がけの席であり、早川は余った一つの席に腰かけ口を開いた。
「今日呼んだのはな。そろそろうちの『キャプテン』を決めたい、と思ったからなんだ」
言った直後、部員三人はきょとんと目を丸くした。
「キャプテン、かぁ」
「なんか変な感じしますね」
「必要なの、それ?」
麻衣が聞き返すと早川は深く頷き答える。
「うちみたいに3人じゃあまとめ役、ってほどの意味はないかもしれんが、今後部員の代表として顧問に同行してもらう事もある。今決めとけば後々困らなくていいだろ」
もちろん第六格闘部に勝てなければ廃部になってしまうのだから意味はないのだが、絶対に負けないという意識を持つためにも、早川はこのタイミングでキャプテンを選ぶ事に決めたのだった。
「キャプテンっていうと、茜?」
麻衣が尋ねる。ベルヒットの実力で考えるのならば、それが一番妥当だろう。
「別にベルヒットの強さは関係ないぞ。まあ、茜は試合の経験も多いし、キャプテンになってもきちんとこなしてくれるだろうけどな」
早川の言葉に茜は少し照れくさそうな顔をする。
「まあ、私がやってあげてもいいですけどね」
似合わないすまし顔で言ってのける由紀だったが、早川は首をぶんぶん振る。
「お前だけは、ない」
「なんでですかー。私だってキャプテンぐらい務まりますよ」
由紀は露骨に気分を害した様子で早川に反論するが、
「お前はまずやたらと面倒ごとを起こしたがる癖を直さんといかん」
と早川が指摘すると、先ほどの件もあり茜と麻衣まで苦笑して頷いたのだった。
「で、まあ普通に考えたら茜が妥当なところかも知れんが、俺は別の案があるわけよ」
頬を膨らませている由紀を尻目に早川は話を進める。
麻衣がすぐに感づいて口ごもる。
「でもさ、茜じゃなくて由紀も駄目って言ったら……」
「麻衣ちゃんしかいないね」
茜が続けた。当然の帰結である。この部活には部員が三人しかいないのだから。
「そうとも。俺は麻衣をキャプテンに推すね」
「……私ベルヒット初心者だよ? 正直自信ないなぁ」
麻衣が濁すように答えると、黙っていた由紀が口を開く。
「私も麻衣ちゃんがキャプテンっていうのには賛成です。この中で一番しっかりしてるし」
「そうだね。頼りがいがあってキャプテンに向いてると思う」
茜も半ば麻衣を推薦するように同意する。
「そんな。前の試合の時見たでしょ。緊張しやすいタチなんだってば。キャプテンには向いてないよ」
慌てて謙遜する麻衣に、早川が押しの一言。
「緊張しやすいって事は、それだけ繊細で責任感が強いってことさ。いいじゃないか。キャプテンだからって緊張しちゃならんわけでもないし」
「そりゃ、そういう言い方も出来るかもしれないけど……」
麻衣はなおも渋る。すると早川は少し出方を変えた。
「まあ無理にやらせるわけにはいかないから、嫌なら嫌でいいんだ。ただ俺は二週間余りお前らと一緒にやってきて一番キャプテンに相応しいのは麻衣だと思ったし、茜と由紀もきっとそう思ってるんだろ。その理由を考えてみて欲しい」
彼が言い終わるなり、麻衣は顔を俯けて考え込んでしまった。
由紀と茜が横から心配そうに
「あの、やりたくなかったら無理しないでくださいねー」
「そうだよー。麻衣ちゃんじゃなくても、私たちのどっちかがやる事だって出来るし」
と声をかけるもなかなか答えは決まらないようだった。
「…………」
麻衣の沈黙が周りにもうつったみたいに、しばらく誰も一言も発さなかった。
仕方がないので早川が諦めて口を開こうとした。
だが、それよりも早く茜がこう言ったのだ。
「私は、麻衣ちゃんにやって欲しいと思ってる」
麻衣がその言葉に驚いて顔を上げる。茜の目は、真っ直ぐに麻衣を見つめていた。
