愛し合う二人の邪魔をした悪役令嬢の私は、予定通り断罪される
設定ふんわりしてるところもあります、、、
それは強烈な平手打ちから始まった。
大の男から繰り出された容赦ない攻撃に、私、アメリア・ダナモードの体は簡単に後ろに吹き飛ばされ、無様にも尻もちをつく。
見上げると、良く見知った赤銅色の髪をした美丈夫が、その瞳にギラギラした怒りの炎を灯してこちらを睨みつけている。
彼の名前はリンバーグ。イリリウム王国の第二王子であり、私の婚約者でもある。
そしてその後ろには、小動物の如き可憐な美少女の男爵家の令嬢マリアが私を見つめていた。
女性に手を上げるなど、普通だったらどんな事情であれ真っ先に叩いた人間が非難されるが、この場合は違った。
常に女性を丁重に扱い、そのようなことをするとは到底考えられないリンバーグが手を出すとは、余程のことなのだろうと。
そしてその相手が私であるのなら、逆に今まで良く耐えてきたと。
そう皆の視線が語っていた。
当然、倒れた私を気遣って駆け寄ってくる者はなく、むしろ殴られて当然だと思われているのを感じながら、私は自力で立ち上がると、即座にこの場にふさわしいアメリアを演じ始める。
「ちょっと何をするんですの!? いくらあなたが婚約者であっても、いきなり平手打ちをした上に地面に這いつくばらせるなんて万死に値する行為ですわよ! それになんなのよあなた! たかが男爵家の令嬢如きが私の婚約者に近付かないで頂戴! 汚らわしいっ、さっさと離れなさいこの泥棒猫っ!」
自分の甲高い声と貧相な語彙力に軽く頭痛がしてきたが、悪役というのはキャンキャン偉そうに噛み付くのが定石だと私は思っているので、声を止めることはしない。
そのうちに、どんどんと人が集まりだす。
学園のカフェテリア、しかも昼食時。目立たないわけがない。
そして輪の中心にいるのが私達三人となれば、立場的にも止めることができる人間はいない。それこそ国王陛下辺りが出てくれば話は変わってくるが、都合よくいるはずもない。
さて。
罵詈雑言のオンパレードの台詞を全て言い終わる。
相手の反応がないのでもう一回頭から始めるべきか悩んでいると、ようやく彼の唇が動いた。
「貴様が行った優しいマリアに対する数々の卑劣な行いに比べれば、私の平手打ちなど大したことではない! このような女を、仕方がなかったとはいえ婚約者として傍に置いてた自分に虫唾が走る!!」
「あら、何の話ですの?」
「とぼける気か。だがその姿勢もいつまでもつかな」
そしてリンバーグは、しらを切る私に次々と証拠と証人を突き付ける。
彼曰く、私は王子の婚約者や公爵令嬢という立場を利用して、自分より身分の低い人間や気に入らない者に高慢な態度で接していた。
それだけならまだしも、取り巻きの令嬢や子息たちを使って、学園で殿下に急接近していたそこにいるマリアをいじめさせていた。
けれども、どれだけ虐げようとも一向にめげないマリアに業を煮やした私は、遂に強硬手段に出る。
彼らに、マリアの命を狙うよう命じたのだ。さすがにただの貴族のお坊ちゃんお嬢ちゃんに人を殺す度胸も度量も備わっていないので、暴漢の類を雇ったみたいだけど。
しかしどこからか計画が漏れたのか、彼女は一命を取り留めた。
まあ、漏らしたのは他ならぬ私なのだが。
「申し訳ありません! アメリア様に、断れば私達弱小貴族の立場がどうなってもいいのかと脅されて……!」
涙ながらに訴えるのは、確かに私がマリアに様々な嫌がらせをするよう命じていた、ダナモード家に金魚の糞よろしくついてきている家の出の生徒たちだ。
だが、ダナモード家のご令嬢という虎の威を借りながら虐めていた彼らの口元は、いつも楽し気に歪んでいたのは気のせいじゃない。
それどころか、こういうのはどうでしょうかと嬉々として嫌がらせの内容を考えてきたりもしていた。
勿論そのことも、目の前の王子は分かっている。証言してくれたら温情を与えられるかもしれないなどと優しく諭され、この場に出てきたのだろう。
けれど彼らがただで済むはずがない。
利用するだけしておいて、あとでしっかりと制裁を加えるだろうことはリンバーグの性格的に分かっている。
しかしそんなことを証人たちに教えてやる義理はないので、そのことについては何も言わない。
ただ、嫌がらせの内容が証人の口から次々と出てくる間、台詞を邪魔するように、時折「嘘よ!」「でたらめよ!」「私は何も知らないわ!」などの言葉を適当に放ち、その度にリンバーグに黙ってろと一蹴されるという場面を周囲に見せる。
やがてすべての証拠が出揃い、遂に罪が白日の下に晒された私は、唇を噛みしめじとりと二人を睨みつける。
けれどそれ以上に憎悪と怒りの感情をのせたリンバーグの瞳が私を見据える。
彼がこれほどまでに憤るには理由がある。そしてその訳を、他の者達も薄々感じ取っているはずだ。
それは、私が虐めていたマリアが、彼にとって特別な女性だからだ。
普通に考えれば、婚約者という私がいるのに他の女性にうつつを抜かすなど、不義理極まりない行為なのだが、リンバーグの相手が悪名高いダナモード家の娘で、しかも私自体も性根の腐った人間であると有名だったので、殿下の行動は仕方ないと皆には思われていた。
そう、我がダナモード家と、並びに公爵令嬢アメリアは、極めて評判が悪い。
きっかけは、先々代の時に始めた商売の全てで成功をおさめ、莫大な富を築き上げたことだ。
その資金力で貴族たちを裏から支配しようとしており、ダナモード家にお金を借りている貴族も多数存在する。しかも望みを叶えるためにはどんな下劣な手段も利用する悪名高い一家で、公爵の位を賜っていることもあり、逆らえる貴族も少ないのだ。
王家もまたダナモード家には強く出ることができず、私の父により強引にリンバーグと私との婚約が決まった。
そして、私はまさに悪役令嬢を体現しているかのような人間だ。
大きくカールさせた髪は眩しい黄金色で、髪色より少し濃い色合いの瞳はキッと吊り上がっている。美人な顔立ちだが、性格の悪さがありありと顔に出ており、ひとたび口を開けば他人を不愉快にさせる侮蔑の言葉が滝のように出てきて、まさに全方位から嫌われる令嬢なのだ。
対するマリアは、私とは正反対だ。
特徴的な甘いピンク色のふわふわな髪と、純度の高いエメラルドを彷彿とさせる明るい緑色の瞳。明るくて素直で元気いっぱいの美少女で、貴族には珍しいタイプである。
かなり田舎に領地があり、そこでのびのびと育てられたのがその要因のようだ。
そんな彼女は、太陽のような明るさで皆をいつの間にか笑顔にし、学園で絶大な人気を誇っていた。しかも誰にでも優しい性格で、その慈悲深さは聖女を思わせると、皆口々にそう言って彼女を崇めた。
休みの日には積極的に奉仕活動に勤しみ、それがますます彼女の人気に拍車をかける。今や国民にも大人気なのだ。
更にマリアの凄いところは、同性にも慕われていることだ。
