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暗殺少女は魔力人形の夢を見るか  作者: 鰯づくし
3章:暗殺少女と旅の空
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輝く日々の、儚さは

 そうして、絵を描くことに没頭する日々が始まった。


 マチルダが来るから、二日に一度はまともな食事にありつける。

 エリーがじっとこちらの筆遣いを見つめてくるから、弛むこともできない。

 レティが微動だにせずモデルを務めてくれるから、応えないわけにはいかない。


 ……充実、していた。


 そのせいだろうか、筆も軽い。

 イメージが良く浮かび、作る色もぴたりとはまり、思ったところに色を置ける。

 全体を見渡してバランスもとれて、それでいて細部の描写に不足なく。


 間違いなく、今までで一番スムーズに進行していた。

 そして全体のバランスを見渡しながら、細部の描写も不足なくできている。

 勢いに乗っている、とはこういうことだろうか。


 そうして作り上げられていく世界は、実に。


「はぁ……今日はまた一段と凄く……昨日も凄かったですけど、さらに完成度が上がってますね~……」


 今日はここまで、と筆を置くと、エリーが覗き込んできた。

 一息ついて少し呼吸を整えると、改めて自分の描いたものを眺める。

 ……うん、と一つ頷いた。


「そう言ってもらえると嬉しいですね。

 我ながら……ここのところ、実に筆が乗っています」


 こうして改めて見ても、良い調子で来ている。

 描きたかった世界は、もうほとんどそこに見えていた。


「……ちょっと前から思っていたのだけど……これ、どこまで塗ったら完成になるの?」


 軽く体を解しながら覗き込んできたレティが、不意にそんなことを訪ねてきた。


 ふと考え、困ったように肩を竦める。


「極端な話、完成はないのかも知れません。

 塗ろうと思えばどこまでも塗れますから。

 基本的には、自分が満足するまで、ですね。

 今回はコンクールの締め切りもありますから、そんなことはできないですけど……」


 塗り重ねることができる油彩では、塗った色の上にさらに色を塗ることができる。

 そうやって厚みを出すことで独特の質感を出すこともでき、それを求めて相当に塗り重ねる画家もいるくらいだ。

 セルジュの今回の絵は、そこまでの厚みは求めていない。


「多分、ですけど……後、二日、いや、三日でほぼ終わりが見えると思います」


 もう、ほとんど見えていた世界は、描きたかった世界はそこにあった。

 けれども、まだ足りない。まだ、十分ではない。

 ここから先は、もうほとんどニュアンスの問題。

 自分の感性と照らし合わせて、ほんの少しの狂いを調整していくような作業。

 それでも、今の自分なら。

 

 きっと、満足のいくところまで、描くことができるはずだ。


「もう、後それだけ、なんですね……。

 なんだか、あっという間、でしたね……一月近く経っているのに」


 作業に没頭し始めて、レティの絵とマチルダの絵にそれぞれ10日以上使っている。

 たった一月、されど一月。

 二人の絵は見事な出来栄えを見せていて。

 その間に、エリーの絵も随分と上達した。

 今は、色を乗せる練習すらするようになっていて。


 この濃密な一月が、それらの絵に詰まっていた。


「もう、そんなになりますか……。

 お二人には、後少しだけお付き合い願います。

 どうか最後まで……お願いします」


 懇願のようなセルジュの言葉に、二人してこくりと頷く。


「……ここまできて、今更。

 私も、完成が楽しみだし……」

「もちろんです。師匠の絵を、最後まで見届けさせてもらいますから!」


 ……ああ。

 あの時、声をかけて、良かった。

 本当に、良かった。

 きっと、満足するものが描ける。


「お二人とも……本当に、ありがとうございます」


 まだだ、まだ、終わりではない。

 それでも、目が潤むのを止めることができなかった。





 そうして、二人が帰って、いつもの、一人の夜。


「ぐふっ! かはっ、あ、がっ! は、はっ、かはっ!!」


 一人咳き込む、いつもの夜。

 昼間は、薬のおかげか抑え込めている。

 それでも、徐々に昼間でも肺がじくじくと熱を持っているのを感じる。

 夜、こうして咳き込むときの肺の痛みが増しているようにも感じる。

 時間も、長くなっているように感じる。


 何よりも、収まった後にこうして転がっている時の虚脱感が一層酷い。


「ああ、もう……後、少しなんだから……大人しくしててくれないかな……」


 ぼんやりと見上げる天井は、見慣れぬ高さ。

 遠く遠く、手も届かないような場所に見えて。

 自分が地の底へ沈もうとしているかのように、思えて。


 あがくように床を掴み、逃げ出すように身を捩る。

 

 まだだ。

 まだ、なんだ。

 まだ、沈むわけにはいかない、んだ。



「そんなこったろうと思ったよ、この唐変木」


 不意に、聞こえるはずのない声が聞こえた。

 床に這いつくばりながら、のろのろと顔をあげる。

 驚きで顔が強張り、何か言おうと、口が震えるが、言葉が出ない。


「ああ、いいよ、しゃべんなくても。

 何であたしがここに、って言いたいんだろ?

 そりゃ、さ。元とはいえ夫婦やってたんだ、察することもあるだろ?」


 エリーちゃんやイグレットちゃんにはわからなかったみたいだけど、と少し得意げに。

 少し悲し気に、笑う。


「ほれ、肩貸しな、ベッドまで行くよ。

 止めらんないことは、わかっちゃいるからさ……せめて、少しでも体を休めなよ」


 力の入らない体を、支えられる。

 たくましく、なっているな、なんて場違いなことを考える。

 自分は……思っていたよりも、痩せていた。

 力の入らない体、支えられればまだ、歩けた。


「……すまない……こんなこと、まで……すまない……」


 うわごとのように呟きながら、なんとかベッドまでたどり着く。

 冷たく硬い床に比べて、かび臭くてもまだましで。

 ふぅ、と吐息をこぼした。


「薬はあるのかい? ……ああ、そこに入れてるのかい、持ってくからそのまま寝てな」


 こんなに目端が利いていただろうか。

 てきぱきと世話を焼く姿に、そんなことを思う。


 ……やはり、若かった、のだろう。

 だからこそ、のであり。

 今だからこそ、でもあり。


 それは、言っても詮無きことでもあって。

 過ぎ去った日々を、ただ懐かしむことしかできない。


「ほれ、口開けて……こぼすんじゃないよ?」


 抱きかかえられて、薬を飲まされて。

 発作が収まっていたこともあってか、水が体に染み込み、薬効も利いているように思えた。


「ああ……すまない、本当に……」

「馬鹿だね、こういう時はありがとうってんだよ」


 ぽん、と頭を叩かれた。

 優しく、悲しい柔らかさだった。

 何もかもを見透かしている、目だった。


「……ああ、ありが、とう……」

「ほれ、もう寝ちまいな。

 ……明日はあたしを描いてもらうんだから、さ……」


 言いたいことは、ある。

 でも、それを飲み込んで。

 そっと、寝かしつけるように撫でていた手が、はしっと握られた。


 気づいて見やると、縋りつくように揺れる瞳があって。


「馬鹿だね……こんな時間に来てんだ、そのつもりだよ」


 苦笑を漏らして。

 


 ゆっくりと、二人の影が重なった。

生老病死。

人はその四つの苦しみから逃れることができぬという。

苦しみもがき、あがくその営みは、それでも無駄ではありえない。


次回:Wouldn't it be loverly ?


あなたは私にとって永遠の。

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