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5.

 段々模様の瓦礫の壁が幻灯機の如く下から上へと流れ、地面が間近に迫ろうとしている。


 急がなくてはなるまい。

 星々が巡り巡って同じ役者を別の、だが良く似た人物へと当て嵌めて行く様に。

 狩人が騎士の行った道をなぞるというならば、決着の時はもう間も無くの事なのだから……


 闇があった

 闇が、光という光を吸い取り決して外には零さぬ様な濃厚な闇が。

 その中に、闇よりも尚暗い影が躍る。

 数は四つ。

 光届かぬ場所にあってまだ見出せるその影は、人でありつつも人で無い輪郭をしている。もし真っ当に生ける人間であれば、彼等程に細い体付きはしていないだろうし、四肢もそこまで長くはあるまい。

 更に彼等は武器を持っていた。

 それぞれが一つずつ。

 機械的な形状を付加された、懐かしき兵士達の武器を。

 一人は螺旋の軌道を描く騎乗槍を持ち。

 一人は断頭台の如く太い大剣を持ち。

 一人は音を立てて巡る刃を嵌めた杖を持ち。

 一人は先端に四つの突起を付けた巨槌を持ち。

 そうして彼等は、今一つの影を囲って構えていた。

 中央に佇む最後の影は、右腕が無いという点において他の者達と変わらぬ異形を誇っているが、だが全体としては一番真っ当に人の形をしている。細すぎず長すぎず。

 唯一残った左腕は何も握る事無くだらりと垂れ下げられ、先端に伸びる五本の指は、軽く開いては閉じ、閉じては開くを繰り返している。

 その時、四つの影が同時に動いた。

 己が担う武器を振い上げながら、片腕の者へと襲い掛かる。

 騎乗槍が竜巻の如く回転して突き込まれ、刃の杖は風を切り裂き、影へと迫った。

 彼は軽やかな足取りで後ろへと下がり、それをやり過ごす。

 そこに大剣が迫る。

 刃だけを弾丸の様に射出させながら、猛然と突進する槌の者と共に。

 片腕の者は後ろに下がると見せかけ、今度は逆に前へと進み出た。

 飛翔する刃は僅かな、だが絶対的な差を持ってそのまま虚空を通り過ぎ、槌は誰も居ない地平に振り込まれた。轟音と共に地面が罅割れれば、槌が振り下ろされた所に一対の鉄線が打ち込まれている。

 しかし片腕の者は、そんなもの、まるで意に介していないかの様に動いた。

 掌を開いた状態で左腕を伸ばし、槍の者へと近付く。

 胸元で柄を構え、影が己の得物を突き出すも、ただ廻る穂先が彼の髪を掠るだけで。

 一歩の踏み込みと共に突き出された手刀は、細い体を貫き通した。

 無数の肉片をばら撒きながら、槍の者の背に手の花が咲き誇る。

 その隙を狙う様に、背後に杖の者が走り寄った。刃を成すのは極小の粒子。高速で流れ、一本の刃と成している。斬られれば一たまりもあるまい。

 だが、横合いに振り込まれたそれを、片腕の者は屈み、避けた。

 薄刃は最早動かぬ槍の者を切り裂き、二つに裂く。

 その倒れる上半身を鞘の様に影は手を振り抜き、振り返り、真上から一気に手刀を放った。空気が割れる音と共に、それは杖の者の体の奥深くまでめり込む。硬質な音を立てて、ただの鉄杖と化したものが床に落ちた。

 更に握る。力の無くなった体を塵か何かの様に、そして後ろへと向けた。

 刃と激突する。

 既に飛ばされていた断頭の剣は、人の形をした盾によって防がれた。

 それでも尚勢い止む事無く前進を進める刃を、片腕が、盾の中から掴む。

 向かう力に回る力を加え、四肢の断片を襤褸切れの如く棄てると、逆に刃を投げ返した。

 渡りの太く長い刃は円を描いて射手の元へと舞い戻り、その首筋を通り抜ける。

 首と体は隔たれ、前者は前に、後者は後へと弾けた。

 片腕の者は左腕を伸ばしたままに、ぐっと腕に力を込める。骨を鳴らしながら、薬指より順に、一本、一本、拳を作る。そこから握りを強めれば、腕の肉は音を立てて二倍近く膨れ上がり、今にも爆ぜそうな位。

