02 プロポーズ
メロディは誕生日を迎え、十八歳になった。
ついに……正真正銘の成人だわ!
貴族の女性は正式な社交デビューをすることによって大人とみなされる。
これは女性の結婚が十六歳から認められること、既婚女性は成人扱いになるからでもある。
しかし、エルグラードの法律では十八歳が成人。
メロディは正式な社交デビューをしたために大人でありつつも、法律上においては年齢と未婚のせいで未成年という極めて曖昧な立場だった。
それが誕生日を迎えたことによって、社会的にも法律的にも大人であり成人であるという立場になった。
覚悟を決めるのよ、メロディ! いいえ、覚悟をするのはヘンデル様の方だわ!
メロディは王宮の催事に参加した。
そして、ヘンデルに極めて重要な話があると言い、二人きりになれるバルコニーへ移動してくれるよう懇願した。
ヘンデルは王太子の側近を務める権力者。
バルコニーは誰かに聞かれる確率が高いと判断し、王族の側近だけが使用できる控えの間の方で話を聞くことにした。
「どんな話かな?」
「私と結婚してください!」
メロディは勇気を振り絞って叫んだ。
「必ず幸せにします! 領地経営も一生懸命勉強します。それ以外のことも全部ヘンデル様の望む女性になるよう努めます。だから、受けてください!」
渾身のプロポーズ。
メロディは返事を聞きたい気持ちと聞きたくない気持ちのはざまにいた。
だが、時間は止まらない。過ぎていく。
ヘンデルの返事がメロディに届くまですぐだった。
「ごめんね。無理かな」
ああ……。
そう言われるだろうという予想をメロディはしていた。
ヘンデルから見れば自分は子供。
十八歳になっても小娘なのは同じ。
それでも恐れず前へ進もうと思い、メロディは伝えた。
ヘンデルに自分の気持ちを伝えなければ、この恋はどうにもならないと感じていたからでもある。
「どうしてですか?」
メロディは尋ねた。
「私のどこが駄目なのでしょうか?」
メロディはヘンデルを真っすぐに見つめた。
「世間一般的には高条件です。貴族で侯爵位と領地つき、容姿も優れている方だと言われます。学力だってエルグラード最難関の王立大学に入学できるほどあります。特技のピアノは国際レベル、礼儀作法も習得しています。リーナ様のブライズメイドのサポートメンバーにも選ばれました。王家にも国にも相応に評価されていると思っています。どこが駄目なのですか?」
「年齢かな。下過ぎる」
やっぱり……。
メロディはうなだれた。
「じゃあ、次は俺の番だ。メロディは俺のどこがいいわけ?」
「全部です」
メロディは即答した。
「具体的に言ってみて?」
「信頼できる男性です。優しくて誠実で細かい気遣いもできます。だからこそ、王太子殿下にも評価されていますし、側近を務めるほど優秀な方です」
「他にある?」
「身分だってあります。爵位も領地も。王立大学を卒業されるほど頭が良いですし、体術も特技だと聞きました。友人も沢山いて、他国の高貴な方々とも親しいです。女性にだって人気があります。とにかく良い所ばかりで、私以上の高条件です!」
「そっか。でも、そのほとんどは本当の俺じゃないよ?」
ヘンデルは苦笑した。
「事実は多いと思う。でも、所詮は生まれつきあるものや見てどうかというだけだ」
王太子に信頼されているとしても、他の者に信頼されているとは限らない。
優しいと思う者はかなり少ない。人使いが荒いと言われる。
誠実ではない。大嘘つき。
気遣いをするのはその必要があるから。何もなくても気遣うわけではない。
ヘンデルは次々と自分がどんな人間かを暴露した。
「俺はメロディの前で良いなって感じの男性を演じているだけだよ。一生メロディのために演じ続けるなんて無理だ。俺は自分のままでいても大丈夫な女性と結婚するよ。そもそもメロディは跡継ぎじゃないか。俺とは結婚できないよ?」
「できます!」
メロディは叫んだ。
「自分の領地は自分で管理します! ヘンデル様に丸投げしません! 二人以上子供を産めば、一人にヘンデル様の爵位と領地を継がせて、もう一人に私の領地を継がせればいいですよね?」
「俺は大人の女性が好きなんだよね。メロディはまだまだ子供だよ。可愛いし綺麗だとは思う。でも、恋愛や結婚の対象じゃない」
メロディはより深くうなだれた。
「俺なりに一線を引いているのはアピールしていたつもりだけどなあ。わからなかった?」
「わかっていました。でも……初めて現実の男性を好きになりました」
ずっと男性のことを怖いと思っていたが、ヘンデルのことは怖くない。
「私が知っているヘンデル様は本当のヘンデル様ではないことを、ヘンデル様はわざわざ教えてくださいました。そんなヘンデル様が好きです! ますます好きになりました!」
それがメロディの本心。
