一話 母さんの秘密
「リヴィアったら、まーたケンカしたんですって? かわいい顔して気が強いとこは、昔の母さんそっくりね」
「だってあいつ、わたしが母さんに似てないとか、もらいっ子だとか言うから! 確かにあいつんちは、家族全員そっくりだけど!」
「やあねぇ、リヴィアは母さん似よ。そりゃ、ちょっと髪と目の色は違うけど」
母さんは朝食の用意をしながら、琥珀色の目を細めて笑った。
わたしはリヴィア。マルテ王国の王都、庶民街のアパルトマンでクレア母さんと二人暮らしの十六歳、治癒院で見習いとして働いている。髪はストロベリーブロンドで目は苺色という珍しい色合いで、肌は透き通っていて自分でも不思議なほど整った顔をしている。まあ、我ながらかなりかわいい。治癒院では患者さんに声をかけられすぎて仕事に支障が出、ほおっかむりにマスク、伊達メガネで通しているくらいだ。
ぶっちゃけ、めんどくさい。こんな派手で目立つ配色より、母さんと同じ、くすんだ金髪に琥珀色の目が良かったと、子どものころから何回思ったかしれない。
可愛い可愛いと言ってくれる母さんには言えないけれど。
女手一つでわたしを育ててくれて、大変だろうにいつも明るくて朗らかで少しおっちょこちょいな母さんが、わたしは大好きだった。
「……治癒院の仕事は大変じゃない? 中等学校を卒業してすぐに働き出さなくても、珍しい治癒魔法適正があったんだから、魔法学園に行ってもよかったのよ? そのくらいの蓄えは母さんにもあるんだから」
「またその話? 魔法学園て全寮制なんでしょ? そんなとこに進学しちゃったら、母さんと一緒に暮らせないじゃない。わたしはこれからいーっぱい親孝行するんだから」
冗談めかして言ったわたしに、母さんは苦笑しかけて――ふらり、とよろめいた。
「母さん? どうしたの、大丈夫?」
「だい、じょ……う……」
額を押さえて椅子に捕まった母さんの顔が、みるみるうちに真っ白になっていく。
「大丈夫じゃないでしょ!? 母さん!?」
慌てて椅子から立ち上がったわたしの前で、母さんは崩れ落ちるように倒れた。
「母さん! 母さん、しっかりして!」
呼びかけても、母さんの意識は戻らない。息はある。心臓も動いている。けれどどちらもいつもよりずっと細くたよりなく、体温もさがってきている。
どうしようどうしよう……いや落ち着くのよわたし。
わたしは何とか母さんを背負うと、治癒院へと向かった。
◇◇◇
「……残念だが、わしの手には負えないよリヴィア。こんな……外傷もなく、急に意識を失って……体温も脈拍も血圧も限界以下まで落ちている。それなのに生きている。わしに思い当たる病名はないんだ」
治癒院のじいちゃん先生の言葉に、わたしは足下がグニャリとゆがんだ気がした。
このままじゃ……母さんが、母さんが死んじゃう。
青くなって震えるわたしを、看護師長がうかがうように見た。
「ねぇ、リヴィアちゃん……あなたのお父さん、貴族だったってクレアから聞いたことがあるの。頼れないかしら? 貴族を診る医師なら、あたしたちが知らないことも知っているかもしれないわ」
思いがけない言葉に、わたしは言葉を失った。
母さんからは、父の話なんて一度も聞いたことがなかった。
でも、それで母さんが助かる可能性があるなら。
わたしはアパルトマンに駆け戻ると、母さんの荷物をひっくり返し、タンスの奥から古びた手紙と、見慣れないペンダントを見つけた。
手紙には「サイゼル」の文字と、ペンダントには家紋。
……これ、まさか。
「サイゼル子爵……?」
庶民のわたしは、貴族街なんて行ったこともない。聞いたこともない名前だった。
それでも。
「母さん、ごめんね。母さんが隠してたのは分かってるけど……許して」
◇◇◇
貴族街は白い石畳が眩しくて、庶民の茶色い靴が浮いて見える。あちこちで訪ねて、サイゼル子爵の屋敷を見つけたときには、夕方近くになっていた。
ひょっとしたら、クレアなんて知らないと追い返されるかもしれない。それどころか、難癖をつけられて捕まるかも。緊張に心臓がバクバクする。
でも、母さんのためなら、そんなの怖くない。
門番に名前を告げ手紙とペンダントを見せると、しばらくして中に通された。
豪華な応接間で、わたしは、ふかふかのソファに沈み込みそうになりながら、背筋を伸ばす。
やがて現れたのは、冷たい印象の中年の男性だった。髪の色が、赤みがかった金髪で、赤い目。わたしに似た色彩の貴族男性。
「……その顔、クレアの娘か?」
「はい。リヴィアといいます。母が倒れて、街の治癒院では手の施しようがないと。子爵様の力をお貸しいただけませんか」
子爵はじっとわたしを見つめたあと、短くため息をついた。
「医師を呼ぼう。すぐに診せる」
母さんは、治癒院から子爵の屋敷へと丁重に運ばれ、本人も男爵位を持つという医師が診察してくれた。
診断名は――
