4-4
ゴーレムの巨大な拳が、俺たちに向かって振り下ろされた。
ドゴォォォン!
俺は咄嗟に盾を構えて防御した。
でも――
その衝撃は、想像を遥かに超えていた。
ガキィィィン!
金属が軋む音。
俺の体が、まるで木の葉のように吹き飛ばされた。
「うわあああっ!」
背中から岩にぶつかり、肺から空気が全て押し出される。
「蒼太さん!」
陽菜さんの悲鳴が聞こえた。
俺は必死に立ち上がろうとするが――体が動かない。
腕が痺れている。
盾を持つ左腕が、完全に感覚を失っている。
(くそ……こんなに強いのか……!)
ゴーレムがゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
ズシン、ズシン――
その足音が、絶望の鐘のように響く。
◇◇◇
「蒼太さん、大丈夫ですか!?」
陽菜さんが俺に駆け寄ろうとする。
「来ないでください! 危ない!」
俺は必死に叫んだ。
でも――体が動かない。
盾は変形して使い物にならない。
剣はまだ持っているが――
さっきの攻撃で、完全に戦意を削がれていた。
(こんな化け物――俺じゃ勝てない……)
ゴーレムが再び拳を振り上げる。
今度は――避けられない。
俺は――
目を閉じた。
その瞬間――
「蒼太さん!」
陽菜さんの叫び声。
そして――
不思議な風が吹いた。
◇◇◇
ゴゴゴゴ――
ゴーレムの動きが、一瞬鈍った。
まるで――強い向かい風に押されているかのように。
「……え?」
俺は驚いて目を開けた。
陽菜さんが――
両手を前に突き出して、必死の表情で立っている。
彼女の周囲に、淡い緑色の魔力が渦巻いている。
風魔法――
「陽菜さん……!」
「蒼太さん、今です! 立ってください!」
陽菜さんが叫ぶ。
その声に――俺は我に返った。
そうだ。
諦めるな。
陽菜さんが――こんなに必死に戦ってるのに。
俺が諦めてどうする――!
◇◇◇
俺は歯を食いしばって立ち上がった。
左腕はまだ痺れているが――右手は動く。
剣を握りしめる。
「陽菜さん、ありがとう……!」
「蒼太さん、3秒後に右から拳が来ます!」
陽菜さんが叫ぶ。
「え? 何で分かるんですか!?」
「風の動きです! 気流が教えてくれます!」
その言葉に――俺は驚愕した。
彼女は――風魔法で敵の動きを読んでいる。
目が見えないのに――
いや、目が見えないからこそ――
風という「見えないもの」を完璧に感じ取れるんだ。
「3……2……1――今!」
陽菜さんの声と同時に、ゴーレムの右拳が迫ってくる。
でも――もう驚きはない。
俺は横に転がって回避した。
ドゴォン!
拳が地面を砕く。
でも――当たらなかった。
「すごい……本当に当たる場所が分かる……!」
俺は感動した。
陽菜さんが続けて叫ぶ。
「次は左から! 5秒後です!」
「分かりました!」
俺は陽菜さんの指示を信じて動く。
5秒――
4秒――
3秒――
2秒――
1秒――
今!
俺はまた横に転がった。
ドゴォン!
またしても、拳が空を切る。
「蒼太さん、私が風魔法で動きを鈍らせます!」
陽菜さんが両手を突き出す。
「その隙に――核を狙ってください!」
「核……?」
「胸の中央です! 赤く光ってる場所!」
俺はゴーレムの胸を見た。
確かに――胸の中央に、赤く光る石のようなものが見える。
あれが――弱点か。
「行きます!」
陽菜さんが魔力を集中させる。
彼女の周囲の風が、さらに激しく渦巻き始めた。
「【ウインド・バインド】!」
その瞬間――
ゴーレムの全身に、見えない風の鎖が巻きつく。
ゴゴゴ――
ゴーレムの動きが、完全に止まった。
「今です、蒼太さん!」
その声を聞いて――
俺は走り出した。
◇◇◇
剣を握りしめて、ゴーレムに向かって走る。
左腕はまだ痺れているが――右手に全ての力を込める。
(陽菜さんが――こんなに頑張ってくれてる)
(俺も――負けるわけにはいかない!)
俺はゴーレムの胸に剣を突き刺した。
ガキィン!
でも――表面の岩が硬すぎる。
刃が弾かれた。
(くそ……!)
