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灰の牙と光の魔法  作者: 山崎某


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第二話 冒険者ギルド

 灰色の森を抜けてゆく風が、湿った土の匂いから、乾いた石と煤の匂いへと、少しずつその相貌を変えていく。


 アカリは、まだ足に馴染みきらない革靴で、砂利と石の混じる街道を踏みしめていた。背に負った荷は、重さそのものよりも、そこに詰まった一日の記憶のせいで、余計に肩へ食い込む気がする。

 けれど、遠くに砦の城壁が見え始めると、胸の奥で固まっていた何かが、わずかに緩んだ。


 ダフミ砦。

 灰色の石を積み上げた壁は、陽の傾きかけた空の下で鈍く光り、その上を兵がゆっくりと巡回している。城門前には荷車と人の列がゆるやかに伸び、怒鳴り声と笑い声が混じり合っていた。


 ここをくぐるのは、もう数度目になる。それでも、門を抜けるたびに「生きて戻った」という感覚が、身体の芯からじわりと立ちのぼるのは変わらない。


「顔、強ばってるぞ」


 隣を歩くロイが、低く言った。

 灰毛の猫獣人――耳も尾も、どこかくたびれた狼煙のような色をしている。その青年は、森の中と変わらぬ足取りで歩きながら、横目でアカリを一瞥する。


「え、そんなに変な顔してる?」


「変ってほどじゃねえけど、“まだ森に半分足残ってる顔”だな」


「……そりゃ、まだ慣れてないけどさ」


「慣れてねえ顔だってことには変わりねえ」


 ロイの耳が、風を払うように軽く動く。声音には揶揄が混じっているようでいて、慰める気もない。ただ、事実だけを突きつける戦場の言葉に似ていた。


 城門をくぐり、中層街へ入ると、湿った森の気配は完全に断ち切られる。石畳に打ちつける靴音、荷を運ぶ車輪の軋み、酒場の扉の隙間から流れ出る笑い声。匂いも、音も、色も、すべてが森とは別の世界だ。


「ロイって、こういうとこ慣れてるよね」


 アカリは、肩の痛みから気を逸らすように問いかけた。


「……似たような砦なら、いくつかはな」


「前のギルド支部って、どんな場所だったの?」


「小さい街だよ。名出すほどの価値もねえ」


 ロイはそこで言葉を切った。尻尾が一度、静かに揺れて止まる。それ以上は語る必要も、語る理由もないとでも言うように。


 アカリは、それ以上踏み込むのをやめた。問えば何か出てくるかもしれない。だが、それはたぶん、今の自分には受け止めきれない重さを持っている。


 二人は、石造りの建物が並ぶ通りを抜け、中層街の一角に建つ冒険者ギルドへ向かう。粗末な酒場と壁を接したその建物は、正面の看板こそ色褪せていたが、扉の向こうからは絶えず人の気配が漏れ出していた。


 ロイが重い扉を押し開ける。

 とたんに、酒と汗と革の匂い、甲冑の金具が触れ合う音、笑いと怒鳴り声が、一度に押し寄せてくる。


 アカリの肩が、わずかに強張った。

 この空間も、もう見知らぬ場所ではない。それでも、完全に慣れたと言うには、まだ幾度かの夜が足りない。


「行くぞ、アカリ」


「うん」


 ロイは短く告げ、人混みをかき分けて進んでいく。その背中は、猫科の獣らしい柔らかさを湛えながらも、刃物のような無駄のなさを宿していた。

 アカリは背負い袋を押さえ、見失わないよう、その影を追う。


 受付カウンターの向こうでは、栗色の髪を後ろで束ねた女が、帳簿の紙束を繰っていた。淡い緑の眼が二人に向けられ、ほんの刹那、値踏みするような冷ややかさがきらりと走る。それから、業務用の穏やかな表情へと整えられる。


「ロイさん、アカリさん。お帰りなさい。灰色の森・浅部の間引き依頼ですね?」


「ああ。指定された数は狩った」


 ロイは余計な言葉を挟まない。布袋を肩から外し、どさりとカウンターの上へ置いた。アカリも慌てて、自分の小さな袋をその隣へ滑らせる。


 受付の女――ネリスは、二人の名を当たり前のように呼ぶ。

 そこに親愛の色は薄い。だが、顔と名が記録され、帳簿のどこかの行に書き込まれていることだけは確かだった。


「では、中身を確認します。……失礼」


 ネリスは袋の口を解き、血に濡れた牙、皮の断片、濁った光を宿す小さな魔石を、手際よく卓上に並べていく。その指先には迷いがなく、価値の有無を問答無用で振り分けていく冷静さがあった。


「こちらの魔石、三つ。……少し表層が荒れていますね」


 彼女の視線が、アカリへと流れる。

 その一瞬の光の鋭さに、アカリの肩がびくりと揺れた。


「えっと……ちゃんと拾ってきたんだけど」


「拾ってきているだけで、まだ良い方ですよ。ただ、血や泥を拭き取るときは、こすらずに布を押し当てるようにしてください。表層の魔素膜が傷むと、査定が落ちます」


「押し当てる、ね。了解」


 アカリは心の中で、その手順を繰り返す。

 ネリスの声音は冷淡ではない。だが、温もりを混ぜてやる義理もないという風でもあった。彼女は、ここを出入りする無数の冒険者を見てきたのだろう。いちいち顔を覚え、気安く言葉を交わすほど、暇でも甘くもない。


