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序章1

 広い部室には、甘和かんなの他に一人しかいない。

 甘和に向かい合う少女は黒髪を左右に縛り分けたツインテールで、目を覆うくらいの長い前髪が特徴的だった。


「それで、寧々ってやつに頼んでそいつらの悪い記事を作ってもらうことにしたのさ」


 甘和が少女のご機嫌を取るように顔色を伺いながら言うと、


「へえ、相変わらず、考えることがみみっちいんですね。先輩」


 ぴしゃりと言い放ち、馬鹿にしたように笑う少女。


「ま、まあそう言わないでよ未来みらい。しょぼい仕返しで終わらないために、あんたの力を貸してもらいたいのよ。ほら、あんたの人脈とお父さんの力があれば、学校中にあいつらの悪い噂広めるのも簡単でしょ?」


 どちらが上の立場かわからない言い方に、未来と呼ばれた少女はうすら笑う。


「まあそうかもしれませんね」

「新聞と合わせりゃ疑惑は確定的になり、第七格闘部は活動停止に追い込まれる。私をコケにした連中にはそれぐらいやって丁度いいのよ。ね? 頼むよ未来」


 先ほどまであまり喋らずに話を聞いていた未来が、にわかに表情を変えた。


「駄目ですよ先輩。そんな事しちゃ……確かにお父様に頼めば、第七格闘部を廃部に追いやるぐらいわけもないですけれど」


 さも、正しい行いを説く聖人のような口振りで、そう甘和を諭す未来。

 甘和は、背中が寒くなる感覚を覚えた。未来がこんな表情をするのは、たいてい何かの前触れなのだ。

 果たして未来は子供のようにけらけらと笑いながら


「そんな復讐じゃヌルすぎる。もっとさぁ、一生忘れられないトラウマになるぐらい、えっぐい事してやらなきゃ。私が第三格闘部の特待を蹴ってこの部に来たのは、ここの勝つためなら何でもアリって精神に惹かれたからなんですよ。わかってます?」


 狂気すら感じる彼女の笑みを見て、甘和は後悔を覚えてしまう。

 この子に頼んだのは間違いだったのではないか、と。

 ひょっとしたら、とんでもない事をしてしまったのではないか、と。


「手段は選びません。相手がどうなろうと知らない。完膚なきまでに叩き潰すこと。それが本物の勝利であり、強さなんですから」


 聞くだけでぞっとする彼女の声が、部室全体を黒く染めていくようだった。





 朝、教室の前に人だかりが出来ていた。

 生徒達がざわつきながら、掲示板に貼られた大型の紙に視線を集める。

 登校してきた麻衣が最初に見たのはそんな光景。

 一目で彼女は合点がいった。間違いない。昨日の林道とかいう生徒が言っていた、デタラメばかりの新聞が貼られているのだ。


「ちょっと皆、それは……」


 麻衣は思わず口を開いた。

 何人かが驚いて振り向き、彼女と目が合うなり何事もなかったようにその場から立ち去ろうとする。まるで麻衣と関わりあいになりたくない、とでも言うように。

 

 麻衣は無理に呼び止めることも出来なかった。

 ただゆっくりと新聞が貼られているであろう掲示板の方に近づいていく。その間に新聞を見ていたはずの生徒達はものの見事に一人残らず退散してしまった。


「なんだってのよ……」


 避けられるショックと苛立ちから舌打ちしてしまう麻衣。

 そんな彼女の目がとうとう校内新聞の文字を認識する。


 内容はひどいものだった。昨日行なわれた練習試合に関して、わざと第七格闘部の反則行為をにおわせる形で書き綴っているのだ。個別の出来事や写真自体は本物だが、それを結びつける解釈があまりにも歪んでいる。なまじ普通ではあり得ない出来事が起こっていたがゆえに、その歪んだ解釈も真実味を帯びるように書かれていた。


(くそ、こんなもん!)