「蒼太さん、もう一度です! 今度は――」
陽菜さんが叫ぶ。
「私の風魔法で、剣を加速させます!」
「え!?」
「信じてください!」
その言葉に――俺は頷いた。
「……分かりました!」
俺は再び剣を構える。
陽菜さんが魔力を集中させる。
そして――
「【ウインド・ブースト】!」
その瞬間、俺の背中に強烈な風が吹いた。
まるでロケットのように――俺の体が前に押し出される。
剣を握る腕に、凄まじい力が加わる。
「うおおおおおっ!」
俺は全力で剣を突き出した。
ガキィィィン――
今度は――
剣が、ゴーレムの胸の岩を貫いた。
赤く光る核に――
剣の切っ先が届く。
パリン――
核が、砕けた。
◇◇◇
ゴォォォォ――
ゴーレムの全身から、光が失われていく。
巨大な体が、ゆっくりと崩れ落ちる。
ズシン――
地面に倒れ込む音。
そして――
静寂。
俺は――
膝をついた。
全身の力が、一気に抜けていく。
「や、やった……のか……?」
俺は信じられない気持ちで呟いた。
陽菜さんも――その場に座り込んでいた。
彼女も完全に疲れ果てている。
でも――
その顔には、満足そうな笑みが浮かんでいた。
◇◇◇
「蒼太さん……勝ちましたね」
陽菜さんが嬉しそうに言う。
「ええ……陽菜さんのおかげです」
俺は心から言った。
「陽菜さんがいなければ――俺、負けてました」
「そんなことありません」
陽菜さんが首を横に振る。
「私も――蒼太さんがいなければ、何もできませんでした」
「二人で――一緒に戦えたから、勝てたんです」
その言葉に――
俺は思わず、陽菜さんの手を握った。
彼女の手が、少し驚いたように震える。
でも――離さない。
「……ありがとう」
それだけ言うのが、精一杯だった。
陽菜さんが、小さく微笑む。
「こちらこそ」
◇◇◇
しばらく休憩した後、俺たちは再び歩き始めた。
体はまだ疲れているが――心は軽い。
「陽菜さん」
「はい?」
「さっきの風魔法――すごかったです」
俺は正直に言った。
「どうやって、敵の動きを読んだんですか?」
「風の流れです」
陽菜さんが微笑む。
「ゴーレムが動くと、空気が動きます」
「拳を振り上げる時、風が上に流れる」
「拳を振り下ろす時、風が下に流れる」
「その流れを感じ取れば――次の動きが分かるんです」
俺は感嘆した。
「すごい……それを、戦闘中に瞬時に判断してたんですね」
「はい。でも――」
陽菜さんが少し照れたように頬を染める。
「蒼太さんが、私の言葉を信じてくれたから」
「だから、できたんです」
その言葉に――
俺も嬉しくなった。
「これからも――一緒に戦いましょう」
「お互いを信じて、支え合って」
「……はい」
陽菜さんが微笑む。
そして――
俺たちは手を取り合った。
◇◇◇
岩場を抜けると、視界が一気に開けた。
そこには――
信じられないような光景が広がっていた。
第二十九層「高山植物帯・最終エリア」。
標高二千六百九十メートル。
ここは――まさに天国だった。
岩場の隙間から、無数の高山植物が咲き誇っている。
イワギキョウの紫青――
過酷な岩場の隙間で凛と咲くその姿は、まるで陽菜さんを思わせる強さと美しさだった。
ハクサンイチゲの純白、チングルマの白から淡紅へと変化する花びら、ミヤマキンバイの黄金色――
色とりどりの花々が、岩と残雪の隙間を彩っている。
「すごい……」
俺は思わず呟いた。
「陽菜さん、ここは――」
陽菜さんが深く息を吸い込む。
「ああ……この香り」
彼女が目を閉じて、風に顔を向ける。
「イワギキョウとハクサンイチゲが混ざった香り……」
「祖母がね、『この二つが一緒に咲く場所は、天国に一番近い』って」
陽菜さんの声が震える。
「ここまで――本当に、来られたんですね」
彼女の頬を、一筋の涙が伝った。
俺は――何も言えなかった。
ただ――彼女の隣に座って、静かに寄り添った。
風が優しく吹いている。
花の香りが漂ってくる。
そして――
遠くに、山頂が見えた。
あと少し――
本当に、あと少しだ。
◇◇◇
「蒼太さん」
「はい?」
「ここまで――本当に、来られたんですね」
彼女の頬を、一筋の涙が伝った。
俺は何も言えなかった。
ただ――彼女の隣に座って、静かに寄り添った。
そして――そっと、陽菜さんの肩に手を置いた。
陽菜さんが、小さく頷く。
言葉はいらない。
この瞬間を――二人で、静かに分かち合うだけでいい。
「陽菜さんと出会えて――本当に良かった」
「陽菜さんが教えてくれました」
「本当に大切なものは、目で見るものじゃないって」
「心で感じるものなんだって」
陽菜さんが俺の方を向く。
焦点の合わない灰色の瞳が――でも、確かに俺を見つめているような――
「蒼太さん」
「はい?」
「私――」
陽菜さんが何か言いかけて――
でも、言葉を飲み込んだ。
「……山頂で、お話ししましょう」
その言葉に――
俺も頷いた。
「はい。山頂で」
二人で――
手を取り合って、立ち上がる。
そして――
最後の道のりへと、足を踏み出した。
◇◇◇
でも――
その時。
突然、遠くから美しい音色が聞こえてきた。
風鈴のような――いや、もっと神秘的な音。
まるで――
天国から響いてくるような、透明感のある旋律。
「……何ですか、今の」
陽菜さんが不思議そうに首を傾げる。
「すごく綺麗な音……」
「俺にも聞こえます」
俺は山頂の方を見た。
そこには――
淡い光が漏れているような――
まるで、何かが俺たちを呼んでいるかのような――
「山頂に――何かいるのかもしれません」
俺は陽菜さんに言った。
「でも、怖くはないです」
「むしろ――優しい気配がします」
陽菜さんも頷く。
「はい。私も――そう感じます」
二人で顔を見合わせて――
微笑み合った。
そして――
俺たちは、山頂への最後の一歩を踏み出した。
そこで――
何が待っているのか。
どんな出会いがあるのか。
まだ分からない。
でも――
怖くはなかった。
陽菜さんと一緒なら――
どんな困難も、乗り越えられる。
そう――
心から信じていたから。




