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遂行から終焉まで

6月19日の23時、良子は部屋に入るとパジャマを脱ぎ、用意していた黒いワンピースに着替えた。

買ってきた斧と、逃亡用の荷物が入ったトートバッグをベッド脇に置き、ベッドに寝転がって時計を見た。

決行は、早朝4時だ。


良子はずっと眠らずに、早朝4時になったのを見計らって斧を持ち、廊下に出た。

父の部屋の前まで行くと、音を立てないように、スライド式のドアをそーっと開ける。

部屋を覗くと、父親が左半身を下にして、横向きに眠っているのがはっきりと見えた。

あらかじめ暗がりに目を慣らしておいた甲斐があった。

見当違いな箇所を切ってしまって、抵抗されたら何もかも無駄になる。

忍び足で父親に近づき、斧の柄をギュッと握って耳をすませると、深く規則正しい寝息が聞こえてくる。

熟睡している。今だ。

一撃で、首を切るのだ。

ギロチンのように、素早く、確実に。

父親の首の位置をしっかりと見極め、天井に届きそうなほど斧を高く上げると、力いっぱい振り下ろした。

ヒュッと風を切るような音がした後、ザックリと首が切れた感触が手に伝わり、勢いよく血が吹き出した。

生温かい血が頬に飛んで、目に入りそうになる。

死んだだろうか?

頬に飛んだ血を拭い、父親の首に顔を近づけてみると、かすかに呼吸音が聞こえた。

ダメだ、まだ生きている。

もう1度、斧を高く上げ、振り落とす。

さらにもう1回、あともう1回。

そうして何度か切りつけると、呼吸音はしなくなった。

部屋に入ったときと同じように、忍び足で父の部屋を出て、階段も1段1段、音を立てないようにゆっくりゆっくり降りていく。

斧を台所の床に置き、すぐさま台所の棚からゴミ袋を取り出すと、黒いワンピースを脱ぎ、その中にワンピースを入れた。

下着姿のまま洗面所に向かい、顔に付いた血を洗い流すとワンピースを入れたゴミ袋を持って、また階段をゆっくり上がっていき、自室に入っていく。

逃走用に用意していた服に急いで着替えると、トートバッグを持ち、また階段をゆっくり降りた。

靴置き場に置いていたスニーカーを履いて、玄関のドアを、音を立てないようにおそるおそる開いて外に出て、後ろ手に閉じると誰かに背を押されたように、そこから一気に駆け出した。

上手くいった!父を殺せた!

優美が待っている、急がなくては!

