第十一章
最後に恵子の父、民雄の臨終のことを語らねばならない。
民雄は静江の死の直後、平和荘を去る頃からアルコール依存がひどくなり、入退院を繰り返した。家族への暴力もその頃凄惨を極めた。死人が出てもおかしくなかったという。彼の身体もぼろぼろだった。その後きっぱり酒を断ち、四半世紀以上を酒なしで過ごしたが、酒は心臓にも負担をかけていた。ペースメーカーを入れ、一級の身体障害者として認定されていた。
倒れる前日、それはつまり民雄の最後の入院の直前のことだが、大人の女性としてとうに自立した生活をしていた恵子は、その日たまたま実家に帰り、背中が痛いという民雄の背をさすってやり、病院に行くことを勧めたが、父はうーんと下を向いたまま応えなかった。
翌日仕事が終わって携帯電話をチェックすると、留守電に民雄が危篤と病院からのメッセージが入っていた。慌てて駆けつけると、心筋のダメージがひどく心臓に水がたまっている。恐らく駄目でしょうと言われた。
一番近い父の妹が駈けつけてきたが、その時は小康状態を保っていたので、その叔母が一晩ともに過ごす代りに、恵子は母の康代といったん帰ることにした。その後心臓にたまった水が排出されはじめ、民雄は朦朧とではあるが意識を取り戻した。
父はペンを持つと、乱れた字で「このまま俺はヨイヨイになるのかな」と書いてよこし、そんな冗談が言えるなら大丈夫よと、恵子は笑い返した。
そして父は「タクシーチケットは使うなよ」と書いた。これは一級障害者にのみ区から支給されるもので、不正使用がばれると取り上げられてしまうのである。思えばこれが民雄の最後の言葉であった。
その数日後病院から呼び出し。発作がまた起きて、もう自力では拍動できなくなっているとのこと。機械をつなげておけば拍動は続くが、どうしますかと聞かれた。
その頃康代は過労からくる脳溢血で倒れていて、言葉が不自由であったのでこの母に判断をゆだねることは出来ず、叔母が来るまで待ってくれと頼んだ。
康代は「お父さん、嫌だあ」と泣いたが、叔母たちが揃ったところで、恵子がお願いしますと医師に頼んだ。
けれど恵子も平常心ではいられなかった。自分がそんなことを言ってしまった衝撃で、不意に涙が目からぼろぼろあふれ出た。
静かな臨終であった。
遺体を引き取ったその日は、風が強く、病院の桜が吹雪のように散り急いでいた。
享年七四歳。
民雄を荼毘に付した日、ある知人は康代が淋しくないようにと、真っ白な仔猫を抱えてきて母に譲ってくれた。この仔猫、父が飼おうと話をしていた猫だと言う。