「魔力枯渇症……残念ながら手の施しようがありませんな。不治の病です」
魔力枯渇症。
この世界の人間には魔法が使えると使えないに関わらず、多かれ少なかれ魔力が備わっている。普段は意識しないけれど、魔力は生きていくために必要なもので、母さんは、その魔力が、なくなっていってしまう病だと。
「クレアは生まれつき魔力が少なかった。クレアが妊娠したとき、命にかかわるから、赤ん坊はあきらめてくれと言ったんだ。だが、直後にクレアは私の前から姿を消した。魔力の高い君を産んだせいで、さらに魔力が減り……ついに発症してしまったのだろう」
「……それを知っていて、母を妊娠させたのはあなたですよね?」
わたしと子爵はしばらくにらみ合った。
それから子爵は目をそらし、コホンと咳払いをした。
「君は、物怖じしない気の強いところが若い頃のクレアとよく似ているな。……私はもともと魔法学園の講師だった。魔力枯渇症の研究者でもあった。だが、結論から言うと、魔力枯渇は先ほどの医師が言うように不治の病だ。特効薬はない」
「……っ」
唇を噛んだわたしの顔をながめ、それから子爵は母さんの寝顔へと視線を落とした。
「ただ……ひとつだけ、いまだ誰も試せたことのない可能性がある。魔力枯渇症患者に、神獣の血を飲ませることだ。神獣の血というものは、魔力そのもの。人体に魔力を補給できるはず」
淡々と告げる子爵に、わたしは勢い込んで身を乗り出した。
「神獣!? 神獣というのはどこにいるんですか!?」
「神話時代の生き物だ。現存はしていない。だが、隣国、ソーレ神聖国の召喚魔術なら呼び出せるはずだ。私はそのために新生国の聖教に帰依し、隣国とパイプをつないできた」
「それじゃあ!」
「……ただし、神聖国の召喚魔術は門外不出、魔獣ならまだしも、神獣クラスを呼び出す国宝級の召喚用巻物を使ってもらうためには、相応の対価が必要となる。それこそ、国を差し出すほどの。隣国の望みは、国教である聖教を広めることだ。聖教を我がマルテ国の国教に据えることが悲願なんだ」
子爵は、わたしをじっと見下ろした。
「君はクレアに似て美しいな。同年代の少年たちにはとても魅力的に映るだろう。……君が魔術学園に編入し、王太子殿下を篭絡し、聖教を広めるよう働きかけるというなら、ソーレ神聖国にスクロールを譲ってくれるよう交渉しよう」
……は?
私はフリーズした。
つまり? 母さんを助けるためには、隣国の手駒になって、国を売れって、そういうこと?
わたしは、ギギギッと固まった首を無理矢理動かして母さんの寝顔を見た。
白い顔。そういえば、母さんはいつも楽しそうに動き回っていて、母さんの笑っていない顔を見るのは初めてだった。寝顔すら滅多に見たことがなかった。
失敗すれば、わたしは売国奴として捕まり、殺されるかもしれない。わたしが死ねば、母さんもきっと治らない。
それでも。ずっとずっと、わたしのために頑張ってくれていた母さん。命を縮めると分かっていたのに、反対を押し切ってわたしを産んでくれた母さん。大好きな母さんを救うためなら、わたしは――
「……わかりました。やります」
わたしはニッと笑って言い切ってやった。握った拳は震えていたけれど、迷いはなかった。
「……いいのか?」
「もちろんです。その代わり、母を頼みます」
母さんは、子爵の屋敷で療養することになった。
わたしは、子爵の養子として、魔法学園に編入することになった。
制服を着て、鏡の前に立つ。
ピンクブロンドの髪、イチゴ色の瞳。真珠の肌。
文句なしにかわいい、不思議なほど整った容姿。笑えば愛嬌まで加わって、勘違いした男たちが治癒院に群がったことも数知れず。今まで面倒だとしか思わなかったこの顔が、役に立つ日が来るとは思わなかった。
魔法学園――そこは、貴族の子女たちが集う、夢と陰謀のるつぼ。
王太子とその側近二人、それに天才魔法教師と王弟。
わたしが近づくべき五人の“攻略対象”。
彼らを篭絡し、このマルテ国に聖教を広める。それが、わたしに課された使命。
でも、わたしはただの庶民だ。なんなら誰かと付き合ったこともない。
魔法も、貴族の駆け引きも、恋愛も、ぜんぶ未知数。
(無理じゃね? 特に王弟殿下。四十歳だよ? 接点皆無だよ!?)
でも、やるしかない。
母さんの命がかかってるんだから。
教室の扉をくぐると、ざわめきが広がる。
「今頃編入生って?」「あれがサイゼル子爵の?」
わたしは、背筋を伸ばしてにっこりとほほ笑む。何度も鏡の前で練習した笑顔だ。
「リヴィア・サイゼルです。よろしくお願いします」
周囲の視線が痛い。でも、そんなのどうだっていい。
母さんのためなら、どんな役だって演じてみせる。
――こうして、わたしの魔法学園での生活が始まった。
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