N県自宅放火殺人事件ならびにK市警察官殺害事件
初めて書いた微百合作品です
6月20日、朝5時半のN県T町の住宅街は、いつもなら住民の大半が寝静まっているはずだった。
ドーン!という音がどこからか鳴り響き、ガチャン!バリン!というガラスの砕け散る音がそれに続く。
さらにきな臭い煙が立ち込めてきたことで、近隣住民たちは跳ね起きた。
「大変だ、吉田さん家が火事だ!」
住民の男性は、網戸越しにオレンジ色の炎が舞い上がっているのを確認すると、自宅の電話から119番通報を入れた。
男性が外に飛び出してみると、すでに何人かの住民がその家の前に集まっていた。
「吉田さん!吉田さん!」
住民たちが開いている窓に向かって大声で呼びかけるが、返事はない。
まだ助けられるかもしれない、と男性は玄関のドアを開けようとするが、ドアノブはガチャガチャと空しく音を立てるだけで、回らない。
鍵がかかっているのだ。
その家の隣に住む女性が、繰り返しインターフォンを押す。
呼び出し音が鳴っているのは玄関越しに聞こえるが、やはり返答はない。
途端、家の中から「あー、あー」という逃げ惑うような悲鳴が聞こえた。
きっとこの家の奥さんの声だ、何とかして助けなければ、と住民たちは焦った。
同時に玄関と同じ家屋南側にある、ガラスの引き戸に目を移した。
──窓ガラスを割って家の中に入れば、間に合うかもしれない!
そう考えた住民の男性が、その場にあったこぶし大の石を拾って、引き戸に駆け寄る。
ガン、ガン、と石をぶつけてガラスを割ると、中から吹き出してきた黒煙と熱気が男性を襲った。
「無理か……」
思わずのけぞった男性は、救助に入ることを断念した。
築40年にもなる木造家屋は、炎に対してあまりに無防備で、舞い上がる黒煙とパチパチ音を立てる火の粉は、まるで住民を決して近づけまいと威嚇しているようだった。
消防署から緊急出動したタンク車とポンプ車が現場に到着した時、火災の勢いはまさに最高潮に達していた。
4本のホースによる消化作業が始まる。
放水直後に建物の屋根が燃え抜け、消防隊員が車載無線で応援の人員を呼ぶ声が響く。
約30分後、消防隊員の賢明な対応により延焼は免れたが、建物は完全に燃え落ちた。
鎮火後、消防隊員が玄関から家屋内に進入した。
火の勢いは弱まったとはいえ、予断を許さないため、タンク車のホースで注水しながら少しずつ進んでいく。
屋内には煙が充満し、ところどころにまだ赤い炎が見える。
ホースの水で火種が消されるたび「ジュッ、ジュッ」という音が上がる。
現場の状況からして、家人が中にいたとしても生存はほぼ絶望的だ。
だが隊員たちは無駄口を叩かず真剣に任務に集中する。
屋根瓦などの落下物が散乱する家の中を注意深く見て回った消防隊員が、成人女性と男児との遺体を発見した。
遺体の上にも屋根瓦が積み重なっている。
瓦を取り除くと、女性はうつ伏せの状態で焼死していた。
男児は母親の足を枕にして、まるで寄り添うような格好で息絶えていた。
死因は火災による一酸化炭素中毒で、2人は起き上がる間も無く気を失ったと見られる。
市内の病院に勤務していた女性の夫は、前日の深夜から勤めに出ていたため不在だった。
夫は鎮火後、警察官から携帯電話に連絡を受け、火事を知った。
すでに妻子の遺体が発見されていた、7時過ぎのことだった。
一方、この家のもう1人の住人である16歳の長女の遺体は発見には至らず、警察が周辺を含めて行方を捜すこととなった。
同時刻、T町の隣町にあたるK市の、新興住宅地と昔ながらの家屋が混在する閑静な住宅街を、パトカーが走っていた。
K市に住む主婦から、「夫が首を切って、血を流して死んでいる」という通報を受けて、警察官がその家に駆けつけたところ、通報した女性は、玄関にある電話台に寄りかかるようにして、放心状態で座り込んでいた。
「旦那さんは?」
座り込んでいる女性に、警察官が尋ねた。
「……上です。上に、いるんです。階段を上がっていって、すぐの部屋……」
女性は体を小刻みに震わせながら答えた。
この家は玄関に入ってすぐ、向かって左側に、2階に続く階段がある。
警察官が階段を昇って2階に行くと、女性の言う通り、上がってすぐ右側の方向に部屋があり、そこのドアが開きっぱなしになっていた。
そこから、異常なほどに強い血の臭いが鼻をついてくる。
中に入ってみると、女性の言う通り、彼女の夫と見られる男性が、ベッドで血塗れで死亡していることが確認された。
後の取り調べでは、女性はこの惨状を目の当たりにして驚き、パニック状態で這うようにして1階に降りた後、なんとか玄関の電話台まで移動して通報、そのまま脱力して、その場に座り込んだのだと述べている。
死亡していた男性は、ランニングシャツにトランクス姿で、ベッドに左半身を下にして、横向きで倒れていた。
死因は首を切りつけられたことによる失血死で、凶器は後ほど発見された刃渡り11センチ、全長約30センチの木製の柄がついた斧と推測された。
どうしたわけか、この斧はダイニングキッチンに捨てられたように転がっていて、警察官は見つけるのに大した手間を取らなかったという。
凶器は、高いところから勢いよく何度も振り下ろされたらしく、そのせいで部屋のカーテンや天井にまで、男性の血液が飛び散っていた。
男性は首の右側から左側にかけて、2カ所は深く切られたほか、もう2カ所ほど浅い切り傷があり、腕や肩にも浅い切り傷がいくつか見受けられた。
最も深い傷は骨にまで達しているらしく、ばっくりと開いた傷口から落ちたのであろう首の骨の破片が、ベッドのシーツにいくつも転がっていたことが確認できた。
強く抵抗した跡や、部屋が荒らされた様子はなく、寝込みを襲われて即死状態だったと見られている。
すぐさま、現場周辺の細い路地は警察官たちが「立ち入り禁止」と書かれた黄色いテープを張って通行止めにし、その様子を近隣住民たちが遠巻きに見つめながら、「一体何が起きたのか」とざわついている。
寝室で死亡していた男性は、地元の警察署に勤務する巡査部長で、駆けつけた警察官も顔を知っていた。
確認を取ったところ、自宅には男性の隣の部屋で寝ていたはずの次女の姿が見当たらず、警察からの連絡を受けて駆けつけた長女は、「(父の殺害は)妹がやったのではないか」と述べている。
警察は次女の不在も、事件と何らかの関連性があると見て、引き続き捜査することとなった。
後に「N県自宅放火殺人事件」「K市警察官殺害事件」と呼ばれることになるこの2つの事件は思わぬ形で繋がっていて、また、思わぬ形で終息することとなる。