Wouldn't it be loverly ?
……チチチと、鳥のさえずる声が聞こえる。
重い瞼をゆっくりと開ければ、朝日の眩しさに目が眩んで、一度閉じ。
それから恐る恐る、目を開く。
見慣れた寝室、見慣れた天井、晴れた空。
これなら、光の加減が絵の色調に影響を与えることはなさそうだ。
何気なくそう考えた自分に気づき、呆れたように枕に頭を委ねる。
ふぅ、と力を抜くように息を吐き、もう一度吸いこめば、最近また馴染むようになった匂い。
まだじくじくと響くように痛み熱を持つ肺が、少しだけ癒されるような気がした。
……生きている。
まだなんとか、生きている。
そのことに、ほっとする。
一晩寝たからだろうか、身体は鈍いながらもなんとか動く。
指先の感覚も、恐らく問題ない。
……まだ、描ける。
脳裏に浮かんだ言葉に、我がことながら苦笑する。
死にかけようがどうしようが、自分とはそういう人間らしい。
で、あるならば、それに殉じるのも自分らしさというものかも知れない。
ゆっくりと体を起こすと、汗に濡れたシャツを脱ぎ、着替える。
嫌でも、自分の痩せた体が目に入った。
それでも。まだ、手が動くなら。
確かめるように両手の指を動かすと、うん、と握りしめて。
マチルダが料理している台所へと向かった。
「……起きたのかい」
「ああ、おはよう」
ちらり、とこちらを一瞥しただけで、またすぐに調理に戻る。
少しだけ、目が赤かったような気がした。
いつもより言葉の少ない朝食。
互いに何かを探るかのような空気。
それがどれくらい続いただろう。
ほとんど朝食を食べ終わったところでセルジュがスプーンを置き、マチルダを見つめる。
「マチルダ。……今日も予定通りに描くよ」
「……そうかい」
「うん、そして……多分、今日で完成する」
「そうかい……」
そうして、しばらくまた、沈黙。
互いに、言葉を探っている。
言いたいことは山ほどある。
ただ、それをそのままぶつける程には、お互いもう若くない。
そして、互いに無知でもない。
「なら、明日の夕方には運べるくらいに乾くかね?」
「え? ……ああ、そうだね、それくらいには乾く、かな」
マチルダから出た言葉が完全に予想外だったらしく、一瞬言葉に詰まる。
それから、何もない宙へと視線を泳がせながら考え……答えを返すと、マチルダがにんまりと笑った。
「じゃあ、明日の夕方頃取りにくるからさ、運ぶの手伝っておくれよ。
あたし一人じゃ運ぶの大変そうだしさ」
「そりゃ構わないけど……僕が手伝っても大して変わらないと思うんだけど」
正直なところ、今のセルジュよりもマチルダの方が腕力はあるんじゃないかと思うくらいだ。
であれば、むしろ足手まといになりそうなものだが。
そう答えるセルジュに、マチルダは少し呆れたように苦笑して。
「……ついでに、あたしんちで晩御飯でも食べていきなよ」
「ああ……うん、そうだね、それはいい」
なるほど、それは今の自分には魅力的な話だし、同時に、必要なことだとも思う。
多分、人間としての自分にとって。
「そうと決まれば……今日はちょっと、がんばろうかな」
そう笑いながら、席を立って食器を片付け始めた。
その日は、特に筆が乗っていた。
作りたいところが作れて、置きたいところにおける、のはもちろん。
力を抜くところは抜き、入れるところは入れて。
強弱をつけたいように付けられて、絵の印象は暖かく、柔らかく。
描きたいものが、思うがままに、それ以上に。
自分でも思っていなかった質感が仕上がっていく。
そして。
「……これで完成、かな……」
そう言って、筆を置いた。
ふぅ、と溜めていた息を吐き出すと、同じタイミングで吐息をこぼすマチルダと目が合い、苦笑しあう。
一瞬、天井を見上げて、もう一呼吸。
そうして、改めて絵を眺めて。
「うん、いいんじゃないかな」
そう、小さくこぼした。
「いや、これをその一言で済ませますか!?」
後ろでずっと見学していたエリーが、思わず声を上げる。
隣のレティも、うん、うん、と頷いていて。
「絵の良し悪しはそんなにわからないけど……これは、すごい、んじゃない、の……?」
そう言いながら、もう一度その絵を見つめる。
感受性のあまり鋭くない自分にすら、伝わってくる情感。
まして、絵を見る目を養っているセルジュであれば、尚更のことだろうに。
「なんだいなんだい、随分大騒ぎだねぇ……あたしにも見せておくれよ」
「ああ、ほら、こんな感じだよ」
見やすいようにとセルジュが横にどく。
そうして眼前に広がったその絵を見て、マチルダは息を飲んだ。
暖かな日差しの中、椅子に座って正面を向く女性。
正直なところ、大して美人ではない。
髪はパサつき、ほつれ、張りも輝きも弱い。
目元や口元に刻まれた皺、弛み始めている首元。
体型だって娘の頃に比べてふっくらとして弛んでいる。
確実に、年は相応に刻み込まれている。
着ている服だって、上等なものではない。
確かに、良く知っている自分だ。
だというのに。
目が、離せない。
「……あたし、こんな顔してるかねぇ……?」
小さく、そんな言葉を漏らす。
絵の中の女性の眼は慈母のように穏やかで、なのにどこか恋する乙女のように輝き。
緩やかにカーブを描く眉と唇が、柔らかな微笑みを形作る。
その印象が強くなると、弛んだ体つきさえ柔和な包容力の現れにも思えてきて。
差し込む日差しの質感もあってか、目で見ているのに、肌に暖かな温度をすら感じてしまう。
自分だと良くわかってしまった後に、そう突きつけられるのは、ひどく気恥しい。
「まあ、その……僕からはそう見える、ってことで」
照れたようにセルジュが頭を掻きながらそういうと、マチルダは赤くなって俯いた。
思わず叫び囃し立てそうになったエリーが咄嗟に口を両手で押さえ、必死にこらえる。
不思議そうに眺めていたレティが、二人を見て、エリーを見て、察した。
なるほど、これはセルジュからマチルダへの。
納得すると、色々藪蛇にならないようにと沈黙を守る。
改めて、絵を眺める。
自分にすら感じ取れる、暖かさ、優しさ、そして何よりも。
「……こういうのを、素敵っていうのかな……」
そう、誰にともなく呟いた。
永遠などありはしない。
だが、終わりは本当にあるのか?
終わりと思うそれは本当に終わりなのか。
それは、生きるものの永遠の問い。
次回:見えない形・見えるもの
不確かで、確かな。