 次に、ネリスの視線がロイの方へ滑る。


「……こちらは、傷が浅いですね。切断面も綺麗です。以前、他支部で納品されていた記録にある“ロイ”名義の素材と、傾向が似ています」


「癖なんて、そう簡単に変わんねえよ」


 ロイは淡々と返した。耳がかすかに揺れる。


「確認ですが、ロイさんは、以前は別支部で冒険者登録をされていた――ということで相違ありませんね?」


「ああ。このまんまのロイだ。向こうでの評価は、もう古い帳面の中だけだな」


「こちらの支部では、新人としての扱いになります。規約や依頼手順については、他支部経験者として大枠は理解している前提で進めますが、分からない点はその都度確認をお願いします」


 ネリスの言葉には、余計な情感はなかった。

 過去にどれだけ名を上げようと、この砦での価値はまだ空白だ――そう宣言しているに等しい。ギルドという仕組みは、そういう場だ。死人の武勇伝と同じくらい、他所の栄光を信用しない。


 ギルドの中でロイを特別視する目はない。

 せいぜい、「最近よく見る灰毛の猫獣人」として、数ある顔のひとつに数えられているにすぎない。


「ここ数日、灰色の森の浅部で、小型魔獣の群れが散発的に出没している報告が増えています」


 ネリスは数字を書き入れながら、事務的に告げた。


「街道沿いの見回りからも、追加の依頼がいくつか来ています。掲示板は明日、貼り替え予定です」


「やっぱ増えてるんだ……森の空気、前より落ち着かなかったもん」


 アカリが思わずこぼすと、ネリスは一瞬だけ視線を上げ、短くうなずく。


「そう感じられたなら、記録しておきます。――ロイさんは、どうでした?」


 問いかけに、ロイは少し目を細めた。森の中で気配を読む時の、獣じみた静かな鋭さが顔を出す。


「いつも濃いはずのとこで、臭いが薄かった。代わりに、浅い方に流れてた。“押し出されてる”感じだな」


「……参考になります」


 それ以上、ネリスは余計な質問を重ねない。

 ロイが猫獣人で、感覚が鋭いことは承知している。だがそれは、素材の値段と同じく、帳簿の端に小さく記す程度の情報にすぎない。


 やがて、帳簿への記入が終わる。ネリスは革袋を取り出し、硬貨を正確な数だけ放り込んだ。


「査定は以上です。素材の状態は標準、件数も依頼どおり。――報酬は、こちらになります」


 革袋がカウンターの上に置かれ、銀と銅の澄んだ音が、短く鳴る。

 アカリは両手でそれを受け取り、その重さを確かめた。森の影と血の匂いが、冷たい金属の感触へと変わって腕にのしかかってくるようだった。


「ありがと」


「明日、新しい依頼がいくつか掲示される予定です」


 ネリスの声が、変わらぬ調子で続く。


「灰色の森・浅部を対象にしたものが多いでしょう。経験を積むには向いています。受けるかどうかは……お二人の判断で」


「内容見てからだな」


 ロイが短く答えた。

 アカリも隣で、うなずく。森は怖い。だが、怖いからといって背を向け続ければ、ここで生きていく道はすぐに尽きるだろう。


「以上で、今回の報告は完了です」


 ネリスは、ひとつの案件を帳簿から切り離すようにそう告げると、すでに次の冒険者へ視線を移していた。

 ギルドにとって、アカリとロイは、数多の名もなき冒険者の列の中にいる、一本の線でしかない。


 カウンターから離れると、ざわめきが一段と耳に戻ってきた。酒場からは笑い声と歌。奥では椅子が倒れる乱暴な音が響く。誰かが怒鳴り、誰かが笑い飛ばし、誰かが黙って杯を傾けている。


「……なんか、あっさりだね」


 受付から少し離れたところで、アカリがぽつりと漏らした。


「生きて帰ったやつにかける手間なんて、そのくらいで十分だろ」


 ロイは、わずかに口の端を上げる。

 それが笑みなのかどうか、アカリにはまだ判別がつかない。


「死んで戻らなかったほうが、やること多い。名前に線引いて、荷物の処分書いて、遺族がいりゃ知らせて……そういう面倒だ」


「……うわ、それ絶対イヤ」


「だから、ここまで歩いて戻る。書かれる側じゃなくて、書かせる側の手間で済むうちにな」


 ロイの尻尾が、ようやく軽く揺れる。その動きにつられて、アカリの肩からも少しずつ強張りが抜けていく。


「とりあえず、飯。腹減ってると、明日の依頼まで重たく見える」


「さっき“多く見える”って言ってたけど?」


「同じだよ。空き腹は、なんでも大げさにする」


 ギルドの扉を押し開けると、外はもう夕闇に沈みかけていた。石畳の道に灯りが次々とともり、火の色が城壁を薄く染めている。


 自分はまだ、この砦では“新入りの冒険者”にすぎない。

 だが、掌に感じる報酬袋の冷たい重みと、隣を歩く灰毛の戦士の背中が、アカリの足を確かに前へ押し出していた。


 二人の一日は、まだ終わらない。

 そして明日、ギルドの掲示板にはまた新しい紙が貼られる。その紙の一枚が、自分たちの運命をどこへ引きずっていくのかを、アカリはまだ知らない。だが、その知らなさの中にこそ、彼女の歩むべき場所があるのだと、ぼんやりと思い始めていた。

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