愛き夜の語らい
セルジュのアトリエをいつものように後にする。
いつものような会話はなく、祭りの熱狂の後のように、燻る高揚感と虚脱感が二人を支配していた。
夕暮れ時。
昼の終わりと夜の始まりが入り混じり、ほの暗い赤に染まる世界。
はっきりとしない黄昏の中を、普段よりおぼつかない足取りで歩く。
つい先程まで見ていた光景が忘れられない。
その熱情に曝されて、言葉が上手く出てこない。
お互いにそう思っていることがわかっているから、言葉が出ないことを不思議に思わない。
一日が、終わる。
太陽が山の端へと消えて、名残の赤を残し、空を支配する藍色。
それも少しずつ深まり、星々が姿を表し、やがて夜の闇に染まって。
「……ねえ、エリー」
「はい、レティさん」
空を見上げながら、レティが口を開いた。
どこかぼんやりとした口調でエリーが応える。
「……前も思ったんだけど、ね……。
今日は、特にそう思うのだけど……世界って、こんなにたくさんの色があるんだね」
青、赤、黄、緑、黒さえも。
目にするそれらの色は、かつての自分からは想像もできない程に鮮明で、鮮烈で。
時折くらくらするほどに、心に響く。
でも、今日は。
「でも、その中でも……今日は、特に強烈だった……。
セルジュの絵は、どうしてあんなにも……色が、強く感じるんだろうね……」
所詮、絵の具だ。
それも、彼が使うものは、庶民でも買えなくはない程度のものだ。
いくつかは彼自身が材料を集めて作ってはいたが。
それでも、当然全てが自作なわけもなく。
……それでも、彼の作りだした世界は、一際鮮やかだった。
「……わかりません。
わからないけど……わからないままにしてたらいけない、とも思うんです。
弟子として……何かを、掴まないといけないって」
遥かな高みにいる彼の絵を、始めたばかりの自分が掴めるわけもないのだが。
それでも、掴みたいとあがく。
あがかないといけない、と思う。
そうすることに意味がある、と思うから。
「改めて思うのだけど……とんでもないことに首を突っ込んじゃったね……」
本当に、そう思う。
たった一人の男が、絵を描く。
ただそれだけのはずなのに、戦争もかくやという熱に巻き込まれている。
それは未経験の怖さもあり、それゆえに興味も引かれて。
つまりは、抜け出せないし抜け出すつもりもなくなってしまっている。
「……そう、ですよねぇ……」
ぼんやりと、そう応えて、言葉を切る。
色々と、形にならない言葉が頭の中を巡り、浮かんでは消えて。
そうして、口にしたのは。
「レティさん、ごめんなさい」
「え……? どうしたの、急に」
唐突な謝罪に、ぱちくりと瞬き。
何も謝られるようなことはしていないというのに。
訝し気にエリーを見ていると、エリーが言葉を続けた。
「その、私のわがままに付き合わせて旅に出たのに、私のわがままでこんなに長居して……。
なんだか、私ばっかり振り回して……」
俯いたエリーを見つめることしばし。
くすりと、小さな笑みが漏れた。
え、と顔を上げたエリーの頭を、そっと撫でて。
「心配しなくても……私は、今の状況を……多分、楽しんでる。
こうして、今経験していることを、大事なことだと思っている」
じぃ、と瞳を見つめて、微笑みながら。
ゆっくり、ゆっくり、宥めるように、慈しむように、指で髪を梳く。
「何より、ね……こうしなきゃ、じゃなくて……。
エリーが、こうしたいっていうものを見つけたのが、多分、嬉しい。
絵に夢中になっているエリーを見ているのは、正直……楽しい。可愛い、とも思う」
目を輝かせながら絵を描くエリーは。
セルジュの絵に驚き感嘆するエリーは。
とても、輝いていた。
それが眩しくて、嬉しくて。
だったら、できる限りに、と。
そう、思うから。
「エリーがね、したいようにして欲しい、な……。
そうしたら、私も何かが見えるような気がする」
それは、漠然とした予感。
自分が、今までのと違う自分になれるのではないか。
それがどんな自分なのかは、わからないけれど。
「だから……謝らないで。
したいように、して、ね……?」
それは、願いでもあり、あるいは祈りでもあったのかも知れない。
この、兵器として作られた、けれど、とてもらしくない明るい少女が。
何かを見つけたのだとしたら、それが成就しますように。
そう願い、祈る自分がいた。
間近で、真正面からその願いを受け取ったエリーは、これ以上ないくらいに真っ赤になって。
どう感情を処理していいかわからず、涙目になっていた。
「いいんですか……?
私、したいこと、しちゃっていいんですか……?」
「あんまり無茶なことは困るけど……多分、大体は」
そう、笑って答える。
くしゃり、涙目のエリーが表情を崩す。
ぎゅ、と手を握って。
「じゃあ、手を繋いで、宿まで連れてってください……。
レティさんのせいで、前が良く見えないんです」
「ああ、それは仕方ない、ね……責任を持って連れてくよ」
ぎゅ、と握り返す。
その手は、熱くて、震えていた。
彼女の感情の震えそのままに。
また、笑みをこぼしてしまう。
「後、後……今日は一緒に寝てください……何だか、レティさんとくっついていたいんです……」
「ええと、それは……まあ、うん、構わない、けど……」
……それは、さすがに少し恥ずかしい。
少し? 多分、少し。
でも、彼女が求めるなら。
いい、かな、とも思う。
「言いましたね、約束しましたよ、約束!」
「うん、約束、したから……」
涙目のまま笑顔になったエリーに、苦笑を返す。
こんなことで元気になってくれるなら、それもいいかな。
そんなことを思いながら。
手をつないだまま、笑みをこぼしながら。
二人、歩いていった。
時が流れ、失われたものがある。
二度と取り戻せない、あの日。
やり直せない若気の至り。
次回:時は過ぎ、そして
今、振り返ってこそ、見えるもの。




