空虚な拳
「アイスっていう冷たくて甘い食べ物があるんだが、食べてみるか?」
「うん食べたい!」
「じゃあお父さん買ってくるから、ここで待ってるんだぞ」
「うん!」
初試合で敗北した俺を慰めるため、親父は俺を異世界に連れて行ってくれた。
異世界の街並みは、まるで絵画のように美しかった。街の中心には大きな噴水がそびえ立ち、その周囲は広場となっていた。噴水の水は太陽の光を浴びてキラキラと輝き、水しぶきが周りで遊んでいる子どもの顔に優しくかかり、楽しそうに遊んでいた。
「綺麗だな〜」
座っているベンチから少し離れた場所には花屋があり、赤、黄色、青など様々な花が並び、甘い香りを微かに感じる。
広場を囲むように立ち並ぶ建物は、石造りでありながらも優雅なデザインを持っていた。大きな窓があり、窓枠には繊細な彫刻が施されている。屋根は赤茶色の瓦で覆われ、空に向かって高く伸びる塔やバルコニーが特徴的だ。
風が吹くと周りの木々が軽やかに揺れ、その葉がきらきらと光を反射する。木々の間からは小鳥たちのさえずりが聞こえ、悠然とした時間が流れていた。時折通り過ぎる馬車の音が響き、住人たちのさやきが平和を感じさせる。
―凄いなぁ。僕が住んでいる世界とは全然違う―
初めて見る景色に目を輝かせていると、突然悲鳴が聞こえてきた。
「お、お願いだ!誰か助けてくれぇ!」
その声は弱々しく、声が低く少し掠れているようだった。
何かあったのだろうと思い、急いで声のした方に走り出す。
─困っている!助けないと!─
武器は持っていなかったが、何かしないといけないという一心で走る。
少し走った先で老人が地面に倒れ、すぐ近くで女性と男性が向かい合っていた。
「老人の荷物。返してもらおうか」
「ク、クソ。女だからって刺せないと思ってるのか!!」
男性の声には苛立ちが滲んでいたが、女性の眼差しは鋭く、恐怖さえも感じさせない。
周囲の人々は男性より、彼女の眼光を恐れ通りの端へ逃げていく。
「や、やめろ!近寄るな!!」
男性は一歩後退り、刃物を揺らしながら威嚇するが、女性の足取りは確かなもので、まったく後退する気配はない。
少しの静寂の後、周囲のどこからか騎士団へ通報する声が聞こえた。
「おいやめろ!何をしてるんだ!」
男性は取り乱し、女性から視線をそらす。彼女はその隙を見逃さず、3メートルほど空いていた距離を一気に詰めた。男性の腕を掴み、バックを奪うと、男性の攻撃をかわしながら、ゆっくりと老人の元へ戻った。
「もう離すなよ!」
「ありがとうございます。ありがとうございます……」
老人は女性に何度も感謝を伝えるが、彼女はその言葉を聞かずに男性へ顔を向ける。男性は状況が飲み込めっていなかったが、少なくとも目の前にいる女性は自身よりも何倍も強いということだけは理解しているようだ。
「残るはお前だけだ。」
「ひぃい!!なんだよお前!!」
逃げることさえ難しい、ならば一か八かにかけてこの状況を早く終わらせたい。男性はその一心で女性へナイフを向け突進した。女性は冷静に身をかわしつつ、男性の右手首を握る。男性の肩より高く腕を上げ、一歩前身する。
「痛でぇ!!」
男性は悲鳴を上げる。『肩の可動域外へ力が加わっているから痛いんだ』と、ラインが理解するよりも早く、女性は男性を地面に投げ飛ばし戦いを終わらせていた。
「後は他の奴に任せる」
と女性は冷静に告げる。彼女は中蘭大陸独特の絵柄が施された服を身にまとい、高身長で緑色の長髪を揺らしながらその場から遠ざかっていく。
男性は肩を抑えながら、地面でジタバタしているだけだった。俺は騎士団が来るまで眺めているかとしか出来なかったが、俺の心に後悔はなかった。
