その3
「えっと、ぼく、乙葉旭です。ちょっとの間だったけど、同じ中学に通ってたんだよ。それで、これ、お見舞いです」
「ありがとう」
旭が両手で差し出した花束を、真之介は嬉しそうに受け取った。花束に、白い綿のような花をみつけて、兎みたいだと笑った。しばらく他愛もない話をした。真之介は、やっぱりおもしろくて、話もうまく、よく笑った。教室で笑っていたあのころの真之介と、まったく変わらない。そう思えた。
「乙葉くん、だったよね」
「うん」
ふっと開いた間のあとで、真之介の声は、深く沈んだ。
「ぼくは、どうなるんだろう」
「え?」
「気づいたらここにいたんだ。妹が亡くなって、その後のことがぜんぜん思い出せなくて。父さんも、母さんも事故で亡くなったって聞いた。おばさんが一人いて、一度、お見舞いに来てくれたんだけどね。ここは、イレブンって組織の病院なんだろ。きみもイレブンの関係者? 能力がどうのこうのっていってたんだけど。ぼく、ここから出して貰えるのかな」
真之介の家族は、もういない。
友であったいづなは消え、交わされた契約も切れた。以前ほどの力はないにしても、真之介は能力者として、イレブンに登録されるだろう。いろんな適正検査を受けたあと、士となる道が用意される。
けれど、真之介が犯した過ちは、残る。警察にも外部にも、そして本人にも伝わらないけれど、イレブンのデータベースには残る。つまり、一生監視付きということだ。
祖母、日向からその話を聞いた夜、旭は泣いた。何もかも忘れてしまった真之介は、何も知らないまま、一生をイレブンに縛られて過ごさなければならない。
それが、真之介の歩く道だ。真之介は、その道程のほんの入り口にいる。そこで呆然と立ちつくしているのだ。
そして、これが旭のミッションの結果だった。
自分でできることをやり遂げた。祖母はそういった。母はただ旭を抱きしめてくれた。
できることをやったんだ。
何度も自身にいい聞かせた。それでも、現実の真之介を目の前に、勇気の欠片も消えてしまう。目を反らせてしまう。なにもできなかったんだと、後悔ばかりが押し寄せる。
旭は胸のあたりを押さえた。手の平に、首から提げた小さな袋が触れる。丸くて硬い感触がそこにある。焔の欠片だった。
こんなんじゃ、だめだ。焔に笑われる。
しっかりしろ。見届けろ。受け止めろ。ここにあるものを、その痛みも哀しみも、ぜんぶ自分のものにしろ。
焔の欠片が、力をくれる。
「ぼくもね、イレブンで仕事してるんだ。まだぜんぜん半人前だけど。でも待ってるから。きみが来るのを待ってるから」
真之介がびっくりした顔で旭をみて、そして旭の渡した花束へと視線を落とした。その横顔が、火のように燃える山々に沈み込んでいくように、遠のいた。
あー、まただ。
そんな言葉が、なんになる。すべてを失った真之介に、なにを伝えられるっていうんだ。また勘違いだ。ぼくが友だちにならなきゃ、二条を支えなきゃ、なんてこと考えてる。あのとき、思い知ったはずなのに、また同じことを繰り返している。言葉に意味なんてない。ぼくにはなんの力もない。
「ごめんなさい」
謝罪とともに、立っているだけの力も抜けていく。
「なんで謝るの?」
真之介が旭をみる。
「えっと、ぼく、ぜんぜんなんにもできなくて」
「そんなことないよ。ほら、お花もってきてくれたし。会いに来てくれた。学校の友だちで来てくれたのは、きみだけだ。嬉しいよ」
真之介が笑う。胸が痛む。
笑わないで。もうきみは笑わなくていいんだよ。きみから、最後の友だちだったいづなさえ奪ったぼくを、罵っていいんだ。恨んでいいんだ。
「ねえ、乙葉くん、大丈夫? 泣いてるの?」
それでも真之介は、泣き出しそうに俯く旭を気遣うのだ。
