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1st Mission 美しき魂  作者: 時幸空
第八章 かえるところ
22/29

その2

 大きな黒い門が内側に向かって、開かれている。

 周囲には道路の角から角まで、ずっと白い漆喰の塗り壁に取り囲まれている。大きな家だ。いや、家はまだ見えない。真ん中に、どっかりと腰を据えた門が立ちふさがる。雨に染み、陽に灼けて黒ずんだ表札がかかっている。

「二条」

 旭が声に出して読み上げる。真之介の家なのだろうか。

「旭、これがみえるか?」

 焔が目の前を指さして問う。そこには門がぽかりと口をあけており、その向こうは砂利をしきつめたこぎれいな小道が続くばかりだ。

「これ? ただの小道しかみえません」

「じゃあ、これならどうだ?」

 焔が旭の背後に立ち、その両手で旭の頭部を挟む。焔がその額を旭の頭上に載せると、旭の体の中を、冷たく澄んだ空気が駆け抜けた。すっと体が軽くなった気がした。

 そして気づく。先ほど焔が示した場所には、大きな蛇が二匹、絡まり合うように模様を作り、来る者を拒むように、空中に二つめの門を作っていた。

「なんですか? これ」

 旭の体が自然と後ずさりし、後ろに立っていた焔の体にとすんと当たる。焔の腕が、旭の身体を受け止める。

「怖れるな」

 焔の強い言葉が耳に触れた。

「門番みたいなもんだ。たいしたあやかしじゃない」

「あやかしって、妖怪のことですか?」

「旭」

 背後から焔の手が旭の肩をぐっと掴む。

「おまえの任務は、浜崎充、いや雪下充、あのランドセルの少年を探しだすこと。この家のどこかにいるはずだ。そして二条真之介を止めろ」

 まっすぐに頭の中に響いてくるような声だった。

 浜崎がなぜここにいるのか。真之介がなにをしようとしているのか。あの蛇の妖怪はなんなのか。焔が何者なのか。そして自分はなにを忘れているのか。

 訊きたいことはたくさんあった。けれど、焔の声音は、そういうものをぜんぶ、旭からはぎ取った。ただ焔の言葉を刻み込む。

 雪下充を探す。二条真之介を止める。それがぼくの役目だ。どうやって? そんなもの、そのとき考えればいい。

「はい」

 旭は前を見据えたまま応えた。

「よし、いい子だ」

 焔の手が旭の髪をくしゃりと撫でる。

 知っている。ぼくはもうずっと昔からこの手を知っている。焔が自分に触れるたびに、自分の中のなにかが揺れる。生まれたばかりの小さな波紋が、次第に大きくなる。揺らす。響く。共鳴する。記憶がなくても、身体が反応している。

 それくらい何度も、この手はぼくに触れたんだ。

「おれになにがあっても、おまえはおまえのできることを遂行しろ。いいな」

 焔の身体が、旭から離れた。代わりに、冷たい空気が旭の背を抱く。思わず、焔先輩と、呼び止めていた。

「先輩は」

 立ち止まり、振り向く。そのまま腕を伸ばして、もう一度、旭の髪に触れた。

「誰にも、触れさせない。怪我一つさせない。約束した。おまえが生まれたときに、そう誓った。おれはおまえを守るだけだよ。そのためにここにいる」

 焔の指から、髪は零れるように離れた。

「いくぞ」

 まっすぐに歩き出す。

 それまでなにかの印を作っていただけだった蛇が、ゆらりと動きだし、その鎌首を持ち上げた。

「先輩!」

 焔は構わずに進む。咬まれる、と思った瞬間、蒼い光がスパークした。空気を裂くようなするどい音が後に続く。思わず閉じた瞼を開く。焔の足元には、感電したように煙りを上げる、小さな二匹の黒い蛇が転がっていた。

「これが本当の姿だ。たいしたことないだろ?」

「し、死んじゃったんですか?」

「いや、気絶してるだけ。殺しちゃったら、旭が怒るからな」

 そういって、ふふっと笑った。

 自分の知らない自分を知っている焔を、もう不思議と思わなかった。目の前に、次から次へと押し寄せるすべての事柄が、もう普通ではない。ただ、自分を知るものがいる。その事実が逆に、旭を不安から解き放っていく。この人の隣りなら、怖くはない。