―あの人はただの武術家だと言ってた―
数日経っても記憶に女性の姿が強く残っていた。その思い出は徐々に体術への興味を引き出し、学びたいという意欲へ変わっていった。
それが禁忌とされている行為であっても俺の欲は抑えきれなかった。
―――――――――――――――――――――
それから、コッソリと異世界へ行っては、体術関係の本を買って読んでいる。
目立たないようにしないといけないから、大会に出ることはてきないけど、色んな世界を巡って組手だけはかなりやってきた。
「はぁあ!!」
その結果、剣術とは比較にならないほど体術が強くなった。体術を使えばホリーや百龍にも勝てる。2人の本気を見たことがないが、そう断言出来るほどに体術には自信と信頼があった。
―ま、そんな機会なんて―
「ないだろうがな!!」
全力で正拳突きを放つ。姿勢、脱力、体重移動の全てが完璧だ。
部屋中に舞っている砂埃を手で払いながらベンチへ向かう。タオルで汗を拭き、水を飲む。
「俺の体術は日の目を浴びせちゃダメなんだ。勇者の子孫として。子孫として……か」
自分に言い聞かせるかのように呟く。
決して勇者の子孫として産まれてきたことを悔やんでいる訳では無い。
ただマメが出来、潰れて、またその上に出来るのを繰り返した。何度も指南書と共に夜を過ごした。だけど、無情にも俺の体はとことん剣術を拒絶し、いくら練習しても多くある武器の中で最も下手という事実は変わらない。
だからこそ、七聖を長子継続ではなく実力主義で決めればいいのではないかと思っている。
―このままだと弟に一生恨まれるだろう―
七聖の血を引いてて、なおかつ強ければいいんだ。何も問題はない。弟が継げばいい話だ。
そうだったら、俺は自由になれたのに。
「……いや、自由になったところでどうなるっていうんだ。生まれてからたった一つの道しか提示されなかったんだから、夢なんてあるわけないだろ」
呟きながら、諦めを強く意識する。
周囲の人間から浴びせられる罵詈雑言は、今や彼の日常の一部となっていた。言葉が彼の心をかすめる度、まるで刃物のように痛む。それでも彼は笑い飛ばしていた。彼を励ました者、彼を必要とした者はもはや記憶に無いほど遠い昔だった。
人々の期待と比例して、自分の実力の無さを感じていたが、気付けば人々の期待は自身への期待や信頼よりも低い場所にいた。そんな中で唯一誇れるものが体術だった。
けれど、その誇れるものさえ彼を苦しめる要因の1になった。禁忌だから表には出せない、本気を出せば勝てる相手に負ける。勇者の代名詞である剣術よりも体術が出来るが、それは自身が勇者の子孫ではないことを示す。しかし周囲は俺に勇者の子孫を演じることを望む、他の道を知らない俺は、演じる以外生きていく道はない。
―他の道……夢や願いなんて何もないよな―
常人であれば精神を病むところ目の前の現実に彼は耐えていた。罵詈雑言を受け入れ、思考を放棄し、『演じる』ことを徹底して生きてきたからだ。
「いやそういえば願い事あったな」
―励ましてほしい。そして、本当の自分を見せて認めてほしい。俺が勇者の子孫ではなく、ライン・ユベルという1人の人間として。
彼の目はどこか空虚で、絶望に染まりつあった。希望の光は遠くかすみ、手に届くことはないのかもしれない。彼は今、ただこの負の連鎖から解放される日を夢見ているのかもしれない。
「……クソ。こんな事考えてたって仕方ねぇ。風呂でも入るか」
空のペットボトルとタオルを持って、訓練場から出る。
次回投稿予定
2025年4月27日(日)20:00 頃