「ヘンデル様から見ると私は子供かもしれません。でも、数年経てば変わるかもしれませんよね? その時に少しでも良さそうだと感じたら声をかけてください。一生、お声がかかるのを待っていますから!」
「重いなあ」
ヘンデルはため息をついた。
「まあいいや。じゃあ、そういうことで」
「待ってください!」
メロディはヘンデルを呼び止めた。
「ちゃんと挨拶をしてください。適当では嫌です。ヘンデル様にとっては早く終わりにしたい状況かもしれませんが、私にとっては違います!」
「話はここまでだ。他の側近がここを使用するかもしれない。部屋を出よう」
ヘンデルは部屋を出るよううながしたが、メロディはドレスを握り締めたまま動かない。
泣きそうだな……。
とはいえ、側近用の部屋に長居はできない。
ヘンデルはドアの方へ移動しようとした。
すると、メロディが後ろから抱きついた。
「ヘンデル様……」
懇願。
メロディなりの最終手段だった。
「体術が得意な俺の背中を取るなんて、メロディは凄いなあ」
冗談。
だが、困ったというのがヘンデルの気持ち。
「離して貰えるかな?」
「キスしてくれるなら離します」
ヘンデルは耳を疑った。
「せめて、思い出をください! 初めてのキスは初恋の人としたいのです。ヘンデル様と!」
「それは駄目だと思うよ?」
メロディはそれでよくても、他の者達は違う。
ヘンデルの妹達、友人、関係者もろもろ。激怒するのは間違いない。
百害あって一利なしだとヘンデルは確信していた。
「絶対に俺よりもいいやつがいるから。もう少し取っておく方がいい。経験豊富な俺が言うだけに間違いないよ。いい子だから、ね?」
「嫌です! 私にはヘンデル様しかいません!」
「子供だなあ。だから、駄目なんだよ。わかってくれないかな?」
「そうやって逃げようとしているのはわかっています! キスしてくれるまで離しません!」
ヘンデルは苦笑した。
後ろから抱きつかれた状態で、キスできるわけがないと思いながら。
「じゃあ、キスの代わりに別のものにしよう」
「嫌です!」
「交際でも?」
ピクリ。
メロディは反応した。
「私と交際していただけるのですか?」
「そう。でも、恋人じゃない。友人でもない。知り合いとしてだ」
「狡いです!」
メロディは叫んだ。
「今だって知り合いです。何も変わりません!」
「そんなことないよ」
ヘンデルは落ち着いた声で答えた。
「俺はメロディのことを恋人にも結婚相手にも考えていなかった。でも、検討してあげるよ。年齢的にも婚活しないとだし、良い相手がいなければメロディで妥協するかもしれない。そのためには俺の妹達の知り合いじゃなくて、俺自身の知り合いになった方がいいんじゃないかなあ?」
メロディの心が揺れた。
「でも、知り合いなんて……恋人にしてください。非公式で構いません!」
「無理無理。非公式の恋人がいたら婚活しにくいし、俺の評判が落ちる。もしかして、メロディは俺にハニートラップを仕掛けているのかな?」
メロディはハッとした。
ヘンデルは王太子の親友兼側近だけに権力者。
だからこそ、評判を落とし、失脚させようとする者もいる。
若い女性との醜聞は格好のネタだった。
「俺の足を引っ張ろうと思う者は大勢いるからね。上の方に相談して厳しい対処をしないといけなくなる。違うならすぐに手を離すべきだ。メロディだって突然異性に抱きつかれたら困るよね?」
メロディはすぐに手を離した。
「ごめんなさい」
「うん。すぐに謝れるのはいいね。許してあげるから、これ以上は駄目だよ?」
「はい」
「俺はメロディを大事にしたい。だから、何でもいいよって簡単には言わない。年上の者として、大人として、駄目なことは駄目だっていうのが義務だと思う。ごめんね」
「子供でごめんなさい」
メロディも謝った。
「大人になります。ヘンデル様に成長したって言われるようになってみせます。絶対に結婚したくなるような女性になりますから!」
「楽しみだなあ」
ヘンデルは笑った。
「一ポイントぐらいは評価が上がりましたか?」
「上がった。一ポイントぐらいはね」
「嬉しいです」
メロディは喜んだ。
「私、少しずつポイントを稼ぎます。一番ポイントが高い女性になったら結婚してくれるかもしれませんよね?」
「逆かもしれないよ?」
ヘンデルは答えた。
「ポイントが低い女性と結婚するかもしれないしね?」
メロディは驚いた。
「どうしてですか? 普通は高い方ですよね?」
「恋愛小説に政略結婚はつきものじゃないかな? 高身分者にもね」
メロディはひるんだ。
ヘンデルは王太子の側近。政略結婚の重要性が高い。
かつて宰相は国王による政略結婚を命じられた。
ヘンデルもまた王太子に政略結婚を命じられるかもしれない。
そのせいで高条件なのに独身だったとか……?