当然、こんな私を伴侶に据えなければならないリンバーグには多くの同情票が集まり、二人が密かに想い合っていることを知る周囲の人間は応援していた。
なので分かりやすい悪事を働きマリアを虐げる私が断罪されるのを、皆面白そうに見つめている。
「一応聞いておく。どうしてこんな愚かな真似をした」
本当ならこの場で切り殺したいという気持ちをありありと浮かべながら、リンバーグが尋ねる。
私が執拗にマリアを標的にした理由。
それは私にとって必要なことだったから。
が、馬鹿正直に言うわけにはいかないので、他人の不幸がたまらないとばかりに意地の悪い笑顔を浮かべながら、開き直った悪役令嬢アメリアとして悪役令嬢っぽい表向きの理由を、高笑い混じりに告げる。
「そんなの決まっているじゃありませんこと!? 地べたを這いずり回るのがお似合いのそちらの下賤な生き物に、己の立場を分からせるためですわ! ふふふ、そこの裏切り者達に、目の前で教科書を破られそうになったり、噴水に突き落とされそうになった時に見せた顔はなかなか良い見世物でしたわね。あぁ、思い出しただけでゾクゾクしますわ!」
「くっ……貴様っ!! やはりあの時マリアを取り囲んでいたのはそういうことだったのか」
ここで注目してほしいのが、全て未遂に終わったということ。
そうなる前にいつもリンバーグが彼女を助けに来ていたのだ。しかし私たちが事を起こす前だったので、仲良くお話ししていただけですと言い切ってこれまで切り抜けてきた。
マリアには正直何の恨みもないし、むしろいい子なのは知っていたし、そんな子に、理由があるとはいえ制服をびしょびしょにさせたり不憫な思いをさせるのは嫌だったのだ。
当然、タイミングよく彼が助けに来たのは、私が情報を流したからだが。
けれど未遂だろうと、私が彼女に危害を加えるつもりでいたことをここでばらしたことにより、リンバーグの頭には完全に血が上っているようだ。
「殿下、おやめください!」
再び殴ろうと、いや何発も入れる勢いでこちらへ向かおうとしたが、それに気付いたマリアがリンバーグの腕を必死に引いて留めようとする。
「マリア、放してくれっ! 何の罪もない君があの女に侮蔑されているのを黙って聞いておけるほど、私の心は広くない!」
「それでもいけません! どんな理由があろうとこれ以上公の場で暴力を振るう殿下を見たくはありません……」
儚げな消え入りそうな声だったが、リンバーグの動きを止めるには十分だった。
そして、リンバーグはここで一呼吸置くと、高らかに宣言した。
「貴様のこれまでの悪行により、アメリア・ダナモードとの婚約は破棄させてもらう!! ここにいる皆が証人だ!!」
それは多くの人々がごった返しているにもかかわらず、カフェテリア全体に響き渡った。一瞬の静寂、そして起こる大きなざわめき。それは悲鳴とも歓声とも怒号とも取れたが、或いはその全てを含んだものだった。
だが、この状況を止める者はいない。
それどころかこれから一体どうなるのかと、好奇心を隠さない瞳でこちらに注目しているのを感じながら、私は舞台の主演女優になったような心境でリンバーグとのやり取りを進行させる。
「これは王家とわたくしの公爵家との間で取り決められた家同士の婚約ですわよ? たかだか男爵家の娘に手を出した如きで、しかも殿下個人の勝手で破棄できると思ったら大間違い……」
「馬鹿は貴様の方だ。このことは既に陛下にも承認を得ている。そもそも私が何を言おうが、罪人は王家に入るにふさわしくないと判断されるだろう。もう一度言う、貴様との婚約破棄は覆らない決定事項だ!!」
「なんですって? 陛下が承認されたっていうの!? あなたたち王家はその意味がお分かりなのかしら。このダナモード家を敵に回したらどうなるか……」
しかしそのあたりも、有能な王子は当然よく分かっていた。
「そのことだが、ダナモード家に密かに潜らせていた密偵から有益な情報を得てな。貴様らが秘密裏に他国と関係し、我が国の情報を売っていたと。当然証拠も回収済みだ。これは我が国に対する裏切り行為である。その罪により、今頃貴様らの家族は拘束されているだろう。厳罰が下ることは覚悟しておくんだな」
その言葉に思わず頬が緩みそうになるが、この場面で嬉しそうに笑うのは、悪役令嬢の断罪シーンとは合っていない。
よって私のとった行動は。
「う、嘘でしょう……。そんな、そんな馬鹿なことが……!」
唇をわななかせながら一転して顔が青ざめ、茫然と佇む。
しかしリンバーグはそんな私に、冷徹な視線を送るだけ。
いや、彼だけではない。私へ同情を向ける者など、たった一人を除いてこの場には皆無だ。周囲の者は、まるで愉快だと言わんばかりにこちらを見て明らかに笑っている。
それを確認し、
「待って、本当に私を見捨てるの!?」
過去の悲しかったことを思い出して十秒ほどで涙を絞り出すという天才女優並みの特技を見せ、悲鳴に近い声で訴え、リンバーグの方へ足を進める。
けれど私が伸ばした手は無残にも振り払われた。
「罪を認めた後は泣き落としで許しを請うか。ふざけるな! そんなものに私は騙されないぞ!! 貴様はマリアがただ気に食わないという理由だけで虐げて、本気で殺そうとしたんだ! いいか、絶対に許しはしない。なにがあろうとだ」
強い意志で拒絶を示された私は、そんな彼の様子に耐えられないとばかりに阿鼻叫喚しながら再び手を伸ばして近付こうとするも、先ほどよりも強い力ではねのけられカエルのように無様に地面にひっくり返る。
その瞬間、周囲からはもはや隠そうともしない侮蔑と嘲りの視線が、そして貴族の令嬢としてあまりにも似つかわしくない愚かで汚らわしい女だと、笑いながら口々に罵っているのが耳に入る。
この学園は自国の貴族令嬢や子息はもちろんのこと、富裕層の子供たち、更には一般市民の生まれであっても、学や才能があれば無償で通うことができ、他にも他国からの留学生も多数受け入れていたため、生徒の数も幅も広い。常に娯楽に飢えている彼らにとって、この事件は持て余している暇を潰すには格好の獲物に違いない。
そして彼らの口を通して、この国中、その周辺諸国にまで面白おかしく伝わり、私、アメリア・ダナモードと公爵家の名は地に落ちるだろう。
私は狂ったようにリンバーグの名を叫んだが、そのうち彼が手引きしたのか、兵たちがやってきて私を力ずくで引き離す。
「触らないでっ!!」
「うるさい! おとなしくするんだ!!」
脱出を試みようと暴れるが、さすがに鍛えている彼らから逃れることは叶わず、強引にカフェテリアから連れ去られる。
そのまま兵に挟まれて馬車で運ばれ、到着したのはリンバーグの婚約者として何度も通った王城だった。
しかしいつもの様に城に通されるわけでは当然なく、兵に腕を拘束された状態で、城と同じ敷地内にある、灰色の建物の入り口まで引きずられる。
現れた重たい金属製の分厚い扉の鍵を開け、ゆっくりと開かれた先には、地獄に続いてるのではと思えるような階段がうっすらとした闇の中に見えた。