 そして一気の体重移動と共に振り返り、渾身の一撃を解き放つ。

 牙残す大槌を振り被り、今にも振り下ろさんとする影へと向かって。

 強烈な破砕音が鳴り響いた。


《コンフューサー四体撃破、お疲れ様でした》

 閉ざされた瞼の内へ、白髪白眼の少女の顔が現れる。

 ハンス・エーヴァルトは瞳を開けた。

 同時に部屋の中へ照明が灯される。

 無味乾燥とした部屋が露となった。天井は低く、奥行きばかりがあり、床も壁も剥き出しのコンクリートが覆っている。装飾類は一切無い。いや、それも先程までの話か。今では部屋の彼方此方に、四体の戦闘用自動人形の部位が四散している。外見に拘っていない為、非人間的様相をしたそれの腕や脚や顔や胴が無残な形で転がっているのを見るのは、気分の良いものでも無い。

 ハンスは辺りを見渡す。

 あった。最後の応酬で飛ばされたサングラスが、床に落ちている。

 それを拾って掛けるのと、壁の一部が扉として開けられたのは、殆ど同時だった。

 向こう側には明るい通路が見え、扉の前には先程の少女が立っていた。

 艶のある白という少々矛盾した髪を腰まで垂れ流し、少し垂れ気味の白い瞳は、それで見えているのか見えていないのか解らないが、真っ直ぐハンスの元へと向けられている。そんな彼女が着ている格好はどう見ても男物のスーツであり、顔付きには似合わない。が、体躯には良く似合っている。まるで体と首の性別が違うとでも言うかの様に。

「ホリィが呼んでいます。食事の用意が済んだからシャワーを浴びてさっさと来い、と」

「それだけかい? わざわざ出迎えに来てくれた理由は」

 ハンスはそんな少女へ、サングラス越しに笑みを浮かべると、肩を竦めて見せた。

「……」

 彼女は、足取りも力強くに彼の元へ近付くと、彼の脇腹へ視線を向ける。

「怪我をしております」

「嗚呼、そうだね。一発良いのを貰ってしまった」

 言われて初めて気付いたという様な軽さでハンスは応えると、自分も眼をやる。

 そこには、丁度ステープラーの様な感じで、鉄の棒が二本、深々と刺さっていた。血も出続け、黒いスウェットタイプだから良かったものの、ずっと服を汚し続けている。

「だがもう無い」

 少女の方を見た彼は、ぐっと丹田に力を込めた。

 最初で僅かに浮かび、次で鉄棒はぽろりと、毀れる様に床へと落ち、ごんと重たげな音を立てる。残っていた傷も、見る間に塞がって行く。

「……」

 少女は屈むと鉄棒の一つを持った。

 親指位はある太さで、先端が歪み、血の付いたコの字になっている。

「……常人の力ではありませんね」

 それをぽいっと棄ててから、じっと見詰める彼女に、ハンスは苦笑いを浮かべる。

「その通りだろう。だが、そうなる事を望んだのは私自身なんだよテレス」

「私には解りません。何故わざわざ、ご自身の体を武器に変えるのですか?」

「その理由は解った方が良いとも、解らない方が良いとも言える。何とも言えないな……」

 彼は廊下の方へ向かいつつ、テレスの肩に片手を置いた。

「だがこれだけははっきりと言うよ」

 それでも尚納得が行かないのか、観察を続ける彼女に向けてハンスは言う。

「私は後悔などしていないと……シャワーを浴びて来る。食堂で逢おう」

「……」

 そうして部屋を出て行く彼の背中を、テレスは瞬き無き白亜の視線で見据えていた。


 裸になり、降り注ぐ暖かい水滴に身を晒すと、嫌でも右腕が気になる。病院の手により綺麗に切除されたその部位は、最初からそうだったかの様に滑らかな肌が覆っていた。後の再生手術及び義手手術の為の処置である。この下の神経もまだしっかりと通っている。結局無駄な処置ではあったが。湯を滴らせながらその断面に触れて、ハンスは彼女と、そしてもう一人の彼女の事を考えた。

 一年近くに渡り、衣食住を共にしているあの自動人形の少女を。


 強盗からハンスを助けてくれた彼女は、自分の事をテレスと名乗った。

 失礼ながらに非常に重量のあるその体を抱えて、マーニの路地裏を進んでいる最中にハンスが聞くと、確かに戦闘用に造られたが、破棄、処分されてしまったという。その際に殆どの記録を失ってしまったので詳しい事は覚えていないそうだが、どうも火星戦争で戦った者の一体の様だ。

