表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1st Mission 美しき魂  作者: 時幸空
第八章 かえるところ
24/29

その4

「焔殿、もしかして弱くなりませんか?」

 いづなが笑うように口を広げた。

「そんなことねえよ」

「人間っぽくなると、妖怪の力が落ちるって本当だったのですね」

「違うって」

 息があがる。昔なら、いづな程度の妖怪など、蚊をたたくようなものだった。自分の力が弱くなったとは思えない。ならば、いづなの方が力を増したのだ。

 命の契約は、互いの持つ能力を数十倍にまで膨らませることができる。文字通り、互いの命の火を糧とするからだ。引き替えには、死が待っている。本来、ずるがしこいはずの管狐が、そのような契約をするはずがない。嘘なのだと思っていた。

 本当に契約を交わしているのか? 命を懸けた契約の力に対するには、自分の命が必要だ。それ以外に、いづなを抑える方法はない。

 焔は、右の手の甲についた傷口を、ぺろりと舐めた。

「真之介殿がお待ちだ。早く済ませましょう。われわれには成し遂げねばならないことがあるのです」

「やらせえねえって」

 焔が地面を蹴る。一瞬のうちにいづなの真上に舞い上がり、その脳天目指して、蹴りを入れる。焔をちらりと見上げただけで、いづなは余裕で焔を避け、その体を長い尾で跳ねとばした。大きな池の向こう側へと焔の体が弾けるように飛んだ。

「焔先輩!」

 旭が叫ぶ。その声が、焔に届いた。

「旭」

 焔が旭の姿を確認して、にやりと笑った。

 旭がいる。自分がいなくなっても、旭がいる。必ず旭は思い出す。己を取り戻す。旭が二条を止める。だからおれは、いづなを抑えればいい。いづなの力を封印できれば、真之介の力も半減する。それには、すべての力が必要だ。すべてが終わった後、自分は消えるかもしれない。それだけの力が必要なのだ。

 焔は旭をみた。そのすべてを焼き付けるように、まっすぐにみた。

「旭! 真之介を止めろ! おまえのミッション、忘れるな!」

「先輩!」

 ほんの一瞬の出来事だった。

 焔目指して跳躍したいづなが空を舞い、池を越えた。焔は動かなかった。まるで向かってくるいづなを受け入れるかのように、なにかの印を結んだ両手を広げた。

 音はなかった。

 真っ白な光があたりに飛び散った。水の上を転がり、芝生の上を跳ね、花火が舞い散るように、そこここに降り注いだ。眩しい光が目に突き刺さり、旭の頭の中ではじけ飛んだ。

 泣き声がする。

 小さな赤ちゃんだ。

 ベビーベッドの中で、泣いている。子猫みたいに、声ににならない声で泣く。なにかを掴もうと伸ばされた小さな手に、白い毛が触れた。長い尾だ。ふわふわと手に触れると、小さな手のひらがそれをしっかりと掴んだ。泣いていた赤ちゃんが、ことんと眠っていた。真っ白のタオルケットにくるまれて、たくさんのぬいぐるみに囲まれて、まだ頬に涙を張り付かせたまま、眠っている。その頬を長い舌がそっと舐めた。

 これは、ぼく?

 ベビーベッドの中のぬいぐるみに身覚えたあった。この視線は、祖母のものでも、両親のものでもない。いつもぼくのそばにあり、ぼくに触れていた優しい温度。

 これは、焔の記憶だ。ぼくが生まれたばかりの頃の、焔だ。

 焔の中にある旭のすべてが、強く熱い波となって押し寄せてきた。忘れていたすべてが、覚えていないはずの記憶とともに、一瞬のうちに旭の中を駆けめぐった。

 ずしんという重みが、頭上からのし掛かる。ふわふわと記憶の中をさまよっていた旭の足を、地面へと下ろした。

「焔!」

「いづな!」

 二人は同時に、真之介の部屋を飛び出した。転がるように芝生を走り抜け、最後の光が舞い落ちていく場所へとまっすぐに向かう。

 青々とした芝生の上に、白い小さな、いたちのような獣が倒れていた。その四肢を縛るかのように、紫の炎の輪が巻き付いている。

 旭の膝ががくんと折れた。

「焔」 

 震える旭の呼びかけに、焔からの返事はなかった。

「わかったでしょ? 殺したい理由」

 旭は獣の体をそっと抱き上げた。温かい。小さく鼓動している。いづなはまだ生きている。では焔はどこへいったのだ。この紫の、見覚えのある色は、なんだんだ。

 真之介の言葉が、旭の胸を引っ掻く。擦り傷のように、ひりひりと痛む。

 真之介が、左腕をそっと撫でた。黒い痣があった。真之介の腕に刻まれた命の契約だ。いづなが死ねば、真之介も死んでしまう。力を増したいづなを、殺さずに抑えるためには、焔のすべての力を使うしかなかった。燐光のような輪が、それを認めるかのように、旭の腕の中で揺らめく。

