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完璧な悪女が、ひとりだけ騙せない  作者: 宵待 桜


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第十六章 溢れる


事件は、夜会で起きた。


シャルム家として出席する今月二度目の夜会だった。


会場は王宮に近い大きな邸宅で、招待客も夜会の中では最も格の高い顔ぶれが揃っていた。


私はアリスとして、その場に立っていた。


いつも通り笑みを貼り付けて、視線を受けて、当たり障りのない言葉を返す。


消耗するけれど、もう慣れた。


慣れたはずだった。


「アリス・シャルム嬢」


声がした。


振り返ると、男がいた。


四十代くらいだろうか。


体格がよくて目が鋭い。


笑顔を作っているが、その目は笑っていない。


見覚えのない顔だから原作には出てこなかった人物だと思う。


「お噂はかねがね。シルヴェスト公爵の婚約者とは、なかなか大胆な令嬢だと」


大胆、という言葉に棘があった。


「光栄ですわ」


私は答えた。表情は動かさない。


「いや、褒め言葉ですよ。ところで——」


男が、少し近づいた。


「星詠みの会のことは、ご存知ですか」


心臓が、止まりそうになった。


でも表情は動かさなかった。


「さあ。存じませんわ」


「そうですか。ではもし興味があれば、ぜひ一度、お話しする機会を」


にこやかに言いながら、男は私の手を取った。


名刺を渡す、そういう動作だった。


でもその指が、少しだけ強く手首を掴んだ。


一瞬だけだけど、でも確かに力があった。


脅しだとすぐにわかった。


来い、ということだ。


断るな、ということだ。


胸の奥で、何かが動いた。


怒りでも恐怖でもない。


もっと根っこのところにある、何か


「失礼」


声がした。


低くて、静かな声。


咄嗟に男の手が私の手首から離れた。


ルシアンだった。


いつの間にか、隣に立っており男を見ている。


表情は動かないけど、その目が普段と違った。


温度がなくて、ただ冷たい。


「彼女は私の婚約者です」


それだけだった。


男は一瞬、ルシアンを見た。


それからすぐに笑顔を作った。


「これは失礼しました、シルヴェスト公爵。場所を弁えずに」


一礼して、去っていった。


私はその場に立ったまま、動けなかった。


手首が、まだじんじんしていた。


「……ありがとうございます」


小さく言った。


ルシアンは私を見なかった。


会場の奥を見ていた。


「あの男には近づかないように」


「……誰ですか」


「星詠みの会の幹部です」


星詠みの会。


リュセルヌが言っていた組織だ。


声織りを守る、と言っていた。


でもあの男の目は守る側の目ではなかった。


「公爵は、なぜ」


「今は聞かないでください」


そう言って、ルシアンは歩いていった。


また、それだけだった。


私はその場で息を整えようとした。


でも胸の奥のざわめきが収まらない。


あの手首の感触が、消えない。


じわじわと、感情が昂っていく。


駄目だ。落ち着かなければ。


ここは夜会で人目がある。


でも、気づいたときには遅かった。


視界が、少しだけ滲んだ。


自分の声ではない声が喉の奥から滲み出そうになった。


溢れてしまう


「こちらへ」


ルシアンに手を引かれた。


いつの間にか隣に戻ってきていた。


私の手首を、さっきとは違う優しい力で掴んで人気のない廊下へ連れ出した。


廊下へ出る扉が閉まり喧騒が遠くなった。


「息をしてください」


低い声だった。


「ゆっくり。焦らなくていい」


私は言われた通りに、息を吸って吐いた。


それをもう一度繰り返す。


じわじわと、ざわめきが引いていって視界が元に戻った。


しばらくして、ようやく口が開いた。


「……なぜ、戻ってきたのですか」


「顔色が変わっていたので」


「見ていたのですか」


「たまたま」


またその言葉だ。


この人はいつも、たまたま見ている。


「……ありがとうございます」


また言った。今日二度目だ。


ルシアンは答えずに私の手首から手を離した。


それだけだった。


でも廊下に二人きりで立ったまま少しの間、何も言わなかった。


「アリス嬢」


「何ですか」


「魔法の制御を、学んでください」


「……どこで」


「リュセルヌのところへは行かないように」


「では、どこへ」


ルシアンは少しだけ、間を置いた。


「私が、誰かを探します」


それだけ言って、会場へ戻っていった。


私はひとり廊下に残されて壁に手をついた。


膝が、少し震えていた。


夜会の真っ只中で魔法が溢れそうになった。


あと少しで、あと少しで取り返しのつかないことになっていた。


そしてルシアンが、戻ってきた。


公の場で初めて私を庇った。


……どういうことだろう。


答えはなかった。


ただ、手首の感触だけが残っていた。


強く掴まれた感触と、優しく引かれた感触との二つが同じ夜に重なっていた。


婚約破棄のことが遠い。


ずっと頭にあったはずなのに今夜だけは、それよりずっと近くに別の何かがある気がした。


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