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防具やグローブに身を包み体育館にやってきた第七格闘部の面々。
土曜日の朝早くだというのに、そこには部活の練習をする生徒たちがちらほら見受けられた。多くは球技系の部活である。この学校では格闘部と比べて球技系の権力が弱い。そのため練習しやすい時間帯は全て格闘部に取られてしまうので、人が少ない早い時間帯に彼女らはこうして練習をしているのである。
早川が小走りで体育館のとある方向へと向かう。三人はその後ろについていった。
すると体育館の一角に、本来ならばこんな時間帯にはいないはずの人達が。
「おはようございます。黒木先生」
第三格闘部とその顧問黒木だ。第三格闘部はフルメンバーではないらしく、かなり少なめの人数(それでも二十人近くいるのだが)で練習していた。由紀たちにとって見覚えのある人が少なくないので、恐らくここにいるのは一年生だろう。
「来たわね」
黒木が早川たちの方へ振り向く。
麻衣は無意識に千佳を目で探していた。見つけるのはそう難しくない。練習に参加せず、入念にアップしている凛々しい立ち居振る舞いの少女。あれが千佳に違いなかった。千佳は早川の声に気付いてちょうど振り向き、麻衣と視線が合った。
「あっ、麻衣ちゃんっ」
すると途端に先ほどまでの鋭い目つきはどこへやら、無邪気な顔で麻衣に手を振る千佳。
その隣から
「見てみて、千佳が可愛いよ」
「ホントだ。可愛くなってる」
などと同学年の部員達が茶化すので、千佳は慌てて表情を戻し
「な、なってない!」
必死に誤魔化そうとするのだった。麻衣は思わず苦笑いした。
「黒木先生、それじゃあ天見を借りていきますね」
隣で早川がそんな事を言うものだから、驚いて目を丸くする麻衣。
黒木と千佳にはすでに織り込み済みのようで、黒木が呼ぶでもなくすぐに千佳が近寄ってくる。麻衣と視線があうと素の笑顔を出しそうになるのか、彼女は近づいてくる途中絶えず微妙な表情を浮かべていた。
果たして千佳が早川のそばに寄ってお願いします、と挨拶を一言。
早川が頷いてこちらこそ、と返すや否や、黒木がマシンガンよろしく千佳への扱いについて注意事項を喋りまくる。
「言っておくけど怪我させたら許さないからねスパーリングは禁止よ身体の不調があったら絶対続行させないで休憩は三十分に一度必ず入れる事そっちの選手のブローを間違っても当てないでねその子はうちの宝なんだから!」
「は、はい。すんません、なんか……」
早川はその剣幕に圧倒されなぜか謝ってしまう。
過保護すぎる黒木の発言に千佳も目を丸くして引いており、そんな彼女を第七格闘部の練習場所に連れて行こうとする早川も、無意識にお姫様をエスコートするような格好になる。
「あ、あの大丈夫です。普通に歩けるので」
千佳が早川にそう言うと、彼は我に返り決まり悪そうに笑う。
「あ、あはは、そうだよな。わるいわるい」
その様子を見ていた黒木が微笑みを浮かべて言う。
「早川君、と第七格闘部の皆、練習頑張ってね」
機嫌がいいのか普段見せるつんとした表情ではなく、ずっとこの表情ならたいそう男受けも良いだろうと思われる、愛嬌のある微笑みだった。
「ありがとうございます。頑張ります」
と爽やかに答える麻衣を筆頭に、茜や由紀もそれぞれお礼の挨拶を返したのだ。
「したらまた、二時間後に」
早川がそう言って黒木に軽く会釈をした。それから彼は振り返り、もともと取ってある第七格闘部の練習場所へ千佳を連れて向かうのだった。
千佳はその道中、ちらちらと麻衣を見ては何か話したそうな顔をする。
そんな事をしていたためか
「天見、今日は茜の練習相手になってもらうけどいいか?」
「えっ? あ、は、はいっ」
突然の早川の呼びかけに対応できず慌ててしまった。
千佳を交えた練習といっても、関係があるのは茜一人である。他の二人はいつも通りフットワークの練習をしたり、スパーリング形式でお互いのスタイルに応じた立ち回りを練習していた。一方茜はというと千佳に協力してもらい、榛原未来の得意とするあのブローの対策をしていたのだった。
「私がやっても真似事程度にしかならないと思うけど、なるべく似せるようにやってみます」
千佳がそう言って腕を高く掲げた。向かい合うのは茜。茜はいつもと変わらない左前の構えで、右腕を掲げた千佳の動きに注意を向ける。