 それからずっと長い間、塵山で首だけとなり眠っていた彼女を回収し、改修したのが今の主人である。その主はテレスに体を与えると、首と繋げて動ける様にし、そして一緒に暮らす様になった。ただ、一般少年型自動人形の胴体しか見つけられなかった為、テレスの体は本当に男のものであり、且つ、出力も強度も戦闘用のそれと比べて著しく低いものになってしまっている。なので良くオーバーヒートして動けなくなっては道行く人に運ばせているのだ、と彼女は言う。


 そうして案内されたのがここであり、彼も変わった。


 遠距離操作で無く、ペダルを踏んでシャワーを止めると、自動で吹き始める熱風にハンスは身を任せる。体が乾くまで浴び続けた後で浴室から出ると、服を着込んだ。

 外に出ると、廊下にはテレスが待っていた。

「ここが食堂とは知らなかった。食事は何処だい、それとも君かな?」

「……いいえただ折角なのでお待ちしていただけです」

 自動人形に『折角』などという概念があるのかどうかは疑問の余地があったか、ハンスはただ頷くと、食堂に向かって歩き始める。

 彼女は従者か、或いはペットの様にやや距離を持ってその後ろを進みながら、

「……しかし……」

「ん?」

「いいえ……ただ最近思うのですが、出会った時から性格が変わっておりませんか?」

「そうかね?」

「はい。冗句を言う様な人では無かったかと。少なくともホリィに強化改造されるまでは」

「……そうかもしれない。体が変わると心も変わるものだ」

「私は変わりません」

「君は人形だからな。或いは気付いていないだけかもしれないし、それに、」

 変わらぬものもある、と呟くハンスは脚を止めず、振り返る事もしない。

 右腕が先程から軋みを上げていた。

 誰かが直ぐ側にいて、その腕に強く抱き付いている様な感じだ。

 無言の視線を感じながら、ハンスは後ろを行く少女の事を想う。

 テレスは、人間だとか人形だとか言う範疇を超えて、カヤとは真逆の存在である。

 彼女は、妻は、自分の後ろに付いて歩く様な者では無かった。常に隣か、勝手に進んでしまい、居ないと思ったらひょっこり現れて驚かせる。愛しい程に困った娘だ。終始振り回されっ放しだったともいう。この少女にそれは無い。従順に、絶えず一歩引いた形でこちらに接する。多くの戦闘用がそうである様に、絶えず相手の立場を考え、自分を下に置き、付き従う。軍隊にあっては必須の思考回路だ。

 そう、カヤとテレスは違う存在である。正に太陽と月の様に、その根本から違っている。

 だが何故かハンスは、彼女と居る時、妻と共に居る様な印象を受けた。

 どうにもしっくり来て、安心する。腕が軋むのも、またその所為だろう。

 それが何に由来するのか、彼にも良く解らない。

 違うという事は、嫌と言う程解るというのに。

 ただ何と無く、自分とこの自動人形が似ているからという気がした。

 本来の体を持たぬ事、奇異なるものを宿している事、そして戦う為の身である事が、だ。

 その上で、似た自分の在り方に興味があるのか今の自分が不安なのか、問いを発し続ける彼女の姿勢は、問題を提起する事で、ハンス自身に解決を導き出してくれる。自分が一体何をしたいのか、何をせねばならないのかを。

 だから自分は冗句を口にするのかもしれない。

 混乱を生み、そこから秩序を引き出すが為。

 つまる所それを言う様になったのはテレスの所為か、とハンスは思いつつ、しかし声には出さなかった。もう一人の影響もまた少なからずあっただろうから。


 暫くして辿り付いた狭い食堂には、二人分の食事と一体分の液化電池、そして、

「呼ばれたらさっさと来るって人間様の常識を知らないのかね、このキャベツ野郎は。見てみろ馬鹿、お前がちんたら歩いてるもんだから、医者に止められてるのにこんな吸っちまったじゃないかい」

 何本もの吸殻を積んだ灰皿を付きつける、白衣の老女の姿があった。

 ハンスは彼女と灰皿を交互に見返してから、苦味を込めた笑みを浮かべ、

「遅れたのはすまなかったがね、ホリィ、煙草は私の所為じゃない。大体あんた医者に止められてたって吸い続けているし、あんた自身がそもそも医者みたいなものでは無いか」

「ホリィ、ハンスの言う通り、摂生には努められるべきかと」

 テレスが表情も無く続ければ、ホリィは灰皿ごと塵箱に棄て、荒々しく椅子を引いた。

「お黙り出来損ないども。ここの主人はあたしだよ、解ったらさっさと席に座りな」

 そのまま食卓に付けば、残った二人は互いを見返した後、見習う様に席へ腰を下ろして食事が始まった。老人の偏屈さと女性の我儘を良くも悪くも併せ持つ彼女には、言うだけ無駄であるのは良く解っていたのだから。


