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4-2

 第二十五層「頂上小屋」に到着したのは、夕方近くだった。


 標高二千六百六十メートル。

 山頂直下に建つ小さな避難小屋が、オレンジ色の夕日に照らされている。



 俺、橘蒼太は――この景色を見ながら、複雑な気持ちだった。


 ここで――


 アストラルと、別れることになる。



「……着いたな」


 アストラルが小屋の前で立ち止まる。



 陽菜さんも、俺も――何も言えなかった。


 たった数日間の旅だったけれど――


 この影のヒーローは、俺たちにとってかけがえのない存在になっていた。



「中に入ろう。今夜はここで休む」


 アストラルがマントを翻して、小屋の扉を開ける。



 ◇◇◇



 頂上小屋の中は、最低限の設備しかなかった。


 寝袋が数枚、非常食の備蓄、そして小さな暖房器具。


 でも――悪天候から身を守るには十分だった。



「ここが、俺たちの最後の夜か……」


 アストラルが窓の外を見つめながら呟く。


 陽菜さんが寂しそうに言う。



「アストラルさん……本当に、ここでお別れなんですね」


「ああ」


 彼が頷く。



「明日の朝、お前たちが山頂に向かう時――俺とククルは下山する」



 風が優しく吹いた。


 まるで――


 見えない誰かが、寂しそうに泣いているかのように。


「ククルちゃんも……寂しがってますね」


 陽菜さんが何もない空間に向かって微笑む。



「私も、寂しいです」


「蒼太さんと出会えて、アストラルさんとククルちゃんと出会えて――」


「この旅は、私の宝物になりました」



 その言葉に――


 アストラルの声が少し震えた。


「……俺も、だ」



 ◇◇◇



 夜。


 小屋の中で、三人は暖房の周りに座っていた。


 外は冷たい風が吹いているが、中は温かい。


 でも――心は、どこか寂しかった。



「なあ、蒼太」


 アストラルが口を開いた。



「お前に、一つだけ伝えておきたいことがある」


「はい?」


「陽菜さんを――頼む」


 その言葉に、俺は驚いた。



「俺は途中までしか一緒に行けなかった」


「でもお前なら――最後まで、彼女と一緒に歩ける」


 アストラルが真剣な表情で続ける。



「守るんじゃない。一緒に歩くんだ」


「陽菜さんは強い。でも、時には弱さも見せる」


「そういう時――ちゃんと支えてやれよ」



「……はい」


 俺は力強く頷いた。


「必ず」



 陽菜さんが頬を染めながら小さく呟く。


「……ありがとうございます、アストラルさん」


「でも私も――蒼太さんを支えたいです」


「二人で、一緒に」



 その言葉に――


 アストラルが優しく笑った。


「ああ。それでいい」



 ◇◇◇



 少しの沈黙の後――


 陽菜さんが尋ねた。



「アストラルさん」


「ん?」


「東京に帰ったら――どうされるんですか?」


 その質問に、アストラルが少し考えた。



「……仲間のところに戻る」


「東京で待っててくれる奴らがいるからな」



 彼が何もない空間を見る。


「それに――ククルとも、まだやることがある」


 風が優しく吹く。



「困ってる人を助けて、悪党を倒して――」


 アストラルが遠くを見つめる。


「ヒーローとして、やるべきことは山ほどある」



「かっこいいですね」


 陽菜さんが微笑む。



「きっと、また多くの人を助けるんですね」


「まあな」


 アストラルが照れたように言う。


「それが――俺の役目だからな」



 彼が少し声のトーンを変えて、優しく続ける。


「でも――今回の旅で、俺も学んだんだ」


「ヒーローってのは、戦うだけじゃない」


「寄り添うこと、見守ること――それも大切なんだってな」



 その言葉に、俺は胸が熱くなった。


(この人は――本当のヒーローだ)


(俺も――いつか、こんな風に――)



