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「このお城の庭園も見事なものでしたね。本国の庭とはまた違った花々がたくさん咲いていて」
「お喜び頂けたようで幸いですわ。この城が誇る庭園ですの。最近になって北の薔薇園の方が賑やかになったんです」
「そうだったんですか。僕も移動中に窓からみた程度だったのですが、とても鮮やかでした。よろしかったら、今度庭園を案内しては頂けないでしょうか?」
「……はい、是非。そうね……では明日などいかがでしょう?」
アレク王子とリゼッタ様は世間話に華を咲かせていた。さりげなく庭園デートへと誘いこむアレク王子のその長けた話術に感服する。
柔和な表情と爽やかな語り口が、とても親しみやすい。王族らしい品位と態度をしっかりと理解した上で実行していらっしゃる感じだ。慣れているとも言えるだろうか。
明日の庭園案内を約束する二人。侍女の私は、それに何を備えればいいか思案しなければならなかった。
こちらと同様に仕える側の人間である侍従殿はどうなのだろうとちらりと見やる。
――?
絶えず笑顔を崩さないアレク王子と裏腹に、その右側の侍従殿の表情が段々と硬いものになっている気がした。私の真正面にいるが、その目線はリゼッタ様に注がれている。
……緊張しているのだろうか。でも、それにしてはしっかりと目線がきちんと上がっている。
王子とリゼッタ様の会話を聴いているというよりは、リゼッタ様を観察しているような、そんな少しきつい目線に思える。
主の婚約者がどんな人物なのか、自分の目で見極めようというのだろうか。もしそうなら、私も大体同じ考えを抱いて王子を見ているので考えていることは一緒である。
何となくおかしい態度ではあるが、適当に理由を付けて納得することにする。びっくりするくらい上がり症なのかもしれないし。
王子と王女の話題は王都の話に移っていた。
王都によく出掛ける私の方が、正直王女よりも話が出来るなあと思っていると、
「シュナは休みの日、よく王都に行ってるのよね。この間も押し花の可愛らしい便箋を買ってきてくれたんです」
リゼッタ様に話をふられてしまった。
「そうなんですか。滞在中に、是非王都にも足を運ばせて頂きたいと考えておりまして。どこかおすすめの場所などはありますか?」
王都によく行くと言っても、王女と比べれば頻度が高いというだけであって、通なわけでは決してない。王族に何を話せばいいのだろう。
「……そうですね、私が行動する範囲など限られてはおりますが……。有名どころでは、西の丘でしょうか。夕方頃の丘からの景色は絶景です。丘から続いている商店街には有名なお店もありますし、お土産物なども見つけやすいです。観光地でもありますから、サービスも充実しておりますね」
「ああ、西の丘は素敵よね! 私もお兄様に連れていって頂いたことがあるんですけど、あの景色は本当に素晴らしいですわ」
私の頭をフル回転して絞り出した意見に、王女が激しく賛同してくれた。……助かった。
「へえ、そうなんですか。お二人の推薦ですからね、是非行ってみます。リゼッタ王女殿下へのお土産はいつもそこで?」
「……ええ、そうですね。大体は」
まだ私に話がふられるとは思わず、詰まった回答になる。緊張するのはもう仕方がない。頼むからもう放っておいて欲しい。
「なるほど。兄弟たちにお土産をせがまれているので、そこで購入することにします。それにしても、お二人は仲がよろしいんですね。失礼かもしれませんが、本当の姉妹のようです」
「そう見えますか? ふふ、そうですね、こういった関係では珍しいくらい仲がいい方かもしれません。シュナは三年前から私に仕えてくれているんです。でも、私たちよりもお二人の方が仲がよろしいように見えますわ」
「そうですか? まあ、僕たちは幼少の頃から一緒に育ちましたからね。主従というよりも親友同士といった方が正しいかもしれません」
その言葉にリゼッタ様が朗らかに笑い、それを見て王子殿下が微笑む。肝心の侍従殿も、今は苦笑している。眉根が少し寄ったその笑い方でも十分綺麗で、美人は本当に得だなあと世の中の不公平さを嘆く。
自然と会話が盛り上がっている二人を横目に、四つのカップの中の量を確認する。そろそろつぎ足した方がいいだろう。ここで給仕を行うのは私しかいないので、席を立ってポットを取ってくる。
青い花柄のポットを手に豪奢な模様の描かれた赤い絨毯を歩いてテーブルに戻る途中、ふと侍従殿の腰にさした装飾品のような剣が私の目に入った。
――!
あれは……見紛うはずがない。母が宝物のように大切にしていた手紙の全てにあった封蝋。何度も何度も、小さい頃から見てきた。
ドクドクと心臓が波打つ。考えてはいけないとどこか冷静な部分が告げるが、頭を巡らせずにはいられなかった。
一介の侍従が持つものに、ありえない装飾が施されている。それが示すことは――。
冷えた血が頭からどんどん下がっていき、貧血を起こしたような感覚に陥る。とにかく紅茶をおつぎしなければと思い、半ば無意識に侍従殿のカップを取る。
落ち着け、落ち着け。とにかく、平静を保て。
思えば思うほど頭が真っ白になって、カップを持つ手が震えてくる。
ガチャン、と鋭い音がして、痛いほどの熱さが指先に伝わった。
――やってしまった。
高貴な人々の前で粗相をやらかすなんて、侍女としてあってはいけないことなのに。それに勘づいたことに気が付かれたらどうしよう。
侍女服に紅茶がこぼれ、白いエプロンが茶色く染まっていく。テーブルの端からもこぼれ落ちて絨毯へと吸い込まれている。
頭がぼうっとして現実感がない。まるで物語を俯瞰しているかのような剥離感がある。王女と王子が口々に大丈夫かと声を掛けているのが、遠く聞こえる。
何か、何か言わなければ――。
「あ、ご、ごめんなさい……! すぐに拭きます……!」
ハンカチを出そうとエプロンのポケットを探ると、紅茶で濡れたハンカチが指に触れた。そうだった。……ハンカチが使えないのだから、布巾を取ってこなければ。
「……大丈夫ですか? とりあえず落ち着いて。これ、良かったら使ってください」
侍従殿がそう言って、自分のであろうハンカチを差し出した。
それを受け取って、私は動きを止めずにいられなかった。
……疑惑が確信に変わる瞬間とは、こんなに頭が冴えるものなのだろうか。今までの動揺がすうっと引いていく。事実を認めたからか、波立っていた心が静まる。
若草色のハンカチ。若草色は、隣国の王妃様が愛する、特別な色。
――王子様は好きな色に対してかなりこだわりがあるらしくて、いつも身にまとっていらっしゃるんですって――
ラディの明るい声が、遠くから聞こえた気がした。




