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3.

 ハンス・エーヴァルトとカヤ・ベルンシュタインの出会いは、数年前の元旦の事である。

 独逸を始めとする欧州では、昔から花火や爆竹を鳴らして派手に新年を迎える習慣があった。行事というのは歳月と共に形骸化するか、或いは諸々の理由によって新設されて行くものであるけれど、新しい年というのは何時になっても新鮮であり、二日から仕事が開始される旧独逸にあって、人々は大いに火薬を使い、伯林の夜は白煙で覆われていた。

 その街の一角に、ハンスの姿があった。生来この手のイベントは余り好きで無かったけれどグレゴールによって半ば無理矢理引っ張り出されたのだ。

 それでもどうにも乗れない。こんな馬鹿騒ぎの、一体何が面白いというのか。

 そう彼が思いながら、独り街中を彷徨っていると、

あけましておめでとうプロージット・ノイ・ヤール!」

 少女の甲高い叫びと共に、目の前へ一輪の火の花が、ばんと音を立てて咲き開いた。

 ハンスはぎょっとし、身構えると同時に担い手である三つ編みの少女を見、

「……はれ?」

 高らかに爆竹を鳴らした彼女も、その瞳を丸くさせ、彼を見詰め返した。

 灰色と琥珀色の視線が交わり、重なり合う。

 そうして二人が暫く立ち止まっていると、彼女の友人だろう二人の少女が走り寄って来、

「あぁあぁ、あんた何やっちゃってるのよカヤ」

「い、いやぁエレナそんなつもりは……私はただ、ちょっと知り合いだと思って、」

「言い訳して誤魔化そうだなんて流石の瑞樹もそれはドン引きますよぅバットで後頭部かきーん的にぃ、首領(ドン)なだけにぃ」

「あんたは黙ってなさいっ……だ、大丈夫ですか? 貴方、何処か怪我はありません事?」

 彼女らが冗談交じりに攻め立てるのに、カヤと呼ばれた少女は至極動揺し、ちょこまかとした動作で、ハンスの服を払った。彼はまだ少し唖然としたままだったけれど、彼女の動きが余りに落ち着きの無いものだったが為に、思わず、く、と笑みを浮かべてしまう。

「はえ、な、何で貴方笑ってるんですの?」

 カヤは何故自分が笑われたのか解らず、ますます慌てて動き回り、友人一同を見返す。その気質によってハンスは塞いでいたのだが、余程壷に嵌ったのだろう、とうとう声を上げて笑ってしまった。

 困惑げな三つの視線を受けつつ、彼の声は真冬の空の下で暫しの間、木霊しだ。


 これを切っ掛けにハンスはカヤと知り合いになった。

 当時彼は伯林大学に通っていたが、それは相手の方でも同じであり、以来、二人が共に校内を歩いている姿が良く見られる様になった。

 そうして接する間にハンスは彼女の少し間の抜けた、それも含めて明朗な精神に強く心惹かれる事となり、カヤもまた想う所があったのだろう、彼等の関係が恋仲になるのに然程時間は掛からなかった。それから、別に珍しい事でも無いが、直ぐに同棲を始め、大学卒業後に婚姻を結んだ。

 その時の事を、ハンスは良く覚えている。

 教義としての機能は薄れつつあるも、純粋な信仰心によって、神の家という意味合いがより強められた教会。何度か破損しつつも、その都度、元通りに復元されたステンドグラスの下。流行廃りの激動の中で殆ど変化していない白いウェディングドレスに身を包んだ花嫁。自分の妻となるべく少女らしい三つ編みを解いて黒髪を長く伸ばした姿にそのドレスは良く似合っており、常に付けている琥珀色の耳飾りは明けの明星の様に煌いていた。そして、それと同じ色をした琥珀色の瞳は喜びの光を宿し、赤く塗られた唇は一つの単語と共に未来の夫の名を誇らしげに紡いで……