 ◇◇◇



 夜が更けていく。


 陽菜さんは先に寝袋に入り、静かな寝息を立て始めた。



 俺とアストラルは――まだ起きていた。



「……アストラルさん」


「ん?」


「一つ、聞いてもいいですか」


「何だ?」



 俺は迷ったけれど――聞くことにした。


「アストラルさんは――どうしてヒーローを続けているんですか?」


 その質問に、アストラルが少し驚いたように俺を見た。



「……大変なこともあると思うんです」


「危険なことも、辛いことも」


「それでも――どうして」


 アストラルが窓の外を見つめる。


 月明かりが、彼の白い仮面を照らしている。



「……俺も昔は、弱かった」


「誰かを守ることもできなかった」


 アストラルが窓の外を見つめたまま、静かに続ける。



「少し前に――ある少女と出会ったんだ」


「その子は、ずっと裏切られ続けてきた」


「家族にも、友人にも、信じた人全てに」


 彼の声が、少し震える。



「だから――その子は、人を信じられなくなった」


「裏切られる側から、裏切る側に回ろうとした」


「俺は――その子を救おうとした」


 アストラルが拳を握りしめる。



「『ヒーローは助ける人を選別しない』――そう信じて」


「でも――」


 彼の声が、さらに沈む。



「間に合わなかった」


「俺の目の前で――その子は、利用していた相手に殺された」


「最期の言葉は『もっとはやく、あなたに会いたかった』だった」



 俺は――息を呑んだ。


 そんな悲しい出来事が――



「それから、俺は誓ったんだ」


 アストラルが顔を上げる。



「二度と――誰も見捨てない」


「どんなに遅くても、諦めずに手を伸ばし続ける」


「それが――俺がヒーローを続ける理由だ」


「あの子が最後に見せてくれた『信じる心』を――無駄にしないために」



 その言葉に――


 俺の胸が熱くなった。


 アストラルは――


 誰かを救えなかった後悔を、力に変えているんだ。



「だから――お前たちには、幸せになってほしい」


 アストラルが俺を見る。


「俺が救えなかった誰かの分まで」


「大切な人と、ちゃんと想いを伝え合って――一緒に笑ってほしいんだ」



 その言葉に――


 俺の胸が熱くなった。


 アストラルは――あの子を救えなかった後悔を背負いながら、それでも前を向いている。


 そして、俺たちに――幸せになってほしいと願ってくれている。



「……アストラルさん」


 俺は真剣に言った。


「俺も、諦めません」


「陽菜さんを――最後まで支えます」



「そして――」


 俺は拳を握りしめる。


「アストラルさんが救えなかった誰かの分まで」


「俺は、陽菜さんと一緒に――幸せになります」



 アストラルが少し驚いたように俺を見た。


 そして――満足そうに頷く。


「……ああ。それでいい」


「お前なら、できる」


「もうすでに――お前は陽菜さんにとってのヒーローだからな」



 その言葉に――


 俺は少し照れくさくなった。



 でも――心の中で誓った。


 必ず、陽菜さんを幸せにする。


 それが――アストラルの想いに応える、唯一の方法だから。



 ◇◇◇



 翌朝。


 朝日が小屋の窓から差し込んできた。



 ついに――別れの時が来た。


 陽菜さんが起きて、俺たちも準備を整える。


 アストラルがザックを背負い、マントを翻す。



「じゃあな、二人とも」


 彼が最後の言葉を告げる。


「山頂で――最高の景色を『感じて』こい」



「そして――」


 アストラルが俺を見る。


「ちゃんと、想いを伝えろよ」


「……はい」


 俺は力強く頷いた。



 陽菜さんが何もない空間に向かってお辞儀をする。


「ククルちゃん――ありがとう」


「あなたと出会えて、本当に嬉しかったです」



 風が強く吹いた。


 そして――


 陽菜さんの頬を、優しく撫でた。



「……ククルちゃん、泣いてますね」


 陽菜さんが涙を浮かべて微笑む。


「私も、泣きそうです」



 俺も――目頭が熱くなった。


 アストラルが最後にこう言った。



「いつか――また会おう」


「その時は――お前たちの成長した姿を見せてくれ」


「はい!」


 俺と陽菜さんは、同時に答えた。



 ◇◇◇



 アストラルが小屋を出て、下山の道を歩き始める。


 黒いマントが風になびいている。


 俺たちは――その背中を、じっと見つめていた。



 やがて――


 アストラルの姿が、岩陰に消えた。


 風だけが、静かに吹いている。



「……行っちゃいましたね」


 陽菜さんが寂しそうに呟く。


「ええ」


 俺も頷いた。


「でも――俺たちには、まだやることがある」



「山頂まで――一緒に行きましょう」


 陽菜さんが微笑んで、俺の手を握った。


「はい」



 こうして――


 俺たちは、二人だけになった。


 アストラルとククルの想いを胸に――


 最後の道のりへと、足を踏み出した。



 山頂まで――あと少し。


 そこで――


 俺は、ちゃんと伝えるんだ。


 この想いを――

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