その筆に、載せるもの
セルジュのアトリエから帰途へ着いた二人は、いつもより言葉が少なめだった。
普段ならあれこれと話しかけてくるエリーが、何か考え込んだりと上の空で、それを横目にレティが見ているという珍しい光景。
話しかけた方がいいのか、邪魔しない方がいいのか、そんなことを考えているうちに街中へと。
夕暮れが訪れた街並み、家路を急ぐのか、足早に歩く雑多な人込み。
考え事をしているエリーを道の脇側へ、自分は人込みの本流とエリーの間に立つように。
……こんなにも、周囲のことが目に入っていない彼女は初めてだ。
それが危なっかしくもあり、だけど、そのままにしておいてあげたくもあり。
彼女が見つけたものは、きっと意味のあるものだ。
それは、彼女が描き上げた絵からも伝わってくるし、何よりもセルジュの描いたものを見れば、嫌でも理解できてしまう。
ただそれに、自分がモデルとしてしか関われないのが、なんとももどかしい。
なんとなく。
なんとなく、エリーの手を、握った。
はっと気づいたように、エリーが顔を上げる。
「え、レティさん? どうかしました?」
「ううん、考え事してるみたいだから、手を引いてあげようかな、って」
言い訳は、後付けのもの。
ただ何となく手をつなぎたかった、だなんて、なんだか負けたみたいで言えなかった。
そして、嬉しそうに握り返してくるエリーの顔を見て、自分の表情も緩んだのを感じた。
……既に負けているのかも知れない。なんとなく、そんなことを思う。
エリーの手を引いて歩く夕暮れの街並み。
一瞬、先日のアウスブルグの街での一幕が思い出された。
ただ、あの時とは違うことがあって。
……若干、それが胸の内側にしこりのような感覚を生み出していた。
それが何なのか、自分では良くわからないままに、宿へと歩いて行く。
程なくして宿へとたどり着き、併設の酒場で軽く食事を摂って。
二人の借りている部屋へと戻ってきた。
「はふ~~……やっぱり、すごいなぁ……」
戻ってきて早々に、落ち着く暇もなく背負い袋から取り出したスケッチを眺める。
もとより、知識として美術鑑賞の素養はあった。
そして、今日一日、実際に自分でも絵を描いてみて、目が肥えたのかも知れない。
……最初に見た時よりも一層、そのスケッチの凄さが身に染みる。
どうやったらこんな線が引けるのだろう。
どうやったらこんなタッチが出せるのだろう。
……どうやったら、こんな風に見えるのだろう。
自分の絵も取り出して、見比べる。
自分の絵と、何が違うのだろう。
考えても考えても、今の自分には想像もつかなくて。
ああだろうか、こうだろうか、と考えて、考えて……わからなくて。
ふぅ、とため息を吐く。
「……その絵が凄いのはわかるけど……そんなに根を詰めても仕方ないんじゃない?」
「う~……それは、そうなんですけど~……」
わかっている。
多分、これ以上考えても意味はない。
後は自分の考えたことを、実際に手を動かして確かめるしかない。
……残念ながら、自分の集中力だとか、そういったものは本日は品切れだが。
それもまた、なんとももどかしい。
「早く明日にならないですかね~……早くまた描きたいんですよ~……」
そうぼやくエリーをしばし見つめる。
なんとも悔しそうで、それでいてギラギラともしていて。
きっと、これはエリーにとって良いことなんだろう。
そうは、思うのだが。
「……なんだか、すっかり夢中だね……」
そう言いながら、ぽすんと隣に腰掛ける。
……ちょっとだけ、つっけんどんな言い方になったかも知れない。
何だかそんな自分が恥ずかしくなって、視線を逃がすように、エリーの眺める絵を見やる。
「それはそうですよ。
だって、この紙の中に、私のレティさんを留めておけるんですよ?」
「え。」
思ってもみなかった言葉に、言葉を失う。
この言葉の意味は、どういうことなんだろうか。
なぜだか、妙に頭の中が混乱してしまって。
「あ、すみません、語弊が……。まるでレティさんが私の所有物みたいな言い方しちゃいました。
私がレティさんの所有物なのに……」
そう言いながら、エリーが見つめてくる。
どきん、と心臓が跳ね上がるような感覚。
かぁ、と頬が熱くなる自覚。
どうして自分の体がこんな反応をしてしまうのか、わからない。
ただ、その原因がエリーの視線だということだけはわかる。
……目を合わせることが、できない。
それは、恐怖にも似て。ただ、恐怖とも違う、暖かな、予感。
「えっとですね、私にとってのレティさんって、こう見えるっていうのがあってですね。
それを、こうして形にできて、お見せできることが、凄く嬉しいんです。
……そして、思っているのと違ってるのが凄く悔しいんです。
私にとってレティさんは、こんなにこんなに素敵なんだぞって、もっと表現したいんです」
訥々と。そして、熱っぽく。
耳元で、語られる。
ただでさえ熱くなっていた頬が、さらに熱くなる。
それは、まるで。
「……なんだか、恋文みたいなことを言うんだね……」
ふと、そんなことを言ってしまった。
ああ、と得心したように手を打たれてしまった。
「なるほど! 私からレティさんへのラブレター!
だからこんなに熱中しちゃうんですね、きっと!」
しまった。
心の底から、そう思う。
恥ずかしさの理由に、自分で致命的な解答をつけてしまった。
そして。
「そうとわかれば、明日からさらに頑張るしかないですね!」
目をキラキラと輝かせながら嬉しそうに笑うエリーを前に、否定することはもうできなかった。
明日から、目の前でラブレターを描かれる。
それも、セルジュの目の前で、声高に朗読されるように。
「……明日から、どんな顔してモデルすればいいの……」
途方に暮れたような顔をして、天井を見上げた。
それぞれの理由で、それぞれに描く日々。
いつまでもこんな日々が続けばいいのに、と思わなくもない。
だが、いつまでもは続けるわけにもいかず。
次回:戻れぬ日々
塗り始めれば、後戻りはもうできない。




