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後半の一部に、人によっては残酷と捉えられる描写があります。


「いずみー」

 踏切の警報音に負けじと張られたその声の主が誰か、泉はすぐに気づいたが、前を見たまま振り向かなかった。放っておいてもじきに追いついてくるだろう。五年も顔を付き合わせていると分かる事も多い。

 踏切の音が止み遮断機が開く頃には、大輔が泉の隣に追いついていた。軽く息を切らせているところを見ると、走って来たらしい。

「おはよ。あれ、同じ電車だったのか」

「かもな」

「また今年も同じクラスだね。何、大ちゃん、あんたストーカー?」

「こっちだって望んで一緒になってる訳じゃねーし」

 大輔は手に持っていた鞄を肩に引っ掛け視線を前に向けると「五年目突入だな」と呟いた。俯き加減で春の穏やかな日差しに目を細めている。

 桜の花弁が風に吹かれ、目の前に落ちてくる。泉は手のひらを空に向け、そこに吸い寄せられるようにして落ちてきた花弁をつまみ、そのハート形を確認した後、またひらひらと落とした。

「にしても大ちゃん、今日は早いじゃん。遅刻常習者の癖に」

 早足に歩く背の高い泉に歩調を合わせ、同じ背丈の大輔は「始業式ぐらいはな」と言い、胸を張った。


 背の高い二人は周囲をぐんぐん追い抜かし、あっという間に2-Gの教室まで辿り着いた。後方のドアから教室に入ると、黒板には座席表が、白いチョークで書かれていた。

「俺、また前だよ」

 肩を落とした朝宮大輔は、最前列へと進み、柳沼泉は最後列に自分の座席を見つけた。どうやら五十音順に右から並んでいるらしい。

 前の方にいる藤田郁美が、泉の存在に気付き、席を立って手を振る。二人はバレーボール部の仲間だ。泉も軽く手を振って応える。

 確か郁ちゃんの彼も同じクラスなんだよな。席についた泉は三学期の終りに渡された名簿を見ながら、重野春樹の名前を探す。それから黒板で座席を確認する。

 1-Gから2-Gに教室が移ったが、三階から真下にある二階の教室に移動しただけで、窓から見える景色は殆ど変らない。隣接する大学との間に設けられた緑色のフェンスと、常緑樹が並んでいる景色は、昨年と全く同じで代わり映えがしない。変わった点といえば、昨年は見えなかったソメイヨシノが、窓の下からにょきっと顔を出している事ぐらいだった。

 そのソメイヨシノに視線を向ける、男子生徒の影が映り、ふと彼に目線を移す。横顔から伺える頬の色は白く、身体の線は細いけれど学ランから張り出した肩幅は妙に広く、机の下に長い脚をギュウギュウに詰め込むようにして座っている。誰だろう。交友関係は広い泉だが、昨年一年間で彼の顔を見た事はなかった。

 目線を前に向け、黒板の座席表を確認すると、四角い枠に「渡部」と書かれている。藁半紙の名簿で、最後に名を連ねているのは谷田部和彦で、その下は空欄になっている。

 泉は取り出したペンで額をとんとんと叩きながら考え、意を決して彼に話し掛けた。

 「あの......転校生?」

 泉は控えめな声で彼の顔を覗き込む。彼はソメイヨシノから視線をこちらへ寄越し「編入生って言うのかな」と眉を斜めにして穏やかに笑った。

「あ、何か名簿に名前が、無かったから。私は柳沼泉。お名前は?」

 泉は人見知りをしない性格で、面倒見が良く、友人も多いし、部活内では後輩からの人望が厚い。こうして初めて話す相手とも気軽に会話ができる。

「渡部浩輔って言います。卒業まで同じクラスだよね。宜しく」

 軽く頭を下げた彼の髪は、耳を出した爽やかや短髪で、清潔感があった。

 泉は腕時計に目を遣った。担任であり男子バレー部の顧問である高橋がやってくるまであと十分というところか。会話する相手もいないであろう浩輔に、泉は話を振った。

「何か、背が高そうに見えるけど、運動やってた?」

 今日は授業がないので、教科書の代わりに鞄に入れてきたのど飴を取り出して浩輔に勧めた。一瞬驚いた顔を見せた浩輔だったが、すぐに穏やかな顔に戻り、泉の手のひらからのど飴をひとつつまみ上げた。

