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7.

 この様にして、狩人は狼を退治した。

 それは、騎士とは似て非なる結末である。

 竜に戦いを挑んだ騎士は、雌雄を決する戦いにて共に敗れ去った。

 今狩人は、その騎士とは違う道を進んでいる。

 彼が行く道。

 そこは幸福と呼べる最期に続いているのだろうか。

 僭越ながら先に言ってしまうと、それは否、である。

 部隊が変わろうとも、また、役者が変わろうとも。

 復讐者を待っている者に、変わりはないのだから……


 九年九ヶ月九日後の地球。

 『機巧都市(アーティファクトシティ)』伯林の郊外にある住宅地。

 昔ながらの樹と石と煉瓦で築かれたその家の庭先に、ハンス・エーヴァルトは居た。

 冬の大寒波を抜けてようやく巡ってきた小春の日和に、うとうとと瞳を瞑っている。

 だが、かつての彼を知る者ならば、その姿にいささか困惑しただろう。

 年齢で言えばまだ三十代半ばである筈の彼は、すっかり老け込んでいた。灰色の髪は艶が無くなり、額も大きく後退して、顔全体に老年によって出来た皺が深く刻まれている。常用していたサングラスは木彫りの老眼鏡に代わっており、精巧な色艶を持つプラスチック製の義手と化した右腕は変化の無い色合いを浮かべているが、左手の萎び具合と来たら、まるで冷蔵庫の中に幾日も放置されていた野菜の様。肩幅や背丈も、姿勢の所為か小さくなった風に見える。より顕著なのは、全自動式の車椅子に乗っている事であり、タオルケットの下から出た脚は、それが機能を失っている事を形で示していた。

「ハンス。お茶が入りましたよハンス……ハンス?」

 その耳に少女の声が飛び込み、ハンスははっと身を起こした。

 義手で額を押さえながら頭を振り、軽く吐息を吐いて、

「嗚呼……嗚呼、テレスか。どうした、グレゴールでも来たか? 突然に困った男だな」

「……お茶が入りました」

 表情も無く、テレスは御盆を彼の膝の上に乗せた。震動で珈琲が僅かに毀れ、クーヘンの皿に掛かってしまう。ハンスはおっとと手を伸ばすと、カップを持って口に寄せる。

「危なっかしいな……確かに、良く聞かなかった私が悪いが」

「そう思うのでしたら補聴器でも義耳でもお付けになれば宜しいのに。脚も含めて」

 白い視線が射る様に衰えた男を見据える。彼は、いやいやと首を横に振って応えた。

「余りに不自然なものは良くない。それを無理したから、今の私がある」

 だからこそ、これは罰の様なものだ、と。

 その言葉に、テレスは語気を強めて、

「ではその右腕はどうなのです。それに私の体は」

「そのどちらも、元々の形に戻っただけさ。在るべき形に、在った筈の形に。それは失ったものと一緒では無いけれど、同じ位の意味を見出す事は出来る」

 ごくり、と珈琲を飲み干しながら、ハンスは老成した笑みを浮かべると、彼女を見る。その体は華奢だが丸みを帯びたもので、凹凸もある。着ているものも白いワンピースであり、如何にも女の子らしい。剥き出しとなった腕や脚は、頬の色と同じ様に白いものだ。

 見紛う事無き、少女型自動人形の胴体だった。

 テレスは、ハンスの視線を正面から受け止めると、眉間に皺を寄せて言う。

「そうして貴方は在るべきままに死ぬというのですか。義体にすれば見込みもあるのに」

「……そうだな。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

 対して返って来たのは曖昧なものであり、自動人形はますます顔を曇らせ、かつての狩人は、ただ珈琲を啜るだけだった。

 まだ僅かに肌寒さが残る風が二人の間を通って行く。


 イルザ・ヴォルフを倒したハンスは、ホリィ・ウェイトリィの元へ行った。

 先の礼をすると共に、約束通りテレスを迎えるが為に。

 貧民街(スラム)を通り抜け、廃病院の前に来れば、彼女が待っていた。相変わらずの無表情で、しかしながら、声の中に機械音声でも意図して紡げ無い優しさを込めて、

「お帰りなさいハンス」

「嗚呼……ただいまだ、テレス」

 ハンスが笑みを宿してそう応えれば、共に出迎えたホリィは、

「ちゃぁんと約束守るとはねぇ、あたしゃぽっくり逝く方に賭けてたんだが」

 雨夜の月(インビジブルムーン)の芳しい香りを吐き出しながらそう応えて、何度目かの苦笑いを浮かべさせた。

 それからハンスはテレスと共に地球へと戻った。元来た通りの順番で、マーニより『神々の住処(ヴァルハラ)』を経て『満たされし神の愛馬(ユグドラシル)』、そして地上へと。