千佳がやろうとしているのは、榛原未来の『コンヴェルシ・ブロー』だ。当然それを本来の武器としない千佳には完璧な再現は難しい。しかし早川の知る限りで、第七格闘部のために一肌脱いでくれる人物、さらに榛原との対戦経験があり、かつ彼女ほどブローのコントロールが上手い人物はいないのだ。よって急ながら、天見千佳にコンヴェルシ・ブロー対策を手伝ってもらう事になったわけである。
茜はブローを千佳に当てない約束であるから、腕に力を込めたりせずとにかく前に踏み込んで千佳の射程圏内に入る。この距離でいかにコンヴェルシ・ブローをさばくかが重要になってくるのだ。
果たして、千佳が素早く振り下ろしたブローは茜の眼前に迫るように飛び、急激に角度を変えてボディへと向かう。茜は未体験のブローに一瞬動きを止められてしまうが、からがら身体をひねって避ける事に成功する。しかし、
「今のじゃ榛原には当てられてるぞ。まだかわし方が充分じゃないんだ」
一旦練習を中断させ、脇から早川が厳しい口調で言う。
「はい!」
へこたれず大きな声で返事をする茜に、早川は追って言葉を投げかける。
「お前は普段上体を揺すって相手の狙いをぶれさせているが、榛原にそれは通用しない。これから上を目指すためには、今の防御のままじゃ駄目だ」
言葉を濁さず言ってのける早川。茜はただ聞き入っていた。今までも驚くような指導法で確実に部員の実力を伸ばしてきた早川だ。一体彼がどのような方針を打ち立てているのか、楽しみで仕方がなかったのである。
「茜。お前の『揺さぶり』に、お前が今やった『身体のねじり』と、『体重移動』を付け加えよう。上体にとどまらず膝から上をもっと大きく揺さぶり、身体をねじる事で相手から打てるボディの面積を狭くするんだ」
早川が指導しているのは、ウィービングという技術だった。本来はボクシングなどで頭や上体を動かして相手のパンチをかわす技術なのだが、ベルヒットではあまり用いられない。
理由は簡単で、お互いに的の小さな頭を狙うボクシングに比べ、ベルヒットの場合はボディの打ち合いのため、的の大きな身体を揺さぶっても回避には結びつかない場合が多いからである。
しかし早川は確固たる自信を持って茜にその技術を伝授しようとしている。
「……わかりました」
茜は深く頷いて教えを実戦しようと試みる。
すぐに千佳も右腕を高く掲げ、コンヴェルシ・ブローの姿勢に入った。
踏み込んだ茜に向かって、独特の軌道を描くブローが迫る。
茜は早川の教え通り身をひねりながら大きく体重移動して身体を揺さぶる。
が、一回目の回避をした直後、足にかかる体重の強さに驚き、次の回避へと移れなくなってしまう。今度は千佳のコンヴェルシ・ブローが茜のボディにクリーンヒットする。
「大きく体重移動するなら、その分足にかかる重圧も大きくなるぞ。しっかり踏ん張って持ちこたえるんだ。お前の脚力とバネがあれば出来るはず」
早川が後ろから指示を出す。茜は彼の言う事を疑いもせず、忠実に実行しようとする。
(早川先生はいつだって真剣だから。この言葉だって信用出来る)
短い付き合いではあるが、この二人の間にもすでに信頼関係が出来つつあった。
茜は早川に言われたとおりに千佳との練習を続ける。
来るべき試合の日に、自分たちのプライドをかけた試合に勝利するために。
その後も二時間近くにわたって千佳を交えた茜の強化練習は続いた。午前の練習終了時には千佳を第三格闘部の方まで送り届け、早川が黒木に礼を言ったのだった。
その日は午後からも体育館のスペースが取れたため、昼食を挟んで午後からも練習を続けた。男性に比べて女性は長時間にわたっての練習が有効と言われており、早川はなかなか多く取れない練習時間の足しになるよう、この日はじっくりと時間をかけて指導を行なったのだった。
次の日は日曜日。しかし第七格闘部の面々は休日返上で学校に赴き練習をする。週が明けると流石に特訓の疲れが出てきたのか、毎日必ず三人のうち誰かしらが授業中に居眠りをしてしまうという事態も起こった。
さすがにまずいと思った早川は練習時間を短くする事を打診するが、三人はこれを断固拒否。結局授業中に居眠りをした部員がいたら、練習時間を減らすという脅しのような約束を取り付けるに至った。
それ以降彼女らは早川と接点の少ない先生の授業では居眠りをし、それ以外では起きているといった根本的な解決になっていない技術で早川の目から逃れ始めた。
学生の本分は勉強、と言ってはばからない早川には気の毒な話だが、そんな事もあって第七格闘部は練習時間を減らすことなく、二週目の練習も順調に消化していったのである。