 麻衣は思わず新聞を破り捨てたい衝動に駆られたが、感情に任せて動いては事態を悪化させるばかりである。今はとにかく、悪評がたつような振る舞いは避けなければならない。


 茜や由紀はどうしているのだろうか。教室を見回すと、由紀の鞄が机にかけてある事に気付いた。すでに学校に来ているのだ。どこに行っているかはわからないが、とりあえず第七格闘部のメンバーと合流したい。麻衣は茜のいる八組を目指して、とりあえず教室を後にした。


 廊下を歩く彼女。すれ違う生徒達が、何か自分の噂話をしているような気分になる。というか、明らかにこちらをジロジロと見ているのだ。気分がいいものではないが、問い詰めでもしたら逆効果だ。危ない人間と思われたが最後、悪い噂はどんどん広まってしまう。


 麻衣は脇目を振らず、ずんずんと歩いていく。こっちを見ている人の事は気にしない。

 そうやってようやく三つほど教室の前を通り過ぎた頃、


「麻衣ちゃん!」


 とある方向から彼女を呼びかける声が聞こえたのだ。


(ここは、一年ロビー……?)


 麻衣は声の方へ振り返る。そこは各学年に一つずつ割り当てられたロビーの一つで、昼休みなどに学生の休憩や食事場所として利用されているのだった。


「こっちです!」


 声はなおも麻衣を呼ぶ。声だけで彼女には、それが誰なのかわかった。


「由紀。と、茜もいたんだ」


 ロビーの一角、あまり目立たない端の方に由紀と茜が座っていた。

 由紀が手招きするのに従い近づいていく。朝からこの三人が集合する事はほとんどない。由紀と茜が一緒にいるのは、まず新聞の件のためと考えて違いないだろう。


「なんかやばいよ。本当に学年中に情報が出回ってるみたい。妙な新聞のせいで……」


 茜たちと同席しながら麻衣が伝える。すると由紀が首を左右に振り


「どうも、それだけじゃないみたいですよ。大体あんな校内新聞なんて普段だれも見てないのに、今日は示し合わせたように注目してましたし……。友達の話では、昨日の夜に私たちの悪い噂をメールで回してた人がいたみたいなんです」

「練習試合の件だね。私のクラスでも流れてたって。あと、格闘部の人達には変なアンケートみたいなのも送られてきてたらしいよ」


 茜は珍しく小難しい顔をしながら言う。麻衣はそれを聞いていっそう混乱してしまう。


 自分たちに恨みを持っている人間など大体察しがつく。事を起こしているのは恐らくあの不良っぽい先輩。以前由紀と麻衣をいじめた結果、茜に成敗された、第六格闘部の甘和とかいう女生徒だろう。と予想していたのだが、それだと少々おかしな事になる。


 彼女が、新聞に悪い噂を載せるだけでは飽き足らず、メールも利用して自分らの事を貶めようとしているとする。しかし、彼女一人でそんな事が出来るものなのか。彼女以外にも協力者がいるとしても、入学して間もない一年生の連絡先をほぼ全員分調べ上げるなど、並の人付き合いではまず無理ではないだろうか。


 おまけに、アンケート? そのアンケートが自分たちに関係のある物なのかどうかはわからない。が、仮に関係あるとしたら、誰が、何の目的で流したものなのだろう。


「ったくもー、わけわかんないってば。誰がこんな事してんのよ」


 謎は深まるばかりだった。


「とりあえず、先生たちにも相談した方がいいですよね」

「うん、こんな事されて黙ってるわけにいかないよ」


 由紀と茜がそう言って、麻衣も同意し頷く。

 彼女はロビーの壁にかけられた時計へ視線を向ける。時刻は8時半になろうか、もうすぐ朝礼の時間である。


「早川先生と話したいけど、今の時間じゃ会議とかやってるかな?」


 確か、この学校の先生は朝礼前に全体でミーティングを行っていたはず。

 しかし悠長に構えていられる状況でもない。


「どうですかね。一応行くだけ行ってみましょうか。職員室」

「そうだね。ひょっとしたら話せるかもしれないし」


 とにかく一刻も早く早川に相談したい。この状況で大人の助けがないのはあまりにも心細すぎたのだ。 彼女らは席を立ち、職員室へと向かう事を決めた。

 同時刻、早川がとんでもない事態に直面しているとは知らず。





「以上の事実を考慮しまして、理事長と数名で話し合った結果、第七格闘部につきましては、『廃部』という扱いをさせていただく事になりました」


 早川は、立ったまま気絶しそうになった。


 自身が部活の顧問でもないのに、高齢であるというだけで部活動の取締役に任命されている老年の教師が放った言葉は、早川に心臓が止まるほどの大打撃を与えた。

 老年の男性と向かい合ったまま、早川は前後もわからないほど動転してしまっていた。


 第七格闘部が、廃部?