 帰って来た彼は真っ先に、カヤの墓を訪れた。今だ根強く残っている基督教一派の教義に則り、儀式を終えて、埋葬された墓石の前に跪くと、

「終わったよカヤ」

 刻まれた名前に指を這わせつつ、そう呟く。

 誰かが言っていた、そんな事をしても彼女は戻って来ないし望んでもいないだろう、と。確かにその通り。失った者は戻らないし、その胸中もまた解るまい。

 だがそれでも、彼の心の内は爽やかだった。

 失った者を取り戻すのでは無く、先に行こうと願う程度の余地はあった。

 次いで彼は、言った当人であるグレゴール・ゲルヴィーヌスの元を訪問する。

 少し見ぬ間にすっかり変わってしまった友人の姿に最初驚いた彼は、だが為し遂げた事を告げ、テレスを紹介すると、何とも言い難い笑みを浮かべて言う。

「まぁ……お前がそれでいいならいいんだろうさ。生きて戻って来たお前が、さ」

 釣られてハンスも、そうだな、と微笑すれば、旧友は小さくも声を上げて笑った。

 そして家に戻れば、テレスとの暮らしが始まったけれど最初の内は大変だった。

 巨狼イルザを制した事で多額の賞金は得たものの、統一連邦当局から他犯罪者捕獲に対する直々の要請が来たり、月での違法改造手術がばれたりと、散々な目にあった。八つ当たり的に命を狙われた事も一度や二度では無い。

 結局、世界平和に対する貢献の為に、改造手術に関しては使用不可宣言の元、お咎めなしとなり、狩人としての資格も返上した事で、騒動もようやく沈静化した。たまに英雄信者の若造が話を聞きに来たりするが、その程度の事である。

 その中で、ハンスはテレスに少女用の胴体を購入してやった。

 ホリィの言う様に、自動人形は恐ろしい程高額であり、かつてはまず無理だったろうけれど、イルザの賞金を持ってすれば容易に手に入れられるもので、彼は彼女の為にオーダーメイドで一つこしらえた。逐一案を聞きながら、規格から素材まで全て統一したものを。

 今のテレスは、元の体に収まっている。正確には殆ど、であるし、一度消えた記憶が戻る訳でも無いが、彼女自身は気に言っている様だ。戦闘用並の出力を、主に買い物時に置ける競歩にて使用し、軍警察に捕まっては、高速道路(アウトバーン)でやれ高速道路で、と怒られている。その都度不満そうな小言を呟く彼女を見るに、ハンスはその出自へ想いを馳せるのだった。

 そんな彼の肉体に変化が起きていると気付いたのは、この頃からである。

 イルザとの死闘が余程無茶だったか、或いは改造手術が違法である事にはそれなりの理由があったのか、ハンスは急速に老い始めた。

 一年で五歳以上年を取り、見る間に青年から壮年を経て、老人へと変わって行く。

 特に両脚の老化は目に余るもので、直ぐに使い物にならなくなってしまった。

 グレゴールやテレス達はその姿を哀れみ、今度こそ再生手術や義体化を薦めたけれど、ハンスはそれらの全てを断った。

 これは自分がホリィに頼んで行わせた業であり、今更騒ぎたくは無い。

 それにもう自分は満足だから、と。

 狼を倒す事を目的として日々を過ごし、生きるか死ぬかの闘いを経てそれが叶った今、思い残す事は無かった。明日にでも妻の元へ旅立っても構わない程に。

 ただ二つ。

 テレスの未来と、イルザの最期を残しては、だが。


 強烈な風に髪が揺れ、義手でそれを押さえながらハンスは言った。

「嗚呼そうだ、テレス」

「はい、何でしょうか」

「今日の夕飯なんだがね、一つ食べたいものがあるんだ」

「はぁ、別に宜しいですけれど、一体何を所望されて?」

「そうだな、今日は蛸が食べてみたいんだが」

「……蛸、ですか」

 その言葉の意外さに、テレスは眉を顰めた。かつて月で大不評を呈して以来、彼女は蛸を調理していない。と、言うよりも、調理させて貰っていない。共に暮らす中、まともに動けぬ彼の代わりに幾多の料理を覚えて来たけれど、何故今日に限ってそんなものを?