「親からも厭われる、そんな気持ちが、きみにわかるかな?」

 真之介が痣に触れながら問う。

「人にはみえないものがみえる。その変な力のせいで、父さんも母さんも、嫌なものでもみるような目つきで、ぼくを扱った。世界で一人だけ、夜子だけが一緒に闘ってくれた。夜子が亡くなってから、すぐにいづなに会ったんだ。いづなも親や仲間に見捨てられた存在だ。ぼくたちは、同じなんだ。だから友だちになったよ。水野が死んだ後、父さんと母さんはぼくを怖れ、ぼくを捨てようとした。だからいづなに頼んで、消して貰った。ぼくは、ぼくと夜子の魂を守りたい。だから殺すんだ。そして最後までやり終えたら、ぼくはいづなと一緒に逝くんだ。夜子が待ってるあの場所へ、いづなと一緒に逝くんだよ」

 庭の木に舞い降りていた鳥が、ききっと鳴いて飛び立った。鳥や小動物など、すべての生き物が逃げだし、あるいは息を潜めている。美しいはずの庭園は、今、異様なほどに静かだ。耳鳴りがする。

「行けないよ」

 声が震えた。でもはっきりと告げた。

「二条は、きみの妹のところには、行くことができない」

「なにをいっているの? 乙葉がぼくを止めるの? 今度はきみが、大事な先輩の復讐をしてみる?」

 真之介の中で燃え続ける炎がみえた。怒りと哀しみに束縛され、硬く閉ざされた炎だ。

「ぼくはぼくのすべきことをするよ。乙葉に止める権利なんかない。わかるだろ。きみの大切な先輩は、もういないんだ」

 焔はもういないと告げる。真之介の言葉が容赦なく旭に突き刺さる。真之介の炎がはみ出して、ちろりと旭を撫でる。

 焔はいない。どこにもいない。

 ぎゅうぎゅうと胸を圧迫するこの痛みはなんだろう。指先も、身体も、とても熱いのに、頭の中は逆に凍えるように硬く凍結していく。

 焔を奪ったのは、二条ではない。それでも、この目の前の同級生に対して、かつて抱いたことのない熱を感じる。腕の中の小さな獣を、この手で握りつぶしてしまいそうになる。二条もいづなも、この世からなくなればいい。

 ぼくから焔を奪ったおまえらなんか、消えてしまえばいい。

「許さない」

 零れてしまう声を、止められない。身体が焼ける。内側から肉が焼けて、焦げるにおいがする。この火を止められない。炎の中から声がする。二人をイレブンに渡せ。処分せよ。甘い声だ。誘ってくる。

「そうだよ、乙葉」

 二条が笑う。

「わかってくれたみたいだね。それじゃあ、いづなを返して欲しいな。夜子が待ってるから」

 真之介の妹も、もういない。真之介の両親も、水野という少年も、二条といづなが消した。そしてもう一人、手にかけようとしている。そしていま、旭は、真之介といづなの存在をイレブンに引き渡し、処分されてしまえばいいと心の底から願っている。

 イレブンの士であることを正義にして、ぼくは二条といづなを殺そうとしている。

 同じじゃないか。ぼくは、二条と同じだ。

『わかったでしょ? 殺したい理由』

 わかったよ。殺したい理由。

 大切なものを奪われたら、きっと誰だって、こうなる。奪われたんだから、奪えばいい。悔しさと哀しみが、怒りに変わる。間違いであることをわかっていながら、普通では想像もできないことを、簡単に成し遂げてしまう。