「麻衣ちゃんは中学時代に運動部の経験もあるし、試合とかの雰囲気はそこまで不慣れじゃないと思うんだ。それにやっぱり頼りがいがあって、他部の先生とかともしっかり受け答えできる人だと思うから」
すると横から、由紀が便乗するように
「私も同感です。なんだかんだいって、麻衣ちゃんといると安心するので」
と笑いかける。
二人の言葉が響いたのか、ついに黙っていた麻衣が決断する。
「……わかったよ。それなら、私がキャプテンやってみる」
承諾だった。早川は嬉しそうな顔をしてその決断を賞賛した。
「やってくれるか! ありがとな、引き受けてくれて」
「キャプテンになったということで、早速ひとつ先生に言いたい事が」
突然麻衣が表情を厳しくする。あまりに目つきが鋭いので早川は気圧されてしまった。
「な、なんだ」
「うちの備品古すぎです。特にグローブが臭い。部費で買い換えた方がいいかと」
「う、しかしな。うちは新設で予算なんてほとんど支給されてないんだ。防具まで全部買い換える余裕は……」
「じゃあグローブだけでもいいんで」
「まあ待て。グローブならいずれ自分のが欲しくなるんじゃないか? そもそも臭いは消臭剤をつけて乾かせば結構とれるぞ」
横から由紀がやじをとばす。
「それは根本的な解決になっていませんっ!」
「そうだそうだ!」
麻衣も同調し早川を責めたてる。困った早川は茜に助けを求めた。
「なあ、なんとか言ってくれよ。そもそもグローブが多少臭うのは当たり前だよなぁ」
すると茜が苦笑いしながら
「あはは……。でも私いつもマイグローブだから。あんまり臭くなるまで使わないし……」
などと口走ったため、一気に全員の怒りの矛先が茜に向かう。
「また始まったよ!」
「普通の返答を期待したのが間違いでしたっ!」
「穴の開いたグローブを使ってた俺の気持ちにもなれっ!」
「ええっそんな!」
茜は目を白黒させて戸惑うばかり。昼下がりの事だった。
数分後話し合いは一応の決着をみた。
グローブはいずれ自分のが欲しくなるだろうと言う事で部費での購入は見送り、防具も全部買うには予算が足りないため涙を飲み断念。結局早川が今のグローブをなるべく清潔にする、という結論に至ったのであった。
「ったく昼休みだってのに、お前らと話すとろくなことにならん」
呆れた様子で早川が告げ、そのまま席を立とうとする。
「んじゃ、また放課後な。遅れずに集まれよ」
「はーい」
「あ、一騎おに……先生。ちょっと個別に相談したいことが……」
お兄ちゃん、と呼びそうになり、周りの学生の目を気にして訂正した由紀。柄にもなく湿っぽい表情をしているので、茜や麻衣が不思議そうに眺めていた。
「なんだ、告白でもされそうな雰囲気だな」
「馬鹿言わないで下さい。このスカタン」
「てめっ、人に相談持ちかけといてなんだその言いようは!」
早川が茶化すと手痛い仕返しを喰らうのであった。
「そんなわけなので、二人とはまた後ほど。先生、職員室で話したいです」
由紀が麻衣や茜に気を遣って言う。二人はまだ解せない様子であったが、特に引き止める理由もないので了解したのだった。
早川と由紀が共に去って行った後、その場に残った茜と麻衣。
麻衣がふとこんな事を尋ねた。
「茜、さっきの本って、なんてタイトルなの?」
「え、わかんない。私の頼んだ本じゃないし」
「そ、そっか! いや、別に読みたいとかそういうんじゃなくて! 気になるというか……あ、気になるって言ってもそういう意味の気になるじゃなくて、怖いもの見たさというかいや別に見たいわけじゃないんだけどねっ」
思い出しただけで恥ずかしくなるのか顔を赤く染め上げていく麻衣。
茜は特に気にするでもなく、ぽつりと呟いた。
「なんであんな本が入っていたのかなぁ……」
それが友人の謀略、とも知らず。




