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13/16

4-3

 朝日が頂上小屋の窓から差し込んできた。


 俺、橘蒼太は寝袋の中で目を覚ました。



 一瞬、何かが足りない――そんな感覚があった。


 そうだ。


 アストラルと、ククルがいない。



 昨日、彼らは下山していった。


 俺たちに「二人だけの時間」を与えるために。



「……蒼太さん、起きてますか?」


 陽菜さんの声が聞こえた。


 彼女はすでに寝袋から出ていて、窓の近くに座っている。



「ああ、起きてます」


 俺も寝袋から這い出して、彼女の隣に座った。



「今日は……いよいよ山頂ですね」


 陽菜さんが微笑む。


 その表情には、期待と少しの不安が混じっていた。



「ええ。絶対に、辿り着きましょう」


 俺は力強く言った。



「一緒に」


 陽菜さんが俺の方を向く。


 焦点の合わない灰色の瞳が――でも、確かに俺を見つめているような――


「……はい。一緒に」



 彼女が手を伸ばしてくる。


 俺はその手を、優しく握った。


 細くて、少し冷たい手。


 でも――確かに、温かい命が宿っている手。



 ◇◇◇



 朝食を済ませて、出発の準備を整える。



 標高二千六百六十メートル。


 ここから先は、岩と残雪だけの世界。


 気温も一段と低く、防寒装備をしっかり確認する必要がある。



「陽菜さん、上着はちゃんと着てますか?」


「はい。でも――」


 陽菜さんが少し遠慮がちに言う。



「少し寒いかもしれません」


 俺は自分の予備のフリースを取り出した。


「これ、着てください」


「でも、蒼太さんが寒くなるんじゃ……」


「俺は大丈夫です。動いてれば温まりますから」



 陽菜さんが少し迷ってから――受け取ってくれた。


「……ありがとうございます」


 彼女がフリースを着ると、少し大きすぎて可愛らしい。


 袖が余っていて、まるで子供が大人の服を着ているみたいだ。



「似合ってますよ」


 俺が思わず言うと、陽菜さんが頬を染めた。


「そんな……見えないから分かりませんけど」



「でも――蒼太さんの服、温かいです」


 その言葉に、俺の胸も温かくなった。



 ◇◇◇



 頂上小屋を出ると、目の前に険しい道が広がっていた。


 第二十六層。


 標高二千七百メートル相当の極寒地帯。


 岩と残雪が混在する、過酷な環境。



 でも――


 俺たちは、決意を胸に一歩を踏み出した。


「行きましょう、陽菜さん」


「はい」



 二人で、手を取り合って。


 山頂という、共通の目標に向かって――



 ◇◇◇



 岩場は予想以上に険しかった。


 陽菜さんは一歩ごとに、慎重に足を進めている。



「蒼太さん」


 彼女が立ち止まる。



「この空気……薄くて、冷たくて——」


「肺に入れても、すぐに足りなくなる感じがします」



 陽菜さんが膝に手をついて、深呼吸をする。


「それに、足元の感触も変わりました」


 彼女がトレッキングポールで地面を軽く叩く。



「さっきまでは土の柔らかさがあったのに」


「今は、岩の硬さだけ」



「まるで——山が、私たちを試してるみたいです」



 俺も同じように深呼吸をした。

 確かに——空気が薄い。

 息を吸っても、酸素が足りない感覚。



(陽菜さんは、この過酷な環境を——)


(空気の薄さ、足元の硬さ、全身で感じ取ってるんだ)