ここは罪人を拘束するための地下牢で、足を踏み入れただけで埃まみれの空気に思わずせき込む。
しかしそんな私などお構いなしに強引に彼らは下へと引っ張り込み、遂には最奥の部屋へと押し込まれてしまった。
勢いあまって床に突っ伏すが、その隙に即座に鉄格子には鍵がかけられてしまい、閉じ込められてしまった。
「ちょっと、痛いじゃないの! 私は第二王子の婚約者なのよ!? もっと丁重に扱われるべきでしょう!? それに何よここは! 私をこんなところに入れて、どうなるか覚悟はできてるのかしらこの下民ども!」
ここまで強引にエスコートしてきた御仁たちは極めて冷徹な視線を送る。
「先の話を聞いていなかったのか? 頭だけでなく耳も悪いらしい。いいか、お前は『元』婚約者だ」
「私は認めないわ!」
「いくら叫んでも無駄だ。せいぜいここで裁きを待つがいい。まあどうせお前は死刑に決まってるがな」
「なんですって!? ……絶対に許さない、ここから出しなさいっ!!」
立ち上がり、内心無駄だろうなと分かっていながら、鉄格子を無理やり揺らすが、びくともしない。
「逃げようとしても無駄だ。頑丈な造りだから何をしようが絶対に開かない。仮に突破できたとしても、逃げ出すようなら切り捨てても構わんと許可は得ているからな」
「待ちなさい、まだ話は終わって……!」
けれど私の抗議もむなしく、非情な言葉を残して彼らの足音は遠ざかり、やがて扉が閉じる音を最後に何も聞こえなくなった。
ここは罪を犯した貴族などの人間を入れるための牢で、現在私以外に人の気配はなかった。そのうち同じ場所に、捕らえられたというダナモード家の人間がぶち込まれるのだろう。
しかし、ずっとアメリアの仮面を被っているのはきつかった。
ようやく一人きりの空間になったところで、私はほっと息をつくと、その場に腰を下ろして周囲を見渡す。
天井には極小の天窓がついており、そこからわずかな光が降り注ぐだけで、それすら入らない夜は何も見えなくなると容易に想像できる。
よくよく耳を澄ませば、時々カサコソと生き物が動く音もするが、勿論人間じゃない。
この異様な空間に放り込まれたら、普通の令嬢はひとたまりもないだろう。
この展開は予想済みだったが、それでもここは思っていたよりも陰湿な空気に満ち溢れていたし、日が差し込まない地下なだけあって寒い。
しかし、呑気に恐怖と寒さから身を守るため腕をさすっている場合ではない。
婚約者がいなくなってしまったリンバーグだが、おそらくすぐにあのマリアが新たな婚約者として決定するだろう。
学園の成績は常にトップクラスだし、見た目も性格も申し分ない。
この世界では珍しく陛下と恋愛結婚で結ばれて輿入れした王妃様は、純粋な愛を貫こうとするマリアに親近感もあってか、非常に彼女を気に入っているらしい。
私達ダナモード家と仮に縁が切れたら、マリアを王妃様の親戚筋の高貴なお家柄に養子に出す動きも水面下で進んでいる、と小耳に挟んだ。
ついでに言うと、殿下と年が近く、めぼしい高位貴族の娘で、婚約者がいない者はいない。
王族に連なる立場になるのでそのあたりの勉強は大変だろうけど、マリアなら乗り越えられるだろう。
それに、匿名で書かれたとある恋愛小説──王子と下位貴族の娘が、いかにもな悪役令嬢に邪魔されながらも愛を貫いて結ばれる──が世間では大流行していて、まさにそれに出てくる登場人物にそっくりの二人が小説のように結ばれて結婚する、という展開は、大いに期待されているのだ。
そんなわけで、おそらくあの二人が結ばれる未来は、ほぼ決まったようなものだ。
問題なのは、このあと私がどうなるかだ。
男爵令嬢を虐めただけでは、命を奪うほどの刑にはならないだろう。
けれど、私の生家であるダナモード家がとんでもない大罪を犯してしまった。当然その一族である私も、修道院行きなんて生ぬるいものになるわけがない。
これを機に、王家はダナモード家を一気に叩くつもりだろう。このままでは私を含めた一族郎党斬首となり、命を散らすことになる。
ダナモード家の破滅は勿論私がそうなるよう誘導した結果だ。
それに私の家族はどこからどう見ても悪人で同情の余地なんてないし、下手に残しておいたら、せっかくいい感じにまとまりそうなマリアとリンバーグの邪魔をしかねない。
冗談じゃない。
何のために私が年月をかけて、身分差があるために普通では絶対に結ばれないし歓迎されない二人が、悪の権化の公爵家を断罪したことで周囲にも認められ祝福される、というハッピーエンドになるよう準備したと思っているんだ。
件の恋愛小説だって、私が何年も前から準備して書いて、タイミングを見て流行らせたりもしたし。
だからダナモード家はここで滅ぼしておいた方がいい。
けれど私は、できれば素直に彼らと一緒に断首されたくはなかった。
最後に悪あがきをすることくらいは許してほしい。
私は制服の胸元の裏側に縫い付けていた包み紙を取り出す。
私は、ダナモード家と自身の破滅を悟り、処刑されて醜い姿を衆人に晒すくらいならと、貴族の最後の矜持として自死を選ぶ、という設定で行こうと前々から計画していた。
包みを開くとそれは真っ白い粉で、これを飲むのかと思うと、緊張から思わず喉がごくりと鳴る。
飲まないという選択肢はない。
手に入れるのは苦労した。貯め込んでいた私財の半分を投げ出し、ようやく手に入れた代物だ。
これを飲むことで、悪役令嬢は死という形で物語から退場する。
そう、シナリオ通りに、役目を終えたアメリアは退場しなければならない。
しかし私は素直に死ぬつもりもなかった。
だからこれは賭けなのだ。
お願いだからちゃんと効果を発揮してよね……そう願いながら、私は意を決してそれを口に放り込むと、唾液と共に無理やり嚥下する。
即効性だと謳われてる代物らしいそれは、すぐに効果を発揮する。
私の視界はぐにゃりと歪み、ゆっくりとその場に崩れ落ちた。埃の香りもほの暗い牢の中も、全てが視界に溶けていく。
なるべく苦しくならない物を選んだ。そのせいで余計に値段が張ったんだけど。
だけど高い金額を払っただけあって、まるで眠りに落ちるような穏やかな感覚で、私の意識は混濁し、そしてぷつりと途切れた。
一ヶ月も前から計画していた家族旅行。
共働きで忙しい両親が、高校生の私と小学生の弟の正樹の為にもぎ取ってくれた三日間の休日。私たちは父の運転する車で遊園地と温泉に行く予定だった。
遊園地に向かう途中、弟が厳選した流行りのアニソンを車中で流し、姉弟二人で仲良く熱唱して、前の両親はそんな私たちに時折、うるさいなぁと言いながら、和気あいあいと最初の目的地である遊園地に向かい、もうすぐ到着する──その矢先のことだった。
父の叫び声が。
母の金切り声が。
弟の絶叫が。
私の悲鳴が。
みんなの声が不協和音となって車内に響き渡る。
一瞬の出来事だった。
反対車線を走っていたはずのトラックが私たちの車の目の前に現れて。
激突する──!!