「ありがとう。今まではバレーボールやってたんだ」

 その言葉に泉は反応した。泉は勉強はイマイチだが、バレーボールは得意だった。

「私もバレー部なの、奇遇」

「そうなんだ、教室に入ってきたのを見て、背が高い女の子だなあと思ったんだ」

 浩輔はのど飴の袋を破ると、ポイと口に投げ入れた。歯に当たるコツンと言う音が、軽妙に響いた。

 ちょっと待ってて、と泉は席を離れ、ほぼ対角線上に位置する席に座る大輔の腕を引っ張ってきた。

「こいつは朝宮大輔。バレー部で、今はレフトのスタメン候補で」

「候補とか余計な事言うな」

 大輔は泉の頭を軽く叩いた。叩かれた泉は苦笑いをする。

「スタメンになりそうなー、だそうです。明日からまた練習開始だから、彼について行って見学してきたら?」

 大輔は頬を人差し指でぽりぽりと掻くと「渡部くん?」と黒板の文字を見て言った。

「浩輔。渡部浩輔」

 浩輔は穏やかな笑顔を大輔に向け、大輔は少し困ったように学ランのボタンをいじりいながら、なぜか顔を赤らめている。

「高橋先生にはバレー部に入りたいって話を通してあるから、もし良かったら明日、一緒に連れてってもらえるかなぁ?」

 無言のまま大きく二回頷いた大輔は「じゃ、シューズとか、適当に持ってきてよ」

と言い残して自席へ戻って行った。

 泉は苦笑しながら「照れ屋なの、あいつ」と一番離れた席に着席しようとする大輔を見た。

「中学から四年間、同じクラスなんだ。今年で五年目」

 そう言うと泉は短くため息を吐いた。

「そうだ、浩輔君はどこから通学してきてるの?」

 浩輔は暫く自分の白く長い指を見つめたあと「大槻駅」と短く言う。

「マジで? 大輔も私も大槻なの。ちょっと学校まで遠いよね。奇遇だねー」

 浩輔は目を細めて笑っている。そこに何か、泉には違和感があった。笑ってるけれど、本当に心から笑っているのではない。どこか遠い、別の次元で笑っているような、空っぽで不思議な笑顔。


 担任の高橋は身長が160センチメートル弱の小柄な男だ。よくもまあ、強豪男子バレー部を率いて顧問をやっているなあと泉は思う。そんな彼の顔を見るのも二年目。昨年も高橋が担任だった。三年は繰り上がり式だから、高校生活の全て、この男が担任と言う事になる。

 まあ、泉の事は女子バレー部員だからなのか、贔屓目に見てくれているし、担任としてはなかなか出来の良い方だと、泉は感じている。部活仲間の郁美は「もううんざり」と言っていたけれど、郁美だって高橋には可愛がられている。


 体育館での始業式を終えた後、教室に戻りホームルームが始まると、泉は高橋に対する考えを改めなければと思った。

「誰か、明日からの時間割表を模造紙に書いてくれないか?」

 誰か、なんて曖昧に言って、誰かが率先して手を上げる程、今時の高校生はデキてはいない。

 教室をぐるりと見回している高橋と目線が合わないように、顔を下に向けていたが、なかなか特定の人物の名前が上がらない事を不思議に思い、顔をあげる。その拍子に高橋と視線がかち合ってしまった。高橋はにやりと笑い、そのままカツカツと最後列まで歩いて来た。

「んじゃぁ、泉、頼んだ。今日部活無いしな」

 アッサリとした顔で丸めた模造紙と黒いペン、それから大きな物差しと時間割が書かれた紙を、目の前に並べた。

「何で私なの」

 泉は高橋を糾弾するような目で見つめるも「他に頼める人がいないんだよ」と言って教壇に戻って行く。

 この大きさの模造紙は、すぐに角が丸まってきて、一人だとなかなか手間取るんだ。一縷の望みを抱いて、一番離れた大輔の方に視線を遣ると、彼は舌を出して嘲笑っている。大輔に助けを求める事は諦めた。

 すぐ隣から、聞き慣れない、けれどしっかりした声で「手伝おうか」と声がした。浩輔の方に振り向くと、やはり少し遠い次元で微笑んでいるように見える。

「迷惑?」

 小声で覗き込むように顔を寄せる彼に、両手を目の前にブンブン振って「んな事ない、ありがたい、ありがとう。じゃあお言葉に甘えて」と好意に預かる事にした。


 一人、また一人と、今日からクラスメイトになった人間が、泉達の作業に脇目も振らず帰って行った。大輔と郁美、彼氏の春樹も、三人揃って仲良く「じゃあねー」と帰って行ったので泉は中指を突き立てた。浩輔は手を口元に当ててクスッと笑った。少しまともな彼の笑い顔を見た気がした。


「やっぱり黒一色じゃ地味だよね、他の色も借りてこようか」

 泉は薄い黄色の模造紙に枠線だけ書き上げた時間割表を床に置き、端が丸まらない様に定規を置いて、立ち上がって上から見下ろした。

「他の色ペンは、教室にあるの?」

 模造紙を押える係をしていた浩輔は役職を一時解かれ、ぐるり教室を見渡した。

「それがさあ、体育教官室にあるんだよ。面倒臭い事に。あと一色でもあれば事足りるのにな」

 泉は、これから教官室に行くか、黒で我慢して皆に「地味」と言われるのを覚悟で掲示するか、迷っていた。腕組みしながら考えている泉を暫く見ていた浩輔は、口を開いた。

「俺、教官室なら場所、分かるから、行ってくるよ。一色でいいよね」

「あ、でも......」

 呼び止めようとした時には既に、彼は教室のドアを飛び出していて、止める事ができなかった。

 あっという間に姿を消した彼の、見えない後姿を茫然と見ていた。

 数分後、緑色のペンをくるくる回しながら浩輔が戻ってきた。

「あ、緑にしたの?」

 ペンを泉に渡した浩輔は「うん」と口角を持ち上げる。

「柳沼さんのペンケース、中身も外見も緑色だらけだったから、緑が好きなんだろうなって」

 泉は真顔で浩輔を見つめたが、自然に頬が持ち上がる感覚があった。

「浩輔君、優しいんだね」

 浩輔は下を向いて軽く笑ったようだった。


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