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 その日以降、第七格闘部の猛特訓が始まった。

 大部分は今までの練習と同じ、基本を重視した反復であり、身体が正しい動きを完全に覚えるまで、何度も何度もしつこいぐらいに続けられた。

 前回の試合では実用にこぎつけるだけで終わったクイックブローの精度向上。課題だった蹴り技への対処。そしてさらなるフットワーク練習。特にフットワークは過酷を極めた。

 最初の練習の時、一回目のフットワークが終わった直後に早川がこう指示したのだ。


「次行くぞ。早く準備しろ」


 本来はフットワークの度に一分程度の休憩を挟むはずなのだが、早川があまりにも早いタイミングで指示するので由紀が慌てて聞き返す。


「え、ちょっと待ってください。ちょっと休憩して……」


 しかし早川は当然のように答えるだけだった。


「今日からは休憩の時間を減らす。三十秒も休めば充分だろ」

「そんな。一分でもまだ辛いのに」

「試合じゃ辛くても相手は休ませてくれないぞ。前回の試合で体力不足がわかっただろ。ほら、いいからさっさと準備しろ」


 あまりに無茶な要求に、茜以外の二人は絶句してしまう。

 しかし決して早川は負荷を緩めたりはしなかった。その上あろうことか、フットワークの最中に動きが悪くなると


「そんな動きで逃げ切れると思ってんのか! もっと足動かせ!」


 などと大声で怒鳴るほど、徹底した鬼コーチっぷりを発揮する。


(ひぇ~、こんなに辛いとは……)


 由紀は頭の中で何度も泣き言を言う。

 練習の一つ一つが、一介の女子高生にとってはあまりにも過酷なものだった。

 そのため毎回練習が終わると、初心者二人は床に沈みこみ、死んだように動かなくなってしまった。だが、そんな逃避すらも許されなかったのである。


「さっさと起きて着替えろ。ミーティングして帰るぞ。ダラダラすんな!」

「ちょ、ちょっと待って……」


 まさに死体に鞭打つがごとく一喝し、無理やり彼女たちを引きずり起こすのだ。

 彼女らはしばしば茜に支えられながら、へろへろの身体を動かしてようやく着替えを済ませ、今度は練習後のミーティングに移る。このミーティングでは、相手のスタイルに応じた立ち回りを中心に、練習が効率的になるよう早川が戦略などを指導していった。


 そして、極めつけはこれ。


「明日も朝練をやる。寝不足にならないように、今日の夜は早く寝ること。寝る前にイメージトレーニングもしておけ。試合までの期間、テレビなんか見てる暇はないからな」


 毎日のように行なわれる、早朝からの練習。

 学校や勉強以外の時間は全て部活に捧げるべし。そんな考えが暗に伝わるほど、早川は朝練を利用し練習時間を確保していった。


 試合運びには特に注意を払って指導が行なわれた。

 麻衣は以前と同じく回避型のスタイルで突き通す事に決めたのだが、由紀に関しては茜の一言がきっかけでスタイルの変更を行なうという結論に至ったのだ、

 スパーリング形式の練習をしている時、不意に茜が言った。


「由紀ちゃんは目がいいから、自分から前に出てもカウンター取れるんじゃないかな?」


 前々から由紀は自分から攻めたいと思い続けていたので、この発言には大きく賛同する。


「ホントですか! 私も前に出て試合がしたいです!」

「アグレッシブ(攻撃的)カウンターか。確かになくはないが、難しいぞ。茜はどうして、由紀の目がいいと思ったんだ?」


 早川の問い掛けに首を傾げながら答える茜。


「なんとなく。スパーしててこっちの動きを早めに見切られてるような気がして」

「ほら! 茜ちゃんが言うんだから本物です! 私、攻めてもいいですよね!」


 由紀が強く主張する。早川もまるっきり反対ではなかった。

 もともと自分のやりたいスタイルがあるのなら、それを使うのが結局はやる気にも繫がると思っていたからだ。まして茜の話では、その方向への才能が由紀にはあるのだという。だったら、やらせてあげない道理はない。


「わかったよ。ただし、スタイルを変えるにはそれなりの努力が必要だからな」


 早川が承諾すると、心の底から嬉しそうに飛び上がる由紀。

 かくして、麻衣は回避メインの遠距離型アウトレンジスタイル。由紀は距離を維持して攻めつつカウンターを狙う、アグレッシブカウンターの中距離型ミドルレンジスタイル。茜は近距離クロスレンジで強打を重ねるオールドタイプのハードヒッター。

 奇遇にも三人のスタイルが、それぞれ全く異なるものになったのだった。


 その辺りから、練習メニューも個別に分かれてきた。

 茜は早川と組んでの攻撃練習。とにかく全力の強打を相手に当て、そこから連打へと持って行く練習だった。チャンスがあればジャンピングミドルキック『ブレイク』への移行も出来るように。『ブレイク』は天見戦では使えなかったが、相手にとって脅威となる技には違いなく、早川もその破壊力を高く評価していた。