 彼女の名前はホリィ・ウェイトリィ。今もローラ姐さん印の妖精菓子(レンバス)と一緒に月面産煙草雨夜の(インビジブルムーン)を吸っている偏狂的ヘビィスモーカーであり、湯のみに入れた液化電池を啜りながら呆れ顔で見詰めているテレスを拾い、修理してやった彼女の主人であり、そして、ハンスの体を常人とは比較にならぬレベルにまで改造した、太陽系を見ても数少ない、統合人体プロデューサーである。

 統合人体プロデューサーとは、人間の体を弄る複数の方法を取得し、行使する事が出来る人間の事であるが、正確には職業名では無く、その手の資格を有する者の通称にして蔑称だ。人間、ただ生きて行くだけならば、それ程までに強い力は要らない、寧ろ持たざる人間達が築いて来た社会にとっては害悪となる訳であり、進んで人体改造を行う者達の目的は往々にして犯罪行為だ。それを助長する人間が恨まれても当然で、プロデューサーなどという前テレビ時代に隆盛を極めた職名が使われているのがその証拠である。

 事実、ホリィは善人と呼ばれる類では無い。彼女が手を加えた連中の大半は、それを悪用する事しか考えていなかったし、女ドクはそれを知っていながら尚も施術を敢行した。出すものさえ出せば、それで構わない、と言って。そもそも善人がマーニにいる訳も無いだろう。ここに潜んでいるとは、つまる所、そういう事だ。

 ただ、悪人かと言うと、それもまた違う。人手の確保や顧客という理由はあるが、テレス達を拾ってくれたのだし、それにハンスは、彼女の老いと病で薄くなった胸の間で常日揺れている金のロケットの中に、孫との写真が入っているのを知っている。重度の変異種で、金色竜眼の瞳をした少年と共に、ホリィが幸福そうに笑っていた。息子夫婦ともども、火星の大荒野に行くと連絡して来て以来、今何処に居て何をしているのかは、とんと解らない。そう咥え煙草で少し寂しそうにも言っていたが。

 ただ、善人だろうと悪人だろうと、ハンスにして見れば関係も無い。彼女の人間性がどうであれ、然るべき支払いの元に、旧日本国近海にある実験都市ツクモ挿入都市(インプラントシティ)で鍛え上げられたという確かな技術を持って、ホリィは彼を人ならざる者へと変化させてくれたのだから。調整段階も実質的にもう終わっており、後は武器、これまでの経験から必要と判断された武器が届けられれば、直ぐにでも行ける。それにもう奴の居場所も判明している。マーニ最深部、貧民街の中央、原初の月の地だ。その情報、正確には情報提供者を紹介してくれたのもホリィである。その分料金は倍増しされたが、構う事では無い。ハンス一人であれば、とてもでは無いが探し出せはしなかったに違いあるまい。