 そう訝しがるテレスを前に、ハンスはにこやかな調子で繰り返す。

「嗚呼、蛸だ。久しぶりに、ね。もしかしたら今回は行けるかもしれないから」

「……解りました」

「早く行くといい。魚屋が閉まるのは早いぞ」

 そこには有無を言わさぬ雰囲気があり、それを読み解いた自動人形は、こくりと頷くと、名残惜しそうにちらと視線を向けてから、ゆっくりと街中へ向けて歩き始める。

 その速度は相変わらず高速であり、曲がり角で自転車にぶつかりそうになった姿には、ハンスもおいおいと笑ったが、直ぐに彼の顔は引き締まり、思想へと浸り始める。


 隆盛を極めた肉体が衰え出した頃から、ハンスはこれから一人遺される事になるだろうテレスの事と、同じ超越者だったイルザの事を考えていた。

 尤も、テレスに関しては余り心配もしていない。あの娘は、上手く生きて行くと考えている。もうホリィは亡くなっているけれど、後援人としてはグレゴールがいるし、地上で人としての真っ当な生活を学習した彼女ならば、何処へでも行けるだろう。

 それに所詮未来の事。何が起きるかは解らない。

 だから寧ろ問題なのは過ぎ去った過去の事、イルザについてだ。

 ハンスが考えていたのは、彼女の最期、その時に紡がれたあの言葉である。

 『やめろ』。

 イルザに逢うまで、彼は幾人もの者達から同様の事を言われた。その言い方や意味合いはそれぞれ違うけれど、しかし共通しているのは、ハンスに向けられた言葉という点だ。

 しかし、あの狼に関しては違和感がある。何時でも不遜な態度を崩さず、死ぬ直前まで悪態を付いていた彼女の最期の言葉とは思えない。その言葉に激昂してしまったが、冷静になって考えて見ると、奇妙な可笑しさが残った。

 可笑しい、といえば、イルザが月へ向かった理由も良く解らない。

 旧独逸産まれの彼女が、何故逃亡先にマーニを選んだのか。確かに、貧民街の状況は隠れるに打って付けだろうが、その為にわざわざ困難な密航をするだろうか。仮にしたとしても、挑発だと言われている情報提供が解せない。あれは偶然か? そこまで用心して?

 上げようと思えば他にもある。あの星間規模で指名手配される程の被害を及ぼした大犯罪者が何故逃げたのだろう。何故あんな都市遺跡に潜伏していたのだろう。そもそも、最初に捕獲された時だって、イルザは黒い森(シュバルツバルト)に隠れていた。一体何の為に?

 考えれば考える程に解らなくなるその謎を、しかしハンスは直感的に理解していた。

 肉と肉を持ってぶつかり合った者だからこそ解るあの必死さ、凄味が伝える。

 彼女の行動の意味を。

 最期の言葉、即ちあの遺言の意味を。


 再び強い風が吹き、ハンスは右手で眼を覆いながら、瞳を瞑った。

 そうして、そのままぴたりと動かなくなる。

 彼は、はぁと吐息を零しながら右手を膝の上に降ろした。天を、太陽を見ながら、

「……やはりな……そうじゃないかという気はしていたんだ。そろそろだ、とも」

 そう呟く。背後から、硬いものを首筋に押し付けている何者かへ向けて。

「君はイルザ・ヴォルフの息子かな。それとも娘か……どちら、だい」

 背後の者は応えない。ただ首に当てられる力が強まるだけだ。

 ハンスはこの瞬間を、我知らず予感していた。

 イルザを倒した時から、そうするずっと前から。

 失ったものがもう二度と戻らない様に。

 失わせたものもまた戻らないのだ、と。

 もう一度深く吐息を吐くと、ハンスはやれやれとばかりに眼を細める。

 「……殺すなら殺すが良い。だが早くな。直に私の娘が帰って来るだろう」

 それは本心からの言葉だった。別に相手が何をしようと、彼は構わなかった。自分がした事が、結局の所私怨であるだなんて、理不尽に挑んだ事がある種の理不尽だなんて、皆に止めろと言われなくたって解っていた。そうだ、結局は自分の為に過ぎない。だからそれを達成した今、逆に恨まれようとも別に良かった。

 だが、それでもやはり、遺される者は気に掛かる。本当に未来は何が起こるか解らない。これから起こる事が、彼女に及ぼすであろう影響を思うと、それが不憫でならなかった。

 そして、今事を成そうとしているこの者に対しても。

 だからハンスは言った。先達としての想いを込めながら、きっとイルザも想った事を、

「しかし……私が言う事では無いだろうが、君は、」

 けれども、その言葉が紡がれる事は無い。

 鋭く、鈍くもある衝撃を貫かれ、ハンスは前のめりに倒れて行く。

 馬鹿者め、と頭の内で呟きながら、彼は見た。

 彼方から、白い尾を引く流星の様に駆け跳んでくる少女の姿を。

 それを美しいと思う反面恐ろしいと感じ、ハンスはその生の最期に身震いを浮かべた。


 かくして幕は降りて行く。

 狩人は騎士と同じく死に果てた。

 騎士が竜の子に屠られた様に、狼の子の手に掛けられて。

 幕は閉ざされた。

 物語は再び待ち続けるだろう。

 新たな主役が名乗りを上げるのを。

 次の、次の次の舞台が開かれる事を。

 永遠に……

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