第五章 悪女、登場
セレニア王立学院の門をくぐった瞬間、空気が変わった。
正確には、周囲の人間が変わった。
談笑していた生徒たちが、ざわりと静まる。
視線が集まる。
こちらを見て、すぐに目を逸らす者。逸らせずにいる者。
小声で何かを囁き合う者。
全員が、私を見ていた。
……そうか。アリス・シャルムは、そういう存在なのか。
頭ではわかっていた。
アリスは悪女だ。
侯爵家の令嬢だ。
近づいてはいけない人間だと、そう囁かれている。
あの令嬢に目をつけられた者は必ず後悔する、と。
でも実際にこれだけの視線を一身に受けると思っていたより、しんどい。
でも表情は動かさない。
背筋を伸ばして、前を向いて、歩く。
アリスとして。
完璧な悪女として。
門のところでヴィヴィアンと別れた。
彼女は私が敷地に入るまで見送って、一礼して馬車へ戻っていった。
その背中が見えなくなった瞬間、じわりと心細さが滲んだ。
……頼るな。ここでは一人だ。
廊下を歩くにつれて、人垣が割れていく。誰も話しかけてこない。
誰も近づいてこない。
まるで見えない壁があるみたいに全員が距離を保っている。
これがアリスの日常だったんだ、と思った。
孤独だ。華やかな孤独だ。
「アリス様」
声がした。
甘い、よく通る声。
廊下の向こうから、ひとりの少女が近づいてくる。
太陽のような髪色に空色の瞳。
にこにこと人懐こい笑顔を浮かべて、まるでこの場の空気を読んでいないみたいに、真っ直ぐに歩いてくる。
……誰だろう。
原作には出てこなかった顔だ。
名前も素性も、わからない。
「お久しぶりですわ。お元気でしたか?」
少女は私の前で立ち止まって、にこりと笑った。
周囲がまたざわめいた。
アリスに話しかけた、という驚きだろう。
私はその少女を見た。
笑顔でアリスに話しかけてきた。
人懐こくて明るい笑顔。
でもよく見ると目の奥が少し緊張しており、体の端々が、微妙にこわばっている。
……怖いくせに、話しかけてきた?
何か理由がある。
そうでなければ、アリス・シャルムに自分から近づく人間などいない。
「……ええ」
短く答えた。
「あなたも元気そうね」
少女は一瞬、瞬きをした。
それからまた笑った。
今度は、少し違う笑顔だった。
どこか安堵したような。
使命を果たせた、とでもいうような。
「ええ、おかげさまで。また、お話しできれば嬉しいですわ」
それだけ言って、少女は去っていった。
私はその背中を見送りながら内心で首を傾げた。
怖がっていたのに、話しかけてきた。
そして安堵したということは誰かに言われたのかもしれない。
アリス様と親しくしなさい、と。
打算は見え見えだった。
でも隠せていない正直さが、なぜか悪い気がしなかった。
廊下の先に、大きな扉がある。
扉の向こうに、また新しい視線がある。
深呼吸をひとつ。
アリスとして、扉を開ける。
教室の全員が、一斉にこちらを向いた。




