優美と良子
20XX年6月5日。
優美がいつものようにスクールバスが停まるバス停まで行くと、他の生徒たちに混じって、親友の田辺良子が先に来ているのが見えた。
良子の髪型は腰まで伸びたストレートヘアにサイドの髪を顎の長さでカットした、所謂、姫カットと呼ばれる特徴的な髪型にしている。
だから、すごく目立つし大勢の中にいても、遠くからでもすぐに分かる。
本人曰く、小顔に見えるからこんな髪型にしているそうだ。
長すぎてケアも大変だし、汗や雨で髪が濡れるとサイドの髪が頬についたりして、見るからに邪魔そうだが、こだわりの強い良子はいつまでもこの髪型にしている。
周りから切ればいいのに、と言われても頑として譲らない。
「ここ、赤くなってるね。」
いつもなら真っ先に「おはよう」というところだったが、良子の左頬が赤く腫れていたのが気になって、そんな第一一声となった。
「またオヤジがやったの。」
良子が忌々しそうな顔をした。
「私は問題解くの遅いって言われて、昨日ここにシャーペン刺されたよ。」
優美がきっちりと切られたボブヘアの前髪をかき分けて、額を晒した。
由美の額には数ヶ所、ポツポツと穴のようなものが見えて、それが赤く腫れているのが見えた。
「うっわ、痛そう。」
良子が顔をしかめた途端、バスがエンジン音を響かせながらやってくる。
他の生徒と一緒になってバスに乗り込むと、いつも通り、2人乗りの席に優美が窓際、良子が通路側に並んで座った。
緑色のベロアで覆われた座席は心地良いけれど、2人は憂鬱だった。
今日は中間テストの結果が返ってくるのだ。
「結果、絶対ダメだと思う。全然解らなかったもん。」
優美は今にも泣きそうな顔をして、隣に座った良子の肩に頬を乗せると、重い体を寄りかからせた。
「私も。」
良子が優美の手を強く握り、優美がそれに応えるように握り返す。
おまじないのようなもので、こうしてお互いの手を握っていると何となく落ち着くのだ。
2人が通っている高校は、中高一貫教育の私立の女子校で、県下随一の進学校として知られている。
優美と良子は、この学校に入学した中学1年生のときから3年間、全く衝突したことが無いほどの親友同士だ。
温厚で従順な優美と、頑固でこだわりが強い良子の気質は全くの正反対で、だからこそ凹と凸がぴったり合わさるようにして、2人の関係は良好なままでいられたのだろう。
6月20日になると、保護者会が開催される予定がある。
5月末に行われたテストの結果を、保護者に説明するためのものだ。
保護者会では、自分の子の点数が書かれた用紙と学年全体の点数分布表が配られるため、我が子の成績が、学年でどの位置にあるか一目で分かる仕組みになっている。
進学校ならではのシステムと言えるかもしれない。
優美が憂いているのはまさにこれだった。
1限目の授業が始まってすぐに、担任教師から出席番号順に名前を呼ばれ、採点された英語の答案用紙を受け取る。
優美は今回のテストで、全体の成績が平均点から離れている想像はついていたので、ドキドキしながら自分の席に座って、答案用紙を見た。
答案用紙の右上に、赤色のサインペンを使って大きな字で「51」と書かれていた。
点数を見て、優美は急に体全体の力が抜けて、ああ、やっぱりダメだった、どうしよう、と思った。
「今回の英語の学年平均は71点、このクラスの平均点は72点です。」
全員に答案用紙を返し終えると、担任教師の説明が始まった。
優美は担任教師が話している間、ずっと呆然としていたけれど、話の途中で急に我に返って、頭の中で父親が般若のように顔を歪めて、怒鳴り散らしている姿が浮かんだ。
自分の成績が、平均点より20点下回っている。
父親には「今回は難しかった」と言ってはいたけれど、これほどまでに平均点より下回っていれば、これまでにないほどの暴力を受けるのでは無いかと恐ろしくなった。
こんなことを心配するようになって、この後の授業もすべてうわの空で、全くと言っていいほど耳に入ってこなかった。
「どうだった?」
チャイムが鳴って、1限目の授業が終わると良子が話しかけてくる。
「良子は?」
優美が質問に質問で返す。
「65点。やっぱ平均より下だったわ。」
良子の返答を聞いた優美の表情が曇った。
「私、51点。ダメだった・・・」
優美はいつもこうだ。
機嫌の良い時と、落ち込んだ時の落差が激しい。
機嫌の良いときはニコニコしていてよく話もするけれど、落ち込んだ時はこちらが見ていて辛くなるほどに落ち込む。
こうなるのは大体、テストの点数が悪いときで、父親からの折檻を恐れてのことだと良子も理解していた。
この日のうちに、全教科の答案用紙が返ってきた。
優美は4限目くらいまでは「どれか一教科でも、満点が取れていたりしないか」と期待していたが、結果は惨憺たるもので、どの教科も成績が芳しくなかった。
わずかな期待さえも見事に打ち砕かれた優美は、この日の授業は全てうわの空で、全く耳に入らなかった。
その様子が気になった良子は、休み時間の度に「大丈夫?」と優美の様子を伺った。
そのたびに優美は「大丈夫」と答えたが、こんなとき、ちっとも大丈夫では無いことを、良子は理解していた。