 その上で練習中、早川は茜にある進言をした、


「お前のブロー。もっと威力を上げられると思うぞ」

「?」


 不思議そうに言葉の続きを待つ茜。


「今はまだ下半身の力が完全には上体に伝えられてない。それに、身体が開くせいで力が分散してしまっている。そうだな、ブローと逆の肩を意識してみろ」

「逆の肩?」


 茜は自分なりに素振りをして見せるが、いまいちよくわからないようだった。


「簡単さ。殴る方と逆の肩を胸にひきつけて、背筋が引っ張られるのを感じるんだ。ブローに体重を加えるのは背筋。背中を使えるかどうかでブローの重みが変わってくる」

「……なるほど」


 彼女は頷いて真剣にフォームの確認を始める。


(しっかし、素直だなぁ)


 早川は何度目になるかわからない賞賛を頭の中で呟く。

 茜はすでに高い能力を持っていながら、まだまだ荒削りな部分が目立つ。

 逆に言えば、そこを改良していけばもっともっと伸びる可能性があるということだ。

 そして、その指導を受け入れるだけの素直さも彼女は持っている。


(指導者冥利に尽きるってもんだ。ただ、今回は一つ急務があるんだよな)


 のん気にやっていられない事情もある。次の試合で、何としてでも榛原未来を倒さなければならないのだから。


(榛原対策が必要になる……)


 これが、特訓一週目時点での茜の状況だった。


 次に麻衣。彼女は今までと変わらないスタイルであるため、特に練習内容が変わることはなかった。目新しい練習はしなくとも、茜や由紀とのスパーリングでその上達は如実に現れていた。もともと運動神経が良い事もあり、天見戦で得た自信に『ラビットターン』という切り札を使いこなし、一週目の段階で茜からポイントを奪うまでになっていた。

 もはや初心者とは呼べない。それぐらいの実力と早川は評価していた。


 由紀は新スタイルの会得に時間がかかった。今まで回避一辺倒だった選手が攻勢に転じるというのはなかなか難しいもので、由紀は毎日感覚を掴むための練習に追われることとなったのである。

 特に由紀は他の二人と事情が違った。放課後の部活中、こんな事があったのだ。


「一騎お兄ちゃん。私今日から塾に通い始めるんです」


 部活が残り一時間を切ったあたりで、由紀が早川に言ったのだった。


「おお、そうか。そしたら、今日は早めにあがるのか?」

「はい。今日から火曜と木曜は一時間早く帰らせてもらいます」

「週二回通うのか。教育熱心だな、お前の親は」

「ええ、まあ」


 そんな風に由紀らしからぬ素っ気無い返事をして、彼女は挨拶もそこそこに帰ってしまったのだ。後ほど麻衣と茜が心配そうな様子でこう話していた。


「行きたくなさそうだったね……」

「それはそうだよ。皆練習してるのに一人だけ帰らなきゃいけないなんて」


 そう聞くと確かに、早川も由紀が心配になってくる。だが、今は大事な練習中だ。


「由紀の分も集中して練習しろよ」


 早川は真剣な表情でそう伝え、二人も神妙な面持ちで頷く。

 そのような事情があり、由紀は他二人よりも若干練習時間が短くなってしまっていた。

 


 一週目の練習が終わる土曜日。早川は部員たちを朝早くから部室に集めていた。

 部室のテレビに他所から借りてきたDVDデッキを接続し、そこで何かの映像を放映しようとしていたのだ。


「今日見てもらうのは、茜の対戦相手の試合だ。由紀や麻衣には関係ないが、一応見ておいてもらおうと思う」


 早川はそう言って挿入したディスクを再生する。

 テレビの画面に映されたのは、彼らにとって見覚え、及び因縁のある相手だ。

 黒髪をツインテールにし、見ているだけで薄ら怖くなるような微笑をたたえる女生徒。中学時代の榛原未来だった。映像の提供者は黒木で、研究目的とはいえよくもまあ自分に関係のない選手の試合まで録画してあるものだと、早川は感心していた。


「こいつが……茜の対戦相手? ベルヒットやってたんだ……」


 麻衣は驚きに目を見開いて呟く。


「榛原は中学時代、天見千佳に勝った事もある実力者だ。俺も初めて聞いた時は驚いたがな。今回の俺のプランは、麻衣と由紀で何とか一勝し、茜で勝負を決めるというもんだ。茜が榛原に勝てるかどうかが、試合自体の勝敗に関わってくる。そして何より、その勝負には俺達のプライドもかかってる」


