その1
「おはよう、おばあちゃん」
旭が階下に降りていくと、日向が朝食の用意をしていた。すでに出勤の用意ができているようだ。今日はダークグレーのスーツを着ている。あいかわらず格好いい。
「遅いですよ、旭。早く食べなさい。あと二十分で出ますからね」
「はあい」
用意されていた朝食に手を合わせてから箸をつける。いつもの朝だ。
日向を迎えにきたイレブンの車に乗り、旭と日向が向かったのは、医療施設だった。東京から西へ車で一時間ほど行った山の中にある。ここも、イレブンの人知れない施設の一つだ。
病院の入り口につくと、待っていたガードマンが、車のドアを開けてくれた。まるで、高級ホテルのようだ。慣れないことは恥ずかしい。おどおどしながら、近所の花屋さんで作ってもらった小さな花束を抱えて、車を降りた。
「おばあちゃん、運転手さん、送ってくれてありがとう」
「帰りは大丈夫?」
「うん。送迎バスと電車使うから」
「それでは気をつけて。今日は帰りが遅くなります。でも夕方には陽桜たちが戻ってくるから」
「あ、お父さんも戻ってくるんだ」
「夕食は、陽桜たちと食べなさい」
「はい」
「旭」
「なあに?」
旭がにこりと笑う。曇りのない笑顔に、日向はいうべき言葉を飲み込んだ。
すべては、旭が自分の目で見て、確かめなければならない。まだ旭のミッションは終わっていないのだ。
「いえ、なんでもないわ。いってらっしゃい」
「はい、おばあちゃんもいってらっしゃい」
車が走り去るまで見送った。旭は、病院の入り口へと向かう。
中へ入ると、一階は広いロビーになっていて、景色が見渡せる場所にはレストランがあった。病院というよりは、やはり高級ホテルな感じがする。あらかじめきいておいた階までエレベータであがると、やっと普通の病院っぽくみえた。ナースセンターで、看護士さんから病室を教えて貰った。
淡いクリーム色の床を見ながら病室へと向かう。そのリズムに合わせるように、どくんどくんと旭の心臓が高鳴っていく。一番奥の部屋の前で立ち止まり、念のため札を見上げた。
二条真之介。
またどくんと鳴った。
深呼吸をして、病室をノックする。
「はい」
すぐに返事がきた。聞き覚えのある声だ。旭はスライド式の扉をそっとあけ、中に入った。
「うわあ」
視界を奪われた。目の前に、赤や黄、橙に色づいた山が迫ってきた。引き込まれそうになるほどの迫力だ。
「きみ、誰?」
真之介の一言が、旭を現実の世界に引き戻した。旭は、ベッドの上に起きあがっている真之介をみた。目の前にいるのは、確かに真之介なのに、真之介ではなかった。
(第九章「エピローグ」その2へ続く)