そう大声を上げながら反射的に目を瞑った瞬間、私の身体に強烈な痛みが走り、すぐに意識を手放した。
目を覚ますと、そこは何もない真っ白な空間だった。
どこに光源があるか目視できないにもかかわらず、とても明るい。
ぼんやりと周りを見ていた私は、その時ようやくさっき自身の身に起こったことを思い出す。
家族旅行中に、トラックが正面から衝突してきたのだ。
「あっ、お、お父さん、お母さん、正樹……?」
私は真っ先に家族を探す。
けれどここには私以外誰もいない。私の声が、その場でむなしく響き渡るだけだった。
「嘘でしょう? そんな……、誰もいないの? 私達、一体どうなったの?」
戸惑いの声が漏れる。
そういえば、普通に考えたらぺちゃんこになっててもおかしくないのにと慌てて自分の身体を見る。すごく痛かったという記憶は残っている。
けれど、私の身体には傷一つついていないし、血で汚れた形跡もどこにもない。
それどころか、着ている服がまるで違う。
カーキのジャケットとジーンズだったはずなのに、今の私は白いヒラヒラしたワンピースのようなものを身に纏っている。
その上、ここは全く知らない場所だ。
私たちがどうなったのか。いや、考えるまでもない。
あの状況だ。
与えられた痛みによってすぐに気を失ってしまったけど、どう考えても、トラックに押し潰された私たちが生きているわけがないのだ。
「そっか、そうだよね。やっぱり死んじゃったのかな」
言いながら、ぽろりと涙がこぼれ落ちる。
せめて旅行は満喫したかったな。
欲を言うなら高校は卒業したかった。
今度お父さんに釣りを教えてもらうって約束してたのに。
お母さんの作ったごはん、もっと食べたかったよ。
正樹に好きな子ができたから相談に乗ってほしいって、言われてたのにな。
もっと。
もっと家族と一緒に過ごしたかったよ。
会いたいよ、ねえ、みんな会いたいよ。
でも、もう会えないんだ。
気付けば私は、声が枯れるまで号泣していた。
どのくらい経っただろうか。
体から全ての水分が流れ出てしまったと錯覚するほどに、長い時間泣いていたように思う。
ようやく泣き止んだ私は、鼻を啜り、改めてこの白い空間をぐるりと見回す。
やっぱり何もない。
ここは一体どういうところなんだろう。
死後の世界?
向こうに歩いていけば三途の川でもあるのかな。もしかしたらそこで、最後に家族に会えるかもしれない。
そう思い、立ち上がった時だった。
「こんにちは、お嬢さん」
突如、私以外の声が聞こえた。
「え?」
一体どこからとキョロキョロしていると、唐突に目の前の空間が光り、思わず目を閉じる。
しばらくすると光がなくなったように感じたので、恐る恐る目を開けると、そこには目が潰れそうなほど神々しくて、今まで見たこともないようなとんでもない美少年が立っていた。
綺麗にくるんとカールした金の髪も、吸い込まれそうな青の瞳も、バラ色の頬もピンクに色付く唇も、滑らかで輝く美しい白い肌も全てが人間離れしていて、とりあえず日本人ではないことは分かった。
その上海外のどんなモデルよりも美しくて、むしろ神話に出てくる天使のようだなと思い、
「天使様みたい……」
いや、思うだけじゃなく気付けば声に出していた。
すると天使様は声を上げて笑い、
「あはは、残念。僕は天使じゃなくて、神様だよ」
と答えた。
その声は初めに聞こえたのと同じだったので、やはり目の前の彼が発したものだったらしい。
こういう時は挨拶を返した方がいいのだろうか。
「失礼しました。初めまして神様、立花あかりです」
彼が本当に神様かは分からないけど、今私がいるこの場は不思議な空間だし、これだけ非現実なことが起こっているのだから、少なくとも神様的な存在ではあるに違いない。
ということで、とりあえず自己紹介がてら頭を下げてみる。
「礼儀正しい子だね。僕のことは、名前は特にないから神様って呼んでくれたらいいよ」
「分かりました、神様」
それにしても彼は一体どの類の神なのだろう。
見た目的にはギリシャ系だろうか。
うち、浄土真宗だけど宗派とか大丈夫かなと内心首を傾げつつ、一番気になっていたことを確認しておこうと神様に聞いてみる。
「ちなみに私と私の家族は死んだんでしょうか」
すると神様は神妙な顔になり、こくりと頷く。
「うん、残念ながらね」
分かってはいても、改めて知らされる事実にズキリと胸が痛む。さっきあんなに泣いたのに、再度目頭がじんわりと熱くなってきて、慌てて手で拭う。
「あ、あの、ここはもしかして死後の世界ですか? もしかしてこの先へ行けば、最後に家族に会えますか!?」
せめてもの希望だった。だってお別れも言えなかったから。
けれど神様は物憂げな瞳で首を横に振る。
「残念だけどそれは無理なんだ」
「そう、ですか……」
最後の希望も砕け、私の心が急速に萎んでいくのが自分でも分かる。
けれどその時、神様がまつ毛を伏せ、眉間に皺を寄せ考え込む表情を見せた後、意を決したように私を見つめ、形のいい唇を開いた。
「ねえ、もしも僕のお願いを聞いてくれるなら、君の家族だけは生き返らせてあげてもいいよ、って言ったらどうする?」
「……え」
今、神様は何と言った。
お願いを聞くなら、私の家族を生き返らせると。
確かにそう言った。
もしもそんな夢みたいな話があるのなら、当然叶えてほしい。
彼の言葉からは、生き返らせる中に私は含まれていない。つまり、私が家族に会うことはできない。
けれど、私が彼のお願いさえ聞けば、私の愛した家族だけは生き返らせてくれるのだ。
厳しいところもあったけど優しかったお父さんとお母さん。生意気盛りでよく喧嘩したけど根はいい奴だった正樹。
三人がこれからも笑って暮らせるのなら、そこに私がいなくても構わない。
けれど本当にいいのか。
彼が神様だという証拠も、本当にその願いを叶えてくれるかの保証もどこにもない。もしかしたら彼は神という皮を被った悪魔かもしれない。
願いを叶えさせた後、私の魂は彼に食べられる可能性だってある。
それでも、みんなが生きていてくれるなら、迷いはなかった。
「そのお願い聞きます。だから家族を生き返らせてください」
すると神様が目を丸くする。
「え、僕まだ内容言ってないけど、そんなに簡単に決めちゃっていいの? もしかしたら君にとんでもない要求をするかもしれないよ? 君が死ぬほど痛い目に遭うかもしれないし」
「かもしれません。だけど私はそれがたとえどんな内容だろうと、引き受けます。ただし神様の願いを叶えたら、ちゃんと私との約束を果たしてください」
私の言葉を聞き、神様は目をぱちくりさせた後、何度も首を縦に振った。
「勿論だよ! 約束する」
そして神様は、ゆっくりと口を開いた。
