第十一章 二度目の庭
リュセルヌと話してから数日が経った。
あの棘は、まだ胸の奥にある。
でも正体がわからない。
わからないまま日常が続いている。
学院に行って授業を受けて、アリスとして振る舞って帰る。
その繰り返し。
婚約破棄の次の手もまだ思いついていない。
手詰まりだ、と思いながら中庭のベンチに座っていると
「珍しいですね」
声がして、顔を上げた。
ルシアンだった。
なぜここに、と思った。
ルシアンはこの学院の卒業生だ。
今は公爵として、学院とは別の世界に生きている。
それがなぜ、昼間の中庭に。
で
も聞けなかった。
聞く前に彼は当然のように隣に腰を下ろした。
許可を求めない。
でも威圧もせず、ただ座った。
私は内心で戸惑いながら視線を前に戻した。
噴水の音だけが、二人の間に落ちた。
今日の静けさは茶会のときと少し違う気がした。
重くない。
ただ、静かだ。
「婚約破棄の件ですが」
ルシアンが口を開いた。
その言葉に心臓が跳ねた。
「まだ考えていますか」
「……考えています」
正直に答えてしまった。
取り繕う間もなかった。
ルシアンは少しだけ私を見た。
でも責める目ではなかった。
「そうですか」
それだけだった。
「……公爵は」
気づいたら、口が動いていた。
「なぜ断ったのですか。あなたにとっても、好都合だと思いますが」
言ってから、少し後悔した。
直接的すぎたかもしれない。
アリスならもっとうまく探りを入れるはずだ。
でも、ルシアンは表情を変えなかった。
「好都合ではありません」
「なぜ」
「それは言えません」
また、壁だ。
返す言葉が見つからなかった。
この人と話していると、いつもこうだ。
答えが返ってくるようで何も返ってこない。
「……意地悪ですね」
思わず、こぼれた。
ルシアンがわずかに、目を瞬かせた。
ほんの一瞬だけ。
でも確かに、その目が動いた。
驚いたのかもしれない。
「そうかもしれません」
静かな声だったけど、どこかに、ほんの少しだけ温度があった気がした。
「アリス嬢」
「何ですか」
「今日、顔色がいい」
脈絡のない言葉だった。
意味がわからなかった。
「……それは、どうも」
「夜会のときより、自然に見えます」
その言葉に驚いたが何とか表情には出さなかった。
自然に見えるということは、つまり仮面が薄くなっているということだ。
気を緩めていたのかもしれない。
この人の前で。
なぜ。
「公爵の前では、気を抜いてしまうようで」
皮肉のつもりで言った。
でもルシアンは笑わなかった。
「それは」
少しだけ間があった。
「悪いことではないと思います」
私は、彼を見た。
銀灰色の瞳が、まっすぐこちらを向いていた。
相変わらず、何を考えているかわからない目だけど敵意はない。
少なくとも今この瞬間、この目に敵意はない。
「……変な人ですね」
気づいたら、そう言っていた。
「よく言われます」
ルシアンは立ち上がった。
「では、また」
それだけ言って、歩いていった。
また、と言った。
社交辞令かもしれない。
貴族の挨拶として、ただそう言っただけかもしれない。
私はその背中を見送りながら、なぜか胸の奥が少しだけ軽くなっていた。
おかしい。
あの人はアリスを殺す人間だ。
警戒しなければいけない相手だ。
……なのに、なぜだろう。
あの人は一体、何をしたいのだろか。




