前編
一週間程前、我がクライノート王国の中央にある火山に住みついた悪逆非道な竜が倒された。
竜は人間を凌駕する知性を持ち、千年を生きる。だからこそ本来、竜は人間のような矮小な生き物を相手にしない。しかし、半年程前に火山に住みついた竜は人間に興味を持ってしまった。その竜はまるで分別の付かない子どもが小さな虫を執拗に潰していくかのように、人間を殺していったのだ。食べる訳でもなく、ただ竜の楽しみだけの為に多くの人が犠牲となった。多くの騎士や魔法使いが竜を倒そうと旅立ったが竜の侵攻を防ぐのが精々で、多くが物言わぬ姿で帰ってきた。それすらも竜は楽しんでいたらしいから、もう打つ手はないのかもしれないという悲壮な空気が王国中に蔓延していた。
しかし、竜は倒された。テオドール・ライデンシャフトという、侯爵家の次男が竜の心臓を弓で射抜いてみせたのだ。テオドールは弓矢に魔法を付与するというとんでもなく器用なことをし、ただの弓矢と侮っていた驕りをついて竜を倒した。王国のすべての人々は歓喜して、テオドールの偉業を讃えた。
国王に直々に呼び出され何でも好きな褒美を与えると言われたテオドールは、なんと私を、サマンサ・フリーデンを希望したらしい。
「……お兄様、本当に、何かの間違いではないんですか?」
「サマンサ、間違いなのであれば、我がフリーデン伯爵家に王家の紋章付きの馬車は来ない」
「ですよね……」
王家の紋章が描かれた馬車に揺られて、私はこれから一番上の兄であるネイサンと王城へ行くらしい。らしいというか行くのだが、何とも現実味がない。眉間に皺を寄せる兄は、意志の強そうな切れ長の目を少し細めて難しい顔をしている。しかしどうしようもないので、私は家族の誰にも似ていない目尻が僅かに垂れた目を窓の外に向けた。ぼんやりと外を眺めながら昔を思い出すのが、唯一の現実逃避の手段だった。
───
私とテオドール・ライデンシャフトは、知らぬ仲ではない。もっと言うなら、同じ学校に同級生として通い、そしてお付き合いをしていた仲だった。とはいえ、カモフラージュの為のおままごとのようなお付き合いだったが。
テオドールは、とてもよく目立つ人だった。はっきりとした目鼻立ち、鍛えられた体躯、気安く柔らかい物腰、そして次男ではあれど侯爵家という家柄。当時の女生徒は度合いは違えど、ほとんど皆、彼に夢中だった。男子生徒からはやっかみもあったそうだが、けれどそれよりも尊敬を集めるような人で、彼の周りにはいつも誰かがいた。それが、彼には実は煩わしいことだったらしい。
よく覚えている。小雨が降って少し肌寒かったあの日、私はテオドールに呼び出され『俺と、付き合ってもらえないだろうか』と、言われたのだ。言葉だけを切り取れば、告白にほかならないのだけれど、それは愛の告白なんてものではなかった。彼の表情は決して恋しい人に胸の内を明かしたようなものではなかったし、しかし決してからかいや嘲りの色はなかった。始めは罰ゲームか何かで嘘の告白を強要させられたのかとも思ったが、そういう訳でもなさそうだったので、私は『いいですよ』と頷いた。この時の私には、明確な下心があった。私だって、彼に憧れを抱いていたのだ。
私が告白を受けたことに、テオドールは驚いたような焦ったような、傷ついたような複雑な表情を浮かべていた。もう少し取り繕うくらいしたらいいのにと、この時のことを思い出す度に笑ってしまう。そして私は話を続けた。
『私も貴方も、学園を卒業すればおそらく家から結婚相手を決められる筈です。もし、このお付き合いが続いたとしても、それは卒業で終わりにしましょう』
『……君は、それでいいのか?』
『お互いに、それが最良でしょう。あと、将来に響くと困りますので、一緒に行動することは極力避けましょう。基本的にはこれまで通りで』
『え、あ、ああ……』
『お話が以上なら、私はこれで』