あの子は、上手くいっただろうか、少し心配だったが、今はただ、約束の場所まで走ることしか頭に無かった。




待ち合わせ場所のE駅の改札口まで向かうと、黒いリュックサックを背負って不安そうに俯く優美がいた。

ああ、良かった。無事に来れたのだ。

「優美!」

名前を呼ばれた途端、不安そうだった優美の顔がパッと華やいだ。

「良子、来れたんだね。」

「うん、ほら早く、電車に乗ろう。お金持ってきた?」

「うん。」

2人とも切符を買って改札をくぐると、急いで始発の電車に乗った。

早朝の車内は無人に等しく、棺桶の中のように静かだった。

「あのさ、S駅行くなら、前にしてた約束、その、ちゃんと守りたいな、と思って。化粧したいって言ってたでしょ?」

座席に座るなり、良子がトートバッグからバニティポーチを取り出した。

「覚えてたんだね。」

優美は嬉しくなった。

そんな些細な約束、良子はもう忘れているだろうと思っていたが、こうして覚えてくれていたのだ。

「向こう着いたら、化粧してあげるね。」

「ありがとう、楽しみにしてるね。」

優美はますます嬉しさがこみ上げて来た。

「優美は赤リップが似合うと思う。」

良子が優美の唇に指を這わせた。 

そんなことをされると、優美はなんだか照れ臭くて、頬も耳もかあっと熱くなった。



S駅には、ものの20分程度で着いた。

この駅のトイレには広いパウダールームがあるから、そこで化粧をしようと良子が提案し、優美もそれに賛成した。

2人でトイレのパウダールームに入ると、良子が小さな机の上にバニティポーチを置いて開け、右手にアイライナーを持つと、息がかかるほどに顔と顔を近づけた。

「優美、目を閉じて。」

優美が言われた通りに目を閉じると、目にアイライナーが触れる感触がした。

次は目を開けるように言われ、マスカラで睫毛を伸ばされる。

続いて赤いリップを唇に塗った。

「終わったよ。」

「早くない?」

「バタバタしてたから、化粧品あんまり持ってこれなくて…それに、ちんたらやってると、誰か来て止められそうだし、決めるなら早くしたほうがいいと思う。」

良子が開け放したバニティポーチにリップを入れる。

よく見ると、中身はそんなに入っていない。

「それに、優美はそれだけで十分綺麗だよ。」

良子が微笑む。

優美の唇に赤リップを塗れただけでも、良子は満足なのだ。

「良子はしないの?あと、荷物どうしよう?」

「全部そのままでいいよ、どうせ、もう要らないし。」

「そうだね。」

2人は大した量が無い荷物をパウダールームに置いたままトイレを出ると、駅のホームに向かった。

ホームに向かう途中、白地に赤い文字ではっきりと「あの人に支えられて、今を生きている」とだけ書かれている看板を見つけた。

S駅は、地元では有名な自殺の名所なのだ。




良子に、ここに行こうと誘いだしてから、父の殺害の実行に至るまで何度も話し合った。

本当にやるのか、諦めるなら今のうちだと。

その都度、答えは同じだった。

父を殺さずに生きてもいいことは無い。

でも父を殺して、牢屋に入り、人殺しの汚名を被って生き続けるのも耐えられない。

それだけならまだしも、お互い離れ離れになるかもしれない。

だったら、父を殺した後、一緒に死んでしまおう。

優美は良子と共に逝きたい。

良子は優美と共に逝きたい。

お互いの気持ちは一致し、今ここに辿り着いた。

天井から下がっている電工掲示板を見る。

最短のものだと、あと1分で電車がやってくるのがわかる。

「あの電車にしよっか、良子。」

今まで、大半の事を良子に任せ、手を引かれてばかりいたから、今度は自分が良子の手を引いてあげよう、と優美が手を差し出した。

「うん。」

良子が応えるように、優美の手を取り、お互いの手をギュッと握り合う。

線路すれすれまで歩み寄り、後は電車が来るのを待つだけだ。

不思議と怖くはない。

だけど、どうしたわけか、悲しくもないのに涙が出た。

ああ、お化粧が流れちゃう。

でももうすぐ、涙を流すこともなくなる。電車が近づいてくる。

2人同時に、体を線路に傾けた。

途端、2人ともグイッと襟首を誰かに引っ張られた感触がして、視界が回転したかと思うと、足元がふらつき、まともに立っていられず尻餅をついた。


「君たち何してるんだ!」

どうやらそばにいた駅員が、線路に傾いていた2人の体をホームに引っ張り戻したらしい。

「自殺の名所」などという汚名を受けているだけあって、ここの駅員たちもそれらしき人がいれば即座に対処できるように人一倍気を配り、勘の良い駅員は早くに察してしまうのだ。

2人は引きずられるようにして駅員に連れて行かれ、警察に連絡が届いた。

ほんの数時間程度の、あっという間の逃亡劇だった。


その日の夕方、2人は殺人の容疑でN県警に緊急逮捕された。

優美はこのとき居合わせた警察官から、患者の容態が急変した旨を勤務先の病院から受けて、父は深夜のうちに家を出ていた上、愛する母と可愛い弟がもうすでに死亡していることを聞かされた。

皮肉にも、殺したいと願った父だけが生き残ってしまった。

優美はその場でうわーん、と大声で泣き、良子は放心状態で立ち尽くした



後に、この事件は「N県自宅放火殺人事件」「K市警察官殺害事件」総称して「S駅女子高生心中未遂事件」と呼ばれることになる。

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