 ◇◇◇



 しばらく登っていると、陽菜さんの足取りが重くなってきた。


 標高が高くなるにつれて、空気が薄くなっている。


 呼吸も苦しくなってくる。



「陽菜さん、大丈夫ですか?」


「はい……少し、息が……」



 彼女が立ち止まって、深呼吸をする。


 俺も同じように息を整えた。



「無理しないでください。ゆっくり行きましょう」


「すみません……私のせいで」


「謝らないでください」


 俺は真剣に言った。



「俺たちは一緒に登ってるんです」


「お互いのペースで、お互いを支え合いながら」


 その言葉に、陽菜さんが微笑んだ。


「……ありがとうございます」



 ◇◇◇



 岩場の途中に、少し平らな場所を見つけた。



「ここで休憩しましょう」


 俺たちは岩に腰を下ろした。


 風は冷たいが、陽光が温かい。


 雲海が眼下に広がり、まるで天空にいるような感覚だった。



「今、どんな景色ですか?」


 陽菜さんが尋ねる。


 俺は少し考えてから答えた。



「雲海が、ずっと下の方に広がってます」


「白くて、ふわふわしてて――まるで綿のような」


「太陽の光が雲を照らして、金色に輝いてる」


「それから――」



 俺は遠くを見る。


「遠くに、他の山々が見えます」


「雪を被った山頂が、青い空に映えてる」



 陽菜さんが目を閉じて、風に顔を向ける。


「……見えます」


「雲の柔らかさ、太陽の温かさ、山々の雄大さ」


「全部、心で感じられます」



 その言葉に――


 俺は改めて思った。



 陽菜さんが教えてくれた。


 本当に大切なものは、目で見るものじゃない。


 心で感じるものなんだ。



 写真も——同じだ。


 美しい景色を「見せる」のではなく、


 心を動かす瞬間を「感じてもらう」。


 それが——俺がこれから撮りたい写真だ。



 ◇◇◇



「蒼太さん」


「はい?」



「昨日、アストラルさんが言ってましたよね」


 陽菜さんが少し照れたように言う。


「『山頂で、ちゃんと想いを確かめろ』って」


 その言葉に、俺の心臓が激しく鼓動した。


「ええ……」



「蒼太さんは――」


 陽菜さんが俺の方を向く。


「私のこと、どう思ってますか?」



 突然の質問に、俺は戸惑った。



 心臓が激しく鼓動する。

 正直に答えたい。

 でも――



 アストラルが言っていた。


「大事な想いは、大事な場所で伝えるべきだ」と。



 山頂で――

 あの特別な場所で、ちゃんと伝えたい。


 今は――



「……陽菜さんは、俺にとってとても大切な人です」


 俺は慎重に言葉を選ぶ。


「出会ってから、まだ数日しか経ってないけれど」


「でも――もう何年も一緒にいるような気がします」



「陽菜さんの笑顔を見ると、胸が温かくなる」


「陽菜さんが悲しんでいると、自分も悲しくなる」


「一緒にいたい――そう心から思います」



「でも――」


 俺は一度言葉を切る。



「この想いの名前は――山頂で、ちゃんと伝えさせてください」


 陽菜さんが少し驚いたように目を見開く。


「山頂……ですか?」


「はい。あの特別な場所で」


 俺は真剣に言った。



「陽菜さんと、二人きりで」


「ちゃんと、向き合って」



 陽菜さんの目が潤んだ。


「……分かりました」


 彼女が小さく微笑む。



「私も――山頂で、蒼太さんに伝えたいことがあります」


 その言葉に――

 俺の胸が高鳴った。



 二人で手を握り合う。


 まだ言葉にはしない。

 でも――お互いの想いは、もう伝わっている。



 山頂で――

 ちゃんと、言葉にしよう。



 ◇◇◇



 休憩を終えて、俺たちは再び歩き始めた。

 

 第二十六層から第二十七層へ――


 岩場はさらに険しくなっていく。


 

 でも、二人で支え合いながら、一歩ずつ確実に前進していく。

 

 陽菜さんの手は、もう冷たくない。


 俺の手も、彼女の温もりで温かい。


 

「もうすぐですね」


 陽菜さんが微笑む。


「ええ。山頂まで――あと少しです」


 

 そして――

 俺たちは第二十八層への道を歩き始めた。


 

 その時――

 遠くから、地響きのような音が聞こえてきた。


 

 ゴゴゴゴ――

 

 岩が揺れている。

 何かが――近づいてくる――



「蒼太さん!」


 陽菜さんが叫ぶ。


「何か、来ます!」


「大きくて――重くて――」



 俺は慌てて立ち上がった。


 前方の岩陰から――


 巨大な影が現れた。



 それは――


 岩そのものが動いているような、恐ろしい存在だった。


 体高三メートルはあろうかという、巨大な人型の岩の塊。


 両腕は丸太のように太く、拳は岩の塊。


 顔らしき部分には、赤く光る二つの眼だけがある。



 ストーンゴーレム――


 Cランクの白いモンスター。



 でも――


 今は観光シーズンのはずだ。


 黒いモンスターボスは休眠期のはずなのに――


(なぜ、Cランクのモンスターがここに……!)



 ゴーレムが、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。


 ズシン、ズシン――


 その足音が、地面を揺らす。


 俺は剣を抜いた。


 陽菜さんを、守らなければ――



「陽菜さん、俺の後ろに!」


「でも――」


「大丈夫です! 俺が何とかします!」


 俺は必死に叫んだ。



 ゴーレムが――


 ゆっくりと、拳を振り上げた。


 そして――


 次の瞬間――


 その拳が、俺たちに向かって振り下ろされた――!

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