 普通、あまりプレッシャーをかけるような事は言わないほうがいいのだが、彼女ならむしろ奮起してくれるはず、と信じての発言だった。

 茜は真剣な眼差しでテレビの映像に見入る。

 映像の中で試合が開始された。両者とも相当の実力者で、息もつかせぬ攻防が序盤から繰り広げられていく。


「すごいです……。お互いに攻めているのに、まだほとんどポイントが動いてません」


 嘆息する由紀に、茜が解説するように自分の見解を述べる。


「うん。榛原さんの方は、由紀ちゃんと同じアグレッシブカウンターだね。ステップもブローも洗練されてて隙がないや。でも……」


 言いかけて茜は口ごもる。何か違和感を覚えているようだった。


「茜も感じるか。妙な違和感を」


 早川が尋ねた。すると茜は自信なさげではあるが、思ったことを言葉にし始めた。


「ポイントを取られてもおかしくない場面で、ことごとく相手の選手がミスをしてる。わざと誘導されているみたいに……」

「その通り。榛原の動きも確かにハイレベルではあるんだが、それ以上に相手の動きの粗が目立つ。他の試合もいくつか見てみたが、どれも同じような感じなんだ」


 言いながら早川は映像を早送りし、別の試合のものも茜たちに見せる。


「相手も相当のやり手のはずなのに、榛原と試合すると軒並み初心者のようなミスを始める。見当違いのブローを打ったり、避ける方向を間違ったり。これは間違いなく榛原の仕業だろう。映像ではわからんが、何かミスを誘発する仕掛けをしているに違いない」

「性格通りいやらしい立ち回りをしてくるってわけ」


 麻衣が口の端を歪めて言い捨てる。派手さはないが相手のミスを誘うスタイル。実際に戦ってみなければその恐ろしさがわからないあたり、不気味な榛原の雰囲気をよく表していると言える。


「そして最も恐ろしいのが、彼女の切り札でもあるこのブローだ」


 映像の中で、不意に榛原が今までの基本的なフォームを崩す。

 前に出した右腕を自分の頭よりも高く掲げたのだ。


「えっ? こんなフォームじゃ、ガードもまともに出来ませんよ」


 由紀が指摘する。ベルヒットでは頭部を狙う攻撃はなく、頭よりも高い位置に拳を持って来てもなんの意味もない。ガードの隙が増えるばかりである。


「よく見てろ、珍しい技だ。これを攻略できるかが、今回の鍵になる」


 白熱する攻防の最中、榛原は高く掲げた右腕を斜め下へと素早く振り下ろした。

 瞬間、飛び込もうと前に進んだ相手選手が、その場で立ち止まったのだ。

 立ち止まった選手に対し、榛原は素早く詰め寄る。慌てて相手が腕を出すも、榛原には当たらず、逆に彼女のブローだけが相手にヒットする結果となった。

 相手選手は失点を取り返すべく再び榛原へと立ち向かう。しかし、

 またしても榛原が腕を高く掲げ、迫りくる相手に向けて振り下ろした。

 独特の軌道を描く拳は、接近する相手選手の動きを止め、そのまま針の穴を通すように相手のボデイへ突き刺さる。

 そして榛原はすぐに腕を振り戻す。


 相手が近づく度にその右拳が振り下ろされる。格段速さやパワーがあるわけでもないのにそのブローは当たる。ただおかしな軌道で振り出されるというだけで、相手の足は地に縫い付けられる。相手選手は本来の実力を発揮できないまま、じわじわと追い詰められていく。奇妙な光景が画面に映し出されていた。


「これが榛原の切り札。『コンヴェルシ・ブロー』だ」


 リシャール・コンヴェルシという選手が初めて使ったと言われる技。このブローの本質は、相手の恐怖心を誘うその軌道にある。


「高い位置から斜めに振り下ろすとき、拳はある位置まで『相手の顔面を狙う』ような角度で振り出されるんだ。その結果、顔を狙われる事に慣れていないベルヒット選手は無意識に恐怖心から動きを止めてしまう。動きが止まったところへ、軌道を変えたブローが襲い掛かる。そういう技だ」


 早川の説明に由紀が食ってかかる。


「そんな! わざと顔面を狙う振りをするなんて卑怯です!」

「実際反則すれすれの技さ。頭に当てれば重いペナルティだからな。でも、それを使いこなせるだけの技量があるなら、別にこの技を使うのは悪いことじゃない」


 相手を怖がらせることが目的のこの技は正統派のブローとは呼べないかもしれない。

 しかし誰でも簡単に出来るわけではないのだ。失敗すればペナルティを受けるのは確実だし、最悪の場合一発で反則負けになる危険もある。なのに榛原がこの技を使うのは、それだけ実用性が高いということだろう。


「茜はこの技を攻略しなければいけない。だが、頭を狙われる恐怖心を払拭するには、一週間じゃちと短いな。つーことで、茜はこのコンヴェルシ・ブローをなんとか回避する方法を今日から練習していく」


 茜は無言で頷く。するとDVDの再生を止め、ディスクを取り出してもとのケースに戻した早川が、そのケースを茜に手渡しながら告げる。


「時間があったら家でも観ておいてくれ。今日はすぐに着替えて体育館に向かうぞ。特訓のために、助っ人を頼んであるからな」

「助っ人?」


 怪訝そうに聞き返す三人に、早川はにやりと得意げに笑ってみせた。


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