『あっ、ま、待ってくれ!』
『まだ何か?』
『その、君と付き合っていることを、人に言ってもいいだろうか?』
『ええ、構いません。学園の中でだけなら』
『……ありがとう、サマンサ嬢』
『いいえ』
憧れていた人に『ありがとう』なんて言われて、この時の私はひどく浮かれていた。けれど同時に冷静でもあったと思う。なにせ、あのテオドールが私に交際を申し出るということ自体、そもそもがおかしなことだったからだ。
テオドールであれば、学園一の美人や爵位の高いご令嬢、跡取り娘などもっとよい条件の人がいくらでも手の届くところにいただろう。当時の私と彼には接点なんてほとんどなかったのだから、何かの拍子に好かれたなんて劇的なこともない。特にこの頃の私は、コンプレックスを隠す為に前髪を長くして目元が見えないようにもしていたから余計だ。今では克服したけれど、祖母曰く曾祖母に似たこの垂れ目があまり好きになれない時期だったのだ。では何故か、私はすぐにその原因を調べて考察して、そして理解した。
テオドールは人除けが欲しかったのである。女除けではない、人除けだ。彼の周りにはいつも多くの人がいて、勉強を教えてくれだの、一緒に鍛練をしようだの、食事に行こうだの、遊びに行こうだのと、皆が彼の取り合いをしていた。あとから聞けば『誘ってくれるのは嬉しいし楽しいけれど、いつもは疲れる』とのことで、つまり彼は一人の時間が欲しかったのだ。そこで、私はうってつけだった。
フリーデン伯爵家は古くから王国に仕える騎士の家系で、王国の騎士団とは別にフリーデン騎士団を所有している。我が家は祖父も父も兄たちも皆、筋骨隆々の大男で、そんな家の末娘である私に難癖をつけられる人などいない。社交界に出てしまえば伯爵家以上の家など多くあるが、当時の学園には高位貴族では公爵令嬢と侯爵令嬢が一人ずつと侯爵令息が一人しかおらず、あとは皆伯爵位以下だったからそれもあっただろう。
目立たなくて静かそうで、けれど実家のおかげで嫉妬をぶつけられる心配も少なそう。直接言われた訳ではないが、私はそういう理由でテオドールの相手に選ばれた。この時の私は心の底から自分の生まれと地味な容姿に感謝した。だって普通、学園一の人気者とお付き合いができるなんてひっくり返ったとてあり得ないことなのだから。それがカモフラージュの為であっても、嘘であっても何でもよかったのだ。友人には苦言を呈されたけれど、学生時代のいい思い出になるというだけだからと笑って誤魔化した。
利用されていたといえばそうなのだけれど、私だっていくつかいい思いをした。優しいテオドールは律儀にも、何度かデートに誘ってくれたのである。学園の外を出歩くのは将来のどこかで社交界の話題になったら面倒なので、場所は大体いつも図書館や学内の温室だった。念には念を入れて図書館でも一つ席を空けて座ったし、温室でも隣を歩くことはしなかった。この時の私の理性は素晴らしいものがあった。今になって、嘘でも付き合っていたのだから手くらい繋いでおけばよかったとも思うが、けれどあの時はあれが正解だっただろう。美しく儚く、幸せな時間だった。
それから、名前も呼び捨て合うことになった。『あまりにも付き合っている雰囲気がないから』と言われて、ではそうしましょうということになった。初めて『サマンサ』と呼ばれた時も『テオドール』と呼んだ時も、叫びだしたくなるくらいには恥ずかしかったし嬉しかった。
一度だけ『貴女なんてテオドール様に相応しくないわ!』と面と向かって言ってきた人がいたけれど、結局その一度だけだった。そう言ってきたのは侯爵令嬢だったが、私の友人は公爵令嬢だ。友人に『まあ、なんて下品なこと』と冷たい目で蔑まれた彼女は、寝込んで一週間程学園に来れなくなってしまった。少しかわいそうではあったけれど、人に喧嘩を売るのならその交友関係まで把握しなければならない。貴族の常識である。むしろ失敗が学生の内でよかったね、と仲直りもした。トラブルらしいトラブルはそのくらいで、私の学生生活はやっぱり穏やかに過ぎていった。