「僕のお願いっていうのはね──」
「っ、思い、出したっ!」
イリリウム王国の公爵家の長女として生まれたアメリア・ダナモード。
乳母が目を離した隙に、好奇心旺盛な四歳児は廊下へと出て、たまたま開いていた屋敷の中心部分にある図書室の扉が開いていたことから中に入り込んで奥まで進み、棚の本を取ろうと手を伸ばしたら、その本が頭に落ちてきて。
その衝撃で、全ての記憶が蘇った。
とりあえず痛む頭をさすりながら、私は近くに置いてあった鏡の前の今の自分が、立花あかりの時とはまるで違った容姿をしていることを確認する。
そして、ここが日本とは全く違う世界で、あの神様の言っていたように私がアメリア・ダナモードになっていることや、これまでのアメリアの記憶と照合することで神様の話に登場していた王子様が実在していることも知る。
四歳頃に全ての記憶が戻るようにしておくね、と神様があの時言っていたけど、まさしくその通りになったなぁと何とも言えない表情でその場に座り込んだ。
やっぱりあれは夢じゃなかったらしい。
ゆっくりと深呼吸して自分を落ち着かせると、私は改めて、神様が提示した嘘みたいな話を思い出す。
「君には悪役令嬢を演じてほしいんだ」
「は?」
言ってからしまったと口を押さえる。
相手は神的な存在だ。は? とか返しちゃって、機嫌を損ねてしまったらどうしよう。
しかし、いきなり家族を生き返らせる条件として提示されたのが、予想の斜め上過ぎるこの発言だったのだから、私の気持ちも分かってほしい。
まず、悪役令嬢とはなんだ。
勿論単語は知っている。小説とか漫画にもそれを題材とした物語がたくさんあって、私も読んでいたからそれがどういうものなのか理解はできる。
それを私に演じろと。
神様はそう言っている。
いやいやいや、そもそもなぜ神様が悪役令嬢なる単語をご存知で、私にそれを演じさせたいのか。
意味も意図も全く以て分からない。
私の「は?」の一単語には、そういった戸惑いの感情が大いに詰まっていたのだ。
しかし神様は私の対応に気分を害した様子はなく、むしろあわあわと右往左往しながら、申し訳なさそうな顔で頭を下げた。
「そうだよね、ごめんね! いきなりこんなこと言われたら誰だって戸惑っちゃうよね! 僕だって最初に聞いた時、君と同じ反応をフィリアリア様の前でしちゃったくらいだから」
ということは、これはこの神様が考えたことじゃないってこと?
そしてフィリアリア様とは誰ぞや?
神様が様付けしてるくらいだから、やっぱり別の神様かなと内心はてなマークを飛び交わせていたら、初めから、神様が順序だてて説明してくれた。
まあ、それをまとめるとだ。
この世界にはたくさんの神様がいて、目の前の天使のような見た目の神様は、まだ生まれたばかりの新米神様なんだそう。名前がついていないのもそのせいらしい。
で、この神様は、私の元居た世界と、もう一つ別の世界を管理するフィリアリアという名の女神様の下で働いている。
しかし、最近この女神様が大層落ち込む事態が起こった。
なんと私がいた方じゃないもう一つの世界で生きる、絶対的な力を持つ魔族の王と、魔族から発せられる人に害を為す瘴気を消すことのできる聖女が恋に落ちてしまったらしい。よほど魂の波長が合ったのか、出会った瞬間互いに惹かれ合う運命だったようだ。
しかし、聖女と魔王は敵対関係なので、二人が結ばれる日は永遠に訪れず、互いを想いながら、それでも魔王は魔族の為、聖女は人間の為に戦い、結果は聖女のいる人間側が勝利したが、聖女は愛するものを手にかけた罪悪感から自ら命を断ってしまう。
フィリアリア様は愛を司る女神でもあったので、立場により引き裂かれた愛し合う二人に大いに心を痛めた。
女神様の力をもってすれば生き返らせることは可能らしいけど、二人は魔王と聖女。
その立場が変わらない以上、もし生き返っても二人の未来が明るいものではないのは確かだ。
なのでせめて、来世では一緒になれるようにと二人の魂を回収し、転生させる予定なのだが、ここで問題があった。
元魔王と元聖女。
種族も立場も全く違っていたため、その影響が転生先でも多少は出てしまうらしい。
二人が転生するのは、魔族が消滅し、既にその存在が忘れ去られつつある数百年後の世界。そこにあるイリリウム王国という国の第二王子として元魔王が、男爵家の令嬢として聖女がそれぞれ生まれ変わる予定だという。
しかし、同じ種族ではあるけど男爵令嬢と国の王子では、身分差もあって周囲に祝福される形で二人が結ばれるとは、到底考えにくい。
魂レベルで引き合うので、一目会えばすぐに恋には落ちるが、このままでは成就が難しい。
しかも生きている人間に対しては、基本的に神様は不干渉の立場を取らなければならないので、大っぴらに手助けもできない。
悩んだ末に女神様が思い付いたのが、私のいた世界に多くあった、悪役令嬢が出てくる物語だった。
なんでそんなの知ってるんだと思ったけど、神様たちの間では漫画やゲームや小説が面白いと、娯楽として流行っているのだと。分かるけどね。私も休みの日は家で引きこもって読み漁ってたし。
で、女神様はとある小説を参考にすることにしたようだ。
それは、とある男爵家の令嬢が、貴族の通う学園で出会った王子と恋に落ちるものの、王子の婚約者であるものすごい性格も評判の悪い令嬢が、非道な手を使ったりしながらヒロインの邪魔をする。
しかし彼女の行動が恋のアクセントとなり、悪役令嬢を断罪して身分の差も乗り超え、ヒロインと王子的な人が結ばれる、という内容だった。
まさしく転生させる予定の二人に酷似した状況であり、女神様は二人の恋を盛り上げるための悪役令嬢役を探していた時に、違う世界の住人だがたまたま死にたてほやほやの私の魂を見つけた。
そこで、私なら、死ぬかもしれない悪役令嬢になって二人の恋を盛り上げて最後は断罪されてほしい、というお願いをしても、家族の命を助ける代わりにと条件を出したら引き受けるのではと思ったそうだ。
ちなみに、結果がどうなろうと引き受けた時点で私の家族は生き返るのだと。
だけど、きちんと断罪の裁きを受け、尚且つその後二人が結ばれる、という結末にならなければ、女神様からはそれが失敗だと判断され、その後私は死ぬらしい。
「ごめんね。こんな無茶なお願いをして」
その女神様から伝達係として私の元へ遣わされた神様は、美しいご尊顔にとても申し訳なさそうな表情を浮かべている。
無茶というか、無茶苦茶というか。全て聞き終わったところで、なんだそりゃ感は拭えない。
世の中には様々な事情から結ばれなかった恋人たちが星の数ほどいるはずで、それでも愛の女神様が二人に同情して手を貸すのは、女神様に気に入られているのだろう。
