その2
「あの日、二条真之介の家に行ったことは間違いない」
紫の眼差しを、二階にいる旭に向けたまま、焔はいった。
「あいつは、ミッションとかじゃなく、当たり前のクラスメイトとして真之介に近づこうとしてた。だから、おれにも来るなっていったんだ」
「あの子らしいわ」
陽桜が肘をついた両手にあごを載せ、ふるっと笑う。
「旭はいつだって、まっすぐだ。自分の目で見て、身体全体で感じて決める。誰にも惑わされない。なにが正しくて、なにが大切なのか、自分で確かめるんだ。そういうところを知っていたんだ、おれは。そういうとこが一番危ないって、わかってたのに、なにやってんだよ、おれ」
白い尾が空気を切るような音をたてて、床を叩いた。
「あらら、あいかわらず、うちの息子にラブラブねえ。年寄り妖怪のくせに」
「ちゃかすな、おばさん」
「なんですって?」
陽桜の眼差しが鋭く細められる。焔の身体にぴりっと電気が走る。
「あ、いえ、失言でした。すいません、陽桜さん」
「わかればいいのよ、わかれば」
陽桜がにっこりと笑ってみせる。この変わり身がすごい。旭も確実にこの血を受け継いでいるはずだ。失言には注意しよう。こっそり頭の中に刻みつける。
「で、焔は旭が元に戻ると思うのですか?」
焔と陽桜のやりとりを黙って聞いていた日向が、口を開いた。
「あれは妖術だ。あやかしが使った術ならば、ばあちゃんたちだってすぐ気づくはずだ。けれど、あれはそれを隠すように、別の術で包んである」
「つまり、あやかしと人間の合作ってことね」
「普段の旭なら、そんなものに惑わされたりしない。無意識のうちにはね除ける。けど、旭は真之介を疑いたくなかった」
「旭のまっすぐすぎる想いが、さらに妖術の完成度を高めているってこと? 暗示みたいね。じゃあ破るのも、旭次第ということね」
「たぶん。でもそれがいつになるかはわからない」
「では、わたしは次の手を打たねばならないわね」
日向が立ち上がる。
「ばあちゃん?」
「イレブンに行ってきます。二条真之介を確保しなければ」
「ちょっと待ってくれ」
焔が呼び止める。
「このミッションは、最後まで旭とおれにやらせてくれ」
「今の旭には無理です」
「二条真之介は黒だ。やつの次のターゲットはこの街にいる」
焔の瞳はそらされることなく、日向の鋭い視線を受け止めた。
「話を聞きましょう」
日向が座った。すっと背筋を伸ばす。
「岩手県T市。転校前の真之介がいた街に行ってきた。あの住所の家には、真之介の叔母という人が一人で住んでいた。始め、その人は、真之介は東京の親戚の家に引き取られたといっていた。それはこの報告書にも書いてある」
とさっと音がして、テーブルの上にファイルが落ちた。落ちたというよりは、瞬間的に現れたといった方が正しい。旭がイレブンから預かった二条真之介に関するミッションファイルだ。
「便利ね、四次元ポケット。あたしも欲しいな」
「陽桜さん」
「陽桜」
ふたつの声が重なる。四つのするどい視線が投げられると、陽桜が小さく肩をすくめた。
「この報告書に間違いがあったということ?」
「その家がちょうど駄菓子屋のようなことしてたからさ、旅行者装っていろいろ話を聞いたんだけど、話してるうちにいってることがどんどん変わってくるんだ。それも真之介のことだけ」
「その人も妖術にかけられていた」
「おれの妖気にあてられて、どんどん綻びていく、そんな感じだった。最後、その人は泣きながらいったよ。真之介を捜してと」
「え?」
「行方不明なんだよ、あっちでは。真之介の妹が突然死んで、二年後に真之介の両親が交通事故で死んだ。その後、みんな、真之介は東京の親戚の家に引き取られたと思いこんでいたんだが、術が解ければ思い出す。両親の葬式の直後、真之介はいなくなっていたんだ」
「そして、真之介はこの街に来た」
「そう。次のターゲットを追うためにね。すべての始まりは、三年前の妹の死にある。いや、もっと前かな。真之介が、旭と同じような力を持って生まれ、それに気づいたときか」
「それだけわかっていれば十分です。二条真之介が能力者で、その背後にあやかしがいる。あとはイレブンが対処します」
「だめだよ、ばあちゃん」
「なぜ?」
「イレブンのやり方は知ってる。その力を持つ者、すべてを管理する。ばあちゃんや陽桜さんみたいな士になれなければ、ずっと監視付きだ。しかも今回は、人の死が関わってる。そんな相手をイレブンなら、たとえ子どもでも放っておかない。関わったあやかしは処分。真之介は、よくてどこか遠くで、一生をイレブンという名の鎖に繋がれて生きることになる。悪ければ、あやかしと一緒に、この世から消える。そして、表向きには綺麗に処理されるんだ。何事もなかったかのようにね」
「それがイレブンという組織の目的だからです。人とあやかしは直接関わるべきではない。そういう時代はもうとの昔に終わってしまった。あなたが一番よく知っているはずです。イレブンの方針は間違ってはいない」
「間違ってねえよ。そのとおりだけどさ、けど、おれたちにだって、理由はある。なんでここにいるのか、なんでそうしなくちゃなんねえのか、なんで人間と一緒にいたいのか。妖怪にだって、ちゃんとわけがあんだよ。旭はそれを知るべきだ」
日向がすっと言葉を呑む。
「このままイレブンが処理すれば、旭はぜんぶ終わったあとに、真之介がどうなったかを聞くことになる。そのときにはもう、旭の手の届かないところに、すべてはある。そんな状態を、旭が許すと思うか? なんでばあちゃんはこのミッションを旭に与えたんだ?」
「たまたま旭と同じ学校だったからです。それに旭の任務は二条真之介の調査であって、あやかしを処分することではない。あの子にはまだ無理です。そういうことを知るには、まだ早い」
「まだというよりは、一生無理かもね。だってあの子にかかったら、妖怪さんはみんな友だちになっちゃうから」
陽桜がくすくす笑う。
「それだよ、陽桜さん」
「どれよ」
「真之介の能力は、血筋ではなく突然変異だ。長くそういう力を持ったものが住めば、どこかにそういう痕が残る。真之介の住んでいた家には、なにもなかった。だから本来、その力はそれほど強くはない。それでもあれほどの術をやり遂げるとしたら、方法は一つだ」
「あやかしと契約を結んでいる。そしてそのあやかしを処分すれば、その子の身体も砂のごとく崩れ、消える」
陽桜が焔のあとに続く。
「だからこれは、旭にしかできない。旭なら真之介だけでも助けることができるかもしれない。あいつはそれを可能にする力を持ってる。ばあちゃん、そうかもしれないって思ったから、旭にこのミッション、任せたんじゃねえの? 旭は真之介の友だちになろうとしてた。頭でわかってたわけじゃないけど、旭はちゃんとミッションの本当の意味を理解してたんだ。そして、関わったからには、旭は最後まで見届ける義務がある。人にとりついたあやかしがどうなるのか。その人間がどうなるのか。あいつが自分の目で見なきゃ、ここから先、旭は一歩も動けなくなる」
「でも旭は」
「還ってくる。きっと戻ってくる」
絶対に、取り戻す。
焔の紫の瞳が日向と陽桜を巡り、そして旭の姿を探すように、上階へと向けられた。
(第六章「届かぬ夜の中で」その3へ続く)