 それも含めて、彼は彼女に感謝していた。

 そしてテレスにも、同じ位に。少々出来過ぎでは無いかと疑いたくなる位簡単にホリィと巡り合えたのは、彼女のお蔭だからである。勿論それは良い。

 ただ一つ、老女博士と交わした取り組みだけは、未だに納得しかねていたが。


「ご馳走様」

 そうこうしている間に食事は終わった。

 残された食器をテレスが洗い場へと運んで行く。

 その様子を見ながら、食後の一服に火を付け、ホリィが苛立たしげにハンスを見て、

「全く人形だって仕事するのにお前は何もしないのかい? あたしに飯作らせといてさ」

 対して彼は、戻ったテレスが置いてくれたインスタントのブラック珈琲を啜りつつ、やはり苦笑いを浮かべ返す。

「片腕の、それも客である私に? 料理と言っても、全て既製品を皿に盛っただけだ」

「黙らっしゃい。鍛錬になるんじゃないか。それに、あたしゃ料理が下手なんだよ」

「人間の体は弄れるのに? それはそれは」

「人間の体見たく食材を弄っていいなら、作ってやらんでもないさ」

「そんな事をしたらどうなる、私は共食いだ。文明社会的に見て大変宜しくない」

「安心をし。お前は生身に機械やらぶち込んだだけ。調理の場合にゃ遺伝子(モト)から全部さね」

「何にせよ食べる気はしないな。あんたが食べろよ、老い先短いから良い実験台になれる」

「だったらもう直ぐ死にに行くあんたが適任じゃないかい」

「何時私が死にに行くと言った? とうとう呆けたな老婆」

「口の減らない馬鈴薯(ジャガイモ)公だねぇ、恩も忘れたのか」

「それでしたら私が作りましょうか。料理でしたら得意です。その、一品種だけですが」

 と、年も性も何もかもを忘れた様に罵り合う二人の間に、潤滑油の差し瓶を持ったテレスが入った。その自身ありげな瞳を見ながら、どちらも引き攣った笑みを浮かべれば、

「いやいい。君は遠慮してくれて構わないよ」

「そんな事はしなくていいんだよ、だったら私が作るさ」

 そうですか、と顔色こそ変わらぬが、テレスは何処か寂しそうにすごすごと下がった。

 ふぅと、二人の人間の口から僅かに吐息が毀れるが、それも止む無しであろう。彼女が得意とする一品種とは蛸なのだ。元来悪魔の魚として忌み嫌われ、東洋人と一部の地中海人とその末裔しか食さぬ食材をどうして調理出来るのかと聞けば、火星で部隊の者達に良く蛸料理を作っていた記憶があるからだという。火星で蛸と言えば、一匹、いや一人しか居まい。戦争では、さぞや大量の『蛸』が取れた事だろう。その時の光景を思うと、ただでさえ沸かない食欲はますます減退する。以前一度、格安で養殖販売されている蛸を使い、テレスが料理をしてくれた事もあったが、二人とも手をつける事は出来なかった。

「ま、まぁそれはいいさね」

 食皿に並ぶグロテスクな触手の切れ端と、肥大化した頭部、そこに付いた嘴を思い出したのか、ホリィは青い顔を浮かべながらに、

「ハンスお前に見せたいものがある。付いてきな」

 雨夜の月の青い煙を吐きつつ、椅子を引いて立ち上がった。

 そのまま食堂を出、廊下へと向かう。

 とうとう来たか、とハンスも立ち上がると、彼女の後を追う。

「おっと、テレス。あんたは食器の片付けが残っているだろう?」

 そこでホリィは振り返ると、彼と共に付いて来ようとしていたテレスを押し留めた。

「……はいホリィ」

 彼女は一瞬躊躇する様に瞼を軽く細めたが、直ぐに頷くと踵を返し、洗い場へと行く。

 少女の横顔と少年の後姿を見送った後で、二人はゆっくりと廊下を進み始めた。


「あの娘はあれだ、お前に興味があるんだよ。良かったねぇ色男」

「殊勝な事だな……実際の理由は、主人のあんたが一番良く知っているだろう?」

 寒々とした廊下を二人で歩きながら、ハンスとホリィは視線を交わす事無く言葉を紡ぐ。

 その合間に鳴る靴音が、妙に響いて聞こえた。

「そんなん解る訳無いさ……憧れとか同情とか、そういうのはある気がするがね」

「自動人形が憧れに同情、か……」

 皮肉げにハンスが呟く言葉も、反響して耳元に届く。

「独逸人がそれを言うかい? 義体も自動人形も、根っこを造ったのはおたくらだろうに」

「知っているか? 西方欧羅巴地区の歴史教科書には、その根っこを一人で造ったヤーコプ・グルムバッハが独逸人の恥曝しとして紹介されている。非人道的な人体実験を行ったとしてな、何処ぞの伍長閣下殿の様に」

「そんな事は関係無いんだよ戯け……まぁお聞き」

 まるで桃の様な甘い香りを放つ紫煙を吐き出すと、彼女は至極真面目な顔で言った。

「特別なのさ、あの子は。マーニに自動人形は居るけど多くが労働用か愛玩用で、戦闘用のそれは少ない。あれの場合、また別の事情もあるし……純戦闘用なら料理なんて覚える必要は無いし、少女型である必要もまた無いだろ? 火星戦争は壮絶と聞いていたけど、事実そうだったって話さ。ボールドウィン自動人形協会が聞いたら激怒するね。それに、今の体は本来のものじゃない。出力も比じゃないだろうさ」