卒業式の日、テオドールとの決別の日、私は久しぶりに前髪をきちんと切り揃えて綺麗に化粧をしてもらった。最後だから、一番に綺麗な姿でさようならを言いたかったのだ。この時を思い出すと、自分のことだけれど可愛らしいと微笑ましくなる。地味な私がどんなにめかしこんだところで程度は知れてはいるけれど、それでも少しでも彼に可愛いと思ってほしかったのだ。
この国の貴族の子どもは学園を卒業してから婚約をし、その後数年で結婚をするのが主流だ。だからなのか、学生時代には自由恋愛が黙認されている。最初から婚約を狙って目ぼしい家の人にアプローチをすることも可能で、そこから結婚する人もいるにはいるが、最終の判断はお互いの家に委ねられるので結局駄目になるパターンもある。だからこそ、学内での恋愛は卒業と同時に清算するのが通例のようなものだった。
『これまで、ありがとうございました。どうぞ、お元気で』
笑ってそう言ったつもりだったけれど、できていたかは分からない。テオドールとの関係がなくなることも、学園を卒業するのも、寂しくて仕方がなかったのだ。理解していたつもりだったのに、寂しくて悲しかった。でもこうやって大人になってゆくのだなとも思った。
『……それは、こちらの台詞だ、サマンサ。今まで、本当にありがとう』
『ええ、では、さようなら』
『ま』
『わ』
テオドールが『待って』と言おうとしたのと、私が『わあ』とよろめいたのは同時だった。彼が私の手を急に掴んだのが悪い。転びはしなかったけれど、引き寄せられたみたいに距離が縮まって心臓がおかしくなるかと思った。
『ご、ごめん』
『いえ……』
謝りはしてくれたものの、テオドールは手を放してくれなかった。どうしたのだろうと顔を覗き込むと、彼も悲しそうな表情でこちらを見ていた。そこで私はちょっぴり感動した。彼のような人でも卒業が寂しいと感傷的になるのだなと思って、それからなんてことを考えているのだろうと反省もした。彼も人の子だ。特別な神様の生まれ変わりなんかじゃなくて、同い年の血の通った生きている人なのだ。辛いものが好きで意外にも意見を主張することや頼みを断ることが苦手で、それからほんの少し小賢しくて情けない。でも飛び切り優しい、そんな普通の男の子だったのだ。
『最後に、さ』
『はい』
『君のこと、抱きしめてもいいかな?』
この時の私は驚いて、本当に驚いてテオドールのことをまじまじと見た。そして、ゆっくり首を横に振った。この国では仲のいい友人同士でも抱き合うことがある。別れを惜しんだり、感動を分け合ったり、再会を祝したり、理由は様々だ。そこに男女での違いはない。ただまあ、婚約者でもない未婚の貴族子女が不用意に異性と抱き合うのはよろしくはないとされている。これも思い返せば抱きしめてもらっておけばよかったと後悔しているが、それでもこの時の私は首を横に振ったのだ。
『……そ、うか、そうだな。変なことを聞いて、すまない』
『いえ、では』
私は振り返らずに、まっすぐ家に帰った。それで、おしまい。私とテオドールとの清らかすぎるお付き合いも学生ならではの気安さも、卒業式の日に全て終わったのだ。……その筈だったのだけれど。
───
私と兄は、王城で素晴らしい歓待を受けた。まず国王直々に労いと感謝をされ、婚約の祝いだとして目録を頂いた。目録を確認するととんでもない額の品がつらつらと書かれており、眩暈がしたくらいだ。祝いであるから遠慮はしてくれるなと言う国王の表情は、どうにも感情が読み取れなかった。
そして何というか、私たちの接待をしてくれている貴族や使用人たちの全身から「どうか怒らないでください」という気持ちが透けて見えていた。……実は、今回の件、私の両親はかなり怒っているのだ。だから今回、私は父とではなく長兄と王城に参上した。何故なら、私には親の決めた婚約者がいたから。
