その2
「おまえ、その二条ってやつと友だちになれ」
「えーっ! 無理。無理無理。絶対に無理」
イレブンから帰ったあと、ミッションファイルを一読した焔がいった。作戦は、真之介と友だちになるという種もしかけもない、とても単純な作戦ともよべない代物だった。両手をふりふり思い切り拒否した旭に、焔が片眉をぴくりとつり上げた。
「なんで無理なんだよ。おんなじクラスなんだろ?」
「そうだけど。ぼく、目立たないし」
「目立つ目立たないが、なんか関係あんのか?」
「だって、二条はクラスでも人気あるんだよ。転校してきたばっかりなのに、男子にも女子にもおもしろいヤツっていわれてて、陸上部でも一年なのに、もう試合とか出してもらってるし、頭もすごくよくて、こないだの中間テストでも十番以内だったし」
「それ、ひがみか?」
ぐぐっと息をのみこんだ。
あやかしだからなのか、性格なのか、焔の言葉はときどき旭の真ん中を鋭く射抜いてくる。認めたくない本当の自分を突きつけられるのだ。違うといえばウソになる。でも肯定はしたくない。そんなときはいつも、おろおろと視線が地べたをさまよってしまう。
「旭」
焔は右手人差し指を、まっすぐに旭に向けた。
「ちょっとそこにお座りなさい」
出た。
必殺おばあちゃんの真似だ。
旭の祖母、日向の教育は厳しい。いたずらをしたり、いわれたことをやらなかったり、食事を残したりすると「旭、そこにお座りなさい」が出る。畳の上、ときには板の間に正座で、延々と説教されるのである。よいというまで立ち上がることは許されない。そして、よいといわれるころには、足の感覚がなくなっていて、立ち上がることなどできないのだ。その言葉をきくと、つい身体が反応してしまうほどに、祖母の「お座りなさい」は染みついている。もはや条件反射で、焔の前に正座してしまう自分が悲しい。
「おまえ、中学に入ってもう半年んなるけど、まさか友だちの一人もいないんじゃねえだろうな」
「いるよっ!」
思わず力んで声が高くなる。
「何人だ?」
「えっと」
旭の頭の中に、幾人かの顔が浮かび上がる。一人、二人と、名を連ねる。友だちと呼んでもいいのかなと、遠慮がちに考えながらも、ようやく三人まで数えた。そして気づく。彼らはみな、小学校からの友人だ。しかもそのうちの一人は幼稚園からの親友だ。気づいてみれば、中学で新しくできた友人は一人もいなかった。
これがいまの自分の現実だ。
友だちが百人いたから合格ってわけでもない。でも三人というのは、どう評価すべきか。
もうすぐ十三歳になるのに、友だちさえまともに作ることができない。特別な力を受け継いで生まれ、特殊な環境で育ったことは理由の一つだろうけれど、そんなものを隠すすべなど、とうに身につけている。それでも、クラスメイトに自分から近づくことができない。真之介は、転校生にもかかわらず、すぐにクラスの中心になった。そうやって他のみんなが普通にできていることが、自分にはできない。人間として当たり前のこともできず、士としてイレブンの任務など果たせるわけはない。どうしようもない落ちこぼれだ。
答える言葉を見失い黙り込む。心がマイナスの方向へ傾いていく。身体中の力がするすると抜ける。俯くと、喉の奥が熱く痛み始めた。目の前がぼやけていく。
焔が座っていたベッドから立ち上がる。旭の前に膝をつく。腕を伸ばし、旭の頭を両手で挟んで持ち上げる。
「泣くな。顔あげろ」
パタパタと軽い音がした。大きな滴がいくつも、焔の腕に落ちた。流れていく水滴が、温かい。
変わらないな。
焔は思い出す。
旭は、小さなころから変わらない。
他のどの人間よりも優しく、強い。そのまっすぐな姿は、あやかしの目からみても、美しい。そして脆い。ときには、旭を襲いにきた妖怪といつの間にか仲良くなっていたり、他の能力者にはとうていできないことを、当たり前のようにやってのける。けれど、人間との接触には人一倍敏感だ。相手を傷つけてはいけないと、異常なほど気を遣う。人を傷つけるよりは、口を閉じる。そういう人間だ。そういうところは旭の父、太郎によく似ている。
焔は、自分の腕を伝う清浄な水の熱さに震えた。
かつてこの身は、山神の一族として生を受けた。まだ神とあがめられていたころの祖父は、そこにいるだけで白く熱を放つ堂々たる狐だった。自分は、同時に生まれた他の兄弟たちとともに、ただの狐として生まれ、生き、死ぬはずだった。けれど、この身はあやかしとなってしまった。親兄弟が老いて死を迎えても、自分はいつまでも生きた。やがて、人間の世界に足を踏み入れた。何度も人を信じようとして、裏切られ、そして傷つけられ、傷つけた。ときには、人を喰らった。かつての祖父のような、白く大きな本来の姿は、長い歳月の中で、人の血で汚れてしまった。
そんな身体に、旭から放たれるものは、綺麗すぎるのだ。そういう身体と知ってなお、なんの躊躇いもなく触れてくる旭の手に、ひどく心が乱れた。
愛おしい。
そういう名の感情を、教えてもらった。
旭の頬に触れた手で、軽くその頬を叩く。
「旭。おまえはもうちょっと、力抜け。今は、一緒にプリクラ撮っただけで、誰も彼も友だちっていう時代なんだぞ」
「そんなの、本当の友だちじゃない」
「ま、そうだけどな。でもおまえが考えているよりは、もっと簡単なんじゃねえか?」
「わかんない」
「わかんなきゃ、やってみろよ」
旭の瞳に溜まっていたものが、またはらりとこぼれた。
「おまえから動け。怖がるな。大丈夫だ。おれみたいな凶暴な人食い妖怪を手懐けてるんだ。もっと自信持てばいい」
旭には旭の美しさがある。強さがある。それを無償で向けたれたとき、どれほどの喜びがそこにあるのか、旭は知らないだけだ。汚れた身でさえ、その喜悦に疼くのだ。
きっと周りが気づく。周りにいる人間そしてあやかしたちまでもが、旭を必要とする。
「焔はそんなんじゃない。ぼくの大切な友人だ」
旭が焔を睨む。その視線を受けて、焔は笑った。
ほらな。そのまっすぐな瞳と簡単な言葉だけで、もう十分なんだよ。
紫の瞳が優しげに揺れる。
「そうだな」
「そうだよ」
「じゃあ、大切な友人のいうことは、何でもきかなきゃダメだよな」
「え?」
「二条真之介と友だちになれ」
「なんでそうなるの!」
そして二人の会話は振り出しに戻る。