天狗姫の決断
黒のスーツ姿で登場した小林は、傘を畳みながら滴を払う。
表情をキリリとさせて背筋をピンと伸ばすと、自分の肩書きを記した名刺を律儀なお辞儀と一緒に担任の安達に手渡した。
名刺を受取った安達はその肩書を読み上げる。
「全国児童養護施設協会 副理事 小林静江……様」
「はい、一度井上君の転入手続きの時にお目にかかりました小林です。先日は彼の保護者という位置付けでしたので、あの時は自分の立場について語りませんでしたが……」
◇
拓真から連絡を受けた時の小林は、丁度拓真の家を出て車の運転席に乗り込むところだった。
彼の様子から相当緊急を要する事態だった事は想像できたが、まさか身寄りのない子供それも高二の十七歳を預かる事になるとは、想像すらしていなかった。
身寄りが無いとは言っても父親は消息不明なだけなので、所在が発覚次第親元へ帰す事になるのだが。
『友達が倒れた。山崎咲良さん。彼女は親父がいるが今はどこにいるか謎。一人で生活していて多分お金が無い。食べる物が無い。彼女を助けたいお願い』
それが拓真から届いたメッセージだった。恐らく急いで入力したからだろう、書き殴ってあるだけでいまいち理解し辛い内容だった。
それでも拓真が一人の少女を救いたいという思いは伝わったようで、小林は自分のできる範囲で精一杯協力するつもりだ。
とにかく急いで学校へ向った小林は、到着するや否や昇降口で彼らとバッタリ遭遇することに。
そこに居たのは拓真と担任の安達、それと咲良の三人だった。
咲良は車椅子に乗っていて、それを拓真が押して移動させていた。立って歩く所まで体調は回復したものの、ちょっと心配ねと西村が保健室に畳んであった車椅子を引っ張りだしたのだ。せっかくなので自動車に乗るまではと、車椅子を使って移動している。
彼らと遭遇した小林は何よりも先に、車椅子を押している拓真の痛々しい左腕の状態が視界に入り、その途端あからさまに表情を強張らせていた。
「拓真さ……井上君! その左腕は一体どうなされたのですか?」
「ああ、小林さん。これは軽い怪我だ。心配要らない」
大袈裟に巻かれた包帯は、どこをどう見ても軽い怪我には見えなかった。
しかし、今この場の本題は咲良の件であり、拓真の怪我ではない。小林もその事は重々承知しているので、怪我の経緯をこの場で訊くことは流石に無かった。
「……そうですか。私も君をお預かりしている責任上心配なのです。あまり無理をなさらないでください」
声を低くして凄んでみせる小林に、後でしつこく追及される事を覚悟しつつ一言だけ「気をつけるよ」と返した拓真だった。
拓真との会話で気持ちが落ち着いたのか、小林は深呼吸をすると再び顔をキリリとさせて安達と向かい合う。
「今回突然お伺い致しましたのは、井上君にどうしても相談に乗って欲しいと連絡がありまして、ご無礼を承知のうえ急な御挨拶となってしまいました」
「話は井上君から聞いています。山崎さんの保護ですよね?」
「はい。とは言いましても先生方の職務上の御都合もありますし、なにより山崎さん本人の意思も尊重しなければなりません。私は、どのような方針が下されようとも、それに従おうと考えております」
あくまでも安達の考えに従うと、そう話のスタンスを決めている風の小林だが。
「そうね……今晩だけなら私のアパートで面倒見れるけど……ずっとという訳にもいかないし」
「でしたら、私共の施設が丁度この近くにあります。それに、私の力……って言うのはちょっと変ですけれども、そこでしたら快く彼女を受け入れて頂けると思います」
「……でも、いきなり施設っていうのは」
「ご安心ください。彼女の意思を優先しますから、それまで私が預からせて頂きます」
「そうね。井上君も小林さんなら信用できるって言ってましたし」
「いいえ、そんな私は人様のお役に立ちたい。ただそれだけです」
拓真は目を丸くして驚いていた。
小林はそこらに居る一般的な年配女性よりも遥かに知性的であり、その風貌や身形は他の同年代の女性たちを圧倒している。
拓真も彼女の正体は全くと言っていいほど知らない。はっきり言って謎だらけの女性だ。
だけど拓真は小林の事を誰よりも信頼していた。そして困った時にはその技量と知識でどうにかしてくれると思っていた。事実、過去何度か助けてくれたことがあったのだ。
いきなり『全国児童養護施設協会 副理事』などというとんでもない肩書が飛び出てくるとは、正直拓真の予想を遥かに超えていた。
「山崎さんはどう? 私より専門の小林様の方が良いかしら?」
安達の問い掛けに、俯いていた咲良はちらりと拓真を見る。
拓真は彼女と視線が交わると、唇を真一文字にして力強く頷いてみせた。
咲良は迷い、そして戸惑っていた。本当は自分一人でのアパートに帰って、いつもと変わらない生活に戻りたいのだろう。
だが体調の芳しくない咲良を、安達はこのまま単独では帰さないと言っている。たしかに今は良くても、一人自宅でまた倒れたりしたらそれこそ救助のしようが無い。
だったら担任の安達についていくか、小林に任せて施設に入るかの二択である。
施設……。そこはどう考えても咲良の苦手とする集団生活が待っている場所。父親の安否が確認出来ればそこから解放されるとは思うが、それがいつの日になるか解らない。そもそも同じような境遇の子供たちが生活する場だ、学校よりもっと仲間意識が高いのではないか。
でも。拓真が力強く頷いてみせた。曇りの無い瞳で、真っ直ぐ咲良を見つめて。
「……私は、たくま……小林さんにお願いします」
拓真は彼女の決断に内心嬉しかった。まさかこの話の状況で、小林を選んでくれた事に奇跡すら感じたのだ。
「山崎さん。本当に良いのね?」
安達は咲良に再確認すると、「はい」と小さく頷きその意思を固めたのだった。
「では小林様。山崎さんの事宜しくお願い致します」
「承知いたしました。彼女の事、責任を持ってお預かり致します」
丁寧にお辞儀する小林は、どこからどう見てもエリート営業マン。ただしその凄んだ表情は、間違いなく格上の実業家だ。
にっこりとその笑顔を安達にぶつけると、それに気圧された安達は僅かに身じろぎ表情を強張らせていた。
「や、山崎さん。もし何かあったら迷わず先生に言ってね」
「わかりました」
それでも負けじと咲良を気づかい言葉をかけた安達に、ハッキリと返事を返した咲良の表情には不安の色など無かった。
最後に安達は、拓真の目を見て、真剣な面持ちで口を開く。
「井上君」
「はい?」
耳元に唇を近づけて、拓真にだけ届けるようにそっと囁いた。
「山崎さんの事、しっかり頼むわよ。あなたなら彼女の心の氷、解かせるかもね。私達が出来なかった事、あなたが頼りだから」
その言葉は、拓真の心に深くひ響いた。
クラスで孤立している天狗姫を、どうにかしてあげたい気持ちは安達も一緒だった。
それが知れたことで拓真の気持ちが少し楽になった半面、頼られた分の重圧がかかったようにも思えた。
「では安達先生、失礼致します」
拓真達は小林の運転する自動車に乗り込み、学校を後にする。
安達は小林の自動車が見えなくなるまで、雨の降る校門に立ち彼らを見送っていた。
ありがとうございます。





