序章2
早川がその少女について考えを纏めるよりも早く、
由紀が、聞いているだけで痛々しいほど、弱りきった口調で尋ねてくる。
「一騎お兄ちゃん、第七格闘部が廃部って……本当ですか……?」
「な、どうして、その事を……」
思わず聞き返してしまう早川に、由紀たちの後ろにいた不気味な少女からの声がかかる。
「私が教えたんですよー、早川センセ?」
無邪気に笑う彼女の姿には、不思議と一切の人間味が感じられない。
「この度は残念でしたね。他の部から不満が噴出してしまったせいで、廃部はほとんど確定。しかもなんだか、あなた達には黒い噂が流れてるそうじゃないですか」
人の不幸を思い切り楽しんでいるような少女の口振りに、早川は不快感を隠せない。
「君は誰だ? なんで俺達の事情を知ってる」
その質問に対し、少女はさらりと言ってのけた。
「私? 私は榛原未来。この学校の理事長の娘なんです」
「理事長の、娘?」
早川は耳を疑った。
理事長の娘がこの学校の一年生にいることは、かねてから聞いていた。しかし、それがどんな子かなどは詳しく知らなかった。まさかこのタイミングで、そのような人物が現れるとは。しかし、何のために?
驚きに目を見開く早川たちに向かって、彼女は微笑みながら続ける。
「くすす、本当に大変ですねぇ。廃部が決まった上に、部員たちは練習試合で反則をしたなんて噂が出回っている。第七格闘部がなくなっても、そんな問題児達を受け入れてくれる部はどこにもない。唯一可能性がありそうな第六格闘部とは、以前から確執がある……。いやぁ、災難ですね。こうも悪いことが重なるとねぇ?」
「お、まえ、まさか全部知って……」
早川は悟った。この少女は、事の顛末を全て知っている。部員達が今どういう状況にあるのかも、全て。早川しか知らないはずの事をなぜこの子が知っているのか。理事長の娘だから、という理由だけで説明するには、あまりにも不自然すぎた。
一体この少女は何者なのか。唖然として言葉も聞けない早川に、少女は自分の髪を片手で触りながら、とうとう事の核心を説明する。
「っていうのは、建前で。実は今回の件、全て私が仕組んだんです。広報部に新聞の依頼をして、学年中にあなた達の噂流して、格闘部の人に『第七格闘部が出来たことに対する不満』を些細な事でも挙げてもらってね。
そして仕上げに、お父様にその情報を伝えて、第七格闘部を廃部にしてもらうよう言ったんですよ。そしたらほら、あなた達の居場所が、どこにも無くなっちゃったってわけ……!」
満面の笑顔でそう言って、堪えきれない様子でげらげらと笑い始める未来。
しばらくの間、彼女が何を言っているのか全く理解できなかった。
早川だけでなく、麻衣も、茜も、由紀も。
ただ一つだけ、わかることは。
目の前にいる少女は、どこかおかしい、ということだ。
他人の不幸を目の当たりにして、むしろその渦の中心にいるくせに、まるで苦しんでいる彼らの姿を見るのが人生の喜びだとでも言わんばかりに、笑い続ける少女。
狂っている。そんな言葉がぴったりと当てはまるほどの破滅的な笑みに、背筋が凍りついたのは早川だけではないだろう。恐らく茜も、由紀もだったはずだ。
その中で麻衣だけが、猛然と声を張り上げた。
「……何の理由があってそんな事するのよ」
「ま、麻衣ちゃん、落ち着いて」
掴みかかろうとする麻衣を茜が必死で止める。ここで暴力に訴えても状況は悪くなるばかりである。
剣呑な雰囲気を茶化すように、未来は口をすぼめ当然のごとく言い放った。
「私、第六格闘部なんですよ。聞いた話だと、うちの甘和先輩があなた方に恥じかかされたらしいじゃないですか? ってことは、彼女の後輩である私も、あなた達にコケにされた事になるわけで……。正直格下に負けたままとか許せないんですよねぇ。だから、あなた方の事叩き潰してやろうと思ったの。ただそれだけの事ですよ」
心の底から楽しそうに、悪びれる様子もなく語る未来。
「叩き潰す、だって……。こんな卑怯な真似しといて、なにが……」
「だから、最後まで話聞いてくださいよー。まだ話の途中なのにぃ」
呻くような早川の言葉にも、彼女は決して自分の非を認める様子はない。
そしていよいよ彼女が一番伝えたかったらしい内容を口にしたのだ。