 その姿が徐々に遠退き、別の顔と重なった。

 可愛らしい目鼻立ちをしているが、随所に強い意思を感じさせる顔立ちの彼女は、カヤとは似ても似つかぬ少女であった。強いて上げれば髪の色が同じであるけれど、形は額を分けて肩まで波打たせたものだし、瞳も深い海の様な青色を宿している。赤いワンピースタイプのドレススカートを纏ったその体躯だって、彼女よりもずっと小柄であるし、その、女性的主張も割りに控えめだ。ついでに、ハンスの眼前て振られる手は、細部の動きまで生身のそれだが金属製の義手であり、

「……なた? 貴方? ……もしもーし、おーい、やっほー」

 訝しそうに小首を傾げて語られる声も違う。全く持って、カヤでは無い。

 では一体誰なのだろう。

 ぞう霞がかった思考の中でハンスが思っていると、彼女は続けて言った。

「貴方ちゃんと起きてる? もうヴァルハラに付いたわよ」

 天国(ヴァルハラ)? と疑問に思いつつ、耳を向ければ、成る程、確かに天井へ埋め込まれたマイクからアナウンスが告げられている。『高座につく(スキルヴィング)』号は宇宙港『神々の住処(ヴァルハラ)』へと到着しました。当リニアは点検の済み次第、地上へ向けて発進致しますので、お乗りの方はお早めにお降り下さい。繰り返します、『高座につく者』号は……

 その無機質な声を耳にして、ハンスの虚ろな思考は徐々に確たるものとなり、彼はようやく思い出した。自分は軌道エレベーター『恐ろしき神の愛馬(ユグドラシル)』上を走る反重力リニアへ乗り込んだ。数時間前の事であり、天上を目指す間に何時の間にか寝入ってしまっていたが。そして、この少女はハンスの隣に座っていた乗客で、連れの男性とずっと仲睦まじく会話していたのを覚えている。

 辺りを見渡せば、その彼はもう居らず、他の客も居なかった。

 ハンスと彼女だけが居並ぶ座席に居る。

「嗚呼わざわざ起こしてくれたのか、ありがとう」

「どういたしまして……」

 彼は立ち上がると、背筋を伸ばした。それ程長い時間座っていた訳では無いが、骨が鳴った。ふぅと吐息を漏らしてから首を回していると、少女の視線に気付いた。ハンスは回すのを止め、中途で傾けたまま、

「……まだ何か?」

「いいえ、ただちょっと大丈夫かしら、って。全然起きなかったし、顔色だって悪いもの」

 彼女はとんとん、と自分の目元を指で叩く。強化硝子の窓に映る自分の顔をハンスが見れば、確かに隈が出来ていた。頬も扱けている。ちゃんと寝、食事をしたのは何時以来だろう。もう良く思い出せない。

「一応は医療に関わる人間から言わせて貰うと、貴方、宇宙に行くべきじゃないわ。速めに引き返して何処か……そうね、伊太利亜にでも行って、ゆっくりした方が良いと思うの」

 ハンスの横顔をじっと見詰めながら、少女はそう言う。

 青い瞳は真剣そのもので、彼女は本気で心配してくれている様だ。見ず知らずの人間に対してなかなか出来るものでも無い。或いは、それ程自分は疲れて見えるのだろうか。

 何にせよ、今の彼には余計な世話以外の何物でも無い。

「ありがとう。でも月に用事があってね……それが済んだら、養生させて貰うよ」

 尤も、その『用事』が何時済むのかは、ハンス自身にも解らなかったが。

「まぁ月に? 何があるのか知らないけど、それは大変ね」

 少女は頬に手を当て、心底不憫そうに顔を歪めた。

 と、その時、出口の方から連れの男が顔を出した。

「ドルトヒェン、何をしている? 木星行きの船が出るぞ」

「と、嗚呼ヴィルヘルム、待って、直ぐ行くから」

 恐ろしい程の清潔さを保った白亜のスーツ姿で、右眼に古風なモノクルを嵌めた彼が手を振るのに応えると、ドルトヒェンと呼ばれた少女はだっと駆け出してから、最後にくるっとハンスの方を向いて、