 どこで、間違ったんだろう。

 二条はどこで間違ったのだろう。そしてぼくは、二条と同じ間違いを犯すのだろうか。二条といづなが処分されて、そのあとぼくは、どうするんだろう。

 笑うだろうか。

 悔やむだろか。

 焔は還ってくるのだろうか。 

 温度のない紫の炎が、腕の中で揺らめいた。

『早くこっちに来いよ。待ってんだぜ』

『ふふっ。焔ったら毎日そればっかり。ちゃんと出てくるわよ。あと一ヶ月もすれば会えるんだから』

『おれはいますぐ会いたいんだよ』

 お腹の大きなお母さんと焔が笑ってた。

『ほーら、旭。焔だよ。だっこしてもらえ』

『ちょ、た、太郎さん。無理。壊れる』

『あははは、大丈夫、大丈夫。落としても壊れないから』

『太郎さん・・・』

 お父さんだ。白い焔の毛の中に、まだ生まれたばかりのぼくを、ぎゅうぎゅう押しつけている。焔の長い尾にそっと包み込まれて、ぼくは笑ってた。

 焔の中にあったたくさんのぼくが、笑っていた。受け止めきれないほどの暖かい想いだ。涙が溢れた。溢れて止まらなかった。 

 同じだけれど、同じじゃない。父も母も祖母もいた。友もいた。焔がいた。

『おまえのミッション、忘れるな!』

 二条を止める。

 身体を舐めていた炎が、すっと違う熱に変わる。

「ぼくにわかることは、もう誰も失いたくないってことだけだ」

 旭の頬を伝う涙が、ぽたぽたと胸に抱いたままのいづなの白い毛の上に落ちる。それは、小さな玉となり、滑らかな毛の上を転がった。焔の残した紫の炎に飲み込まれると、かちんという優しい音をたてた。

「きみに、ぼくは止められないよ。いづなを返して」

「だめだ。渡せない」

 二条が消える。いづなが消える。そして、焔が消える。絶対に渡せない。

「ぼくにはそれが、必要なんだ。いづなもぼくが必要なんだ。約束したんだよ。最後までやるって」

 真之介が腕を伸ばしてくる。いづなの身体に触れる。旭の腕の中で、いづなの身体がびくんと震える。紫の炎から、小さな火花が散る。

 旭。真之介を止めろ。

 焔の声だ。旭を強く支える言葉だ。

「二条を止めるのが、ぼくの任務だ」

「任務? きみは、一体なんなの?」

 真之介が旭を見据える。

 イレブンの士。そんな答えなど必要ない。

「ぼくは、二条の友だちだよ」

「ふっ」

 二条から声が漏れた。

「ははははっ」

 笑っている。声をあげて、おかしそうに、どこか壊れたみたいに笑っている。あっけにとられた旭の腕から、いづなを奪われる。

「あっ!」

「バカだね、きみは。ほんとにバカだ。でもおもしろいよ。あははは」

 真之介がいづなを抱き、笑いながら芝の上を歩き出す。

「二条! だめだ! 返せ! おまえまで消える!」

 二条を追う。

「違うだろ!」

 それは、叫びに近かった。

「おまえは大切な先輩を消したくないだけだ」

 旭の身体ががくんとくずおれた。綺麗に刈り込まれた芝の上に、へたりと座り込む。真之介が止まった。旭の姿を楽しむように眺める。それからゆっくりといづなの身体を撫でた。

「なんだ、やっぱりそうなんじゃないか」

 吐き捨てるようにいった二条の声が胸を貫く。なに一つ言い返せない自分に気づいた。任務だ、友だちだといいながら、自分のためだけにここにいる。

 二条の言葉のとおりだ。だから身体が動かない。真実の前ではこんなにも無力になる。

「に、じょう」

 旭の掠れた声は、二条まで届かない。

「ぼくの還る場所は、乙葉のとこじゃないよ」

 真之介が歩き出す。いづなをその腕に抱え、最後の約束を果たすために、歩いていく。

 その背に、真之介の覚悟をみた。

 復讐という炎を背負い、あやかしだけを友に選び生きてきた、真之介のすべてが旭の目に焼きついた。

「二条! だめだ! やめて、二条!」

 もはやその背に向かって、歩き出すこともできない。身体がひどく重くて、手を伸ばすこともできない。真之介は二度と振り向かなかった。

 二条と友だちなれると思ったんだ。

「焔!」

「焔!」

 二条を止めると、約束したんだ。

「焔!」

 こんな結末は、誰も望んでいなかった。

 これがイレブンのミッションなら、こんなもの、ぼくはいらない!

「ほむらあー!」


(第八章「かえるところ」その5へ続く)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