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完璧な悪女が、ひとりだけ騙せない  作者: 宵待 桜


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第一章 悪女の名前


アリス・シャルム。


心の中で、その名前を呼んだ。


声には出さなかった。


いや、出せなかったの間違いだ。


でも呼んだ瞬間、何かが決定的に変わった気がした。


靄が晴れるというより重い扉が音を立てて閉まるような感覚だった。


鏡の中の少女を見る。


深紅の髪。深紅の瞳。冷たく美しい顔。


アリス・シャルム。


私が読んでいた漫画の悪女。


幻惑魔法で人を操り、笑いながら人の心を壊す。


誰も愛さず、誰にも愛されず


最後は婚約者に殺される、哀れな悪役。


その顔が今、鏡の中にある。


私の顔として。


……私もしかして、転生した?


でもなぜ?


そうだ、思い出した。


私は殺された。


どんな理由だったのかはわからない。


目の前が暗くなる瞬間まで覚えている。


それなのに、なぜ目が覚めているんだろう。


なぜ別の誰かとして、朝の光の中に立っているんだろう。


死んだ人間は普通こんな風に目覚めない。


……なぜ、私なんだろう。


不思議と、パニックにはならなかった。


なれなかったのかもしれない。


あまりにも現実感がなくて、泣くとか叫ぶとか、そういう感情が追いついてこない。


ただ静かに、事実だけが積み重なっていく。


私はアリス・シャルムになった。


ここはセレニア王国で貴族の、それも侯爵家の娘として。


漫画で何度も見た場面が脳裏に浮かんでは消えた。


アリスが笑う場面。


アリスが人を操る場面。


アリスが婚約者に冷遇される場面。


そしてアリスが——


私は息を、ゆっくりと吐いた。


考えるのは後だ。


今は落ち着くのが先。


鏡の中の自分と目が合い、深紅の瞳が静かにこちらを見返している。


この顔は、悪女の顔だ。


でも今この瞬間、中身は悪女じゃない。


普通の名前もない、ただの読者だった私だ。


どうすればいい。


まず何をすればいい。


頭の中で、ひとつひとつ整理しようとした。でも考えがまとまる前に


「お嬢様」


ドアの向こうから、声がした。


凛とした、よく通る声と控えめなノックが二度。


心臓が跳ねた。


誰かが来たけど、誰なのかはわからない。


でも「お嬢様」と呼ぶということは使用人だ。


アリスの侍女か、あるいは執事か


「お嬢様、朝のお支度のお時間でございます」


声の質が、記憶の中の何かと重なった。


凛としていて、少し鋭くて。


この声は……ヴィヴィアン?


漫画で見た侍女頭の顔が浮かんだ。


アリスに心酔していて、忠誠心が強くて、毒舌で。


アリスのことを誰より知っている。


つまり、アリスに転生した私に対しての違和感を一番早く見抜く可能性がある人物。


どうする。


出てきてもらうしかない。


ここで返事をしなければ、それはそれでおかしい。


アリスはそういう人間じゃない。


私は一度、深呼吸をした。


鏡の中の自分をもう一度見る。


冷たく、完璧で、隙のない悪女の顔


これが今の私の仮面だ。


「入りなさい」


口から出た声は、思ったより落ち着いていた。


低くて、少し冷たいアリスの声だと思った。


体が覚えているのかもしれない。


アリスの十五年分の記憶がまだここに残っているのかもしれない。


ドアが、静かに開いた。


入ってきたのは予想通り茶髪の少女だった。


侍女の制服をぴしりと着こなして、髪を綺麗に結い上げている。


目が鋭く口元がきつい。


一目見ただけで油断のならない人間だとわかる。


ヴィヴィアンに間違いなかった。


彼女は私を見て、一礼した。


「おはようございます、お嬢様。よくお眠りになれましたか」


声は丁寧だけど目が笑っていない。


じっと私を見ている。


何かを確かめるような、品定めするような目だった。


……鋭いと思った。


私は内心で冷や汗をかきながら、アリスとして、つまり完璧に表情を動かさずに彼女を見返した。


「ええ」


短く答えた。それだけだ。


アリスはきっと、こういう人間だ。


余計なことは言わない。隙を見せない。


ヴィヴィアンは一瞬、何かを測るように私を見た。


ほんの一瞬だけ。


それからすぐに視線を外して、手際よく動き始めた。


カーテンを開ける。


朝の光が部屋に満ちる。


私はその光の中で、静かに息を吐いた。


今は乗り越えることができた。


でもこれはきっと、始まりに過ぎない。


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