だけど、女神様が私に頼もうとしたというこの選択は、間違ってはいない。
タダで助けろと言われるならともかく、これはチャンスだ。
偶然だろうが何だろうが、本来なら死んでしまったはずの三人が生き返る可能性がある。
たとえ私がどんな結末を迎えようと、それさえ果たされるのであれば、私に選べる選択肢は一つしかない。
「やります」
ようは、二人が結ばれるというエンディングに導くための悪役令嬢を演じればいいのだ。
ヒロインたちが幸せになれるように邪魔をして、最後はざまぁされる人間を。
私の返事に、神様は心配そうな表情で、私の様子を伺う。
「ほ、本当に大丈夫? こんなことをお願いした僕が言うのもなんだけど、もしかしたら君は断罪されてそのまま死んでしまう未来もあるかもしれないよ? それに、君の魂は元居た世界じゃない場所で転生することになる。そうなると元の世界の君は──」
私は神様の話を黙って最後まで聞く。
けれど、それでも私の意志が変わることはなかった。
元々私の命はここで尽きていたはずなのだ。死ぬのが少し伸びただけ。
それに、別に私が断罪されて必ず死ぬ、と決まっているわけじゃない。
大事なのは二人の恋の成就だ。
どんな悪役を演じるかは私に一任されるので、私の最後も含めて考えながらやってみようと思う。まあ、失敗したら問答無用で死ぬけど。
元の世界の私という存在がどうなろうと、三人を生き返らせてくれるなら、何も問題はない。
「大丈夫です。必ず女神様にご満足いただけるエンディングに辿り着いてみせますから。代償はきちんと支払います」
その後、私の意思が固いことを悟ったらしい神様からその後諸々の注意事項を説明される。
そして最後に、これまた何もない空間から一枚の紙がひらりと落ちてきて、神様はそれに何か書いた後、すぐに私に手渡す。
一番上には契約書という文字があり、書かれていたのはさきほど神様が説明したことや注意事項の数々。
私はそれに軽く目を通した後、見た目と同じく美しい文字で書かれた神様のサインの下に、了承しましたという一筆と名前を記入する。
と同時に、ふっと意識が途切れた。
「……改めて考えてみても、ほんと信じられない話だなぁ」
全てを思い出した私は、幼女の自分と鏡越しに対峙し、自虐的に呟く。
これまで記憶が戻らなかったのは、赤ん坊の時だと脳の処理が追い付かなくて壊れてしまう可能性があるからで、このくらいの年齢で思い出すようにしておくねと言われていたっけ。
私が転生したのは、おあつらえ向きに悪行の限りを尽くす卑劣極まりない貴族社会の嫌われ者の公爵家の令嬢だった。
そして、実際に前世で魔王だった頃と似た容貌を持つ第二王子は確かに存在したし、後で調べたら、田舎に領地を持つ男爵家に、やっぱり元聖女と似た容姿の女の子のマリアがいた。
ついでに言うと既に私は、その第二王子であるリンバーグ殿下との婚約を結んだばかりだった。
そこから私は、リンバーグと少女マリアの恋の障害となりそうな人たちをピックアップし、彼らをまとめて貴族社会の隅に追いやる、もしくは葬り去る計画を練った。
私だけが悪者を演じるだけで二人がハッピーエンドになれるとは思えないし、だったら邪魔者になりそうなのは全部まとめて片付けてあげていた方が、絶対に成功率が上がる。
元の世界の家族が生き返っているのは私がこちらの世界に転生する前に確認したから、多少手を抜いても私が死ぬだけだからいいんだけど、いつ女神様の気まぐれが発動して、私の働きが温いからと家族もろとも命を奪われてもかなわない。
だからこそ、しっかりと計画を練った。
勿論それと同時に、私もダナモード家の人間にふさわしい令嬢を演じる。
といっても、我が家がそもそも最悪だと噂されていたので、私が何かしなくともただ高笑いを上げているだけで、勝手に性格が悪い傲慢な令嬢というレッテルを貼られていた。
当然リンバーグとの顔合わせの時から、そもそも好感度最悪の家の娘なので初めから嫌われていたが、一応殿下大好きですアピールはしておいた。
嫌そうにしていたけど、私も本当は辛かった。
だって元魔王だよ?
記憶はないからとは聞いていたけど、普通に怒らせたらヤバい奴であることに変わりはない。
そしてマリアが学園に入学する日。
花びらが舞い散る樹の下で出会った二人が恋に落ちる瞬間をこの目で確認して、いよいよかと気を引き締める。
マリアは元聖女なだけあって本当にいい子だった。
だから、私がいない時に取り巻きの子たちが勝手に嫌がらせをしないよう、よく言い含めていた。こんなところでも我が家の威光は発揮され、私を敵に回したくない彼女たちは約束を守ってくれた。
当然彼女に危害を加えるふりをする時は必ずリンバーグがすぐに駆け付けられるように時間と場所を選んだ。
ちなみに、一番大変だったのはダナモード家の弱みを見つけることだった。
この家、色々悪事に手を染めているのに、なかなか尻尾を出さなかったのだ。
悪事の証拠を探す為色々家の中を漁りまわって、ようやく見つけたのが隣国にこちらの情報を密かに流していた、というもの。他にもいくつか見つけて、屋敷にメイドとして潜入していた人物がダナモード家を排除する為に送り込んだ王家の諜報部員だと知っていたので、彼女がそれらを手に取るよう画策した。
ついでにダナモード家に与する家の諸々の情報も見つけたので、そっちも一緒に見つけてもらった。彼らもそのままおいていたら障害になるから。王族の手に渡れば、そちらもいい感じにダナモード家のついでに処分してくれるだろう。
どうだ、女神様。
私の悪役令嬢ぶりは、文句なしではなかろうか。自分で言うのもなんだけど、結構頑張ったと思う。
だけど、もしも私に強運というものがあるのなら。
確かに私は神様から提案を持ち掛けられた時、家族を生き返らせられるのなら、悪役令嬢を演じた後そのまま死んでもいいと思っていた。
でもアメリアとしてこの世界に生を受け、生活していくうちに、少しばかり欲が出てしまった。
もう少し、生きていたいなと。
元の世界で、あかりとしてじゃなくてもいい。
この世界で構わないから、生を享受したいと思ってしまったのだ。
しかし私が考えた計画のままでは、私の最期は死罪以外ありえない。
そこで私はある策を講じた。
ようは女神様が納得いくような、二人が周囲から祝福されて幸せになるという結末に辿り着ければよくて、その時点でアメリアという存在がアメリアとして断罪されてこの世界から退場していればいいのではと考えた。
だから私は、高いお金を払って、三日間だけ仮死状態になるという薬を手に入れ、それを牢で飲んだ。
それが成功するかどうかは、賭けだった。
だけど──。
ギギギッ―という金属製の何か重い物が開く音で、沈んでいたはずの私の意識が戻ってくる。