メロディの頭の中は疑問符、心の中は不安でいっぱいになった。
「俺はクオンを一生支えるつもりだ。だから、他のことに構っている暇がない。俺にとって都合の良いどうにでもなる女性の方がいいかなあ」
「でも……跡継ぎです。領地だって三つもあります。ちゃんとした女性じゃないと困るのでは? 子供も必要ですし、母親になる女性です」
「そうだねえ」
ヘンデルはため息をついた。
「跡継ぎは大変だ。次男とか三男なら結婚も子供のこともうるさく言われない。メロディは跡継ぎでなければって思ったことはないかな? 俺は思ったことがあるよ」
メロディは驚くしかない。
まさかの共通点があった。
「周囲は妻に領地を任せればいいと言う。でも、俺は嫌だ。今はじいさんの方で決めているけれど、いずれは俺が全部決める」
「大変では?」
王太子の側近は激務だ。
そもそも官僚の仕事と領主や跡継ぎの仕事を両立すること自体が難しい。
親が健在な若い頃は官僚になり、その後の状況や時期を見て領主業を専任で担うよう変更する者がほとんどだ。
ヘンデルも同じはずだが、王太子の側近として一生残って欲しいという者が多くいるからこそ、妻に領主業は任せればいいと思われている。
「大変でもやるしかない。俺の両親は領主業に向いていないからねえ」
メロディには意外だった。
「イレビオール伯爵夫妻は領主業をされていると思いましたが?」
「しているよ。でも、優秀な補佐役という名の監視がついている。最終決定はじいさんがしているよ」
シャルゴット侯爵家は三つの領地を持っている。
シャルゴット侯爵がシャルゴット領、息子のイレビオール伯爵がイレビオール領、その妻のイレビオール伯爵夫人がヴィルスラウン領を見ていることになっている。
だが、あくまでも表向きの話でしかない。
実際はシャルゴットの当主であるシャルゴット侯爵が全ての領地を見ている。
最終決定を行うのは全てシャルゴット侯爵だ。
「うちの母親は内々で結構やらかしていてさ。同じような女性はごめんだね」
ヘンデルの母親であるイレビオール夫人は自立心と商才がある女性だ。
平民の商人なら成功していたかもしれないが、領主は商人ではない。
領から生み出した金は侯爵家のものだとしても、それをまた率先して領のために使うのが領主の務めだった。
だが、イレビオール伯爵夫人は領主代理の権限で自分名義の個人財産を蓄えた。
家族でなければ、公的権力を悪用して私利私欲に走ったということになる。
シャルゴット侯爵は激怒したが、夫のイレビオール伯爵が庇ったこともあって表沙汰にしなかった。
イレビオール伯爵夫人の目的が散財ではなく、青玉会の正会員になる条件を満たすためだったからでもある。
しかし、ヘンデルは母親を残念な女性だと思わずにはいられなかった。
人々に賞賛されるような立派な活動をするのではなく、由緒正しい社交クラブの正会員になることで自身の名誉を得ようとした。
効率よく目的を達成することができるとしても、人として尊敬できない。
家族の信用を失ってしまう方法を選んだことをわかっていなかった。
「俺もメロディも領主になる。その判断次第で、領民は命を失うかもしれない。幸せになれるかもしれない。どっちがいいかな?」
「幸せになれる方です」
「そうだ。誰だって幸せになりたいよね? 俺やメロディが領民を幸せにするんだ。それはとても素晴らしいことだし、やりがいもある。ただ、俺やメロディの幸せもある。全員が幸せになれる方法を考えるのが真の責務だ」
「難しいですね」
メロディは責務の重さを感じた。
「そうだね。でも、判断は一人一人違う。領地の管理は代理人に丸投げでいいという者もね。それで本人も領民も満足できるならいいんじゃないかなあ?」
「簡単そうに思えてきました」
「もっと周囲を見てごらん。メロディがその気になれば、俺より広い世界を見渡せる。自分にも領地にも役立ちそうな男性が沢山いるよ」
「さりげなく別の男性を勧めないでください!」
「堂々と言ったつもりだけど?」
不満気な表情をするメロディを見て、ヘンデルは温かい笑みを浮かべた。
「やっぱり子供だって思いましたか?」
「子供みたいに可愛いなって思っただけだよ」
ヘンデルはさらりと答えた。
「喉が渇いた。飲みものを取りに行こう。お酒は大丈夫?」
「飲めます。成人ですから」
「そう言う意味じゃない」
「少しだけです。沢山は飲みません」
「乾杯や食事の時に出ても大丈夫だよね?」
「乾杯の時に飲んだ量を見て、その後で調整します」
「偉いなあ。大人だなあ。でも、どのぐらい飲めるか試そうとする者には注意しないと駄目だよ」
「保護者モード全開ですね」
「エスコート役はそういうものだよ。大人の男性もね」
「素敵です」
「俺としてはうざい保護者モードでポイントを下げたいのに、むしろ上がっちゃった感じ?」
「すでに最高ポイントだったのに、上限が増えて追加されました」
「もっと精進してポイントを下げないとだなあ」
「私はポイントを上げる方です。精進します」
「精進する者同士だねえ」
二人は笑いながら飲み物のある部屋へと向かった。