あの竜の件で有耶無耶になりかけてはいたが、順当に行けば次の春には結婚が決まっていたのだ。それを、竜を仕留めた英雄が横槍を入れてきた状態、なのである。しかし王命だ。いくら騎士団を有しており怒らせてはいけない一族などと言われていても、伯爵家風情が王命を断ることなどできない。ただし、相手の家への義理立てがあるとして、両親は王城への参上の免除を申し出てその許可を得たのだ。そんな背景があるから兄も私も微妙な顔で歓待を受けた。
そして夜にはパーティーが開かれた。表向きはテオドールの慰労の為のパーティーだが、半分以上は私のお披露目会のようなものだ。竜殺しの英雄が王に願ったフリーデン家の末娘である私を、皆が遠巻きに見ている。正直なところ、かなり不愉快な視線だった。けれど、それでも兄が隣にいてくれているからまだこれで済んでいるのだろう。ちなみテオドールは同じパーティー会場にいるものの、学生時代と同様にいろいろな人に囲まれて身動きが取れないようだった。一応こちらに来ようとはしているのか、ちらちらと確認をしては話を切ることができずにいるのが見て取れる。それも学生の頃と変わっていなくてほんの少し懐かしく思った。
「あれが、テオドール・ライデンシャフトか。……確かによく鍛えてある、さすがは英雄殿だな。キューンハイトの三男坊よりはよっぽどマシかもしれんが、だからといって、だな」
「お兄様、あまりそういうことは」
キューンハイトの三男坊とは、私の元の婚約者だ。いろいろと難のある人だったが、それこそいろいろな事情があって私が結婚する予定だった人で、確かに竜を倒した英雄とは比べ物にはならない。多分、乗せる秤が違う。しかしそんなことを誰が聞いているか分からないような場所で話さないでほしい。
「人に押されて挨拶にも来ないようではな。まさかとは思うが、こちらから来いとでも?」
「そういう方ではないと思いますので……」
「ああ、学年が同じだったと言っていたな」
長兄ネイサンは優しいが跡取りとして厳しい一面もある人で、特に礼儀作法には煩い。しかしあちらは侯爵家、こちらは伯爵家である。そして国を救った英雄であり、その上で国王の後ろ盾もある。貴族という明確な権力社会で生きている我々であるからこそ、一概にあちらが無礼だとも言えず、けれどこの状態もよろしくはない。兄のそんな不満はよくよく分かるが、とにかく落ち着いてほしい。さっきから飲み物を補充しにきてくれる使用人たちの顔色が青ざめている。
どうしたものかと困り果てて、もう一度テオドールの方を見ると彼が周りの人をかき分けてこちらに向かってくるではないか。ほっとした半面、そういうことができるようになったのかと驚いたが、テオドールのすぐ隣に彼より一回り小柄な男性がいるようだった。二人はそのまままっすぐこちらにやって来て、テオドールより先に隣にいる男性が兄に声をかけた。
「お久しぶりです、ネイサン。貴方の卒業以来ですね」
「久しく存じ上げる、ジュリアン。そうか、貴殿の弟君でしたな」
兄がジュリアンと呼んだ人を見て、私は納得をした。彼はジュリアン・ライデンシャフト、ライデンシャフト侯爵家の跡取り息子でテオドールの兄だ。聞いたことはなかったが、この様子だと兄とジュリアンは学園で面識があったらしい。しかし何故か、お互いに何ともピリピリとしている。空気が重い、止めてほしい。
「敬語など止めてください、ネイサン。先達である貴方にそう丁寧にこられたらやりづらい」
「そういう貴殿こそ敬語ではないですか。ここは既に学園ではありませんからな、一定の礼儀は必要でしょう」
「はあ、相変わらず頭の固いことだ。……弟の挨拶が遅れて申し訳ない。この者がテオドール・ライデンシャフトです。テオドール、こちらがサマンサ嬢の兄であるネイサン・フリーデン殿だ」