「また体を見繕ってやればいい。あんたなら出来る筈だ」

 ハンスはホリィに顔だけ向けてそう返したが、応えたのは嘲笑う様な彼女の横顔であり、

「こんな場末に隠れてるあたしが? 無理だね、自動人形を舐めちゃいけないよ。それこそお前に行ってやった技術とは比べ物にならん科学の結晶さ、ありゃ。あの型の体が見つかったのも運が良かっただけだし」

「……」

「だからこそ似たり寄ったりなお前に共感している面がある。お前も解ってるだろうがね」

 ホリィは言いながら、手術室の一つに入った。幾多の道具が壁際に立て掛けられており、中央には緩やかな曲線が付けられた手術台が置かれているだけの狭苦しい部屋だ。そして手術台の隣に置かれた台座の上には、強化アルミのケースが銀色の光を讃えている。

「ま、解っていなかったらこいつはやらんよ、って訳だ」

 その上面に付けられているテンキータイプのロックを解除すると、ホリィはにっとヤニっぽい歯を見せて笑いながら、ケースを開き、ハンスの方へと向けた。彼はその中身を確認すると、眼を僅かに広げ、

「……注文通りの代物だ。もう出来ていたのか」

「ついさっきね。エディソンが持って来てくれたのさ」

 手に取ろうとした所で勢い良く閉じられたケースに、指を挟まれてしまった。

「っ……何をする老婆」

「さっき言ったろう? あたしゃまだ返事を聞いてないさね」

 ハンスの鼻先まで顔を近づけ、煙草臭い息を吐きながらホリィは言う。

「手術の支払いは金だがこっちは約束さ、あの娘の新しい主人になると……さぁどうする」

「……それはどうしても、か?」

 ハンスは眉間に皺を寄せながら聞き返した。その理由は、指が痛むからでは無い。

「嗚呼、どうしてもだ。老い先短いのは本当だし、死ぬつもりは無いんだろう? えぇ?」

「それはそう、だが……」

 しかし帰って来られる保障は何処にも無いし、それで構わないとも思っている。

 ホリィの言葉に、彼は内心そう思ったが、しかし口には出さない。

 このケースの中にあるものは、戦いにおいてまず必要となる代物だからである。

 だからハンスは悩んだ。悩んでいる、今も、そしてこれまでもずっと。

 最初にそれを言われた時、彼は困惑し、拒否した。

 自分が狩人として相手取ろうとしているのが如何なる存在かを述べ、その上で、何故自分が巨大な獣と戦わねばならぬかの理由も告げた。

「知らんよ馬鹿」

 返って来たのはその一言だった。頷かなくては武器なんて調達してやらんと続けて。

 サングラスで隠していても、ホリィは解ったのだろう。自分がこれから行おうとしている事が、遠回しの、本人すら気づいてい無い程に遠回しの自殺である事を。故に止めたのだろう、同類たる自動人形の少女を使って、少なからず彼女の事も考えながら。やはり悪人とは言えない。しかし、もし約束した所で結局の所行う事に変わりは無いのだし、生還出来るとも限らないのである。

「……弱った、な……」

 全体重を掛けて挟まれる左腕を見ながら、ハンスは呟いた。一年近く前から考え続け、いざ行かんという時になっても、まだ踏ん切りが付かない。一体、どうすれば良いのか。

 その時、ふと、彼の右腕が軋んだ。

 強く、今までよりも強く、ずっと強く。

「……カヤ」

 かつて、その場所に居た女性の名前をハンスは口にした。

 勿論彼女はもう居ない。腕もまた無い。だが、そこに居たという事に変わりは無く、そして今居るのはもう一人の彼女で、恐らく妻だってまた、

「……解った、よ」

 じっくりと時を掛けた後、半ば諦めた様に、だがしっかりと、ハンスは首を縦に振った。

 ホリィはその顔を見ながら、ますます口元を吊り上げ、

「何が解ったって言うんだい?」

「あの娘の……テレスを引き取ろう。新たな主人となる。約束だ……さぁいいだろう?」

「解りゃいいんだよ解りゃ、ね」

 ゆっくりとケースから身を引く。

 ようやく左手を解放されたハンスは指を振り振り呻く様に、

「しかし酷い事をしてくれる。使い物にならなくなったらどうしてくれるんだ」

「そこまで柔じゃないから安心をし……それじゃそこに寝な、服は脱いでね」

「全く……大体あの娘が承諾するかどうか」

 かんらかんらと声を上げて笑いながら、ホリィはもう一つの台から医療用手袋を取り出し、腕に嵌めた。ハンスが上着を脱いで半裸になりつつ手術台の上に寝ると、彼女はおよそあらゆる術具が一体となった、何処か銃を思わず万能具を手に取って、

