最初のレッスン
「では、この位置から描いてみてください」
そう言いながらセルジュがもう一つのイーゼルと椅子をセッティングする。
言われるがままに椅子に座り、じぃ、とレティを見る。
……見つめる。
…………食い入るように見つめる。
「あの、エリー、ちょっと怖いのだけど……」
「あ、す、すみません、つい!
……セルジュさん、どうしてこの位置なんですか?」
モデルからのクレームに、慌てて目を反らしながら。
ふと、この中途半端な位置……ちょうどレティを斜めから見るような位置取りに気づき、首を傾げる。
「ああ、それはですね、描きながら教えましょう。
まずは最初のとっかかりから……はい、この木炭を持ってもらって。
こんな風に、軽く、力を籠めないように握って、手首もできるだけ柔らかく動かすイメージで」
実際に手を動かして見せると、それに倣うようにエリーも手を動かす。
ガリ、ザク、と軽い音が響き、黒が刻み込まれていく。
確かに、黒が刻み込まれていっているのだが。
どうしてセルジュのそれは、鮮烈な印象を放つのだろう。
黒いのに、軽い。いっそ光っているような印象すらある。
「ああ、色々気になるのはわかりますが、まず形を捉えることに集中してください。
最初は薄い線で大雑把に捉えますよ。
画面をこんな感じで三分割して、一番上のこの辺りにレティさんの頭部を持って来ましょう。
レティさんの頭の形を、それが入る大きな楕円に入れてしまって」
言いながら描かれる線と、言葉の意味を頭の中で撚り合わせる。
こういうことか? と考えながら木炭をこすりつけていくと、小さな頷きが返ってきた。
「そうそう、そんな感じです。
じゃあ、その楕円に方向性を付けますよ。
こうして、縦の真ん中の線と、横の真ん中の線を、顔に乗せていくように……」
楕円の真ん中に、曲線が引かれる。縦に、横に。
……それだけで、顔の形が見え始める。
え、え、と何度も見ては自分の画面も見て。
ただ真似するだけではだめだ、と改めてモデルのレティを見つめる。
……とても、整った顔。
見惚れそうになる気持ちを引き締めて、じぃ、と。
見つめて、ここが中心か? と見えた線を、画面に写し取る。
「……うん、いいですね、そこです。
そうしたら、顎の位置が決まりますよね?
こんな感じで……そうしたら、首がどこから繋がっているか、捉えやすいでしょう。
首がこのあたり、と正確でなくていいので、描いてみてください」
エリーの画面を見て、自分の画面も見て、す、す、と言葉を紡ぐのと同じ滑らかさで線が引かれていく。
そうこうしているうちに、首から肩、胸元、と体が出来上がっていく。
慌てて追い付こうとして、線がおかしくなり、一度消して、深呼吸。
同じようにできるわけがないのだから、自分なりの速さと線で、と言い聞かせて。
首筋から、肩、と降りていくように体を作っていく。
「……あの、エリーさん?
もしかして、絵を描いた経験があります? 初心者にしてはやけに形が捉えられてるんですが……」
「あ~……絵、と言えば絵ですけど……。
昔、従軍した時に偵察部隊に入れられたことがあって、その時に絵図面やら外観やらをスケッチする程度に」
「……な、なるほど?」
正確に言えば、威力偵察となること覚悟の偵察部隊だ。
単独で驚異的な防御力と攻撃力を持つエリーは、少人数での行動でもその能力を遺憾なく発揮する。
むしろ、一人で行って帰ってくる方が被害が少ない場合すらあった。
そんなエリーに威力偵察を任せるのは、当然と言えば当然だったのかも知れない。
「とりあえず、エリーさんにある程度の描画能力があることはわかりましたし、少しペースをあげますね。
身体のおおよその形が取れたら、少しずつ細部を整えていきます。
ああ、イグレットさんは髪が長いから、先に描いてしまいましょうか」
そう言いながら、線を加えていく。
あっと言う間に人間のフォルムが出来上がっていくのを、一瞬茫然と眺めてしまって。
いけないいけない、と我に返る。
イグレットを形作るシルエット、その肝とも言える黒髪。
見惚れないように気を付けながら、形を捉えていく。
……正直、自分で描いた質感は気に入らないが。
まずは形、まずは形、と心に念じながら、捉えていく。
「うんうん、まずはそうやって形を捉えましょう。
で、いよいよ、なぜこの角度なのか、なんですが……。
顔の縦の線と横の線の交わるところの少し下から、こうやって……鼻の形をざっくりと。
そこから逆に戻るようにしながら、右の眉を、ざっくり。
……エリーさん、右利きですよね?」
「え、あ、はい、右利きですけど、それが何か……。
……あれ? なんだか、こう……描きやすい……?」
言われるがままに、手を動かす。
……手が、動く。
いや、手が動きやすい位置に、描くべき線がある。
「ええ、この構図だと、右利きの人は比較的描きやすいんです。
もちろん、だからこそ良く描かれますし、慣れてきたら描きにくい構図に挑戦すべきだとは思うのですが」
そう言いながら、セルジュ自身も手を動かす。
彼自身が描いている構図は、ほとんど真正面から捉えたもの……左右のバランスを取るのが難しそうであるのに、恐ろしく正確に描かれていく。
「えっと……まずはこの構図で頑張りますねっ」
そう言うと、改めて画面へと向き直った。
次回予告:
自分が描いた線はそれなりのものなのだろう。
だが、何かが違う。これは、自分の見ているものではない。
そこに、僅かに線が加わり、命を得る。
次回:「一筆の狭間」
きっと、それを一生求めることになる。