「テオドール・ライデンシャフトです、お見知りおきを」
「ネイサン・フリーデンと申します、こちらこそ。……サマンサ、こちらジュリアン・ライデンシャフト殿だ」
「サマンサ・フリーデンと申します。お会いできて光栄でございます」
「ジュリアン・ライデンシャフトです。以後、よろしくお願いいたします」
ぼそりと嫌味を言いつつもジュリアンが折れてくれ話が進んで行くので、私はほっと息を吐いた。それでも空気は依然重く、ここで逃げ出しても誰も文句は言わないのではないかと思うくらいだった。少なくとも、婚約をしたばかりの家同士の初対面の雰囲気ではない。
もう一度どうしたものかと考えて、そして私は考えを放棄した。もうなるようにしかならない。きっと兄が何とかしてくれる。私は末っ子ならではの甘えを存分に発揮し、この状況を兄に丸投げしてみた。後々怒られるかもしれないが、その時はその時だ。だってもうこの状況は私の処理ができるキャパシティを越えているのだから仕方がないのだ。私がやる気をなくしたことに気づいた兄は一瞬だけ顔を顰めたが、それ以上はもう何も言わなかった。
「……テオドール君、君の武功は聞いている。国防の一端を担う者として賞賛を、そして一国民として感謝申し上げる」
「フリーデン騎士団の一番槍と名高いネイサン様にそのように言っていただけるなど、恐悦至極でございます」
テオドールがやや緊張したようにそう答えれば、隣のジュリアンが少しだけ得意そうにしている。兄弟の仲は、昔と変わらずよいようだ。学生時代にテオドールがぽつぽつと話していたが、彼の兄君は面倒見がよく要領もよく賢くて優しいのだそうだ。自身の兄をそこまで褒め称えられるというのなら、兄弟仲がとてもよいのだろうなと思っていたが本当にそうだったので少し微笑ましかった。
「君のような若年の騎士たちばかりに任せず、本来なら我らフリーデン騎士団も竜討伐に参加すべきだった。王命にて王都の守護を命じられていなければとよくよく思う」
「おや、ネイサン。参戦していれば、自身が竜を討ったとでも?」
「ジュリアン、“たられば”や“もし”は考えるだけに留めるべきかと。言ったところで重要なのは既に確定した事実以外にはありません。これは喪った命が多すぎたという感傷です。そういう意味でも、テオドール君が生き残りそしてあの竜を討ったことはどれだけの言葉を尽くしても足りないでしょう」
「……やはり気持ちが悪いので、敬語はやめていただけないか」
「……仕方のない奴だな君は」
意外にも、我々の兄同士も仲がよいようだ。何故か私だけが会話に入れずぽつんと置いていかれている感覚があるが、まあ、やる気がないので仕方がない。
やることもないのでそっとテオドールの方を見ると、ぱちりと目が合った。慌てて逸らすのもおかしい気がしたので、そのままでいると兄がごほんとわざとらしく咳払いをする。
「話が変わるが、テオドール君」
「はい」
「国の困難を遠ざけた君の素晴らしい武功には、報奨はあってしかるべきだ。そしてその報奨は君が望むものであるべきだろう。しかし、それが何故我が家のサマンサだったのか、それを問うてもいいだろうか」
兄はそう聞いたがその声は質問というよりは詰問というか、罪人に罪を白状させるような色をしていた。ジュリアンの眉がぴくりと僅かに動き、しかしテオドールは冷静に頷く。
「サマンサ嬢とは学年が同じで、ずっと憧れを持っておりました。……何度も忘れようとしましたが、どうしても忘れられなかった。貴族としても一人の男としても婚約者のいらっしゃるご令嬢に横恋慕など、褒められたことではないと自覚しております。ですが、それでもサマンサ嬢の隣に立つ権利が欲しかったのです」
「……妹からは聞いていないが、君たちは学生時代に何かあったのか?」