「お前なら構うまいて……さて、では術式を始めようか、新しい右腕の為の、ね」


 手術に、時間は殆ど掛からなかった。

 何せ、ちょっとした機械を挿入するだけだったのだから。

 もう直ぐにでも武器は起動出来る。奴との戦いに迎えるのだ。ハンスはそのまま旅立とうとしたが、ホリィがそれを押し留めた。今日は遅いから明日にしておけ、と。先の鍛錬で疲労していた事もあってか、渋々にもハンスは承諾すると、自室で眠る事にした。

 彼に宛がわれた部屋は、他の幾つもの部屋がそうの様に、手術用のベッド以外無かった。元々ここは、それなりの規模を誇る病院だったらしいが何らかの理由によって廃棄され、その時の調度品が、殆どそのまま残っているのだという。勿論機械や水道、電気などに関しては新しいものを入れられているが、相応の広さを持っている為、大部分が手付かずなのだ。寝られればいい人間にはなかなか都合が良かった。逆に色々物があって、整理されていると、寝られないという事もあるだろう。かつてそうだった様に。

 ハンスは至る所が破れた合成皮革のベッドに身を横たえると、そっと右腕を押さえる。既に痕も何も無かったが、妙な違和を感じる。傍目は何も変わっていないが、そこに埋め込まれた物の為に。だが、これがあればあの狼を捕らえる事も、殺す事も出来るだろう。

 く、っと彼の口元が喜びによって捲れ上がった時、誰かが部屋の扉をノックした。

 どうぞ、と言って扉を開き、入って来たのはテレスだった。

「今晩は、夜分にまた失礼します」

 自動人形の少女はそう言って軽く会釈しつつ、彼女はハンスの近くまで歩み寄る。

「どうした。何かあったかい、テレス?」

 ぐっとベッドから身を起こすと、彼は場所を少し開けた。身振りでそこに座る様に指示をすれば、テレスは、コツコツと革靴を鳴らして更に近くに来、すっくとそこに座った。そのまま顔だけ向けて、

「ホリィに言われました。今日から貴方が私の主人だ、と」

「展開が早いな、こんな直ぐに……やはり嫌かね?」

 その白い視線を横より受けつつ、ハンスは苦笑いを浮かべ、そして問い返した。

 彼女は、うぃんうぃんと音を立てそうな、だが実際は無音で首を横に振り、

「滅相も。ですが、一つだけお聞きしたい事があります」

「ん、何が、だい」

「何故貴方が戦うか、その理由です」

 ぴたりと止めると、何時に無く真剣そうな顔で言う。

「貴方は最初に仰りました。亡くなった奥さんと右腕の為だ、と」

「嗚呼言った。そして君の主人……あぁもう元主人か、ともあれホリィに依頼したな」

 その頃の事を思い出し、ハンスの眼が細まる。

 今と比べれば遥かに脆弱な肉体だったあの頃を。

「えぇ。ですが、それが私には解らない」

「解らない?」

 彼がテレスの方を向くと、彼女は、はい、と幾分かうつむき気味に言った。

「私は、今でこそ一般用のものを使用しておりますが、元々は戦闘用でした。記憶は殆ど失っていますけれど、でもそうやって戦って来た事は覚えています。他にも幾つか……だから知っているのです、あれが如何なるものなのか。それでも貴方は戦うのだという。そうなのでしょう? 例えどれ程辛くとも、その先に何が待っていようとも」

「嗚呼……そうだな……その通りだ」

 それはもう充分辛い事を経験して来たから。

 これ以上辛い事など無い事を知っているからだ。

 だが、彼女は再度首を横に振って、

「それが解らない。そこに至る経緯、感情が解らない。何故そんな事が出来るのかを」

「……」

 ハンスは、そんなテレスの顔を見、彼女が自分に抱いているものを理解した気がした。

 羨望もあるだろう。同情もあるだろう。

 だが、それと同じ位、嫉妬や、ともすれば憎悪にも似た負の感情を見出せる。

 それは半端に思考を持つ自動人形だからだろうか。

 ホリィから聞いた。彼等に使われる人工頭脳は、人間の持つ頭脳と大差無いのだという。つまり機械の体を持つ人間という事になる訳だが、しかし大抵の用途では封ぜられている。人の形をし、人の様に応える事が大事なのであって、意識や性格など要らないのだ。