もう限界。
「ごめん、大丈夫。それじゃあ、もう行くね」
これ以上、持ちそうにない。旭はじゃあねと手を振った。入り口へと向かい、歩き出した旭の背に、真之介の声が届く。
「ねえ、また会えるかな?」
「会えるよ! 絶対に」
声だけで返事をして、部屋の扉を閉めた。
俯く。柔らかいクリーム色の扉の前で、立ちつくす。涙が溢れて止まらなかった。
たくさんの大切なものを、一度に失ってしまった真之介を、支え、抱えてやれるほどの大きな腕も手も持っていない。何もできない自分が悔しかった。
泣いてはだめだ。本当に泣きたいのは真之介だ。泣いていいのは、彼だけだ。それでも悔しくて悔しくて。声を押し殺して、泣いた。
いまだけだから。次はもっとがんばるから・・・
焔、ぼくはまだまだ弱虫だ。
「泣くなよ」
優しい声がした。
涙に濡れた顔をあげ、辺りを見渡す。旭の他に、廊下には誰もいない。
「焔? まさかね」
「まさかじゃねえよ」
誰もいないのに、声だけが聞こえる。
「ぎゃっ!」
「ひどい奴だな。それが親友に対するしうちか?」
「うそ・・・焔? ほんとに?」
「ほんとに焔です」
「ど、どこ? どこにいるの!」
「まだ形にはなれないけど、ここん中にいる」
「ここってどこ」
「おまえが首から後生大事に抱えてる袋ん中」
旭が慌ててセーターの中から袋を引っ張り出す。しばった口をあけ、手のひらに紫のガラス玉を落とす。
「焔」
「なんだよ」
「焔」
「だから、なんだよ」
旭の瞳から大きな涙がこぼれ落ちる。
「消えちゃったんじゃなかったんだ」
「そう簡単には消えねえって。おれを誰だと思ってるんだ」
「焔様」
「そうそう、そうだろ?」
「よかったぁ」
旭のひざががくんと折れ、その場にぺたりと座り込む。紫の光を放つガラス玉を、胸にぎゅっと抱きしめる。
「焔」
「ん?」
「焔」
「どうした? 旭」
旭と呼ぶ焔の声が、旭を解いていく。抱えていたものを下ろしてもいいのだと許してくれる声だ。
「いづなが消えちゃったんだ」
「そうか」
「きっとぼくが消したんだ。助けられなかった」
「でも真之介は助けたんだろ」
「でも」
「あいつな、同じなんだっていってたよ」
「なにが同じなの」
「おれもやつのことはよく知らないけどな。もともと管狐ってのは、人間に使役されるあやかしなんだよ。使われて、捨てられる。人を陥れる妖術を使うから、人はそれを利用する。そして要らなくなっら、忌み嫌われる。疎まれて当然の存在になってんだよ。そんないづなが、真之介にはなにか感じたんだろうな。最後の最後に、だれかが欲しかった。ずっと一緒にいてくれる、もう自分を捨てない、そんな相手が欲しかった。死ぬときは一緒ってやつ、かな。真之介は最後までいづなを望んだ。きっといづなだって、後悔してないさ。ま、想像だけどな」
「・・・ぼくも一緒に死ぬ」
「は?」
「死ぬときは一緒だよ」
「アホか。おれさまを人間と一緒にすんな」
「ええ! なにそれ! 一緒に死んでくれないの!」
「おまえが死んだって、おれは生きてる。おまえの孫と遊ぶんだからな」
「孫!」
「孫の孫だって、遊んでやるぞ。それから、いつかそのうち、おまえが生まれ変わったら、そんときはまっさきに見つけてやるから」
焔の声がまるでそこにいるみたいに、旭に触れる。
「生まれ変わるんだ、ぼく」
まるで、おとぎ話のようだ。
「そう。生まれ変わる。絶対だ。だから、一緒に死ぬとか、そんな終わりみたいなこと、もういうなよ」
それでもこれは焔の言葉だ。きっとまた会える。ずっと会える。
「だからもう、泣くなよ」
焔の大きな手が、旭の頭をさらりと撫でたような気がした。
(第九章「エピローグ」その4へ続く)