その事実に、私は賭けに勝ったのだと実感した。
結構な綱渡りではあったけど。
死んだ後でも罪人として首を斬られ、その首を晒されていてもおかしくなかった。
死体を火炙りにされる可能性だってあった。
薬が偽物で、飲んだ瞬間そのままぽっくりいっていたかもしれない。
あと、地面に埋めた私の体が入った棺桶から地中に向けて、空気の管をこっそり出してほしいと墓守の人にお願いもしていたし、埋めてから三日後、棺桶を掘り起こして蓋も開けてほしいとも伝えていた。当然前払いだ。
だけどその人がお金を持ち逃げしてとんずらするかもという危惧もあった。
けれど私の強運からか、もしくは実はこっそり神様からの加護があったのか、なんとか生き返ることができた。
果たして、私が生き残れたのはどちらの理由なのだろうか。
いや、どっちもだろう。
「こんばんは、お嬢さん」
棺桶が完全に開ききったのか、音が止む。
徐々に覚醒していくのを感じながらゆっくりと目を開けると、そこにはとても綺麗な顔立ちの青年がいた。
真っ白な世界で会った時は少年だったけど、今の彼は私と同じくらいの年齢に見える。
「おかしいですね。私が頼んでいた墓守の人は、もっとお爺さんだった気がするんですけど」
「彼は君からもらったお金を持って逃げちゃったんだ。だから僕がこうして起こしに来たんだよ」
そう言って微笑む神様は、この世界では、とある侯爵家の三男のシリウスという名前だった。こんなに綺麗な人がいたら女性陣が放っておかないだろうに、皆何かフィルターでもかかっているかのように、彼の美形ぶりに気付いていなかった。
彼への印象が薄いというか、シリウス様という存在がいることは認識していて、いつの間にか周囲に溶け込むようにいるんだけど、どんな人かと問われると首を傾げてしまうような、そんな存在感のなさを持っていた。
神様がシリウスという名の私と同い年の貴族の令息になっていると気付いたのは、私が記憶を取り戻した後だ。
だって、見た目がもろ、神様のそれだったし、ことあるごとに彼からの気遣わし気な視線を感じていたし。
彼と直接接触することはなかった。
だけど学園では彼はリンバーグの側近の一人になっていて、マリアへの嫌がらせの時、少しタイミングを間違えてしまった時も、彼が殿下を呼びに行ってくれたおかげでマリアを痛い目に遭わせずすんだこともあった。
ダナモード家に潜んでいたスパイが誰だか分かったのも、匿名の手紙が私に送られてきたからだ。とても美しいその字は、契約書にあったいつぞやの神様のサインとそっくり同じだった。
他にも、気付けば彼に助けられたことは多々あった。
つい先日のカフェテリアの騒動だって、彼だけが唯一私を嗤わず見ていた。
一人で色々やらないとと気を張っていたけど、私を見てくれている人がいるというそれだけで、私の心は少しだけ楽になった。
「神様って不干渉の立場を取らないといけないって言ってませんでした?」
無事に蘇生に成功した私は開口一番、彼にそう尋ねると、神様はへにゃりと笑う。
「さすがに君一人じゃ大変だから、手助けしたいって女神様に訴えたら、人間に生まれ変わってなら、ほんの少し手助けしたり見守ってもいいって許可をもらったんだよ」
神様から差し出された手を掴むと、彼が棺桶から私の身体を引っ張り上げてくれた。
見回すとそこは罪人が埋葬される共同墓地で、夜ということもあり周囲に人影はない。
「それで神様。こうして私が生き返ったということは、女神様には満足してもらえた、と解釈していいんでしょうか」
そう尋ねると、神様は目を細めて微笑み、頷く。
彼の話によると、地下に幽閉されていたアメリアが死んでいるのが発見され、手に持っていた包み紙に残った粉の成分の分析の結果、本人が自ら命を絶ったと推測された。アメリアの遺体は規定通り、罪人たちが安置されている墓地に速やかに土葬された。
リンバーグは、他のダナモード家の人たちと一緒に死体を晒したかったらしいけど、死者に鞭打つ必要はないからとマリアが止めたんだと。ありがとう聖女様。
その他のダナモード家の人々は、国家反逆罪に当たるとして、現在の当主の二親等までの全員がアメリアが死んだ翌日、即刻処刑され、ダナモード家は消滅した。
アメリアに命じられてマリアに嫌がらせをしていた者たちは、そもそも彼らは大罪人のダナモード家に従っていた家の者だった為、王家からもその忠誠心を疑われ、またダナモード家の悪事に加担した証拠も見つかった為、爵位を下げさせられたり領地を一部没収されてしまったそうだ。
こうしてマリアに仇なす人々の断罪を速やかに終えたリンバーグは即座に彼女に求婚し、彼女も戸惑いながらそれを受け入れたのが今朝のことらしい。
周囲も歓迎ムードだという。
「私の元居た世界での家族は、変わらず元気にやっていますか?」
すると、神様は掌に小さな光の球体を出す。
そこには家族三人がいつもと同じ日常を送っているのが見えた。
両親は相変わらず仕事が忙しそうだし、一人っ子になった正樹は好きだった子に告白できたのか、女の子と一緒に帰っている場面が映し出される。そしてたまに休みが合った時には、三人で仲良く出かけているのも見えた。
「よかった……」
もう二度と会えないけれど、生きてくれているだけで十分だった。
だけど、神様の顔はどこか浮かない。
「……本当にこれで良かったの? 君は初めからあちらの世界に存在しなかったことにしてしまったけど」
神様から言われていたのは、別世界で転生した場合、立花あかりとしての存在は全て消去されるというものだった。
だけど私は、逆にこれで良かったと思っている。
「いいんですよ。だって、私だけが死んだって分かったら、せっかく命が繋がった三人が悲しむでしょう? だったら、私がいた記憶なんて初めからなかった方がいいんです」
たとえ向こうが覚えていなくても、私は一生忘れない。みんなが笑顔で生きてくれるならそれで十分だ。
「君は少し、ううん、大分自己犠牲が過ぎるんじゃないかな」
ぽそりと、神様がそう呟いた後、私の頭を優しく撫でる。
「とにかく、こんな無茶なお願いを聞いてくれてありがとう。よく頑張ったね」
「ありがとうございます……」
こんなイケメンの神様に頭ぽんぽんされるとか、かなり恥ずかしくて照れる反面、胸のつかえが下りたのか、これまで張り詰めていたのが解放されたからなのか、ぽろりと涙がこぼれる。
それどころか一度出てしまった涙はなかなか引っ込まず、むしろどんどん目の奥から溢れてくる。
そして気付けば私は、その場で涙も鼻水もまき散らしながら、墓地の真ん中で子供のように大号泣していた。
そんな私を、神様は何も言わずそっと引き寄せると、あやすように私の頭をずっと撫でてくれた。