 そんな無茶苦茶な。まだ創部して一月もたっていないのに? なぜ? 理由は先ほどから遠まわしに長々と聞かされている。しかし、聞きたいのはそういう事ではないのだ。どうして、このタイミングで? 一体、誰が言い出した?


「そ、そんな、待ってください! あまりにも急すぎます! うちの部が無くなったら、部員たちはどうするんですかっ?」

「ですから、すでに六つも格闘部があるところに、さらに新しい格闘部を作ったのが間違いだったわけで。本来ならば既存の格闘部に入っていたはずの部員が、無意味に分裂して練習場所を奪い合う結果になってしまったと。その結果、既存の格闘部の部員たちからは『練習場所が狭くなった』などという声が上がっているのです。これは生徒に対して直々に行なった調査ですから、疑う余地はありません」


 確かに、第七格闘部の必要性は周りから見れば疑問だろう。だが現実に第六格闘部までのどこにも入れなかった生徒達が三人も入部したのだ。この三人に涙をのませるというのなら、早川は黙っていることが出来なかった。


「論点をずらさないで下さい! うちの部員たちはそのどこにも入れずにあぶれた子達なんです。第七格闘部を廃部にするというのなら、彼女達が他の格闘部に入れることを保障していただかないといけません!」


 激昂する早川に対し、男性はめんどくさそうに一言。


「だから、他の部に入れてもらえばいいでしょう。第六格闘部は初心者を受け入れているそうですよ。何にせよ、この学校の格闘部を育ててきた理事長の決定なんだから、あなたは従うしかないんですよ」


 強引に話を終えようとする男性。早川が呼び止めるが、朝礼五分前のチャイムが鳴り、彼もすぐに準備をして教室へ向かわなければならなくなる。


「文句があるなら、理事長に直々に話をつけてきてください。ま、決定がくつがえる事はまずないでしょうが」


 男性は意地悪い口調でそう言って立ち去ってしまう。

 取り残された早川は、口の中で苦々しく呟く。


「第六格闘部だと……。あいつらが揉めた先輩のいるとこじゃないか。そんな部に入って、まともにやっていけるわけがない……」


 呆然としながら、上の空で朝礼の準備をする。

 どうしたらいいのかわからなかった。自分は最悪顧問から外されてもいい。彼女達が部活を続けられなくなるのだけは駄目だ。第六格闘部が受け入れてくれるなどというのは、建前だけの話。そこの先輩に恨みを買っている彼女らにとって、第六格闘部は決して安心できる転入先などではないのだから。


 それにしても、不自然なほど絶妙なタイミングではないか。昨日の夜、早川は部員たちの第六格闘部との軋轢を知った。そして今日、まさかその第六格闘部に頼らなければならない状況に、追い詰められているのだ。


(くそ。どうしたらいい……?)


 早川は頭をかきながら、早歩きで職員室から飛び出した。

 こんな様子を教室の生徒達に見せるわけにはいかなかった。彼は何とか気持ちを落ち着かせ、仕事に集中するため意識を切り替えようとした。その時だった。


「先生っ!」


 歩き出した廊下の先に、見覚えのある生徒が三人。

 由紀、麻衣、茜。第七格闘部の部員たちだ。

 三人の顔を見て、早川はなぜかホッとしてしまった。


「お前ら……」


 おそらく、昨夜の件について相談しにきたのだろう。

 心配そうな顔を浮かべる彼女らを見て、早川は思う。自分が動転していてはいけない。彼女達のためにも、俺がしっかりしなければ、と。


 廃部の話は、まだ聞かせないことにする。

 今聞かせても、きっと無駄に動揺させてしまうだけだからだ。


 彼は言葉を選び、彼女らを安心させるため声をかけようとした。

 だがその瞬間、気付く。

 見慣れた三人の奥に、見覚えの無い少女が一人、まるで自分に用があるかのごとく不気味に笑って、こちらを見つめている事に。


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