「いいえ、お兄様。我が家の恥になるようなことは何も」
「……」
「何も」
テオドールが答えるよりも早く、私は兄の言葉を遮った。無言でじっと見降ろされるが、私もこれ以上は答えないと頷く。……私は自身の恋愛事情を親兄弟に話したくない性質なのだ。それにお付き合いをしていたといっても、あんなおままごとみたいなのは付き合っていた内にも入らないだろう。何もなかった、そう、何ひとつとしてなかった。
「……ネイサン、この状況の何が不満だと?」
「王命に不満などありはしない、それはフリーデン伯爵家の総意だ。しかしこちらの態度をわざわざそう受けるということは、貴殿らにそういうやましさがあるからではないか?」
「確かに手順の不手際は認めよう。恥ずかしながら、我々も弟がこんなことを言い出すとは思ってもみなかった。ライデンシャフト侯爵家として対応が後手に回ったのはそのせいで、それには当主代理として謝罪をしよう。しかし、ネイサン。貴方は本当にあんなのと妹君を結婚させるつもりだったのか、正気を疑うぞ」
「他家の縁組に口出しをするなど偉くなったものだな、ジュリアン。そちらのほうが正気を疑う」
「少なくとも竜殺しの英雄と取り換えができる程度の男ではなかった」
「であるから感謝をしろと? 傲慢も大概にしたらどうだ」
少しだけ和んでいた空気が、一気に凍り付いた。兄たちはやはり仲が悪かったのか、いや、言いたいことを言い合える仲だったのかもしれない。しかしここは既に学園ではなく彼らは学生でもない。さらにここは王城だ。どこで誰が聞いていて、何を言われるか分かったものではない。
「お兄様、王が整えられた祝賀会であまり声を高くするべきではありません。ジュリアン様も、どうか」
「……分かっている」
「……その通りだな、すまない」
兄たちはすぐに冷静さを取り戻してくれたが、これでは埒が明かない。私はもう一度、テオドールを見た。やはり彼もこちらを見ていた。
「……お兄様たちも積もるお話があるようですし、わたくしは少しテオドール様と二人でお話をして参ります」
「は? いや、待ちなさい、サマン――」
「ああ、それはいいサマンサ嬢!」
「おい、ジュリアン!」
さり気なく移動をしテオドールの腕を取った私を兄が止めようとしたが、それはジュリアンに阻止された。あの巨体を恐れもせずぐいと押しのけるだなんて、素晴らしい手腕だ。やはりジュリアンは兄と仲がよかったらしい。でなければ騎士として名を馳せている兄が、武道の嗜みがなさそうなジュリアンにあんなことを許す筈がないのだ。
「テオドール、お前も彼女と二人で話したいことがあるだろう?」
「それは、はい、ですが……」
テオドールが遠慮がちに兄を見たが、今度は私がそれを遮る。
「では、お兄様、また後で」
「……どこぞの部屋に入るのは許さないからな」
「分かっております!」
なんてことを言うのだと怒りながら、私はテオドールの腕を掴んで引っ張るようにテラスに連れて行った。テラスは少し風が吹いていて冷えるが、このくらいなら我慢ができるだろう。
ちなみにパーティーの最中に部屋に入るというのは本来はただの休憩のことだが、男女二人だけで入るとなると意味合いが随分と異なってくる。こういったパーティーでしか会えない秘密の恋人との密会に使われることが多く、パーティー経験の乏しい未婚の貴族令嬢などは近寄ってはいけませんと何度も釘を刺されるのだ。しかしそれは今言うことじゃない。長兄は私のことを何だと思っているのか。二番目以降の兄たちや姉たちはあそこまでではないのに、長兄であるネイサンは心配性で困る。
しかし、いつまでも兄に対して怒ったところでどうしようもない。私は腕を掴んでいた手を放し、黙ったままでテオドールと向き直った。
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