「さよならお兄さん。大変かもしれないけど、無茶だけはしちゃ駄目よ?」

「ん、ありがとう、さようなら」

 ヴィルヘルムと呼んだ男性の側に寄り添い、二人でリニアを後にして行った。

 あれは恋人だろうか。その割には年が少し離れている様に見えた。姉弟かもしれない。

 それがいずれであれ、見ていても湧いて来るのは嫉妬混じりの羨望しかなく。

 ハンスは彼等を見送ると、再び窓に映る自分を見、そして思った。

 これからは顔を隠さなくてはな、と。


 重力操作技術を可能としながら、費用と効率の問題によって軌道エレベーター上に建設されたヴァルハラは、西方欧羅巴地区唯一の宇宙港とあって、外へ行く者或いは戻る者でごった返していた。人々はリニアやシャトルへの待ち時間を利用し、かつて盛況を極めた、しかし今は廃れた空港の様に、ひしめく店々に寄っては、地球土産乃至は帰還祝いとして様々なものを購入している。旧独逸に置ける時間は深夜も深夜だったが、そんなもの、地球の外にあっては余り意味を成さない。

 地理的或いは歴史的都合により度々世界の敵となった旧独逸が首都上空に宇宙港が建てられる事に関しては、当初より強い懸念があったが、蓋を開ければ御覧の通りである。

 歳月の中でわだかまりが流されたのも大きいだろう。時間は傷を癒してくれるものだ。失ってしまったものはもう傷と呼べず、どうにもならないが。

 ただ、伯林に建造された理由に関しては、体の良い厄介払い的な意味合いもある。

 例えば、隣接する旧仏蘭西の首都『風靡都市(モダンシティ)』巴里も建設予定地の一つとして候補に上げられたけれど、景観が損なうという理由により、市民達から反対の憂き目に合い、結局頓挫したものだ。

 ともあれ、現在では何の問題も無く機能しているその宇宙港の片隅、他と違って殆ど客が居ない月都市マーニ行きのシャトル受付所に、ハンスが居た。

 背も顔も小人の様な受付の男が、

「月への目的は? 観光?」

 と、尋ねれば、彼は男の胸元に止められた『エドワード・ベイツ』という名札を見つつ、先程眼鏡屋(光の遮断というよりも、外部装飾の一環として、この手の店は意外とまだ需要がある様だ)で買ったサングラスを取って応える。相手は英米圏の人間であり、こちらは独逸語だが、体内の機械の翻訳機能をオンにしている為、会話は可能だった。

「いいや……戦う為にだ」

「嗚呼……やっぱりなぁ、そうだと思ったぜ、月へ行く奴の半分はそうだ」 

 ハンスの答えへ、ベイツはそう吐き棄てる様に言った。

 恐らく、その視界片隅には、走査機械を通して確認された狩人の資格、即ち、指名手配犯に対する殺傷権及び賞金交換資格要項が表示されている事だろう。

「……もう半分は?」

「出戻り組とそいつらに偽装するか、或いは潜り込むかのお尋ね者の折半……はいよ承諾よろしく、これ一回だけだから、ちゃっちゃとやってくれや」

 質問に返しながら、ベイツは手元の装置を操る。数秒して、ハンスの視界隅に摩滅する小さなウィンドウが表示され、開いて見ると、テンプレート的な警告メッセージ《マーニは世界統一連邦政府が指定する要注意都市であり、貴方が彼の地で被る如何なる損害に対しても当局は一切の責任を負わない旨をここに記す》が表示され、更に応じるか否かが問われた。彼が殆ど考える事もせずに承諾すると、ウィンドウは閉じ、別のものが、ハンスにシャトルへの搭乗権が与えられた事とそれによる支出を表した。ろくに価格も調べずに来たのであるけれど、値段は予想以上に安かった。別に心配もしていなかったが。

「おう、完了だ。直ぐ出発だから、さっさと行きな」

「ありがとう、手間を掛けたな」

「はん、構やしないさ。お客様は神様だからよ」

 その割には余りにあんまりな態度だったが、ハンスは黙ってその場を後にしようとする。

「しっかし何で月に行きたがるかねぇ? 地上でゆっくり暮らしやぁいいものをさ」

 その時、背後へ聞こえて来た言葉に思う所はあったが、ハンスは無言を押し通した。

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