「ずびばぜん……お恥ずかしいところをお見せしました」
どのくらい泣いていたか分からないが、体内に溜まっていたものを出し切ってすっきりした私は、鼻を啜ると神様に謝罪しながら離れる。
しかし神様は気にした風はなく、慈愛に満ちた微笑みを浮かべながらハンカチを取り出して私の目を拭う。
「気にしないで。君がアメリアだった時は大っぴらに助けてあげられなかったし、このくらいね。ついでにほら、鼻もかんだ方がいいよ。はい、チーンして」
「そそ、それはちょっと、嫌というか、自分でしますから!!」
さすがにこの年になって、男の人が手にしたハンカチで鼻を嚙ませてもらうなんて行為は羞恥プレイ過ぎる。いや、厳密には相手は人間じゃなくて神様だから、気にしなくてもいいかもしれないけど、でもやっぱり嫌なものは嫌だ。
慌てて距離を取ると、ポケットから自分のハンカチを取り出して神様が視界に入らないよう後ろを向いて、そこでようやく目の前の穴を戻していないことを思い出す。
とりあえずこのままにしていたら、棺桶の中にあるはずのアメリアの死体が無くなったと大騒ぎになるのは必至なので、その後すぐに神様と一緒に空っぽの棺桶を閉め、上から土を被せ直す。
「君はこれからどうするの?」
完璧に元通りにし終え、墓地から退散する道すがら、神様からそう尋ねられる。
その問いに対する答えは決まっていた。
「まずはこの国から脱出しなきゃですね。私が元アメリアだなんてバレたらまずいですし。幸いお金はこの時の為にと別の場所に貯めているので、しばらく生活には困りません。それを持ってできれば遠く離れた国まで行って、そこでアメリアではなく、別の人間としてのんびり暮らそうかと。名前もアカリに変えようかなって」
このアメリアっぽい髪型と服装を変えて、眼鏡でもかけとけば、多分大丈夫だろう。身分証も用意している。精巧な造りだからばれることはないと信じたい。
名前は、我ながら未練たらしいかなと一瞬思ったけど、私があかりだった、ということを私自身が忘れたくなかったから、あえてその名前に決めた。
多少は珍しい響きだけど、そこまで怪しまれるものでもない。
「神様はこれからどうするんですか? ……って、すみません。そういえば今の神様はシリウス様でしたね」
用事は済んだので、女神様の元に戻るのだろうか。
でもきっとそうなんだろうな。もう会えないという事実に胸がチクリとしたけど、最後にこうして顔を見られただけでも大満足だ。
けれどシリウス様は私のこの問いを見透かしたのか、首を横に振ると、
「さっきも言った通り、今の僕は人間だ。だから、このシリウスという人間の一生を終えないと女神様の元には戻れないんだ」
「じゃあこの後は……」
三男だから受け継ぐ爵位はないけど、学園での成績は良かったはずだし、剣の腕も立ったはず。彼だったら文官になって王城に勤めることも、騎士としてどこかに所属することも可能だろう。
けれど私の予想はどちらも外れだった。
「実は僕、学園を辞めたんだよね。そのせいで勘当されちゃった」
「ふぇっ!?」
あははと能天気な笑顔を浮かべながらとんでもない爆弾発言をぶち込んできたシリウス様に対し、思わず喉の奥から変な声が出る。
「なんでですか!? このままいけば輝かしい未来が……」
「だって僕、アメリアとしての君を見守るために人間になったんだよ? それが終わっちゃった今、学園に通う意味もないかなって」
けれどさっき、シリウス様は言っていた。
人間としての生を全うしなければ戻れないと。
「じゃあこれから一体……」
「そのことなんだけど」
そこでシリウス様は立ち止まると、真面目な顔で私に向き直る。
「僕を君の護衛として一緒に連れて行く気はない?」
「護衛、ですか」
「言っておくけど、この世界は君が元いたところと違って、命の危険に晒されることも多い。しかも女性の一人旅は狙われやすいし、特に危ないから心配なんだ。勿論、僕が好きでついていくんだから報酬なんていらないよ。これでも僕は腕も立つし、迷惑じゃなかったら君の行きたいところまで送らせて?」
「迷惑だなんてそんな」
そんな訳がない。むしろシリウス様と一緒にいられるなんて、嬉しいくらいだ。
「だけど、本当にいいんですか? せっかく人間になったんだし、もっと色んな人と交流したり、自分の好きなように生きられるのに、私なんかと一緒だなんて。それに、ちゃんとした目的地が決まっているわけじゃないし、数年がかりになるかもしれませんよ」
「構わないよ。ついでに旅行みたいな感じで色んなところをたくさん回ろうよ。遊園地はないけど娯楽施設はそれなりにあるし、この世界では、東の方まで足を伸ばせば温泉もあるんだ」
シリウス様の言葉に、私の身体がぴくりと分かりやすく反応する。
「行きたいです、温泉!」
するとシリウス様はくすりと笑い、私に手を差し出す。
「それじゃあこれからよろしくね、アカリ」
「はい、こちらこそ、よろしくお願いします!」
そう言い合って、私も同じように彼に手を差し出し、握手をした。
それから数年後、私たちは色々な国を回って、最終的には元の世界の日本に似た雰囲気の東の国への定住を決めたが、なぜかシリウス様も一緒に定住することになり、そのまま私は彼と結婚してこの世界で幸せになるんだけど、今の私はその未来をまだ知る由もない。
「フィリアリア様、お願いがございます」
アカリを転生させた直後、生まれてまだ間もない神は、女神にあるお願いをした。
自分も同じ世界に人間として生まれ変わって、彼女の助けになりたいと。
はじめは確かに、家族の命と引き換えならとこちらからの無茶な願いにも即決した哀れな少女への、純粋な慈愛の気持ちからだった。
それが、微力ながらも陰から手助けをしていくうちに、いつからか恋慕の情へと変わった。
そしてもしも、彼女が助かる未来が来ることがあるのなら、その時は自分が全力で彼女をたくさん甘やかし、幸せにしようと密かに誓った。
果たしてその願いは叶えられ、今アカリはシリウスの隣にいる。
アメリアだった時とは比べ物にならないくらい幸せそうな表情を浮かべて寝台で眠りにつくアカリを隣で眺めながら、シリウスもまた彼女と同じように微笑む。
シリウスとしての生が終われば、彼は神へと戻り、アカリとの関わりはなくなる。
けれどそれまでは、彼女の今の笑顔を生涯守っていこうと再度心の内で決意を固めた彼は、起こさないようにそっとアカリの額に口づけを落とす。
しかし、彼は知らない。
彼の上司である女神は、愛を司る神だ。
互いに想い合う二人を、たった数十年で引き離すわけがなく、天寿を全うしたアカリにはその後、シリウスの伴侶として神に昇格する未来が待っている、ということを。