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完璧な悪女が、ひとりだけ騙せない  作者: 宵待 桜


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第九章 茶会の攻防


シルヴェスト公爵邸の応接間は、広かった。


天井が高い。窓が大きい。


中央に長いテーブルが置かれて、その周りに十人ほどの人間が座っている。


貴族の令嬢たち。その母親たち。


それから数人の若い貴族。


全員が品のいい笑顔を貼り付けて、紅茶のカップを手に持っている。


茶会だ。


これが本物の茶会。


私は入り口に立った瞬間、視線が一斉に集まるのを感じた。


夜会のときと同じだ。


でも夜会より距離が近い。


顔がはっきり見えて表情が読める。


やはり居心地が悪いと思った。


「アリス・シャルム嬢がいらしました」


使用人の声が響いた。


部屋の奥から、ルシアンが立ち上がった。


漆黒の髪。銀灰色の瞳。


無表情のまま、こちらへ歩いてくる。


「よく来てくださいました」


「お招きいただきありがとうございます」


完璧に隙なく、私も笑みを貼り付けて答えた。


ルシアンが、私の隣に立った。


「皆さん、私の婚約者のアリス・シャルム嬢です」


それだけだった。


紹介して、すぐに視線を外した。


私に向けて何かを言うわけでもなく、席を案内するわけでもなく、ただ紹介だけして自分の席へ戻っていった。


部屋の空気が、微妙に変わった。


笑顔は崩れない。でも目が動く。


値踏みする目。好奇心の目。


それから嫉妬の目も、いくつか混じっていた。


婚約者として、紹介された。


でも婚約者として扱われてはいない。


頭の中で何かが警鐘を鳴らした。


これは婚約破棄とは、真逆の方向だ。


「アリス・シャルム様、お噂はかねがね」


向かいに座った令嬢が甘い声で言った。


花の髪飾りがよく似合う笑顔の美しい令嬢だ。


でもその目が笑っていない。


「光栄ですわ」


私は答えた。


「どのようなお噂でしょう」


令嬢が、少し目を細めた。


「まあ、素敵な方だと。ルシアン様がお選びになっただけありますわね」


遠回しな嫌みだとわかった。


でも表情は動かさない。


「ありがとうございます」


それだけ返した。


ルシアンは隣にいたけとま私に話しかけなかった。


隣の貴族と低い声で言葉を交わして、紅茶を口に運んで、それだけだった。


婚約者がこの場でどう扱われているか気にしている様子すらなかった。


茶会は続いた。


話題は当たり障りのないことばかりだった。


季節の花。最近の夜会。


誰それの婚約の話。


私はその都度アリスとして答えた。


冷たく、でも礼儀正しく。


隙を見せない。ボロを出さない。


だからなのか体も心も消耗した。


じわじわと、確実に。


隣にいるのに遠い。


同じ場にいるのに存在を認めてもらえない。


それがこんなに重いとは思っていなかった。


「アリス嬢」


ふいに、ルシアンが口を開いた。


初めて、私に直接向けた言葉だった。


「少し、よろしいですか。話があります」


感情のない声だった。


気遣いではない。


ただ用件がある、それだけの声。


部屋の視線が、また集まった。


これは断れるはずがない。


「……ええ」


私は立ち上がった。


庭に出ると空気が変わった。


部屋の熱気と香水の匂いが消えて、静かな緑の匂いがして少し息が楽になった。


ルシアンは隣を歩いていた。


何も言わない。


ただ並んで、歩く。


私も黙っていた。


でも、このまま終わるわけにはいかない。


「公爵」


「何でしょう」


「なぜ、今日この場に私を呼んだのですか」


ルシアンが足を止めたので私も止まった。


向き合う形になった。


銀灰色の瞳がこちらをまっすぐ見ている。


「婚約者を紹介するのは、当然のことでしょう」


「……それだけですか」


「それだけです」


根拠はない嘘だと思った。


そう感じてしまった。


この人は何かを測っている。


私を、試している。


「そうですか」


私は視線を逸らさなかった。


「では一つ、お願いがあります」


ルシアンの目が、わずかに動いた。


「私との婚約を、解消していただけませんか」


言った。


言ってしまった。


しばらく沈黙が落ちて風が木の葉を揺らす音だけが聞こえた。


ルシアンは表情を変えなかった。


驚いた様子もない。


まるで予想していたような顔だった。


「理由を聞かせてください」


「……お互いのためになると思って」


「なりません」


即答だった。


「え」


「婚約は継続します。それが双方の家の合意です」


それだけ言って、ルシアンはまた歩き始めた。


「戻りましょう。皆が待っています」


私はその場に立ったまま、しばらく動けなかった。


あっさりと断られた。


こんなに、あっさりと。


まるで私の言葉が最初からなかったみたいに。


「アリス嬢」


ルシアンが振り返った。


「寒くはないですか」


……寒くはないですか。


今、私からの婚約破棄を断ったばかりで、その次の言葉が「寒くはないですか」。


この人は、何を考えているんだろう。


「……平気です」


私は歩き出した。


わからない。


まったくわからない。


でも一つだけ確かなことがあった。


簡単には、いかない。


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