 玉砂利をしきつめた小道は、二人を大きな玄関へと導いた。焔が躊躇いもなく、引き戸を開ける。靴のまま家に上がり、長い廊下を歩いていく。

 ふらりと旭の脳裏にまた画像が散った。真之介だ。真之介の背中をみながら、この廊下を歩いたことがある。

「焔先輩、ぼく、ここに来たことがあります」

「思い出したか?」

「二条がぼくの前を歩いていました。庭の見える縁側の長い廊下をぐるっと回って、二条の部屋に行きました」

「よし、旭は、真之介の部屋へ行け。雪下もたぶんそこだ」

「焔先輩は?」

「おれは、あの人の相手をしないといけないからな」

 焔が振り向いた方を、旭もみる。白いかっぽう着姿の女性が立っていた。焔が自分の体の後ろに、旭を押しやる。

「お客様、恐れ入りますが、靴はぬいでお通りくださいませ」

 丁寧に頭を下げる。

「いづな、おまえ、いつからお手伝いさんになったんだ?」

「一年前からでございますよ。焔殿」

「先輩の知り合いなんですか?」

「大昔からのな。旭、おまえは先に行け。おまえの任務、忘れるな」

 旭は自分の使命を刻んだ胸をぎゅっと押さえて頷く。旭が走り出す。焔が旭といづなの間に立ちふさがった。

「可愛いですね。焔殿のお好みに育てていらっしゃるとか。もうそろそろ食べころでは?」

 いづなが、ほほほっと笑った。

「バーカ。おれはもう人を喰うのはやめたんだよ」

「信じられない発言ですね。あの焔殿が人を喰わぬとは。明日は赤い雪が振るかもしれません」

「おれのことは、どうだっていいんだよ。それよりおまえ、真之介との契約を破棄しろ」

「できません」

「互いの命をかけた契約か」

「はい」

「なぜ、そんなものを結んだ。おまえには力がある。人間と契約なんかしなくたって、十分、自由に生きていけただろう。なにが望みだ」

「同じだったのですよ」

「は?」

「真之介殿も、わたしも。互いに両親や周りに疎まれ、たった一つ、大切なものを奪われた。同じなのです」

「だからって、真之介を犯罪者にするな」

「彼が望んだのです。彼を疎んだ両親の死も。妹を殺した輩の死も」

「そのための力が欲しくて、命の契約をしたのか」

「そうです」

「願を果たせば、互いに消えゆく。おまえも、真之介もだ。真之介は知っているのか」

「ええ。全部、説明しました。やるべきことを終えれば、ともに無に還ります」

「おまえ、何を考えている」

 焔の髪が、風もないのにざわりと揺れる。紫の瞳が人ではない異質な光を帯びる。

「どういう意味でしょうか」

「管狐とよばれるおまえらが、そんなに犠牲的精神の持ち主だとは思わなかったよ。人間のために命を捨てようなんて管狐がこの世にいるとはな」

「焔殿が知らないだけでしょう」

「ときに管狐を使役する人間の術者までも喰らうおまえらがか?」

「時と場合によります。われらを使う人間は、汚れた者。汚れた者など、この世にいない方がよろしいでしょう?」

「それがおまえらの持論か?」

「ええ、まあ。でも人を喰らえば、寿命は百年延びるといわれていますから。ああ、失礼しました。あなたはわたしよりも、よほどご存じでしたね。焔殿の寿命は、あと何千年続くのでしょうね」

 いづなが薄く笑う。

「真之介をどうするつもりだ」

「わたしたちは友人です。役目を終え、一緒に逝きます」

「これ以上、人が死んでたまるか」

「信じられないお言葉ですね。焔殿は数百年お会いしないうちに、ずいぶん人間っぽくなられたようだ」

 焔がため息をついた。

「平行線だな」

「昔話をしながら、時間かせぎしているのかと思っていました。真之介殿が戻られるのを待っておられるのですね」

「おれは、おまえの相手をしに来ただけだ。真之介は旭の友だちだからな。おまえはおれが遊んでやるよ」

「彼の者は、一体、何者ですか? 焔殿が大切にしていらっしゃる人間なんて、きっと誰もが興味を持つ」

「おれがしゃべると思うか」

「では、実際にみて参りましょう」

「行かせるかよ」

 かっぽう着が白くふわりと舞う。お手伝いの格好をしたいづなが、背景に滲んで溶けたかと思うと、白い大きないたちの姿をとって現れた。

「おまえ、いつのまに、そんなにでかくなったんだ?」

「いえ、ちょっとした戦闘モードです」

 焔がふんっと笑った。


(第八章「かえるところ」その3へ続く)

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