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放課後、私は人気の少ない公園へと向かった。
ここは、私が一人になりたい時によく来る場所だ。
大きな木々が生い茂り、小鳥のさえずりが響くこの場所には、都会の喧騒から逃れるように心が落ち着く。
そんな公園のベンチに、いつもいる人がいる。
黒髪を無造作に束ね、少し伸びた髭が特徴の工藤宙翔さんだ。
彼は美術大学に通う20歳の青年で、時々この公園でスケッチをしている。
「また会ったね、華恋ちゃん。」
私が近づくと、宙翔さんはスケッチブックから顔を上げて、微笑んだ。
その笑顔はどこか掴みどころがなく、宙翔さんのマイペースな性格を物語っている。
「こんにちは、宙翔さん。また絵を描いてるんですね。」
私はベンチに腰掛けながら彼のスケッチブックを覗き込んだ。そこには、公園の風景が美しい線で描かれていた。まるでその場の空気まで描き出しているかのような、温かみのある絵だった。
「うん。ここの風景は何度描いても飽きないんだよね。華恋ちゃんも描いてみる?」
宙翔さんは笑顔でスケッチブックを差し出してきた。私は少し戸惑ったが、宙翔さんの優しさに甘えるように、ペンを受け取った。
私は手元の白紙に、思い浮かんだままに線を引いた。描くことは好きだけれど、自分の絵に自信があるわけではない。特に、宙翔さんのように自由な表現ができるわけでもない。
「うん、いいじゃん。華恋ちゃんの絵は素直で好きだよ。」
宙翔さんが私の絵を覗き込んで、素直に感想を言った。その言葉に、私は少しだけ頬が熱くなるのを感じた。
「そんなことないですよ。宙翔さんの絵とは全然違うし、私なんてまだまだです。」
私は謙遜したが、宙翔さんは首を横に振った。
「違うのは当たり前だよ。人それぞれ、感じるものも表現するものも違うんだから。華恋ちゃんは、もっと自分の感じたままに描けばいいんだよ。」
宙翔さんの言葉は、私にとって新鮮だった。
学校では、技術や評価が重視されるけれど、宙翔さんはそういった基準とは違う視点で絵を見ている。
宙翔さんにとって、絵は自由であるべきものなのだろう。
「宙翔さんって、なんで美術を選んだんですか?」
ふと、私は宙翔さんに尋ねてみた。
宙翔さんは少し考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「んー、なんでだろう。多分、周りの期待とかじゃなくて、ただ自分がやりたいことをやりたかったからかな。」
その答えは、私には少し意外だった。
周囲からの期待や評価に囚われずに、自分の道を選べるなんて、私にはできないことだから。
「華恋ちゃんも、いろいろ考えてるんだね。」
宙翔さんは、私の顔をじっと見つめた。
その目には、まるで私の心を見透かしているかのような温かさがあった。
「私は……周りの期待が重くて、自分が何をしたいのか、わからなくなってるんです。」
私は思わず本音を漏らしてしまった。
普段は誰にも言えないことだったのに、宙翔さんの前では自然と口にしていた。
「そっか。でも、それも華恋ちゃんの一部なんじゃないかな。」
宙翔さんは優しく微笑みながら、私の手を取った。
「焦らなくていいよ。いろんなことを試してみて、自分が本当にやりたいことを見つければいいんだから。」
その言葉に、私は少しだけ涙が浮かんだ。誰かにこんな風に言ってもらえたのは初めてだったから。
帰り道、私は宙翔さんと一緒に並んで歩いた。宙翔さんは何も言わず、ただ静かに歩いていた。その沈黙が、私には心地よかった。
「ありがとう、宙翔さん。少しだけ、楽になった気がします。」
私は小さく呟いた。宙翔さんは、優しく微笑みながら頷いた。
「いつでもここに来ればいいさ。俺は大抵ここにいるからさ。」
宙翔さんのその言葉に、私は救われた気がした。
宙翔さんは、私にとっての「逃げ場所」になっているのかもしれない。
理由のわからない胸の高鳴りを抑えながら、家に帰ると、いつものように母が笑顔で迎えてくれた。
「おかえり、華恋。今日はどこに行ってたの?」
母の問いかけに、私は少しだけ躊躇して答えた。
「ちょっと、散歩してただけ。」
宙翔さんのことは、まだ誰にも話すつもりはない。
彼との時間は、私にとって特別で、他の誰にも知られたくなかったからだ。
私は自分の部屋に戻り、窓の外を見る。
夜の静かな風が、カーテンを揺らしている。
その風が、まるで宙翔さんの優しい声のように感じられた。
「焦らなくていい……」
その言葉を反芻しながら、私は少しだけ心が軽くなった気がした。
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