 だが、彼女の場合、戦う事以外の行為を必要とした経緯がある。それもまた戦う為であったけれど、それでもそれ以外の行為を行って来た。だからこそ悩むのだろう。本来の目的と実生活との差異に。それは同種で無くては理解出来まい。

 ハンス自身、そこに宿る意思を全て汲めてはいない。

 当然だ。総合的に見て半分以上は機械の体だが、大元は生身である。

 だが、それでも彼は何と無く、自身と彼女が似ているのだと思った。

 それは肉体的にでは無く、精神的な意味において。生物が本能的に持つ目的、意味が生きる事であるとするならば、自分はその道から大いに外れようとしている。テレスも道を外れた者だ。そうして周囲には仲間は居なくて独りで思い悩む他無く、戻りたくとももう後ろに道は無い。進むしか無いのである。

 それが解り、認めた彼は、改めて下を見続けるテレスを見た。

 父の様に子を。兄の様に妹乃至は弟を。

 何にせよ、この広い宇宙と人生の中で巡り合えた、血の通い合った同胞の姿を。

「……その意味を知りたいか?」

 だからだろう、ハンスは思いもせず左腕を伸ばした。

彼女の髪の上に。そっと、優しくそっと。

「……」

 少女は何も言わず、ただ一度だけ首を縦に小さく振った。

 その様に見えただけだが、充分である。

「では約束だ……全てが終わったら共に暮らそう。そうすればきっと解る……いいかい?」

 ハンスは髪の毛から頭の後ろへ左手をやると、テレスの体を自らの胸の内に引き込んだ。

 彼女は何の抵抗もせず、ただされるがままでいた。その体は相変わらず冷たく、そして硬く重かったが、しかし暖かい。そんな気がした。右腕が疼き始める。それが一体何によるものかに想いを馳せてつつ、ハンスは朝までテレスを抱いているのだった。


 日の光も無く、ただ時刻表示だけがそうだと告げる朝。

 彼女が休止中に入り、そっとベッドへ寝かせながら、彼は激しい後悔に襲われた。

 自分は一体何という約束をしてしまったのだろう、と。

 これがホリィとだけのものであれば、心苦しくとも破るのにやぶさかは無かった。彼女だけならば。しかしテレスの場合は違う。この約束は心からしてしまった。彼女も、そして自分でも、だ。今更破れる筈が無い。

 ハンスは左腕で額を押さえた。

 何故か自分がグレゴール・ゲルヴィーヌスになった気分だった。

 けれども、昨晩は本気だった。本気で誓ったのだ、戻って来るのだと。

 実に都合の良い宣誓だ。破った所で誰に咎められる事も出来ないし、そもそもこれからする行為自体が、半ばで反故にしている様なものなのに。この道は、遠い昔にもう変える事など出来なくなっているというのに。

 それでも考えては置こう。無論、生きていたらの話だし、何があるかも解らないが。

 まだ寝入っているテレスを見据えながら、ハンスはそう頷くと、すっと立ち上がった。

 この日の為に用意していた右袖の無い耐熱ラバーのブラックコートを着込み、右肩には肩当てを付ける。左腕には更に同じ素材の手袋を嵌め、最後にサングラスを装着した。

 そうして部屋の外に出れば、咥え煙草ににや付いた笑みを浮かべるホリィの姿があった。

「女の子と一晩過ごしときながら何も言わずに立ち去る気かい、この浮気者め……ほら」

「反論はあえてしないで置く……と」

 ハンスがすっと肩を竦めた瞬間、彼女は彼へケースを高らかに放り投げた。

「忘れるんじゃないよ。その為に付けてやったんだから……使い方は解るね?」

「説明は貰う前から受けている。それにやる事は簡単だ。放ち、撃つ。それだけだ」

「遠隔操作を甘く見ちゃいけないさね、いや、まぁ確かにその通りだが、さ」

 左手でケース易々と受け取った後で、そう簡単に言うハンスを、ホリィは少し呆れ顔で見たが、右手で挟んだ煙草を離し、一層強い笑みを造ると、その拳を前に突き出し、

「ま、もう何も言わんね。さっさと終わらせて迎えに来い、全てはそこからさ」

「嗚呼迎えに来るよ、これが終わったら……終われば、な……行って来る」

 ハンスもケースを置き、拳を作った左腕を伸ばしてこつんと軽く当てて笑った。

 そうして彼は踵を返し、出口へ向けて歩き出す。

 待ち望んだ時がもう直ぐ訪れ、ようやく終わりを迎える、迎えられる事を感じながら。

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