7秒と少しの間
あいうえお
死場所には近所の廃ビルを選んだ。築数十年だかの11階建ての鉄筋コンクリート造りで、帰り道そこで煙草を吸うのが僕は好きだった。そのビルはいつも寂しそうな顔をしていて、どこか世の中の動きについていけず取り残されているような感じだった。そこを選んだ理由は単純で、近所では1番高い建物だったから手軽に死ねる気がしたのだ。
今朝はいつもと変わらず7時に目を覚ました。寝巻き姿のままで、お湯を沸かし、パンを焼き、その間に顔を洗い、髭を剃って、それからインスタントコーヒーをいれ、焼いたパンにバターを塗った。朝食が済んだら、歯を磨いて、いつものジーパンに、白の無地のTシャツを着て、バンズのオーセンティックを履いて家を出た。
そこまではいつもと同じだった、ちょっとの誤差もなく完全にいつもと同じ朝だった。だけど、外に出るとやけに空が青く感じた。それもただの青じゃなく、今まで見たことがないくらいわざとらしくて、不安を感じさせるような青だった。僕はもうこれ以上、ここにいてはいけないと思って、それで、死ぬことにした。
その足で目についた廃ビルへ向かって、階段を登る。階段はすこし埃っぽくて、外からさす光で埃がきらきらと舞っていた。前の道路を通学中の小学生の話し声と、車の排気音が通り過ぎていく。それらを当たり前のように包み込んでいる世界が、今日、僕だけをその外側に追い出そうとしているのを感じる。
屋上についてから、ポケットから煙草を取り出して火をつけた。ゆっくり時間をかけて煙草を吸い終わると、もたれかかっていたフェンスをよじ登って、そのまま飛び降りた。飛び降りてから、靴を脱いで遺書を書くのを忘れたと思ったけど、たぶんもう取り返しはつかないのだろうと思う。
地面が近づいてくる、時間が遅くなる。
考えてみれば、僕の人生は大して幸せじゃなかったけど、そんなに不幸なものではなかったと思う。親は離婚していたけど、ご飯が食べられないほど貧乏ではなかったし。特に容姿が優れているわけじゃなかったけど、いじめられるほど不細工でもなかった。好きな女の子と付き合えなくても、それなりに僕のことを好いてくれる人はいたし、頭の出来は割りにいい方だったと思う。
それでも僕はあと7秒と少ししたら死んでしまう、これはもう、僕の人生の幸不幸や、意思には関係のないことなのだ。この世界が僕を急に拒絶して、もう僕に残された選択はそれしかなかった。僕が死ぬんじゃなく、世界が僕を殺したのだ、今朝、あの空の色で。
地面がもっと近づいてくる、時間がもっと遅くなる。
僕は思う。人はよく死を終着点だと思っているけれど、実際はそうじゃない。僕たちが死に向かって生きているのじゃなく、死の方が僕たちに迫ってくるのだ。死はそこら中に居て、僕らを探している。だけど、僕らは肩にその手が触れる瞬間まで、それを知覚することはできない。だから、僕みたいな形で死が訪れることだって自然なことなのだろう。
風が吹いて、花の香りがした。
なんの花だろうと思う、地面にぶつかる。
目にうつるのは、コンクリートと赤。
来世とかあるのかな、なんて考えながら僕は目を閉じた。
かきくけこ