第十四章 知っている目
リュセルヌの講義から三日が経った。
あの「声織り」という言葉が頭から離れない。
学術用語ではなく民話の呼び名を使った。
それは偶然だろうか…それとも。
ダメだ、考えすぎかもしれない。
でも考えずにはいられない。
そんなことを思いながら学院の廊下を歩いていると前から人が来た。
ルシアンだった。
また、だと思ったが今日は違った。
ルシアンの隣に見知らぬ男がいた。
三十代くらいの落ち着いた雰囲気の貴族だ。
二人で何か話しながら歩いてくる。
すれ違うだけだ、と思った。
公の場だからルシアンは私を無視するだけだ。
でも——
「シルヴェスト公爵」
隣の男が足を止めた。
「シャルム嬢がいらっしゃいますよ」
ルシアンが私を見た。
表情は動くことなく、いつも通りの何も映さない目だ。
「……シャルム嬢」
「公爵」
私も一礼した。
アリスとして完璧に。
「ご婚約者ですね。お噂はかねがね」
隣の男が、にこやかに言った。
社交的な笑顔で悪意はない。
でも品定めする目が、一瞬だけ走った。
「光栄です」
私は答えた。
ルシアンは何も言わなかった。
私の隣に立ちながら隣の男と視線を交わしただけだった。
婚約者を紹介するわけでも、庇うわけでも、何もしない。
ただそこにいて、存在を認めていない。
それがわかった瞬間、胸の奥が少しだけ重くなった。
……慣れなければいけない。
公の場では私はいないも同然。
それがこの婚約の形なのだ。
わかっていた。
わかっていたのに、なぜこんなに息が詰まるんだろう。
「では、失礼いたします」
私は一礼して、歩き出した。
すれ違いざまルシアンが、小さく口を開いた。
「リュセルヌの講義には、気をつけてください」
声は低くて、小さかった。
隣の男には聞こえない程度の。
私は足を止めそうになって堪えた。
振り返らなかった。
振り返ってはいけないと思い、そのまま歩き続けた。
角を曲がって人目がなくなってから、ようやく息を吐いた。
気をつけてください…か。
リュセルヌの講義に、気をつけてください。
ルシアンはリュセルヌを知っている。
それだけじゃない、警戒している。
あの穏やかな講師を危険なものとして見ている。
それをなぜ、それを私に言ったのだろう
公の場で誰にも聞こえないようにわざわざ。
ルシアンがわからない。
でもまた、引っかかった。
ルシアンは私を無視して、冷遇している。
なのにこういう場面でこういう言葉を投げてくる。
言動が矛盾している。
……ルシアンは、いったい何を考えているんだろう。