「うちと勝負しましょうよ? 三対三の団体戦をやりましょう? 全校中に宣伝して体育館を貸し切ってやるの。あなた達の引退試合として、ね」
「団体戦……?」
突拍子もない提案に顔を見合わせる早川たち。
「シナリオとしてはこう。不幸にも廃部が決まってしまった第七格闘部ですが、さすがにかわいそうなので理事長の娘である榛原未来が一肌脱ぎます、と。最後のはなむけとして体育館を貸し切って、全校生徒の前で我が第六格闘部と試合を行い、もしそちらが勝てたら部活の存続を認めます。仮に負けてもあなた方を六格へ招待しますよ。ま、転入後の身の安全は保障しませんけどね」
ぺらぺらとまくし立てる未来だったが、とうとう我慢ならず早川が口を開いた。
「そんなわけのわからない話、飲めるはずがないだろ……! 調子のいい事言って、全校中の見世物にする気じゃないか……!」
「どう考えて貰っても構わないけれど、これを蹴ったら廃部はまず免れないと思ってくださいね?」
凄む早川に全く動じるでもなく、未来は飄々と告げる。何を言っても聞き入れる気配はない。だがそれでも、早川は一歩も引かなかった。
「……榛原、お前は間違ってるよ。人の事を馬鹿にして、お前がどれだけ偉いのかは知らないが、これだけは言ってやる。俺は絶対に、お前の思い通りになんてさせないからな」
そう言って、早川は未来を睨む。理事長の娘を、決して怖じずに睨みつける。
そんな彼をつまらなそうな目つきで見つめ返し、未来は言い放つ。
「先生? あんまりこの子達のことかばうと、後が怖いですよ? 新米教師の一人や二人、お父様に頼めばどうとでも出来ちゃうんだから」
必殺の脅し文句。あまり自分の邪魔をすれば、この学校にいられなくするぞ、という言葉。そんなことが実際に可能かは、早川にはわからない。ただ、背筋が冷たくなるような台詞であることは確かだった。
勝ち誇った笑みを浮かべる未来。よもや反抗できまい、とでも言いたげな嘲笑。
完全に人を見下した彼女の姿に、茜たち三人は悔しさを隠せない。しかし、この相手に何を言っても無駄なのだ。感情的になっても、事態は何も変わらない。
三人は諦めて口を閉ざした。それが一番合理的な選択だと思ったからだ。
しかし、早川は違った。未来の暴言を、聞き流したりはしなかった。
「言いたい事はそれだけか。……悪いが、こちとら若くともいっぱしの教師だ。生徒を見捨てて自己保身に走るような、腐った根性で仕事してねえんだよ」
別人のように怒りに震えている早川。
どんな脅しをされようと、絶対に曲げられない信念に従い、強い語気で彼は告げる。
「俺は必ずこいつらを守る。その為にクビになるなら本望さ。わかったか?」
その場は静まり返る。早川の普段見せない表情に、茜たち三人は驚いていた。
未来は心底不愉快そうな顔を浮かべ、やれやれと首を振って
「それは結構ですけど、もうその子たちは破滅に片足浸かってるんですよ? 少なくとも学年中で、彼女ら問題児扱いですので。今後の学校生活は割とハードでしょうねぇ?」
もう一度意地の悪い笑顔を浮かべ、彼女はくるりと身を翻した
。
(くそっ、確かにそうだ。何か、今流れている噂を止める手段はないのか……)
早川は表情を変えないまま、心中で毒づいていた。
彼女の言う通り、すでに学年中に第七格闘部の悪い噂が広まっている。
早川が解決に奔走したところで、広まってしまった噂は取り消しようがない。
噂がデタラメだと主張しようにも、麻衣と千佳の件が絡むため説明は困難である。噂の出所が理事長の娘ともなれば、大きな問題として提言しようにも有耶無耶にされかねない。
そんな早川の苦悩がわかったのだろうか、未来は彼に背中を向け歩き出しながら、もう一度ちらりと振り返って嬉しそうに笑って見せたのだ。
(このやろう……)
早川の拳が握り締められる。何もかも彼女の思い通りのように感じられて、やるせなかった。麻衣、茜、由紀の三人も気持ちは一緒だろう。その事が表情でよくわかったから、一層早川は情けない気持ちになった。
口では彼女らを守ると言いながら、彼女らの学校生活すら満足に守れていない。早川の胸が情けなさで一杯になった時、
不意に甲高い電子音のベルが鳴り響き、
「全校生徒に連絡します」
学校中に臨時の放送がかけられたのだ。




